正しさは、声より速く拡散する
正しさは、声より速く拡散する
最初に起きたのは、
拍手ではなかった。
怒号でも、
暴動でもない。
沈黙だった。
王都中央広場に集まった人々は、
誰一人として、
すぐには動かなかった。
ユイの言葉。
少女の声。
それらは、
確かに、
届いていた。
だが、
届いたからこそ、
人々は、
立ち止まった。
――理解してしまったからだ。
制度が、
誰かを選び、
誰かを楽にしている。
その構造を。
だが、
理解は、
必ずしも、
受容を意味しない。
***
最初に口を開いたのは、
広場の外縁にいた、
中年の男だった。
「……それでもだ」
低く、
しかしはっきりとした声。
「それでも、
俺たちは、
前より楽になった」
その言葉に、
空気が、
わずかに動く。
「夜、
眠れるようになった」
「子どもが、
怯えなくなった」
「衝突が、
減った」
一つ一つは、
事実だった。
そして、
事実は、
人を黙らせる。
「誰かが、
苦しんでいるのは……
分かる」
男は、
ユイを見る。
「だが、
それを理由に、
全部を、
元に戻せと言うのか?」
問い。
責めるようでもあり、
縋るようでもある。
その瞬間、
ユイは、
理解した。
――これが、
暴露の代償だ。
人々は、
選ばされることを、
恐れている。
だが同時に、
選ばれない側であることを、
手放したくない。
「……私は」
ユイは、
答えようとした。
だが。
「違うだろ」
別の声が、
割って入る。
若い女。
子を抱いている。
「あなたは、
特別なんでしょう?」
その言葉は、
刃のようだった。
「歪みを、
耐えられる人」
「選ばれた人」
ユイの胸が、
きしむ。
「だったら……」
女は、
涙を滲ませながら、
続けた。
「あなたが、
引き受けてくれれば、
いいじゃない」
それは、
願いだった。
そして、
依存だった。
***
その瞬間。
王都の鐘が、
鳴った。
規則正しく、
冷静に。
――緊急集会の合図。
秩序側の反撃は、
すでに、
始まっていた。
広場の周囲に、
騎士たちが、
展開する。
武器は抜かれていない。
だが、
立ち位置が、
すべてを語っていた。
囲い込み。
保護という名の、
隔離。
「市民の皆様」
拡声器越しの声。
穏やかで、
安心感のある調子。
「先ほどの発言は、
未確認の情報を含んでいます」
ユイの背後で、
少女が、
びくりと震えた。
「感情安定補助制度は、
正式な検証段階にあり」
「現在、
一部の事例が、
誤って解釈されています」
言葉が、
丁寧に選ばれている。
否定ではない。
相対化だ。
「不安を煽る行為は、
結果として、
新たな歪みを生みます」
その瞬間。
人々の視線が、
ユイへ向いた。
――歪みを生む者。
そのレッテルが、
静かに、
貼られていく。
「……違う」
ユイは、
声を張ろうとした。
だが、
声は、
波に飲まれる。
「彼女は、
事実を言っただけだ」
そう言ったのは、
誰か。
だが、
その声は、
すぐに、
かき消された。
「感情的な証言は、
制度全体を否定する、
根拠にはなりません」
秩序側の言葉は、
正しかった。
論理的で、
冷静で、
安心できる。
そして、
恐ろしい。
***
一方、
地下拘束区画で、
レオンは、
異変を察知していた。
警備の動き。
通信の遮断。
何より、
空気が、
変わった。
「……始まったな」
独り言。
彼は、
机に置かれた、
非公式記録を、
睨みつける。
ユイの暴露は、
制度を揺らした。
だが、
完全には、
崩していない。
だからこそ、
秩序側は、
正当防衛を選ぶ。
――市民を守るため。
――混乱を防ぐため。
正しさは、
いつも、
こうして、
反撃する。
レオンは、
拳を握った。
「……俺が、
外にいれば」
だが、
それは、
許されない。
彼は、
内側に、
閉じ込められている。
制度は、
彼を、
利用可能な沈黙として、
配置している。
***
広場では、
ついに、
正式な通達が出た。
「ユイ・***は、
一時的に、
保護対象とします」
その言葉に、
拍手が起きた。
安心の拍手。
「彼女の発言は、
専門家による、
再検証が必要です」
「それまでは、
市民の皆様の、
安全を最優先とします」
拍手が、
広がる。
ユイの足が、
震えた。
――保護。
その言葉の裏に、
何があるか、
彼女は、
よく知っている。
隔離。
管理。
沈黙。
「……待って」
ユイは、
声を上げた。
「私は、
逃げません」
だが、
騎士たちが、
一歩、
近づく。
少女が、
必死に、
彼女の腕を掴む。
「……ごめんなさい」
ユイは、
小さく、
言った。
少女を、
守れなかった。
守れないと、
分かっていて、
ここに立たせてしまった。
それが、
暴露の代償だった。
***
人々は、
解散していく。
不安と、
安堵を抱えたまま。
噂は、
すぐに、
形を変えた。
「危険な能力者」
「不安を煽る存在」
「制度を壊す女」
真実よりも、
分かりやすい言葉が、
先に、
広がる。
その夜。
王都の公式発表が、
出された。
感情安定補助制度は、
予定通り、
拡大運用に移行する。
理由は、
一行。
――市民の安全確保のため。
ユイは、
静かな部屋に、
一人いた。
窓は、
小さい。
外は、
見えない。
胸の奥で、
歪みが、
荒れている。
怒り。
後悔。
無力感。
「……届いたはずなのに」
呟く。
だが、
世界は、
すでに、
別の答えを選び始めている。
その頃。
レオンの前に、
新たな命令書が、
置かれた。
制度運用部、
緊急再編成。
反対派の、
影響力排除。
彼は、
目を閉じた。
暴露は、
終わりではない。
始まりでも、
ない。
それは、
ただ――
世界に、
「選ばせる」ための、
第一歩だった。
だが、
世界は、
今のところ、
安定を選んでいる。
その代償が、
何であるかを、
知りながら。




