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名前を呼ばれなかった私が、異世界でただ一度「君」と呼ばれるまで  作者: Futahiro Tada


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灯は消えず、距離だけが残る

灯は消えず、距離だけが残る


 森の空気が、わずかに変わった。

 ざわついていた胸の奥の感覚が、潮が引くように静まっていく。

 見えない膜のような違和感が、ゆっくりと薄れていくのを、私は確かに感じていた。

「……揺らぎが収束している」

 前方に立つ騎士の声が、低く響く。

 レオンは剣を構えたまま、動かなかった。

 その背中は緊張を保ち続けていて、まだ終わっていないことを物語っている。

 私は、ただそこに立っていた。

 何もしていない。

 祈ったわけでも、力を使ったわけでもない。

 それなのに。

 森の歪みは、確実に落ち着いていく。

「……本当に、彼女が核だったのか」

 誰かが、信じられないものを見るように呟く。

 その言葉に、胸がひくりと震えた。

 核。

 選ばれた存在。

 それは、誇らしい言葉ではなかった。

 私は、ただそこにいただけなのに。

 望んでもいない役割を、背負わされただけなのに。

「これ以上の変動はない」

 レオンが剣を下ろす。

 その一言で、周囲の空気が一気に緩んだ。

 騎士たちが警戒を解き、短く安堵の息を吐く。

 ――終わった。

 そう思った瞬間、膝が少しだけ震えた。

 自分でも気づかないうちに、限界まで張り詰めていたらしい。

 私は思わず、一歩後ろへよろめいた。

 次の瞬間。

「……!」

 誰かの腕が、私を支えた。

 硬い感触。

 覚えのある、あの手。

 レオンだった。

 ほんの一瞬、私は彼の胸元に触れていた。

 鎧越しでも伝わる体温。

 心臓の鼓動。

 それは、短すぎる接触だった。

 すぐに、彼は私から離れる。

「……立てるか」

 声は冷静だった。

 けれど、その目には、はっきりとした緊張が浮かんでいる。

「はい……大丈夫です」

 私は慌てて頷いた。

 ――触れてはいけない。

 昨夜から何度も言われてきた言葉が、胸を締めつける。

 ほんの一瞬でも、彼に触れたことで、何かが壊れてしまう気がした。

「隊長」

 後方から、騎士の一人が近づいてくる。

「王都への報告ですが……今回の件、異界人が結界を安定させたという内容で上げてもよろしいでしょうか」

 その問いに、レオンは即答しなかった。

 視線が、私に向けられる。

 まるで、判断材料のひとつとして。

 私は、息を詰めた。

 それを報告すれば、私は価値のある存在になる。

 同時に、管理すべき存在として、より厳しく縛られる。

 レオンは、ほんのわずかに目を伏せた。

「……事実だけを報告しろ」

 低い声。

「異界人の存在下で、揺らぎが収束した。それ以上の推測は不要だ」

「了解しました」

 騎士は一礼して離れていく。

 その背中を見送りながら、私は気づいた。

 ――彼は、私を守った。

 功績として差し出すこともできたはずなのに。

 王都に評価される材料として、利用することもできたはずなのに。

 レオンは、それをしなかった。

 その選択が、胸に静かな波紋を広げる。

 詰所へ戻る道すがら、誰も多くを語らなかった。

 森を抜け、石畳の上に足を踏み入れたとき、ようやく現実に戻った気がする。

 詰所の門が閉じられ、内部の空気に包まれる。

 その瞬間、私はようやく深く息を吐いた。

「……お疲れさま」

 マルタが、優しい声で声をかけてくれる。

 温かい布を肩にかけられ、私は小さく笑った。

「ありがとうございます……」

 でも、その視線は、無意識にレオンを探していた。

 彼は詰所の中央で、騎士たちと短い確認を交わしている。

 隊長としての顔。

 迷いのない指示。

 そこに、私が入り込む余地はない。

 ――分かっている。

 私は彼にとって、守るべき対象であって、並び立つ存在ではない。

 それでも。

 夜になり、詰所が静まり返った頃。

 私は一人、外の回廊に立っていた。

 冷たい夜風が、火照った頬を冷やす。

 今日の出来事が、頭の中で何度も再生される。

 結界の揺らぎ。

 役割。

 そして、あの一瞬の接触。

「……小さな成功、だったのかな」

 誰にともなく呟く。

 世界を救ったわけじゃない。

 大きな力を示したわけでもない。

 それでも、確かに何かを支えた。

 そう思った瞬間、足音が近づいてくる。

「こんなところで何をしている」

 振り返ると、レオンが立っていた。

 昼間とは違い、鎧は外している。

 それだけで、距離が縮まったように錯覚してしまう自分が怖い。

「……少し、風に当たっていました」

 レオンは黙って、隣ではなく、少し離れた位置に立った。

 意識的な距離。

「今日の件は、終わった」

 彼が言う。

「だが、終わりじゃない」

「……はい」

 分かっている。

 これは始まりだ。

「王都からの調査官が来れば、お前の立場は変わる」

 低い声。

「ここに留まれる保証はない」

 その言葉に、胸が痛む。

「……それでも」

 私は、勇気を振り絞って言った。

「今日は、ありがとうございました」

 レオンは一瞬、驚いたように目を瞬かせた。

「……礼を言われるようなことはしていない」

「それでも、です」

 彼は、しばらく黙っていた。

 そして。

「ユイ」

 私の名前を呼ぶ。

 それだけで、心臓が跳ねる。

「今日の件で、お前は守られるだけの存在じゃなくなった」

 その言葉は、厳しくもあり、同時に現実的だった。

「それは、自由が増えるという意味じゃない」

 むしろ逆だ、と言外に告げている。

「期待される。監視される。選択を迫られる」

 私は、唇を噛んだ。

「……代償、ですね」

 小さく言うと、レオンは肯定も否定もしなかった。

「それでも」

 彼は視線を逸らしたまま、続ける。

「今日、俺は判断を誤らなかったと思っている」

 その言葉に、胸が熱くなる。

 彼は一歩、私から距離を取る。

 そして、静かに告げた。

「だが、これ以上は踏み込むな」

 はっきりとした線引き。

「俺は、お前にとって安全な距離にいる」

 それが、彼なりの誠実さなのだと、分かってしまうのが辛かった。

「……分かりました」

 私は、微笑んだ。

 それは、大人のふりをした笑顔だった。

 レオンはそれ以上何も言わず、踵を返す。

 背中が遠ざかる。

 私は、胸に手を当てた。

 今日、私は小さな成功を手に入れた。

 役割を得た。

 存在する理由を、初めて与えられた。

 その代わりに――

 触れてはいけない距離が、はっきりと示された。

 灯りは消えていない。

 けれど、私と彼の間には、確かな距離が生まれた。

 それでも。

 この世界で初めて、

 私は「いなくてもいい存在」ではなくなった。

 その事実を胸に抱いたまま、

 静かな夜は、ゆっくりと更けていった。

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