表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名前を呼ばれなかった私が、異世界でただ一度「君」と呼ばれるまで  作者: Futahiro Tada


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/41

静かな異変、選ぶ側に立つ

静かな異変、選ぶ側に立つ


 異変は、音もなく始まった。

 それに最初に気づいたのは、私自身だった。

 朝の面談を終え、部屋に戻る途中の廊下。

 白い石の床、均一な灯り、整いすぎた空間。

 その中で、空気がわずかに――歪んだ。

 北境の森で感じたものとは違う。

 荒々しさはなく、むしろ抑え込まれたような、息苦しい違和感。

 私は足を止めた。

「……」

 胸の奥が、静かにざわつく。

 理由は分からない。

 でも、無視してはいけない感覚だということだけは、はっきりしていた。

 管理局の職員が通り過ぎていく。

 誰も気づいていない。

 ――私だけが、感じている。

 その事実が、背中を冷やした。

 部屋に戻っても、違和感は消えなかった。

 むしろ、じわじわと濃くなっていく。

 窓の外を見る。

 王都の街は、いつも通り賑やかだ。

 何事も起きていないように見える。

 それなのに。

「……息が、詰まる」

 小さく呟く。

 まるで、この建物全体が、見えない何かを抱え込んでいるみたいだった。

 昼前、再びノックが鳴る。

「ユイ、少し時間いい?」

 セシリアの声だった。

 扉を開けると、彼女はいつもより表情が硬い。

「何か、ありましたか」

 私が聞くと、セシリアは一瞬迷うように視線を泳がせ、それから言った。

「……最近、管理局内で体調不良者が増えているの」

「体調不良?」

「頭痛、息苦しさ、理由の分からない不安感……」

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が強く反応した。

 私は、思わず言ってしまう。

「それ……どこでですか」

 セシリアは、私を見る。

「主に、この棟の上層部」

 ――ここだ。

 この管理局。

 私は、確信に近い感覚を覚えた。

「……私、何か感じています」

 そう告げると、セシリアの目がわずかに見開かれる。

「感じている?」

「北境のときと、似ているようで……違う。もっと、押さえつけられている感じです」

 セシリアは、すぐには答えなかった。

 彼女は、制度の人間だ。

 感覚だけで動くことはできない。

「医学班は、原因不明として処理しているわ」

 慎重な声。

「結界の異常は、報告されていない」

 だからこそ、問題なのだ。

 私は、唇を噛んだ。

「……あの」

 言っていいのか、迷う。

 でも、黙っている方が怖かった。

「これ、結界じゃないです」

 セシリアの視線が、鋭くなる。

「どういう意味?」

「人、です」

 言葉にした瞬間、胸が痛んだ。

「人の感情が、溜まってる。押し込められて、逃げ場を失って……それが、歪みになっている」

 北境の揺らぎは、外からの圧だった。

 でも、ここは違う。

 王都の管理局は、

 管理することで、感情を閉じ込めている。

 セシリアは、しばらく黙っていた。

 やがて、低い声で言う。

「……そんな話、前例がない」

「でも」

 私は、必死だった。

「ここでは、感情を見せること自体が選択だって、あなた言いましたよね」

 セシリアの目が揺れる。

「押し込められた感情は、消えません。ただ……歪みます」

 沈黙が落ちる。

 遠くで、誰かの足音が響く。

 それすら、どこか息苦しい。

「……もし、あなたの言う通りなら」

 セシリアは、慎重に言葉を選ぶ。

「これは、制度そのものの問題になる」

 つまり――

 公にはできない。

 管理局が、原因になる事件。

 私は、拳を握った。

「それでも、放っておけません」

 自分でも驚くほど、はっきりした声だった。

「このままだと、もっと酷くなる」

 セシリアは、私をじっと見つめる。

「……あなたは、何をするつもり?」

 問われて、初めて気づく。

 私は、選ぶ側に立たされている。

 守られるだけの存在ではない。

 影響を与える核。

「……触れます」

 小さく、でもはっきり言った。

「この歪みに、直接」

 セシリアは、息を呑んだ。

「危険よ」

「分かっています」

 それでも、逃げたくなかった。

「北境では、私は何も選ばなかった。ただ、そこにいただけ」

 私は、セシリアを見る。

「でも、今回は……」

 言葉を探し、続ける。

「誰かが壊れる前に、止めたい」

 しばらくの沈黙の後、セシリアはゆっくりと頷いた。

「……公式には、私は何も知らない」

 低い声。

「でも、非公式に……地下の調整室を使えるようにする」

 心臓が跳ねる。

「そこなら、表向きは検査になる」

 制度の中で、ぎりぎりの線。

「ただし」

 彼女は、強く言った。

「私も同行する。あなたを、一人にはしない」

 その言葉に、胸が熱くなった。

「……ありがとうございます」

 地下の調整室は、静まり返っていた。

 結界の制御装置。

 複雑な魔術陣と、記録装置。

 そして、重たい空気。

 ここに、歪みが溜まっている。

 私は、中央に立った。

 目を閉じる。

 北境の森を思い出す。

 呼ばれた感覚。

 支える感触。

 今度は、違う。

 押し込められた感情に、触れる。

 怖い。

 でも、逃げない。

 息を吸い、吐く。

 胸の奥から、何かが広がる。

 痛み、焦り、怒り、諦め。

 名もなき感情の塊。

「……っ」

 思わず、膝が揺れる。

「ユイ!」

 セシリアの声。

「大丈夫……です」

 震える声で答える。

 私は、押し込められた感情に、語りかける。

 ――ここにある。

 ――消えなくていい。

 ――歪まなくていい。

 それは、祈りに近かった。

 やがて、重たい空気が、少しずつほどけていく。

 息苦しさが、和らぐ。

 私は、深く息を吐いた。

 その瞬間、視界が揺れ、身体が傾ぐ。

 支えられる感触。

 セシリアだった。

「……やりすぎよ」

 彼女の声は、震えていた。

「でも……成功です」

 計器の針が、安定している。

 歪みは、確かに収まった。

 私は、椅子に座らされながら、思った。

 これは、力じゃない。

 選択だ。

 そして、その選択は――

 誰かの制度を揺らす。

 セシリアは、私を見つめて言った。

「あなたは、危険な人ね」

 でも、その口元は、微かに笑っていた。

「……でも、必要な人だわ」

 その言葉が、胸に残る。

 私は、初めて王都で、

 個人として必要とされた。

 その代償が、どれほど重いかを、

 まだ知らないまま。

 ただひとつ確かなのは――

 もう、北境の灯りだけを思い出して

 生きることはできない、ということだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ