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名前を呼ばれなかった私が、異世界でただ一度「君」と呼ばれるまで  作者: Futahiro Tada


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静まった後に残るもの

静まった後に残るもの


 翌朝、空気は不自然なほど澄んでいた。

 管理局の廊下を歩く人々の足取りは軽く、昨日まで漂っていた息苦しさは、確かに消えている。

 体調不良を訴える職員の姿も見当たらない。

 ――成功した。

 そう思った瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。

 静かすぎる。

 何も起きていないように見えるときほど、王都では何かが進んでいる。

 部屋の扉が開き、二人の管理局員が入ってきた。

 いつもの食事担当とは違う。

 服装も、立ち姿も、より事務的で、より無表情だった。

「異界人ユイ」

 名前を呼ばれる。

 けれど、それは呼ばれているというより、呼び出されている感覚だった。

「本日より、あなたの管理区分を変更します」

 唐突な宣告。

「……変更、ですか」

「はい。昨夜の異常収束を受け、危険度評価が再算定されました」

 危険度。

 成功したはずなのに。

 助けたはずなのに。

「これまでの区分は観察対象でしたが――」

 一拍置いて、管理局員は続ける。

「本日より、重点管理対象へ移行します」

 その言葉が、はっきりと胸に落ちた。

 ――成功は、自由をもたらさない。

 むしろ逆だ。

「具体的には、行動範囲の制限、面談回数の増加、常時監視体制の強化が行われます」

 淡々とした説明。

 まるで、機材の運用変更を告げるような口調。

「……私は、何か規則を破りましたか」

 絞り出すように尋ねると、管理局員は首を横に振った。

「いいえ。むしろ、規則内での行動です」

 だからこそ、厄介だった。

「あなたの存在が、想定以上の影響力を持つと判明した。それだけです」

 私は、黙って頷いた。

 反論はできない。

 事実だから。

 扉が閉まり、私は一人になる。

 部屋は変わらない。

 寝台も、机も、窓も。

 けれど、空気が違った。

 見られている。

 昨日よりも、はっきりと。

 私は、窓際に立ち、王都の街を見下ろした。

 あの賑わいの中に、私は存在していない。

 ここから見えるのは、ただの風景。

 ――北境では、違った。

 危険はあったけれど、視線はなかった。

 誰も、私を測っていなかった。

 そして、そこにはレオンがいた。

 背中を向けて、前に立つ人。

 守るために、距離を取る人。

 ここには、その背中がない。

 昼過ぎ、セシリアが部屋を訪れた。

 扉が閉まると同時に、彼女は小さく息を吐いた。

「……こうなると思ってた」

 苦い笑み。

「ごめんなさい。止められなかった」

「……いえ」

 私は、首を振った。

「分かっていました」

 選択には、代償が伴う。

「昨夜の件、上層部は制御不能の兆候と捉えたの」

 セシリアは低い声で言う。

「あなたが意図せず歪みを収束させた。

 それはつまり、意図せず歪ませる可能性もあるという評価になる」

 正論だ。

 王都は、正論でできている。

「……私は、失敗したんでしょうか」

 小さく尋ねると、セシリアは首を横に振った。

「いいえ。あなたは正しかった」

 即答。

「ただ、正しさは王都では安全じゃない」

 その言葉が、胸に刺さる。

「監視が強化されれば、あなたは動けない存在になる」

 セシリアは、真剣な目で私を見る。

「そうなったら、あなたは自分の意思で選べなくなる」

 それは――

 北境で得た役割を、奪われるということ。

 私は、指先を握りしめた。

「……レオン隊長がいれば」

 思わず、口をついて出た。

 セシリアは、黙って私を見た。

「彼なら、制度の前に立ってくれたかもしれない」

 その言葉が、どれほど危ういか、私自身が一番分かっている。

「でも、ここにはいない」

 セシリアは、静かに言った。

「彼は、騎士団の人間。

 この管理局の判断に、直接口出しはできない」

 分かっている。

 分かっているのに。

 私は、初めて思った。

 ――限界だ。

 守られることの限界。

 制度の中で、正しく生きることの限界。

 夜、監視が増えた。

 廊下の足音。

 扉の前に立つ気配。

 眠ろうとしても、意識が冴える。

 ここでは、泣くことすら記録になる気がした。

 私は、声を殺して息を吐いた。

「……レオン」

 名前を呼んでも、返事はない。

 北境では、距離があっても、存在は感じられた。

 ここでは、完全に切り離されている。

 それが、こんなにも心を弱くするとは思わなかった。

 翌日、管理局の上層部による正式な聴取が行われた。

 大きな部屋。

 長い机。

 複数の視線。

「異界人ユイ」

 再び、名前を呼ばれる。

「昨夜の件について、詳細な報告を求める」

 私は、正直に話した。

 感じたこと。

 選んだこと。

 嘘はつかなかった。

 沈黙が落ちる。

「……危険だな」

 誰かが呟く。

「制御不能だ」

 別の声。

 私は、何も言えなかった。

 そのとき。

「一つ、確認させてください」

 セシリアが、発言を求めた。

 彼女は、制度の人間として、正式に口を開く。

「彼女は、意図的に何かを破壊しましたか」

 沈黙。

「王都に損害を与えましたか」

 さらに、沈黙。

「むしろ、損害を防いだのではありませんか」

 空気が、わずかに揺れる。

 私は、セシリアの背中を見つめた。

 彼女は今、

 制度の内側から、ぎりぎりの線を踏んでいる。

「だからこそ、管理は必要だ」

 上層部の声。

「だが、完全な封鎖は逆効果になる」

 議論が始まる。

 私は、その場で、初めて物ではなく、変数として扱われていると感じた。

 聴取が終わり、部屋を出る。

 セシリアは、私の隣を歩いた。

「……ありがとう、ございます」

 小さく言うと、彼女は首を横に振った。

「まだ、何も解決していない」

 そして、低く囁く。

「でも、あなたは一人じゃない」

 その言葉が、救いだった。

 それでも。

 部屋に戻った私は、はっきりと理解していた。

 ――限界が来ている。

 レオンがいない王都で、

 私は制度と、感情と、自分自身の間で

 押し潰されそうになっている。

 恋は、まだ始まっていない。

 でも、その不在が、

 こんなにも痛いという事実が、

 すべてを物語っていた。

 私は、夜の窓辺で、静かに誓った。

 このまま、管理されるだけの存在にはならない。

 選ぶ。

 たとえ、その先に――

 取り返しのつかない代償が待っていても。

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