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名前を呼ばれなかった私が、異世界でただ一度「君」と呼ばれるまで  作者: Futahiro Tada


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選ばされる側の世界

選ばされる側の世界


 崩壊は、爆発から始まらなかった。

 むしろその逆で、

 あまりにも静かに、

 誰にも止められない速度で進行した。

 最初に変わったのは、

 王都の「報告の書式」だった。

 感情安定補助制度に関する報告書は、

 ある日を境に、

 一部の項目が消えた。

 ――被配置者の主観的苦痛。

 ――自己同一性の揺らぎ。

 ――配置解除後の精神的後遺症。

 それらは、

 「定量化が困難」という理由で、

 評価対象から外された。

 代わりに増えたのは、

 数値と、達成率と、

 短期的な治安改善の報告。

 街道での衝突件数が減少。

 夜間の騒乱が減少。

 住民満足度、上昇。

 紙の上では、

 制度は「成功」していた。

 ――だから、誰も疑わなかった。

 いや、

 疑った者はいた。

 だが、

 疑いは、

 すべて「内部文書」に留められた。

 表に出る声は、

 整えられ、

 丸められ、

 希望の形に加工された。

 それが、

 制度が完成する、

 最後の工程だった。

 ***

 ユイは、

 王都外縁の集落で、

 一人の男と向き合っていた。

 年の頃は、

 二十代後半。

 農作業で鍛えられた腕。

 だが、

 その手は、

 わずかに震えている。

「……自分が、

 何を感じてるのか、

 分からないんです」

 男は、

 俯いたまま言った。

「怒ってるのか、

 悲しいのか……

 それとも、

 何も感じてないのか」

 ユイは、

 答えなかった。

 代わりに、

 男の背後に、

 微かに揺れるものを見つめる。

 歪み。

 だが、

 これまでのそれとは、

 違う。

 一点に集まらない。

 爆発もしない。

 複数の感情が、

 薄く、

 広く、

 絡み合っている。

「……あなたの村には」

 ユイは、

 静かに尋ねた。

「感情安定補助員が、

 配置されていますね」

 男は、

 ゆっくり頷いた。

「ええ……

 来てから、

 皆、

 落ち着いてます」

 その言葉の裏で、

 歪みが、

 微かに反応する。

「……でも」

 男は、

 続けた。

「自分の怒りを、

 誰かに、

 預けたみたいで……」

 預けた。

 その表現が、

 胸に刺さる。

「……楽には、

 なりました」

 男は、

 そう言って、

 顔を上げた。

「だから……

 悪いことだとは、

 思えない」

 それが、

 制度の最も恐ろしい成果だった。

 苦しみは、

 確かに減っている。

 だが、

 感情も、

 一緒に、

 遠ざかっている。

「……その代わりに」

 ユイは、

 ゆっくり言った。

「誰が、

 苦しんでいるか、

 見えなくなっています」

 男は、

 戸惑ったように、

 眉を寄せた。

「……それは」

 理解できない、

 という顔。

 当然だ。

 制度は、

 「見えない」ことを、

 目的にしている。

 ユイは、

 胸の奥に手を当てた。

 歪みが、

 はっきりと、

 反応している。

 この村には、

 壊れかけた誰かが、

 確実に存在する。

 だが、

 その存在は、

 制度によって、

 丁寧に隠されている。

「……ありがとう」

 ユイは、

 それ以上、

 問い詰めなかった。

 彼を責めても、

 意味はない。

 選んでいるように見えて、

 彼らは、

 すでに選ばされている。

 ***

 その頃、

 王都地下の拘束区画で、

 レオンは、

 一人、

 薄暗い部屋にいた。

 拘束といっても、

 鎖はない。

 扉も、

 施錠されていない。

 ただ、

 「外に出ない」という選択肢が、

 事実上、

 消されているだけだ。

 机の上には、

 一通の文書。

 制度評価中間報告書。

 レオンは、

 それを、

 じっと見つめていた。

 そこには、

 彼が内部から見てきた現実と、

 まったく異なる物語が、

 整然と書かれている。

 安定。

 効率。

 住民満足度。

 ――成功。

「……ふざけるな」

 低く、

 呟く。

 彼は、

 騎士だった。

 だからこそ、

 数字の裏にある、

 切り捨てが、

 分かる。

 この報告書は、

 誰かが、

 壊れたことを、

 前提にしている。

 だが、

 その誰かは、

 どこにも書かれていない。

 レオンは、

 文書の裏に、

 もう一枚、

 紙を重ねた。

 そこには、

 彼自身が集めた、

 非公式の記録がある。

 配置解除者の証言。

 医師の私的見解。

 騎士団内で共有されなかった、

 現場の報告。

 それらは、

 どれも、

 同じ方向を指していた。

 ――制度は、

 確実に、

 人を壊している。

 そして。

 壊れた人間が、

 増えれば増えるほど、

 制度は、

 「必要」になる。

「……自己増殖か」

 レオンは、

 歯を食いしばった。

 制度は、

 失敗を、

 次の正当化に使う。

 彼は、

 理解していた。

 このままでは、

 制度は、

 止まらない。

 ならば。

 止める方法は、

 一つしかない。

 ――隠されているものを、

 表に出す。

 ***

 数日後。

 王都中央広場で、

 予定されていなかった、

 集会が開かれた。

 名目は、

 「制度説明会」。

 だが、

 その壇上に立った人物を見て、

 人々は、

 ざわめいた。

 ユイだった。

 正式な許可は、

 出ていない。

 だが、

 彼女は、

 そこに立っている。

 胸の奥で、

 歪みが、

 激しく脈打つ。

 恐怖。

 緊張。

 怒り。

 それらが、

 混ざり合い、

 彼女の声を、

 押し上げる。

「……私は」

 ユイは、

 広場を見渡した。

「歪みを、

 引き受けた人間です」

 どよめき。

「英雄だ」

 「象徴だ」

 そんな囁きが、

 飛び交う。

「……でも」

 ユイは、

 はっきり言った。

「私は、

 成功例ではありません」

 空気が、

 一瞬、

 張り詰める。

「私の中には、

 今も、

 歪みがあります」

「それは、

 誇りではありません」

 彼女は、

 胸に手を当てた。

「代償です」

 人々の間に、

 困惑が広がる。

「制度は、

 この代償を、

 共有可能だと、

 説明しています」

 ユイの声は、

 震えていた。

 だが、

 止まらなかった。

「……でも」

 彼女は、

 一歩、

 前に出た。

「共有されているのは、

 苦しみではありません」

「苦しむ人間が、

 選ばれているだけです」

 ざわめきが、

 怒号に変わりかける。

 その瞬間。

 人々の中から、

 一人の少女が、

 前に出た。

 あの、

 最初の被配置者。

 支えられながら、

 壇上に立つ。

「……私は」

 少女の声は、

 かすれていた。

「……選ばれました」

 広場が、

 静まり返る。

「皆が、

 楽になるなら、

 いいと思いました」

 涙が、

 頬を伝う。

「でも……

 今、

 自分が、

 誰なのか……

 分かりません」

 その言葉は、

 数字ではなかった。

 物語でもなかった。

 生の声だった。

 沈黙。

 それは、

 制度が、

 最も恐れるもの。

 ***

 この瞬間、

 世界は、

 選ばされる側に、

 引きずり出された。

 見ないふりは、

 できない。

 知らなかった、

 とは言えない。

 制度は、

 初めて、

 揺らいだ。

 だが。

 揺らいだだけだ。

 まだ、

 崩れてはいない。

 これから。

 世界は、

 選ばなければならない。

 安定か。

 声か。

 誰を、

 犠牲にするのか。

 そして――

 誰が、

 止めるのか。

 その問いが、

 王都の空に、

 はっきりと浮かび上がっていた。

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