1 幸せを呼ぶ白い毛玉
無数の星が瞬く夜空の下、鏡太朗は上半身裸でうつ伏せになって気を失っており、地面に敷かれたたくさんの大きな葉の上に横たわっていた。鏡太朗は海に囲まれた細長い島の丘の上におり、鏡太朗の横では、葉で全身を覆われた魔物グリーンマンが両膝をつき、胸に咲いているピンク色の花を輝かせながら、鏡太朗の右脇腹の後ろに両掌を重ねて当てていた。グリーンマンの掌の下では、鏡太朗が瑠璃切子にナイフで刺された傷口から血が流れ続けていた。
グリーンマンと鏡太朗の体は、グリーンマンの胸に咲く花から広がったピンク色の光に包まれており、グリーンマンは根でできた長い髪の間から深刻な表情を覗かせ、鏡太朗を凝視していた。青年の顔だったグリーンマンの顔は、次第にシワが増え、老人の顔へと変わっていった。
鏡太朗とグリーンマンの隣には、涙を流しながら悲しい目で鏡太朗を見つめるさくらと來華、和服を着た童女の姿の魔物である座敷わらし族のピラコが立っており、その周囲には人間の姿の火車、カマイタチ三兄弟、双子の半魚人、たくさんの魔物の子どもたち、魂の姿の磯姫と彌助、戦闘モードのコアちゃんが立ち、食い入るように鏡太朗の様子を見ていた。
丘の上から望む水平線の彼方から差し込んだ陽の光が、空と雲、海を赤、橙、黄色、紫、藍色、青などの様々な色彩で美しく染め始めると、火車たちの背後で夜陰に隠れていた木や枝でつくられた家がはっきりとその姿を現した。鏡太朗たちが現在いる場所は、びっくり島の丘の上にある魔物たちの村だった。
「ん? ここは?」
鏡太朗は突然意識を取り戻して、目を開いた。
「鏡ちゃん!」
「鏡太朗!」
悲しみと不安で押し潰されそうだったさくらと來華の顔が、同時に笑顔で輝いた。
「おにいちゃん! よかった!」
ピラコが涙を散らしながら鏡太朗の背中に抱きつき、そのまま声を出して泣き出した。
「おにいちゃん、よかった……。よかったよぉ……」
「ピラコちゃん? え? ここはびっくり島? どうしてここに?」
ずっと気を失っていた鏡太朗は、今の状況が理解できずに混乱していたが、その場にいる魔物と魔物の子どもたち、磯姫、彌助、コアちゃんは、鏡太朗の様子を見ながら涙を浮かべて笑っていた。
空全体が柔らかな淡い御空色で染まり、スズメたちの忙しそうなさえずりが響く早朝の町外れの住宅街では、一軒の家の前にもみじのSUV車が停車していた。
運転席のもみじが、助手席のまふゆと後部座席のナツに言った。
「ここがまふゆとナツが住んでいる家か」
「いつもはおじさん、おばさんって呼んでるけど、じいちゃんの弟とその奥さんの家なんだ。子どもはとっくに独立して二人暮らしになってたところに、あたしとナツがお世話になってるんだよ」
「すっかり帰りが遅くなっちまった。詫びを入れに行きてぇが、この格好でお邪魔したら余計心配するよな」
もみじの白衣と袴はあちこちが切り裂かれ、乾いた血で染まっていた。そして、まふゆとナツの服もまた、昨夜の朝死川村での激しい闘いによってボロボロになっていた。
「着替えてから、改めて詫びに来るぜ」
「もみじさん、だいじょーぶだよ! おじさんとおばさんは旅行中だから、今は二人ともいないんだ! もみじさん、色々と助けてくれてありがとう!」
まふゆは笑顔でそう言うと、車から降りた。続けてナツが無表情のまま車のドアを開けて道路に足を下ろそうとした時、もみじがナツに明るい声をかけた。
「ナツ、おめぇ、あたしんとこに稽古に来ねぇか? 術を伝授するわけにはいかねぇが、体術と武器術の稽古ならつけてやるぜ! ただし、ボッコボッコにしてやるがな!」
ナツの口元が微かに笑ったように見えた。
「面白い。俺の方こそ、もみじをボコボコにしてやるさ」
もみじは嬉しそうな笑顔で言った。
「楽しみに待ってるぜ! じゃーな、まふゆ、ナツ」
もみじが楽しそうな様子でSUV車を発進させると、まふゆが手を振りながら笑顔で叫んだ。
「もみじさーん! あたしにも稽古をつけてねーっ!」
ナツは、遠ざかっていくもみじのSUV車をまふゆと並んで見つめながら、小声で呟いた。
「客観的に見て……、もみじって、いい奴だな……」
まふゆはナツの言葉が聞き取れずに聞き返した。
「え? ナツ、今何か言ったかーっ?」
「いや……、何でもない」
ナツは相変わらず無表情のままだったが、まふゆにはナツの顔が何だか楽しそうに見えていた。
青空をゆっくり昇っていく太陽が天頂に近づいた頃、鏡太朗は学校の夏の制服であるYシャツを着て、雷鳴轟之神社の社務所の外に立っていた。その前には、さくらと來華が並んで笑顔で立っていた。
「さくら、ライちゃん。二人のお陰で本当に助かったよ。それに、びっくり島のみんなに会えてとても嬉しかった。つい長居して、帰るのが昼近くになっちゃったけど……。じゃあ、一度家に帰って、午後から杖術の稽古に来るね」
「本当に鏡ちゃんが無事で嬉しいよ!」
「鏡太朗のことは、絶対にわしらが死なせないんじゃ!」
鏡太朗がさくらと來華に手を振って背後の鳥居に向かおうとした時、社務所からもみじが姿を現した。その髪の毛は爆発したようにもじゃもじゃで、赤い上下のジャージを着ており、鏡太朗は驚いて叫んだ。
「も、もみじさん! な、何、その格好?」
「あ、やべぇ! 乙女の可憐なパジャマ姿を見られちまった!」
「パジャマ姿って……、ジャージじゃん。あれ? それって、まさか中学校の時の体育用のやつ?」
もみじのジャージの左胸には、『佐倉もみじ』と書かれたアイロンシールが貼られていた。
「こ、これはだな……、地球の限られた資源を大切に使うためにだな……」
もみじは真っ赤になって動揺し、そばにいたさくらは恥ずかしそうに俯いていた。來華だけがきょとんとした顔で、もみじと鏡太朗のやり取りを見つめていた。
「あ、あたしはな、ヘトヘトなのに一晩中車の運転をして疲れ果てたから、仮眠をとっていたんだ。そ、そんなことより、鏡太朗! 後でおめぇの親御さんにお詫びに行くからな」
鏡太朗は驚いてもみじに聞き返した。
「え? お詫び? 何の?」
もみじはさくらと來華の間に立ち、鏡太朗の問いに答えた。
「不可抗力とは言え、未成年の帰宅が翌日になっちまったんだ。これは同行した大人の責任だ。詫びを入れるのが筋ってもんだ。身支度を整えたらおめぇの家に行くから、親御さんに伝えといてくれ」
「でも、もみじさんは全然悪くないのに……」
「これが大人の常識ってやつなんだよ」
もみじは笑顔を見せたが、鏡太朗は釈然としない表情で答えた。
「わかったよ。じゃあ、家で待ってるね」
鏡太朗が鳥居の外の階段を降りていき、もみじが「支度、支度」と呟きながら社務所の中に姿を消すと、さくらと來華が社務所の外に取り残された。
「ん? さくら、これ何じゃ?」
來華は、さくらの左耳の上につけているヘアクリップの後ろの髪に何かが付着していることに気づき、それを右手でとった。
さくらの髪についていたのは、ビー玉くらいの大きさの白い毛の塊で、白い毛は中心となる一点から放射状に生えていた。
「ライちゃん、それってケサランパサランじゃない?」
さくらは來華の右掌に置かれた毛の塊を見て、嬉しそうな驚きを見せた。
「ケサランパサ……? 何じゃそれ?」
「ケサランパサランだよっ。江戸時代から言い伝えられている謎の生物なの。白粉を食べるから、空気穴のある箱に白粉と一緒に入れておくと育てることができるんだけど、一年に二回までしか見ちゃいけないんだって。そしてね、ケセランパサランは、持っている人に幸せを引き寄せるんだって」
「へぇ〜っ! この毛の塊みたいなもんが? 全く生き物には見えんが……」
さくらは屈託のない笑顔を來華に向けた。
「ライちゃん。そのケセランパサランはライちゃんにあげる」
「え? い、いや、幸せを引き寄せるんだったら、さくらが持っているべきじゃ。もともと、さくらの髪にくっついていたんじゃし……」
「いいの! あたしはライちゃんにケセランパサランを持っていて欲しいの」
「じゃ、じゃが……」
「あたしの気持ち、受け取って」
來華は困惑しながら右掌の上のケセランパサランを見つめ、さくらは嬉しそうな笑顔でその様子を見ていた。
『鏡ちゃんが死んじゃうかもしれない状況に直面して、今にして思えば、あたしって、何てちっちゃなことで悩んでいたんだろうって感じる。あたしの好きな人たちがずっと笑顔で元気に生きていられたら、それでいいじゃない!
きっと望みが叶うことと幸せを感じることって、同じとは限らないんだ。望みが叶っても幸せじゃない人もいるはずだし、望んでいた結果と違う現実に幸せを感じる人だっているはずだよ。
だから、誰かの望みが叶うと、他の誰かの望みが叶わないことはあっても、誰かが幸せになったからって、他の誰かが不幸になるとは限らないんだ。みんなが幸せに生きていける未来は、必ずあるんだ!
そう考えたら、自分は絶対に幸せになるんだから、まず先に周りの人に幸せをあげたいって、心からそう思える。だから、今はケセランパサランが運んでくれる幸せは、ライちゃんにあげたい』
來華は、ためらいがちにさくらに言った。
「じゃ、じゃあ、さくらがそこまで言ってくれるなら……、ありがたく貰っておくことにするんじゃ。さくら、ありがとう」
「ライちゃんに幸せがい〜っぱいやって来たら、あたしも嬉しい!」
さくらは幸せいっぱいの気持ちに満たされながら、満面の笑みを見せた。
「こいつは生きているんだって考えたら、何となく可愛く思えてきたんじゃ」
來華は優しい微笑みを浮かべながら、右掌の上のケセランパサランを見つめた。
「そうだ! ライちゃん、そのケセランパサランに名前をつけてあげようよ! めっちゃ可愛い名前がいいっ!」
さくらが楽しそうに提案すると、來華はケセランパサランを凝視しながら考え込んだ。
「可愛い名前か……。う〜ん……、一体どんな名前がいいんじゃろう……? そうじゃ! この名前なら可愛いんじゃ! お前の名前は『毛玉』じゃ!」
さくらの笑顔が引きつった。
『ラ、ライちゃん……。ライちゃんの『可愛い』の感覚、独特過ぎるよ……』
さくらは気を取り直し、笑顔で來華に言った。
「ライちゃん、その名前も可愛いけど、『ケマリン』なんてどお? 毛でできた鞠みたいだから」
來華は下顎に左手を当てて考え込んだ。
「ケマリンか……。それもいい名前なんじゃ……。そうじゃ! 間を取って『しろっぴー』はどうじゃ?」
さくらの笑顔が再び引きつった。
『ライちゃん、それ、全然間じゃないし……』
「こいつって、おひさまみたいな形をしているんじゃ。じゃから、白い陽で『しろっぴー』。どうじゃ?」
さくらの笑顔が嬉しそうに輝いた。
「ライちゃん、それめっちゃいいよ! しろっぴーにしようよ!」
來華は右掌の上のケセランパサランを太陽にかざし、輝くような笑顔で語りかけた。
「お前は今からしろっぴーじゃ! お前はわしとさくらの大切な友達じゃ! ずっと仲良くしような、しろっぴー」
その時、柔らかな風が來華とさくらを優しく包み、しろっぴーの毛を撫でながら通り過ぎていった。白い毛が風に揺れる様子は、來華とさくらの目には、しろっぴーが喜んでいるように映っていた。




