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名前を呼ばれなかった私が、異世界でただ一度「君」と呼ばれるまで  作者: Futahiro Tada


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守られている檻、名前で呼ばれる距離

守られている檻、名前で呼ばれる距離


 王都での生活は、驚くほど規則正しかった。

 起床の時間。

 食事の時間。

 面談の時間。

 すべてが決められていて、迷う余地がない。

 私が暮らす部屋は、管理局の中でも配慮された区画にあるらしい。

 清潔で、静かで、最低限の快適さが整えられている。

 ――それが、余計に息苦しかった。

 朝、扉をノックされる。

「異界人ユイ。起きていますか」

 名前を呼ばれているのに、どこか無機質な響き。

「はい」

 返事をすると、扉の外から鍵の音がする。

 扉は開くけれど、鍵は外されない。

 食事が運ばれ、簡単な確認があり、また扉が閉まる。

 私は、ここから出られない。

 正確には、「許可がなければ」。

 窓の外には王都の街並みが広がっている。

 人々が行き交い、商人が声を張り上げ、子どもが走り回る。

 自由そうな光景。

 それを眺めながら、私は思う。

 ――私は、守られている。

 でも同時に、管理されている。

 詰所では、誰も私を監視していなかった。

 危険はあったけれど、視線はなかった。

 ここには、危険はない。

 でも、常に見られている。

 それが、こんなにも心を削るとは思わなかった。

 昼過ぎ、面談の時間になる。

 管理局の奥、白い石の廊下を案内され、ひとつの応接室に通される。

 そこにいたのは、見覚えのない女性だった。

 年齢は二十代後半くらい。

 すらりとした姿勢で、淡い色の服を着ている。

 装飾は控えめだが、仕立ての良さが一目で分かる。

「初めまして」

 彼女は、柔らかく微笑んだ。

「私はセシリア。異界人管理局で、あなたの担当を任されました」

 担当。

 その言葉に、胸がひくりとする。

「……ユイです」

「ええ、知っています」

 セシリアは頷き、椅子を勧めてきた。

「緊張しなくて大丈夫ですよ。今日は、状況確認と、少しお話をしたいだけですから」

 声は穏やかで、威圧感はない。

 むしろ、親切そうだ。

 それが、逆に怖かった。

 管理官の中年男性とは違う。

 彼女は、人として話すことができる。

 だからこそ、制度の顔として厄介なのだと、私は直感した。

「王都での生活には、もう慣れましたか?」

「……正直に言えば、まだです」

 私が答えると、セシリアは微笑みを崩さない。

「そうですよね。突然、異世界に来て、管理局での生活……大変だと思います」

 共感の言葉。

 でも、その言葉は、私を外に出してはくれない。

「あなたは、北境で興味深い現象を起こしました」

 セシリアは、机の上の書類に視線を落とす。

「結界の揺らぎが、あなたの存在によって安定した」

 私は、息を詰めた。

「……偶然です。私、何もしていません」

「ええ。意図的ではないでしょう」

 セシリアは頷く。

「ですが、影響を与えたという事実は変わりません」

 事実。

 その言葉は、いつも逃げ場を塞ぐ。

「ですから、しばらくはここで生活してもらいます」

「……しばらく、というのは」

「未定です」

 即答だった。

 胸が、きゅっと縮む。

「危険がないと判断されれば、外出許可が出る可能性もあります」

 可能性。

 希望のようでいて、確約ではない。

「あなたの安全と、王都の安全のためです」

 その言葉は、何度も聞いた。

 正しい。

 正論だ。

 でも、正論は、人の孤独を考慮しない。

 私は、思い切って聞いてみた。

「……北境の詰所の方々とは、連絡を取れますか」

 一瞬だけ、セシリアの目が細くなる。

 それは、ほんのわずかな変化だった。

「個人的な連絡は、原則として認められていません」

 やはり、という答え。

「必要な連絡があれば、管理局を通します」

 つまり、自由ではない。

 私の頭に、あの人の顔が浮かぶ。

 レオン。

 彼は、今どこにいるのだろう。

 王都に戻ったのか、それとも北境へ引き返したのか。

 何も分からない。

「……レオン隊長は」

 口にした瞬間、セシリアの視線が私を捉えた。

「王都騎士団のレオン隊長、ですね」

 はっきりと名前を出され、心臓が跳ねる。

「彼は、あなたの移送任務を終えました」

「……それだけですか」

 私の声は、かすれていた。

 セシリアは、少しだけ考えるような間を置いた。

「個人的な関係については、把握していません」

 それは、事実かもしれない。

 でも、完全な無関心でもない。

「ただ」

 彼女は続ける。

「立場のある騎士と、異界人が過度に親しくなることは、双方にとって不利益です」

 胸の奥が、じくりと痛む。

「あなたのためにも、距離は必要です」

 ――まただ。

 守るため、という言葉。

 私は、唇を噛んだ。

「……分かっています」

 そう答えるしかない。

 面談が終わり、部屋に戻る。

 扉が閉まる音が、以前よりも重く感じられた。

 私は、ベッドに腰を下ろし、天井を見上げる。

 ここでは、私は安全だ。

 清潔で、食事もあって、危険もない。

 でも、誰にも触れられない。

 誰にも、名前を個人的に呼ばれない。

 詰所では、レオンが私の名前を呼んだ。

 マルタが、私を人として扱ってくれた。

 ここでは――

 私は「異界人ユイ」だ。

 夜、灯りを落としても、眠れなかった。

 静かすぎるのだ。

 音がない。

 気配がない。

 北境の夜は、もっとざわついていた。

 森の音、風の音、人の息遣い。

 そして、背中を向けて立つ騎士の存在。

 私は、毛布を握りしめた。

「……会いたい」

 声に出して、はっとする。

 これは、恋なのだろうか。

 まだ、何も始まっていない。

 触れてもいない。

 約束もしていない。

 それなのに、

 引き離されたこの距離が、

 はっきりと感情の輪郭を浮かび上がらせる。

 そのとき、扉の外から足音がした。

 そして、控えめなノック。

「ユイ、起きていますか」

 セシリアの声だった。

 私は、慌てて起き上がる。

「はい」

 扉が少しだけ開き、彼女が顔を覗かせる。

「驚かせてごめんなさい。少し、伝えておくことがあって」

 その表情は、昼間よりも柔らかかった。

「王都では、あなたの存在が少しずつ知られ始めています」

 胸が、ざわつく。

「注目されるということは、良いことばかりではありません」

 彼女は静かに言う。

「だから、あなたには――味方が必要です」

「……味方」

 セシリアは、私をまっすぐ見た。

「私は、制度の人間です」

 はっきりとした自己認識。

「でも、あなた個人を守りたいとも思っています」

 その言葉に、戸惑う。

 彼女は、敵なのか、味方なのか。

「焦らなくていい。ただ、覚えておいてください」

 セシリアは微笑んだ。

「ここでは、感情を見せること自体が、選択になります」

 扉が閉まる。

 私は、その言葉を反芻した。

 感情を見せることが、選択。

 王都では、

 恋をすることすら、自由じゃない。

 私は、静かな部屋で、

 誰にも見せられない想いを、胸の奥にしまい込んだ。

 それが、どれほど重くなるのかを――

 まだ、このときの私は知らなかった。

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