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名前を呼ばれなかった私が、異世界でただ一度「君」と呼ばれるまで  作者: Futahiro Tada


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それでも世界は続いていく

それでも世界は続いていく


 世界は、

 何事もなかったかのように、

 動き始めていた。

 王都の朝は、

 以前と変わらない。

 焼け落ちた建物の前で、

 人々は立ち止まり、

 黙って瓦礫を片付ける。

 悲嘆の声は、

 ほとんど上がらない。

 怒りも、

 もう、

 表に出てこない。

 それは、

 人々が立ち直ったからではない。

 ただ――

 これ以上、

 感じる余裕がないだけだ。

 ***

 ユイは、

 臨時の診療所となった建物の一角で、

 湯気の立たない茶を見つめていた。

 香りは、

 ほとんどない。

 それでも、

 手に伝わる温度が、

 現実を教えてくれる。

「……飲まないの?」

 声をかけたのは、

 隣に座る女性だった。

 名も知らない。

 年齢も、

 出身も。

 ただ、

 同じ夜を、

 生き延びた。

「……後で」

 ユイは、

 小さく答える。

 女性は、

 それ以上、

 何も言わなかった。

 今の王都では、

 踏み込まないことが、

 優しさになっている。

 診療所には、

 軽傷者が多かった。

 怪我よりも、

 疲労と、

 放心。

 彼らの胸の奥で、

 歪みは、

 小さく、

 だが確実に、

 残っている。

 それを、

 ユイは感じ取っていた。

 そして同時に、

 分かっていた。

 ――自分は、

 もう、

 全部を引き受けられない。

 あの夜の爆発で、

 彼女は、

 限界を知った。

 世界の歪みは、

 一人で背負える量ではない。

 それを理解したこと自体が、

 ひとつの「代償」だった。

 ***

 外では、

 新しい掲示が貼られている。

 制度再検討委員会 発足。

 市民代表 含む。

 文字は、

 丁寧で、

 希望を含んでいる。

 人々は、

 それを見て、

 小さく頷く。

 ――これで、

 大丈夫だ。

 その空気が、

 街に戻りつつあった。

 ユイは、

 それを、

 否定できない。

 人は、

 信じられる形がないと、

 生きていけない。

 だが、

 彼女は知っている。

 問いが、

 まだ、

 解かれていないことを。

 「誰も犠牲にしない」という言葉は、

 いつも、

 後回しにされる。

 緊急時ではないから。

 余裕がないから。

 今は、

 もっと大事なことがあるから。

 それが、

 世界の癖だ。

 ***

 診療所を出たユイは、

 川沿いの道を歩いていた。

 水は、

 いつも通り、

 流れている。

 何も、

 覚えていない顔で。

「……世界は、

 強いね」

 呟く。

 壊れても、

 歪んでも、

 人が死んでも。

 世界は、

 続いていく。

 その強さが、

 彼女には、

 怖かった。

「ユイ」

 呼び止められ、

 振り返る。

 レオンだった。

 彼は、

 騎士の制服ではなく、

 簡素な外套を着ている。

 肩書きは、

 もう、

 彼を守らない。

「……手伝い?」

「いや」

 レオンは、

 首を振った。

「話を、

 したくて」

 二人は、

 川沿いの石段に腰を下ろす。

 距離は、

 近い。

 だが、

 触れない。

 それが、

 今の二人だった。

「……委員会が、

 できるそうだ」

 ユイが言う。

「ああ」

「あなたも?」

「誘われた」

 短い答え。

「……どうするの?」

 レオンは、

 少し、

 考えてから言った。

「断った」

 ユイは、

 驚かなかった。

「内部にいると、

 どうしても、

 守るべきものが増える」

「守るべき制度、

 守るべき秩序、

 守るべき顔」

 彼は、

 川を見つめる。

「それが、

 また、

 誰かを選ぶ」

 沈黙。

 ユイは、

 胸の奥に、

 小さな痛みを感じた。

 それは、

 恋だった。

 だが、

 甘いものではない。

「……私たち」

 言葉を選ぶ。

「一緒にいる、

 未来って……」

 レオンは、

 すぐには、

 答えなかった。

 その沈黙が、

 答えでもあった。

「……できないと、

 思ってる?」

 ユイの声は、

 揺れている。

「……簡単には」

 レオンは、

 正直だった。

「俺は、

 この世界から、

 目を離せない」

「逃げないって、

 決めた」

 ユイは、

 分かっていた。

 それは、

 自分も、

 同じだから。

「……私も」

 彼女は、

 息を吸う。

「歪みから、

 目を逸らせない」

「でも……」

 言葉が、

 詰まる。

「一人で、

 戦うのは、

 もう……」

 レオンは、

 初めて、

 彼女を見る。

 真っ直ぐに。

「……それでも」

 彼は、

 静かに言った。

「一緒に逃げることは、

 できない」

 その言葉は、

 残酷だった。

 だが、

 嘘ではない。

 ユイは、

 目を閉じた。

 恋は、

 選択だ。

 感情だけでは、

 成り立たない。

 世界を、

 どう生きるか。

 何を、

 手放すか。

 何を、

 持ち続けるか。

「……じゃあ」

 ユイは、

 目を開ける。

「私たちの答えは、

 まだ、

 先だね」

 レオンは、

 小さく、

 頷いた。

「ああ」

 それだけだった。

 だが、

 それで、

 十分だった。

 世界は、

 続いていく。

 問いを、

 抱えたまま。

 選び続けることを、

 やめられないまま。

 そして、

 二人もまた、

 それぞれの場所で、

 選び続ける。

 恋を、

 手放さないまま。

 恋に、

 逃げないまま。

 最後の答えは、

 まだ、

 語られていない。

 だが。

 問いが、

 残っている限り。

 物語は、

 終わらない。

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