それでも、問いは残った
それでも、問いは残った
夜明けは、
驚くほど静かに訪れた。
王都の空は、
薄く白み始めている。
だが、
その下に広がる街は、
もはや、
昨日までの姿ではなかった。
焼け焦げた石壁。
崩れた建物。
踏み荒らされた広場。
暴動は、
終わっていた。
怒号も、
悲鳴も、
もう、
聞こえない。
残っているのは、
沈黙だけだった。
***
ユイは、
瓦礫の間を、
ゆっくりと歩いていた。
足元には、
破れた布。
折れた木片。
誰かが落とした靴。
どれも、
昨日まで、
生活の一部だったもの。
「……終わったの?」
誰にともなく、
呟く。
だが、
答えはない。
胸の奥で、
歪みは、
ほとんど、
動いていなかった。
あれほど、
荒れ狂っていたものが、
嘘のように、
静まっている。
それが、
何を意味するのか。
ユイには、
分かっていた。
歪みは、
消えたわけではない。
ただ、
行き場を、
失っただけだ。
恐怖は、
怒りに変わり、
怒りは、
疲労に変わった。
そして今、
人々は、
何も感じないことで、
自分を守っている。
それは、
制度が、
最初に目指した状態と、
よく似ていた。
「……皮肉だね」
ユイは、
苦く笑った。
制度は、
壊れた。
だが、
人々の心は、
その制度が生んだ形を、
まだ、
なぞっている。
***
広場の中央。
かつて、
彼女が声を上げた場所。
今は、
瓦礫と、
黒い焦げ跡が、
残るだけだ。
ユイは、
その中心に立ち、
目を閉じた。
ここで、
問いを投げた。
ここで、
拒まれた。
ここで、
世界は、
選んだ。
――安定を。
――沈黙を。
――誰かの犠牲を。
その結果が、
この景色だ。
「……それでも」
ユイは、
小さく、
言った。
「それでも、
私は……」
言葉は、
続かなかった。
まだ、
答えが、
出ていない。
問いだけが、
残っている。
***
その時。
「……ユイ」
聞き覚えのある声が、
背後から、
届いた。
彼女は、
振り返る。
そこに立っていたのは、
レオンだった。
副長の制服は、
着ていない。
肩章も、
剣も、
ない。
ただ、
一人の男として、
そこにいる。
「……レオン」
名前を呼ぶと、
喉が、
少し、
震えた。
二人は、
数歩の距離を、
隔てて、
向かい合う。
昨日まで、
あれほど、
遠かった距離。
今は、
触れられるほど、
近い。
「……無事で」
言いかけて、
ユイは、
言葉を止めた。
無事、
ではない。
誰も。
「……ああ」
レオンは、
短く、
答えた。
彼の目も、
疲れている。
だが、
そこには、
逃げも、
迷いも、
なかった。
「……制度は」
ユイが、
問いかける。
「正式には、
停止された」
レオンは、
淡々と答えた。
「運用不能だ。
支持も、
正当性も、
失った」
「……終わったんだね」
「いや」
レオンは、
首を振った。
「壊れただけだ」
その言葉は、
重かった。
「壊れたものは、
また、
作り直される」
ユイは、
視線を落とす。
それが、
一番、
怖い。
「……私たち、
意味はあったのかな」
ぽつりと、
漏れた言葉。
レオンは、
すぐには、
答えなかった。
瓦礫の向こうで、
人々が、
黙々と、
片付けを始めている。
誰も、
声を上げない。
それが、
今の王都だった。
「……意味は」
レオンは、
ゆっくりと、
言った。
「残った」
ユイが、
顔を上げる。
「問いが、
残った」
「制度が、
壊れたあとに、
何を選ぶのか」
「誰かを、
犠牲にしない、
方法はあるのか」
彼は、
ユイを見る。
「その問いを、
消せなかった」
それは、
勝利ではない。
だが、
無意味でもない。
ユイは、
胸の奥に、
手を当てた。
歪みが、
静かに、
応える。
問いに、
共鳴している。
「……じゃあ」
彼女は、
小さく、
息を吸った。
「ここから、
どうするの?」
レオンは、
少しだけ、
笑った。
「それを、
一緒に考えるために、
来た」
その言葉は、
約束ではない。
命令でもない。
ただの、
選択だった。
ユイは、
一歩、
近づく。
二人の距離が、
消える。
「……怖いよ」
正直な、
声。
「また、
同じことが、
起きるんじゃないかって」
レオンは、
答えない。
代わりに、
手を伸ばした。
触れるか、
触れないか。
一瞬の、
ためらい。
そして、
そっと、
ユイの手に、
触れた。
「……それでも」
レオンは、
静かに言った。
「逃げないと、
決めたんだろ」
ユイは、
目を閉じる。
あの日。
最初に、
歪みを引き受けた時。
自分は、
逃げなかった。
そして、
今も。
「……うん」
答えは、
短かった。
だが、
確かだった。
朝日が、
二人を、
照らす。
焼け跡の街に、
新しい光が、
落ちる。
それは、
希望ではない。
救いでもない。
ただ、
選び続けなければならない、
時間の始まりだった。
問いは、
終わらない。
だが。
二人は、
同じ場所に立っている。
それだけで、
十分だった。




