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名前を呼ばれなかった私が、異世界でただ一度「君」と呼ばれるまで  作者: Futahiro Tada


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王都への道、切り離されるもの

王都への道、切り離されるもの


 出発は、夜明け前だった。

 詰所の中庭はまだ薄暗く、空気がひどく冷たい。

 松明の火が揺れ、石畳に長い影を落としている。

 私は、小さな荷袋を抱えて立っていた。

 中身はほとんどない。

 着替えと、マルタが用意してくれた簡単な食料、それだけ。

 ――ここを離れる。

 その事実を、頭では理解しているのに、身体が追いつかない。

「……ユイ」

 名前を呼ばれて、振り返る。

 レオンが立っていた。

 鎧を着け、剣を帯び、完全に王都騎士団の隊長の姿で。

 昨夜、回廊で見た彼とは違う。

 感情を抑え、役割に徹した顔。

「王都への移送隊は、俺が指揮する」

 淡々とした報告。

「……私が、ここを離れるからですか」

 問いは、自分でも驚くほど静かだった。

「それも理由のひとつだ」

 レオンは否定しない。

「異界人の移送は、規定で騎士団が担当する。北境から王都までは、俺の管轄だ」

 管轄。

 その言葉は、昨夜までよりもずっと重く響く。

「じゃあ……一緒に行くんですね」

 期待が、声に混じってしまったのが分かった。

 でもレオンは、すぐには答えなかった。

「同行するが」

 少し間を置いてから、続ける。

「俺は護衛であって、同伴者じゃない」

 胸の奥が、ひやりと冷える。

 分かっていた。

 分かっていたはずなのに。

 私は、小さく頷いた。

「……はい」

 詰所の門が開き、馬車が用意される。

 装飾のない、実用一点張りの馬車。

 それでも、王都へ向かうという事実が、その場の空気を変えていた。

 マルタが近づいてくる。

「体は大丈夫? 無理はしないでね」

 彼女は私の手を包み、そっと囁く。

「王都はね、便利で、綺麗で……でも、冷たいところよ」

 その言葉に、胸が詰まる。

「……ありがとうございます」

 私は深く頭を下げた。

「ここに来てくれて、ありがとう」

 マルタのその一言が、どうしようもなく優しくて、涙がこぼれそうになる。

 でも、泣くわけにはいかなかった。

 私は異界人として王都へ行くのだから。

 馬車が動き出す。

 詰所が、ゆっくりと遠ざかっていく。

 灯りのある場所が、視界から消えていく。

 私は、馬車の中で膝を抱えた。

 揺れは大きく、道は決して平坦じゃない。

 それでも、不思議と怖さはなかった。

 怖いのは――

 この先で、私はどう扱われるのか。

 そして、彼との距離が、どう決定づけられるのか。

 馬車が停まり、外の気配が変わる。

 休憩だろうか。

 扉が開き、外の空気が流れ込む。

「水だ」

 差し出されたのは、レオンだった。

 無言で水袋を渡される。

「……ありがとうございます」

 指先が、ほんの一瞬だけ触れた。

 それだけで、胸が跳ねる。

 でも彼は、すぐに距離を取る。

「王都へ着くまで、こういう接触は極力避ける」

 低い声。

「……分かりました」

 分かっている。

 分かっているけれど、こうして言葉にされると、やっぱり痛い。

 道中、何度か休憩を挟みながら、馬車は進んだ。

 周囲の景色が、少しずつ変わっていく。

 森が減り、道が整い、建物が増える。

 人の往来も多くなる。

 王都が近づいている。

 胸の奥が、ざわついた。

 やがて、城壁が見えてきた。

 高く、厚く、威圧的な壁。

 それは守るためのものなのに、どこか閉じ込めるためのようにも見える。

「……すごい」

 思わず呟くと、レオンは短く答えた。

「ここが、王都だ」

 門をくぐる。

 人の波、馬の蹄の音、商人の呼び声。

 活気がある。

 でも、どこか息苦しい。

 馬車は、王都の奥へと進む。

 やがて、白い石造りの建物の前で止まった。

「異界人管理局」

 レオンが告げる。

 その名前だけで、全身が強張った。

「……管理局」

「異界人は、まずここに登録される」

 登録。

 まるで物のような扱い。

 建物の中は、静かで、整然としていた。

 無駄な装飾はなく、効率だけが優先された空間。

 私は、長い廊下を歩かされ、ひとつの部屋に通される。

 机の向こうに座っていたのは、冷静そうな中年の男だった。

「異界人、ユイ。間違いないか」

「……はい」

「王都到着までの報告は受けている」

 男は書類に目を落としながら続ける。

「北境での結界安定現象。興味深い」

 その言葉に、背筋が凍る。

 興味。

 それは、評価であり、同時に拘束の理由だ。

「しばらくは、この施設で生活してもらう」

「……外に出ることは」

「原則、不可だ」

 即答。

「必要があれば、我々が許可を出す」

 許可。

 自由ではない。

 私は、拳を握りしめた。

 視線を上げると、部屋の隅に立つレオンが見えた。

 彼は、何も言わない。

 言えない。

 それが、彼の立場。

「王都騎士団・レオン隊長」

 管理官が彼に向き直る。

「異界人の護送、ご苦労だった」

「任務です」

 短い返答。

「今後の管理は、我々が引き継ぐ」

 その言葉は、はっきりとした線引きだった。

 ――ここまで。

 レオンの役目は、ここで終わる。

 胸の奥が、ぎゅっと縮む。

「……あの」

 思わず、声を出してしまった。

 二人の視線が、私に向く。

「お世話に、なりました」

 それだけ言うのが、精一杯だった。

 レオンは、ほんの一瞬だけ、私を見た。

 感情を抑えた目。

 でも、確かにそこに、何かがあった。

「……無事を祈る」

 それだけ。

 形式的な言葉。

 でも、彼なりの限界。

 管理官が合図をし、私は部屋を出される。

 扉が閉まる直前。

 レオンの姿が、視界から消えた。

 私は、深く息を吐いた。

 ――引き離された。

 物理的に。

 制度的に。

 そして、感情的にも。

 部屋に通され、一人になる。

 簡素な寝台と、小さな窓。

 詰所よりも綺麗で、詰所よりも冷たい。

 私は、窓辺に立った。

 遠くに見える王都の街並み。

 人が溢れ、灯りが多く、賑やかで。

 それなのに。

「……ひとりだ」

 声が、静かに落ちる。

 北境の灯りは、もうない。

 レオンは、もう隣にいない。

 王都という場所は、

 私から居場所の錯覚を、容赦なく剥ぎ取っていく。

 それでも。

 私は、思い出していた。

 森で、揺らぎが収まった瞬間。

 役割を与えられた感覚。

 私は、ただ守られる存在じゃない。

 この世界に、影響を与えている。

 その事実だけが、

 この冷たい部屋で、私を支えていた。

 そして同時に、

 彼と引き離されたこの距離が、

 恋という感情に、重い圧をかけ始めているのを――

 私は、はっきりと自覚していた。

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