エピローグ:それでも朝は来る
エピローグ:それでも朝は来る
朝は、
何事もなかったかのように、
訪れる。
河港都市の朝は、
湿った風と、
川の匂いを含んでいた。
市場では、
すでに声が飛び交い、
木箱を運ぶ音が、
石畳に響いている。
世界は、
終わらなかった。
そして、
劇的に生まれ変わったわけでもない。
それでも、
確かに、
昨日とは違う。
***
ユイは、
簡素な宿の一室で、
目を覚ました。
窓から差し込む光は、
強すぎず、
弱すぎず。
いつもより、
少しだけ、
優しい。
隣のベッドは、
まだ、
空いていた。
レオンは、
早く起きる。
それは、
以前から、
変わらない。
だが、
最近、
一つだけ、
変わったことがあった。
起きたあと、
必ず、
彼女の無事を、
確かめる。
言葉ではない。
呼吸の音、
寝返りの気配。
それを感じてから、
彼は、
一日を始める。
***
ユイは、
上着を羽織り、
廊下へ出た。
階下から、
話し声がする。
聞き慣れた、
低い声。
「……だから、
完全に、
無くなったわけじゃない」
レオンだ。
誰かに、
説明している。
「歪みは、
まだ、
起きる」
「ただ」
一拍、
間が空く。
「起きたとき、
どう向き合うかが、
変わっただけだ」
ユイは、
階段の途中で、
立ち止まった。
彼の言葉を、
聞く。
それは、
かつての彼なら、
口にしなかった言葉だ。
以前のレオンは、
結果だけを語った。
斬ったか、
斬らなかったか。
成功か、
失敗か。
だが今は、
過程を、
説明している。
迷いを、
隠さずに。
***
階下には、
数人の人間がいた。
河港都市の役人、
商人、
そして、
旅人。
誰もが、
不安を抱えている。
「……それで、
次に、
歪みが起きたら?」
一人が、
尋ねる。
レオンは、
即答しなかった。
ユイは、
その沈黙に、
彼の変化を、
見る。
「……選ぶ」
レオンは、
ゆっくりと、
言った。
「斬るか、
斬らないか」
「誰かに、
背負わせるか、
共に、
背負うか」
「正解は、
ない」
場が、
静まる。
「だが」
彼は、
続けた。
「一人で、
決めない」
その言葉に、
ユイは、
胸の奥が、
少しだけ、
温かくなるのを、
感じた。
***
話が終わり、
人々が去ったあと。
ユイは、
ゆっくりと、
階段を降りた。
レオンは、
彼女に気づき、
少し、
困ったように、
笑う。
「……聞いてた?」
「うん」
ユイも、
微笑む。
「いい言い方、
してた」
「……慣れない」
レオンは、
肩をすくめる。
「剣より、
難しい」
「知ってる」
ユイは、
即答した。
それが、
彼の努力だと、
知っているから。
***
二人は、
宿を出て、
川沿いを歩く。
行き先は、
決めていない。
これから、
どうするか。
まだ、
完全には、
決まっていなかった。
「……王都には、
戻らないの?」
ユイが、
聞く。
「一度は、
戻る」
レオンは、
答える。
「俺の、
後始末が、
残ってる」
制度の内部から、
歪みを壊した。
その影響は、
まだ、
続いている。
「ユイは?」
「……少し、
一緒に、
行く」
彼女は、
そう言った。
「それから、
考える」
レオンは、
驚いたように、
彼女を見る。
「……いいのか」
「いい」
ユイは、
迷わない。
「私たちは、
一緒に考えるって、
決めたでしょ」
その言葉に、
彼は、
深く、
頷いた。
***
河を渡る風が、
髪を揺らす。
ユイは、
ふと、
足を止めた。
「……ねえ」
「なんだ」
「もし」
一瞬、
言葉を探す。
「もし、
次に、
本当に、
取り返しのつかない選択を、
迫られたら」
レオンは、
答えを、
急がない。
「……それでも」
ユイは、
続ける。
「私と、
一緒に、
悩んでくれる?」
レオンは、
立ち止まり、
彼女の方を、
向いた。
「……当然だ」
即答だった。
「俺は、
もう、
一人で、
答えを出さない」
ユイは、
少しだけ、
目を伏せる。
その答えが、
どれほど、
重いものか、
知っているから。
「……ありがとう」
「感謝することじゃない」
レオンは、
静かに、
言う。
「これは、
俺の、
選択だ」
***
二人は、
再び、
歩き出す。
河港都市の外へ。
新しい場所へ。
歪みは、
まだ、
世界に残っている。
だが、
それはもう、
「斬るだけの敵」ではない。
問いだ。
人が、
どう生きるかという、
終わりのない問い。
***
昼が、
近づく。
太陽は、
高くなり、
影が短くなる。
ユイは、
ふと、
立ち止まる。
「……ねえ、
レオン」
「どうした」
「私たちの関係って」
一拍、
間を置く。
「……恋人、
なんだよね」
少しだけ、
照れたように。
だが、
確かめるように。
レオンは、
一瞬、
驚いた顔をして、
そして、
小さく、
笑った。
「……ああ」
「はっきり、
言うと?」
「恋人だ」
きっぱりと。
逃げない。
ユイは、
その言葉を、
胸の中で、
反芻する。
重く、
確かで、
温かい。
「……よかった」
小さく、
呟く。
「何が」
「曖昧じゃ、
なかった」
レオンは、
彼女の手を、
取った。
以前より、
少しだけ、
力を込めて。
「俺は、
君を、
選んだ」
「世界より、
優先するって意味じゃない」
「だが」
一呼吸。
「世界を、
どう選ぶかを、
君と、
決めたい」
ユイの喉が、
詰まる。
それは、
愛の言葉だった。
甘くはない。
だが、
これ以上なく、
誠実な。
「……うん」
ユイは、
手を、
握り返す。
「私も」
***
二人は、
並んで、
歩いていく。
先の見えない道を。
歪みが、
現れるかもしれない。
また、
誰かが、
犠牲になるかもしれない。
それでも。
選び続ける。
問い続ける。
共に。
朝は、
今日も、
来た。
明日も、
来る。
それが、
この世界で、
生きるということだ。
そして。
それを、
一緒に、
歩く相手がいる。
それだけで、
人は、
前を向ける。
ユイとレオンは、
手を繋いだまま、
遠ざかっていく。
その背中を、
世界は、
何も言わず、
見送っていた。




