8 他人のことなんて、どうだっていいじゃない
メイド服を着たヴァンパイアのジルが、楽しそうにもみじに言った。
「眷属って言ってもぉ〜、人間の体って弱っち過ぎて強い魔力に耐えられないからぁ〜、魔力量が少なくて、あんまり強くないんだよねぇ〜。魔物を眷属にした方が強いヴァンパイアが誕生するしぃ〜、強い魔力を持った魔物がヴァンパイアになったら、あたしたちみたいな支配階級のヴァンパイアが誕生するしぃ〜、本当は魔界にいた方がいいんだけどぉ〜、ジルちゃんたちの一族み〜んなで人間界に移住することになったから、人間をい〜っぱい眷属にしたヴァンパイアの国を人間界につくる必要があるんだよぉ〜」
もみじはジルの言葉に慄然とした。
「い、一族で……移住だと……?」
真紅のドレスを着たルージが、薄笑いを浮かべて言った。
「ああ、そうさ。オレたちの先祖の中には、人間界に来て暴れていった奴もいるらしいけどな、今回はそんなんじゃなく、一族で移住するのさ。オレたちは先鋒隊として先に人間界に来て、大勢の眷属になった人間で構成する国をつくって一族を迎えに行くのさ。そして、それ以外の人間は、あたしたちに生き血を吸われるためだけに存在する食糧になるのさ」
その言葉を聞いたもみじは、激しい怒りを覚えてルージを睨んだ。
「生き血を吸われるためだけに存在するだと……?」
緑色のドレスを着たスノンが、見た者を凍りつかせるような冷たい目つきでもみじに言った。
「私たちが住んでいる魔界は、近い内に魔界を二分する大戦争が起こることが予測される一触即発の状況なのだ。私たちの一族は、これから起こる大戦争を回避するために人間界へ移住することを決定したのだ」
『魔界を二分する大戦争……』
もみじはその情報を伝えてくれた桃花の姿とその時の言葉、その状況に巻き込まれていると考えられる父と母の姿を思い浮かべた。
『父上……、母上……』
三体のヴァンパイアは突然驚愕の表情を浮かべ、スノンがもみじに向かって叫んだ。
「稲妻の戦士と悲しみの魔女が、お前の父と母だと? お前、一体何者なのだ?」
もみじは三体のヴァンパイアを真正面から睨みつけると、声を張り上げた。
「あたしはなーっ、神様の力を借りて超常的な現象を起こす神伝霊術を父上と母上から授かったもみじだーっ! この人間界は、父上と母上がもうすぐ帰ってくる大切な場所なんだ! おめぇたち一族になんて、支配されてたまるかーっ!」
メイド服のジルが、両手を口の前で握って体を左右に振り、喜びを全身で表現した。
「すっごぉ〜いっ! 魔界で無双状態の稲妻の戦士と、全ての魔物を翻弄する悲しみの魔女の子どもで、しかも、二人の術を遣えるのぉ〜っ? もしかしたら、人間なのに特殊能力を持ってて、め〜っちゃ強い眷属になれるかもぉ〜!」
真紅のドレスのルージがニヤリと笑うと、他の二体のヴァンパイアに言った。
「なあ、この人間がどれだけ強いのか試してみないか? こいつは楽しい遊びになりそうだぜ」
もみじは緊張と闘志が入り混じった表情で身構えた。
「また来る! あいつがまた来るよおおおおおおおおっ!」
地面が微かに揺れる薄暗い洞窟の中では、芽衣里が彩奏にしがみついて泣き叫んでいた。若い男性と女性の幽霊が、怯えた表情で芽衣里たちの後ろで身を寄せ合っていた。
鏡太朗は龍雷の柄を両手で握り、芽衣里のすぐ横で必死の形相を浮かべて身構えていた。
『どこだ? 大ムカデはどこだ? どこから出てくる?』
リリィは、離れた場所から鏡太朗の必死な様子を見ていた。
『見ず知らずの人間のためにあんなに必死になるなんて、鏡太朗って本当におバカだわ〜! いくらあんたが命懸けで誰かを守ろうとしたって、その誰かはあんたのためには絶対に自分を犠牲にはしない。それが人間の本質ってものなのよ。本当におバカ! 本当に……もみじみたいだわ……』
リリィは鏡太朗の姿をじっと見つめた。
「ぎゃあああああああああああああああああああっ!」
芽衣里たちの後ろに立っていた男性の幽霊の足の真下から、大ムカデが赤黒い柱のように勢いよく飛び出し、男性の幽霊の体は地上十メートルまで持ち上げられた。男性の幽霊の下半身は、大ムカデの口の中に捕らえられていた。
「く、食われてたまるかあああああああああああーっ!」
男性の幽霊はそう叫ぶと、姿を小さな白い光の粒に変えて大ムカデの口から飛び立ち、高く上昇した。
「龍雷よーっ、大ムカデを捕らえよおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
龍雷が長く伸びると、大ムカデの体にぐるぐると巻きついて大ムカデに雷を放った。しかし、大ムカデには全く反応がなく、大ムカデはさらに高く伸び上がり、鏡太朗は龍雷の柄を両手で握ったまま地上三十メートルの高さまで引き上げられ、叫び声を上げた。
「うわああああああああああああっ!」
大ムカデの先端にある口が洞窟の天井近くまで達すると、そこまで逃げていた白い光の粒の姿の男性の幽霊に迫り、光の粒は天井近くを水平に飛行して大ムカデの口から逃れた。
赤黒い柱のように天井に向かって真っ直ぐ伸びていた大ムカデの体が、天井の手前で大きくカーブを描き、光の粒になった男性の幽霊に追いついた。
「ぎゃあああああああああああああああーっ!」
男性の幽霊の断末魔の悲鳴を残して、光の粒は大ムカデの口の中に消えた。
その光景を愕然として見つめていた鏡太朗は、大ムカデの先端から五メートルの位置に龍雷を巻きつけたまま、大ムカデの動きに引っ張られて天井に強く叩きつけられた。
「がああああああああああああああっ!」
大ムカデはそのまま体を伸ばし続けて洞窟の壁まで接近すると、側面にある無数の足を動かして壁の上を這って歩き始めた。鏡太朗はそのまま大ムカデの動きに引っ張られて壁に全身を叩きつけられた。
「がああああああああああああっ! は、離す……もんかあああああああっ!」
大ムカデは龍雷に巻きつかれたまま洞窟の壁を歩き続け、やがて全長百メートルある大ムカデの全身が洞窟内に姿を現した。鏡太朗は龍雷の柄を必死に両手で握り締め、洞窟の壁を引きずられ続けた。
「止まれ! 止まれえええええええええええっ!」
大ムカデの体の前側が地面に到達すると、芽衣里たちの方に向かってもの凄い勢いで地上を進んで行った。
「きゃああああああああああああああああああああああっ!」
芽衣里が恐怖のあまり、洞窟中に響き渡る声で泣き叫んだ。
「芽衣里、逃げるんだーっ!」
彩奏は芽衣里の手を取ると、一緒に走って逃げ始めた。二人が逃げた後には、恐怖のあまり凍りついたように動けないでいる若い女性の幽霊が一人残され、大ムカデは立ちすくむ若い女性の幽霊に向かって、もの凄いスピードで突進した。
鏡太朗は龍雷によって大ムカデに地面を引きずられながら、必死に叫んでいた。
「やめろおおおおおおおおっ! 止まれえええええええええええええええっ!」
リリィは鏡太朗をじっと見つめ続けていた。
『本当に鏡太朗っておバカの中でも最上級のおバカだわ!。悪魔にしたって、人間にしたって、自分のことが一番大事なのは究極の真理なのに、どうして他人のためにそんなに必死になれるのよ? 自分の体と命を張れるのよ? 鏡太朗を見てると……、何だかモヤモヤする……』
大ムカデは女性の幽霊のすぐ目の前まで迫り、鏡太朗は必死に叫んだ。
「止まれえええええええええええええっ! 龍雷よ、こいつを止めてくれえええええええええええっ!」
大ムカデに巻きついている龍雷が特大の雷を大ムカデに放ち、大ムカデの全身が雷に包まれた。しかし、大ムカデは雷には全く反応することなく、若い女性の幽霊を頭から丸呑みにした。
「きゃああああああああああああああああああああっ!」
「やめろおおおおおおおおおおっ! やめてくれええええええええええええっ!」
若い女性の幽霊の断末魔の悲鳴と、鏡太朗の絶望の叫びが洞窟の中に響いた。
大ムカデはそのまま地面の中に頭から潜っていき、姿を消した。龍雷は大ムカデの体から離れて地面の上で長く伸び、鏡太朗は地面に転がったまま両手で頭を抱えて泣き続けていた。
「やめてくれよ……。やめてくれって言ってるじゃないか……。お願いだから、もうやめて……」
リリィは、他人のために泣き続ける鏡太朗の姿を真剣な眼差しで見つめていた。
『何で他人のために、そんなに泣けるのよ? 他人のことなんて、どうだっていいじゃない……。どうだって……』
「古より月を司りし月光照之命よ! その御力を宿し給え! 無限合鏡!」
薄暗い廃校一階の廊下では、笑みを浮かべる三体のヴァンパイアの目の前で、もみじの姿が二十人に増え、一斉に違う動きを始めた。
『こいつらを撹乱しながら、一体ずつ倒していくしかねーっ!』
「撹乱なんてできないさ」
いつの間にか、本物のもみじの背後に真紅のドレスを着たルージが薄ら笑いを浮かべて立っており、もみじの表情が凍りついた。ルージは右掌をもみじの背中に打ち込んだ。
「うわあああああああああああああああああああっ!」
もみじはもの凄い勢いで吹き飛ぶと、三十メートル先の廊下の突き当りの壁に全身を叩きつけられた。
「があああああああっ!」
『こ、こいつ、すげぇパワーだ!』
もみじはすぐに背後を振り返って身構えたが、口からは一筋の血が流れており、十九人の幻のもみじは消え去っていた。三体のヴァンパイアは三十メートル先に立っていた。
メイド服のジルが、弾けるような笑顔でもみじに言った。
「そんな術なんてぇ〜、ぜぇ〜んぜん意味ないんだよぉ〜! だって、ジルちゃんたちは思考が読めるからぁ〜、読める思考があるのが本物でぇ〜、思考がないのが幻だってことはぁ〜、バレバレなんだよぉ〜!」
『ちくしょう! 今度はこれだ!』
もみじは冷や汗を流しながら、右手の人差し指と中指で空中にジグザク模様を描いた。
「古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! その御力を宿し給え! 一条之稲妻ああああああっ!」
もみじは右掌を突き出し、三体のヴァンパイア目がけて雷を放った。
「だからぁ〜、ジルちゃんたちって思考が読めるしぃ〜、瞬間移動もできるって言ったでしょぉ〜!」
愕然とするもみじの右隣には、メイド服のジルが左右の手を頬の横で握って体をくねくねさせており、左隣にはドレス姿のルージとスノンが薄ら笑いを浮かべて立っていた。
もみじは慌てて右手人差し指と中指を天に向けると、8の字を六回連続して描きながら叫んだ。
「古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! その御力を宿し給え! 稲妻之帯、六連!」
もみじの全身を覆うように雷でできた帯が六つ出現し、もみじの周りをくるくると回り始めた。
「へぇ〜っ。雷のバリアみたいで面白い術だねぇ〜っ!」
もみじは不意に頭上からジルの声が聞こえた瞬間、両目を見開き、その表情が凍りついた。もみじが慌てて頭上を見上げると、うつ伏せの姿勢のジルが背中から生えたコウモリの翼で羽ばたき、もみじの真上で滞空して可愛らしい笑顔で見つめていた。
「でも、ざ〜ん念っ! 真上ががら空きだよぉ〜っ! えいっ!」
ジルが笑顔でもみじにデコピンすると、もみじは悲鳴を上げながらもの凄い勢いで廊下を吹き飛んだ。
「うわああああああああああああああああっ!」
吹き飛ぶもみじの周囲から稲妻之帯が消え去り、もみじは二十メートル先の床に背中から叩きつけられた。
「大丈夫〜っ? 痛かったぁ〜っ?」
いつの間にか、ジルがもみじの隣にしゃがみ込んでおり、悪戯な笑みを浮かべてもみじの顔を覗き込んでいた。ジルの背中からは、さっき生えていたコウモリの翼が消えており、ジルの後ろには、冷笑を浮かべてもみじを見下ろすスノンとルージが立っていた。
ルージが蔑んだ視線をもみじに向けながら、吐き捨てるように言った。
「期待したんだが、がっかりするほどの弱さだな。こんなゴミと遊んでも、オレはちっとも楽しくない。さっさと他の人間と同じように、最下級の眷属にしようぜ」
もみじは激しく狼狽していた。
『こ、こんな奴らとどう闘えばいいってんだよ? 思考を読めて瞬間移動ができるなんてチート級の魔力、ぜってーに勝てる訳がねぇ!』
ジルは屈託のない可愛い笑顔をもみじに向けた。
「そ〜だよぉ〜っ! ジルちゃんたちから見ればぁ〜、君の強さなんてゴミみたいなものなんだよぉ〜っ! ぜーったいに勝てる訳がないんだよぉ〜っ!」
もみじの心は暗黒のような絶望に覆い尽くされていった。
洞窟の中では、鏡太朗が何かを決意した表情で立ち上がっていた。鏡太朗は、力強い眼差しを彩奏と芽衣里に向けた。
「彩奏さん、芽衣里ちゃん。君たちは光の粒の姿になって空を飛べるんだよね? 二人は空を飛んで、天井の真ん中のあの穴の辺りにいて」
鏡太朗はリリィに目を向けた。
「ここにいるってことは、君も幽霊なんだよね?」
リリィは笑って答えた。
「あたしがゆーれい? それって何の冗談? あたしはゆーれいなんかじゃないわよ」
鏡太朗は困った顔をしてリリィを見つめた。
「それは困った……。みんなが天井近くに避難して、地上にいるのが俺一人だけになったら、大ムカデは必ず俺を襲うはず。俺は大ムカデと一対一で闘うつもりなんだけど……、君が避難する方法を考えなくちゃ」
リリィは不敵な笑顔を浮かべた。
「それは面白いわね! 是非とも見物したいわ〜! いいわ、あたしも天井近くに避難してあげる!」
鏡太朗は驚いてリリィに訊いた。
「え? でも、どうやって?」
リリィの姿が、一瞬にして悪魔クロリリィの姿に変わった。
「あたしはねーっ、人間じゃなくて悪魔なのよーっ。あたしは悪魔の子クロリリィなの。ふふふ……、驚いた?」
「へぇ〜、そうなんだーっ! よろしくねクロリリィちゃん!」
鏡太朗は明るい笑顔をクロリリィに向け、クロリリィがその笑顔にたじろいだ。
「な、何で、このリアル都市伝説みたいな状況を普通に受け入れてるのよーっ? 何か調子が狂うわねーっ」
クロリリィは不満そうに言った。
「え? クロリリィちゃんが悪魔だからって、気にすることなんて何もないんだけど……。別に悪魔だからって、悪い悪魔とは限らないし」
「いや、悪魔なんだから、悪い奴に決まってるでしょ……」
面食らった表情のクロリリィに、鏡太朗はとびっきり輝いた嬉しそうな笑顔を向けた。
「クロリリィちゃんも天井近くに避難ができるなんて、俺はめっちゃ嬉しいよ!」
その時、地面が微かに揺れ、芽衣里と彩奏の表情が見る見る青ざめていき、鏡太朗が叫んだ。
「さあ、みんな天井の真ん中に避難して! 後は俺一人で何とかしてみせる!」
「おにいちゃん、気をつけて!」
「死ぬんじゃないぞ!」
芽衣里と彩奏は心配そうな表情で鏡太朗にそれぞれ声をかけると、小さな白い光の粒に変わって天井中央の穴に向かって上昇していった。
クロリリィは不思議そうな表情で、鏡太朗に訊いた。
「あんた、一体どうやってあの大ムカデを倒すのよ? どんな方法を思いついたの?」
鏡太朗はクロリリィに向かって明るく笑った。
「え? 倒す方法なんて、全然わかんないよ」
クロリリィは驚愕して、思わず大きな声を上げた。
「ちょ、ちょっとーっ! あ、あんた、勝算が全然ないのに、何でそんなに嬉しそうなのよーっ?」
「だって、みんなが安全になる方法を思いついたら、つい嬉しくなっちゃって」
鏡太朗は心底嬉しそうに答えた。
「あ、あ、あんたは、な、何ておバカなのーっ? みんなが安全になったからって、あんたが無策で大ムカデと闘って食われちゃったら意味ないでしょーっ?」
クロリリィは、全く理解ができない鏡太朗の思考に混乱すら覚えていた。
地面の揺れが大きくなった。
「じゃ、じゃあ、あ、あたしは、あんたが大ムカデに食われる様子を楽しく見物させてもらうわよ! か、簡単に食われたら面白くないから、せいぜい頑張ることね!」
クロリリィはそう言いながら、天井を見つめて地上からフワリと浮き上がると、一瞬振り返って鏡太朗に視線を向けた。
クロリリィの目に映ったのは、龍雷の柄を両手で握り締めて身構える鏡太朗が、クロリリィに向けている優しい笑顔だった。それは、見る者全ての心を安心させるような穏やかで温かな微笑みだった。
その時、クロリリィの胸の鼓動が一瞬にして高まり、その視線が鏡太朗の微笑みに釘付けになった。
「あ、あんたをからかったら面白そうだから……、死んじゃったら面白くないから、し……、死ぬんじゃないわよ」
クロリリィはそう言い残すと、天井目がけて上昇していった。その頬は少し赤らんでいた。
『な、何なの、この鼓動の高まりは? こんなに胸がドキドキしてるなんて。顔も何だか熱い……。こんなことって初めて。ま、まさか、これって……』
クロリリィは、鏡太朗の優しい笑顔を思い浮かべた。
『あたし……、まさか鏡太朗に……』
クロリリィは、思わず右の掌を胸の中央に当てた。
『……病気をうつされたのーっ? 悪魔にうつる病気なんて、どんなに恐ろしい病気なのよーっ! 鏡太朗の奴、ぜーったいに許さないんだからーっ!』
クロリリィは洞窟の天井中央の穴の下で滞空すると、地上の鏡太朗の姿を見つめた。そのすぐそばには、芽衣里と彩奏が小さな光の粒の姿になって浮遊していた。




