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名前を呼ばれなかった私が、異世界でただ一度「君」と呼ばれるまで  作者: Futahiro Tada


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壊れたのは、声の方だった

壊れたのは、声の方だった


 制度は、音を立てて始まらなかった。

 号令も、祝辞も、反対の叫びもない。

 ただ、書類が増え、担当部署が増え、

 人々の会話の端に、いつの間にか新しい言葉が混じる。

 ――「適性」

 ――「配置」

 ――「安定化」

 それらは、どれも中立で、正しそうだった。

 だからこそ、

 最初の犠牲は、誰にも見えなかった。

 私は、王都外縁の小さな診療所にいた。

 正式な任務ではない。

 制度の監督でも、調査でもない。

 ただ、

 歪みの兆候が出ているという報告を受けて、

 個人的に足を運んだだけだ。

 レオンは、同行しなかった。

 それもまた、

 制度の影響だった。

 騎士団副長としての彼は、

 今、王都内で身動きが取れない。

 協力しないという選択は、

 即座に拘束を生まない代わりに、

 じわじわと自由を奪っていく。

 それが、制度のやり方だ。

 診療所の中は、

 静かすぎるほど静かだった。

 治療用の薬草の匂い。

 清潔に保たれた寝台。

 そして、

 一人の少女。

「……ユイさん」

 彼女は、私を見ると、

 微かに目を細めた。

 笑おうとしたのだと思う。

 でも、それは、途中で崩れた。

「……大丈夫?」

 私がそう声をかけると、

 少女は、しばらく黙ってから、

 小さく頷いた。

「……平気、です」

 声は、平坦だった。

 感情が、抜け落ちたような。

 彼女は、

 王都の新制度で選ばれた、

 最初の被配置者だった。

 正式名称は、

 感情安定補助員。

 歪みの兆候が出やすい地域に配置され、

 感情の揺れを吸収・緩和する役割。

 志願制。

 名目上は。

「……無理は、してない?」

 私は、彼女の傍に腰を下ろした。

「……無理、では……」

 少女は、言葉を探す。

「でも……

 最近、

 自分の気持ちが、

 分からなくなってきました」

 胸の奥が、

 きしりと音を立てた。

「……どんなふうに?」

「……悲しい、って思っても」

 彼女は、

 自分の胸に手を当てる。

「……それが、

 私の悲しみなのか、

 誰かのなのか、

 分からないんです」

 それは、

 連鎖型歪みの初期症状。

 だが、

 制度は、これを

 想定内として処理する。

「……休めていますか」

「休むと……

 不安になるんです」

 少女は、俯いた。

「私がいないと、

 ここが、

 不安定になるって……」

 その言葉に、

 背筋が冷えた。

 ――責任を、刷り込まれている。

 善意で。

 丁寧に。

「……それは、

 あなた一人の責任じゃない」

 私は、はっきりと言った。

 少女は、

 困ったように微笑む。

「……でも、

 皆、

 安心した顔をするんです」

 それが、

 最も残酷な報酬だった。

「私がいると、

 怒鳴る人が減って、

 喧嘩がなくなって……」

 胸が、痛む。

「……それって、

 いいことですよね?」

 少女は、

 確認するように尋ねた。

 私は、

 すぐに答えられなかった。

 いいことだ。

 表面上は。

 でも。

「……短期的には、

 そう見えます」

 慎重に言葉を選ぶ。

「でも……

 あなたが、

 壊れる」

 少女の目が、

 わずかに揺れた。

「……壊れる?」

「はい」

 私は、

 嘘をつかなかった。

「感情を、

 一人で引き受け続けると……」

 続きを、

 彼女は聞かなかった。

 ただ、

 静かに、

 頷いた。

「……そう、ですよね」

 その反応が、

 何よりも、

 答えだった。

 彼女は、

 もう、

 分かっている。

 でも、

 止められない。

「……ユイさん」

 少女が、

 小さな声で言った。

「私……

 選ばれた、んですよね」

 その言葉が、

 胸に突き刺さる。

「……誰かが、

 やらなきゃ、

 いけなかった」

 それは、

 かつての私自身の言葉。

 少女は、

 それを、

 借りてしまった。

「……違う」

 私は、

 強く首を振った。

「それは、

 選ばされた」

 彼女は、

 少し驚いたように

 私を見る。

「……違い、ありますか」

 私は、

 深く息を吸った。

「あります」

 はっきりと。

「選ばれた、は……

 誇りに変えられる」

「でも、

 選ばされた、は……」

 言葉を、

 続ける。

「責任にしか、

 ならない」

 少女は、

 しばらく黙っていた。

 やがて、

 ぽつりと、言う。

「……やめたい、って」

 胸が、

 大きく揺れた。

「……思っても、

 いいんでしょうか」

 その問いは、

 制度が、

 決して許さないものだった。

「……いい」

 私は、

 即答した。

「思っていい」

 そして、

 続ける。

「言っていい」

 少女の目から、

 静かに涙が落ちた。

「……でも」

 声が、

 震える。

「私が、

 やめたら……」

「そのときは」

 私は、

 彼女の手を取った。

「世界の方が、

 間違っている」

 その言葉は、

 制度への宣戦布告だった。

 その夜、

 少女の状態は、急変した。

 感情の遮断。

 自我の希薄化。

 医師は、

 首を振る。

「……典型的な、

 過負荷症状です」

 想定内。

 その言葉が、

 喉に、

 苦く残る。

 王都からの連絡は、

 迅速だった。

 配置の一時中断。

 代替要員の検討。

 彼女は、

 交代された。

 回復の見込みは、

 不明。

 制度は、

 止まらない。

 私は、

 診療所の外に出て、

 夜空を見上げた。

 歪みが、

 胸の奥で、

 ざわつく。

 怒りでも、

 悲しみでもない。

 ――理解だ。

 これが、

 静かな破綻。

 声が、

 役割に変換され、

 痛みが、

 数値に変えられ、

 壊れた人間が、

 交換可能になる。

 制度は、

 まだ、

 完成していない。

 だからこそ、

 今は、

 止められる。

「……二度目の問いは、

 まだ、終わっていない」

 私は、

 自分に言い聞かせる。

 救うか、

 救わないか。

 もう。

 誰を壊してまで、

 安定を選ぶのか。

 その問いを、

 私は、

 この世界に、

 突きつけ続ける。

 たとえ。

 それが、

 私自身を、

 次の犠牲者にするとしても。

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