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名前を呼ばれなかった私が、異世界でただ一度「君」と呼ばれるまで  作者: Futahiro Tada


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守られる理由、縛られる立場

守られる理由、縛られる立場


 朝は、思っていたよりも静かにやってきた。

 目を覚ますと、見知らぬ天井があった。木の梁が交差し、ところどころに古い傷のような跡が残っている。

 一瞬、自分がどこにいるのか分からず、心臓が跳ねた。

 ――そうだ。

 異世界。

 北境の詰所。

 レオン。

 昨夜の出来事が、順番に思い出される。

 灯りのある場所。温かい飲み物。

 そして、「近づくな」という言葉。

 胸の奥が、きゅっと縮んだ。

 私はゆっくりと身を起こす。

 簡素なベッドの横には、昨夜羽織らされた毛布が丁寧に畳まれて置かれていた。

 誰がやったのかは分からない。でも、放置されていないという事実が、少しだけ心を落ち着かせてくれる。

 外から、規則的な足音と金属の擦れる音が聞こえてきた。

 訓練だろうか。

 この詰所が、ただの避難場所ではないことを、音が教えてくる。

 部屋を出ると、朝の空気は冷たく、澄んでいた。

 詰所の中庭では、数人の騎士たちが剣を交えている。

 真剣な動き。無駄のない所作。

 命を賭けることを前提にした身体の使い方。

 その輪の中心に、レオンがいた。

 鎧は着けていない。

 黒に近い色の軽装で、剣だけを手にしている。

 一挙手一投足が静かで、それでいて圧倒的だった。

 剣がぶつかる音が、澄んだ空気に響く。

 相手の騎士が一瞬踏み込むと、レオンはそれをいなすように剣を払う。

 速い。

 けれど荒々しさはなく、相手の動きを許していない。

 ――強い。

 昨夜、無愛想で、距離を取る人だと思っていた彼が、ここではまったく違う顔を見せていた。

「……すごい」

 思わず、声が漏れた。

 その瞬間、レオンの視線がこちらに向いた。

 一瞬だけ、動きが止まる。

 ほんの一瞬。

 それだけで、胸が跳ね上がる自分が恥ずかしい。

 訓練はすぐに終わった。

 騎士たちが剣を収め、敬礼をする。

「今日はここまでだ」

 レオンの声が、場を締める。

 その声は昨夜と同じなのに、今は命令する立場の人間の響きを持っていた。

 騎士たちが散っていく中、レオンはこちらに向かって歩いてくる。

 一歩一歩が、やけに重く感じられる。

「……よく眠れたか」

 それは、驚くほど普通の問いだった。

「はい……ありがとうございます」

 私は小さく頭を下げる。

 レオンは一瞬だけ、私の足元に視線を落とした。

 靴。昨夜のまま。

 異世界の地面を歩くには、心もとない。

「後で、詰所の備品を回す。合うものがあるかは分からないが」

「……ありがとうございます」

 その「ありがとうございます」が、何に対するものなのか、自分でもよく分からなかった。

 靴のこと。

 守ってくれたこと。

 それとも、名前を呼んでくれたこと。

 朝食は、詰所の共同スペースで取った。

 固いパンと、スープのようなもの。

 素朴だけれど、身体に染みる味だった。

 周囲の視線は、当然私に集まる。

 露骨な敵意はない。けれど、好奇心と警戒が混じった空気。

「……あの人が、異界人?」

「本当に突然現れたらしい」

 ひそひそとした声が、耳に入る。

 私は俯き、スプーンを握る。

 この感覚は、知っている。

 説明できない存在として見られる視線。

 居心地の悪さに耐えていると、マルタが助け舟を出すように声を張った。

「ほら、食べなさい。冷めるよ」

 その一言で、空気が少しだけ緩む。

 食事の後、私はレオンに呼ばれた。

 詰所の奥、簡素な執務室。

 地図が壁に掛けられ、机の上には書類が積まれている。

「座れ」

 促され、私は椅子に腰を下ろす。

 レオンは机の向こう側に立ったままだ。

「王都へ連絡を入れた」

 唐突な言葉に、心臓が跳ねる。

「……どう、でしたか」

「異界人の保護要請として、正式に受理された」

 受理。

 その言葉に、安堵と不安が同時に押し寄せる。

「数日以内に、王都から調査官が来る」

「調査官……」

 その響きは、あまり優しくない。

「異界人は、この国にとって重要な存在だ。力を持つ者も多い。だから――」

 レオンは言葉を選ぶように、少し間を置いた。

「――自由に扱われるわけじゃない」

 胸が、きゅっと縮む。

「閉じ込められますか……?」

 小さく聞くと、レオンは即答しなかった。

「……拘束、という形になる可能性はある」

 正直な答え。

 昨夜と同じだ。

「ただし」

 レオンは続ける。

「俺が責任者だ。王都へ引き渡すまで、お前の身柄は俺の管理下にある」

 管理。

 その言葉は冷たいはずなのに、不思議と怖くなかった。

「それって……」

「勝手にどこかへ連れて行かれることはない」

 断定するような声。

 私は、息を吐いた。

 知らず知らずのうちに、肩に力が入っていたらしい。

「……どうして、そこまで」

 思わず、聞いてしまう。

 レオンは少しだけ目を伏せた。

「それが、俺の役目だからだ」

 役目。

 やっぱり、それだけなのだろうか。

「昨夜も言ったが、俺に近づきすぎるな」

 再び、その言葉。

「詰所内では、最低限の対応しかしない。必要以上の会話も避けろ」

 胸の奥が、じくりと痛む。

「……嫌われている、わけじゃないんですよね」

 口に出した瞬間、後悔した。

 そんなことを聞く立場じゃない。

 けれど、レオンは否定もしなかった。

「好き嫌いの問題じゃない」

 淡々とした声。

「異界人と、王都騎士団の隊長が個人的に関わること自体が問題になる」

 その言葉で、ようやく輪郭が見えた。

 彼の立場。

 彼の制約。

 私に近づけば、彼が罰せられる。

 彼が守ろうとすればするほど、彼自身が危険に晒される。

「だから、距離を取る」

 レオンはそう言い切った。

 私は、唇を噛んだ。

 理解できる。

 正しい。

 でも――

「……それでも、助けてくれた」

 私がそう言うと、レオンはわずかに眉をひそめた。

「見捨てる選択肢はなかった」

 それは騎士としての答え。

 でも、その目は一瞬だけ、揺れた気がした。

「ユイ」

 彼が私の名前を呼ぶ。

 それだけで、胸が締めつけられる。

「お前は、ここでは客人だ。だが同時に、危うい存在でもある」

 客人。

 危うい存在。

 どちらも、私を完全には肯定しない言葉。

「だから――」

 彼は言葉を切り、まっすぐ私を見る。

「俺に期待するな」

 はっきりとした拒絶。

 それなのに。

「……それが、お前を守ることになる」

 その一言が、すべてをひっくり返した。

 私は何も言えなかった。

 喉が詰まり、言葉が出てこない。

 レオンはそれ以上何も言わず、書類に視線を戻した。

 会話は、終わりだという合図。

 部屋を出るとき、私は一度だけ振り返った。

 彼は、こちらを見ていなかった。

 でも、その背中は、昨夜と同じだった。

 近づくな、と言いながら、背を向けて立ちはだかる背中。

 私は廊下を歩きながら、自分の胸に問いかける。

 期待するな、と言われた相手に、

 どうしてこんなにも心が揺れるのか。

 この世界で、私はまだ何者でもない。

 守られる理由があって、縛られる立場にあって。

 そして――

 触れてはいけない相手に、少しずつ惹かれている。

 それを、まだ誰にも言えないまま。

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