それでも、選び続ける
それでも、選び続ける
意識が戻ったとき、最初に感じたのは――
音のなさだった。
風の音も、人の気配もない。
ただ、呼吸だけが、ゆっくりと耳に届く。
――生きている。
その事実を、少し遅れて理解する。
まぶたを開けると、天井が見えた。
見覚えのない木目。
王都の医療施設でも、野営用の天幕でもない。
もっと簡素で、しかし、丁寧に整えられた空間。
「……目、覚めたか」
低い声。
視線を向けると、
部屋の隅に、レオンが立っていた。
壁に背を預け、腕を組んだまま。
まるで、そこから一歩も動かなかったような姿勢。
「……どれくらい」
「三日」
短い答え。
三日。
身体を動かそうとした瞬間、
胸の奥に、鈍い痛みが走った。
「……っ」
「無理に動くな」
レオンが、すぐに言う。
「今のお前は……」
言葉が、途中で止まる。
「……どうなってますか」
私は、静かに尋ねた。
彼は、一瞬だけ視線を逸らした。
「……歪みが、残っている」
胸の奥が、冷たくなる。
「完全には、消えていない」
「……そうですか」
予想はしていた。
あれだけの量を、
人が一度に引き受けて、
無事で済むはずがない。
「どのくらい」
私が尋ねると、
レオンは、少し考えてから答えた。
「……測れない」
その言葉が、
何よりも重かった。
「感情の反応が、不規則だ。
外部の歪みに、引きずられる可能性がある」
つまり。
「……私は」
言葉を選ぶ。
「歪みを、呼び寄せる存在に、なった」
レオンは、否定しなかった。
「……ああ」
それで、すべてが分かった。
これが、代償。
誰かを救った結果、
私は、
世界にとって不安定要素になった。
それでも。
「……救われた人は」
「生きている」
即答。
「精神の損傷も、最小限だ」
胸の奥で、
小さく、息を吐いた。
「……よかった」
その言葉に、
レオンの表情が、わずかに歪む。
「それでも、そう言うのか」
「はい」
私は、彼を見た。
「それが、私の選択ですから」
沈黙。
彼は、しばらく黙っていた。
「……お前は」
低い声。
「自分が、何をしたか、分かっているのか」
「分かっています」
私は、ゆっくりと頷いた。
「もう、後戻りできません」
歪みを背負った人間は、
二度と、元には戻れない。
「……それでも」
私は、続ける。
「私は、選びます」
レオンが、こちらを見た。
「これからも?」
「これからも」
はっきりと言う。
「救えるなら、救います」
彼の拳が、強く握られる。
「……それは」
声が、震えている。
「死ぬ覚悟だ」
「ええ」
私は、否定しない。
「だからこそ……」
一度、息を吸う。
「あなたが、必要です」
レオンの目が、見開かれた。
「止めてください」
私は、まっすぐに言った。
「私が、越えてはいけない線を越えそうになったら」
それは、
彼にとって、最も残酷な頼みだった。
「……ふざけるな」
レオンの声が、荒れる。
「お前は……
俺に、何をさせようとしている」
「選ばせているんです」
私は、静かに答える。
「あなたに」
守るのか。
止めるのか。
「……それは」
レオンが、歯を食いしばる。
「……俺が、一番、恐れている役割だ」
「知っています」
私は、目を伏せた。
「でも……」
もう一度、彼を見る。
「それでも、あなたしか、いない」
沈黙が、長く続く。
彼は、部屋を歩き、
壁に手をつき、
深く、息を吐いた。
「……俺は」
ようやく、言葉が出る。
「世界を守るために、剣を取った」
それは、原点。
「だが……」
声が、低くなる。
「お前を斬る覚悟までは、
持てなかった」
胸が、締めつけられる。
「……それが、弱さだ」
「いいえ」
私は、首を振った。
「それが、あなたです」
レオンが、こちらを向く。
その目には、迷いと、覚悟が、同時にあった。
「……分かった」
短い言葉。
「俺は……」
一歩、こちらに近づく。
「止める」
はっきりとした宣言。
「必要なら、
お前を、止める」
それは、
愛の言葉ではない。
でも。
逃げない選択だった。
「……ありがとうございます」
私は、深く息を吐いた。
これが、
一度目の答え。
恋を、選ばないわけじゃない。
でも、
恋に、世界を預けない。
私たちは、
それぞれの役割を、引き受けた。
「……一緒には」
私が言いかける。
「……ああ」
レオンが、先に答えた。
「同じ場所には、立てない」
それでも。
「……それでいい」
私は、微かに笑った。
「並べなくても、
背中合わせなら」
彼は、しばらく私を見てから、
静かに頷いた。
「……選び続けろ」
低い声。
「俺は、
止め続ける」
それが、
私たちの関係。
恋は、終わっていない。
でも、
答えは、出た。
これは、
一度目の答え。
世界と、恋と、
その間に立つ覚悟。
私は、ゆっくりと目を閉じた。
胸の奥で、
歪みが、微かに脈打つ。
それでも。
私は、
次の選択に、進む。




