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名前を呼ばれなかった私が、異世界でただ一度「君」と呼ばれるまで  作者: Futahiro Tada


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噛み合わない呼吸

噛み合わない呼吸


 最初に異変が起きたのは、音だった。

 建物の奥――

 かつて関所だった石造りの構造物の、床下。

 低く、濁った振動音が、地面を通じて伝わってくる。

 ――鼓動。

 それは、生き物のそれに似ていた。

「……来る」

 私がそう口にした瞬間、

 レオンの足が、半歩前に出た。

「後ろに下がれ」

 即断。

 命令に近い声。

「いいえ」

 私は、彼の横に留まった。

「下がったら、感情の流れが見えなくなります」

 歪みは、敵の姿をしていない。

 だから、距離を取ればいいというものじゃない。

「……危険だ」

 レオンは、剣に手をかける。

「前に出るのは、俺の役目だ」

 それは、彼の正しさだった。

 剣を持つ者として。

 守る側として。

 でも。

「それは、王都のやり方です」

 私は、はっきりと言った。

「ここでは、間に合わない」

 一瞬、空気が張り詰める。

 歪みの鼓動が、強くなる。

 地面に、細かな亀裂が走った。

「……来るぞ!」

 レオンが叫ぶ。

 床が、音を立てて崩れた。

 石と土が舞い上がり、

 その下から――

 歪みが姿を現す。

 それは、形を持たないはずのものだった。

 だが、今回は違う。

 人の影に似た輪郭。

 複数の感情が、無理やり束ねられたような、不自然な存在。

「……融合型」

 私は、息を呑む。

 交易路、集落、封鎖地帯。

 各地で蓄積された感情が、

 ここで一つにまとめられている。

「……斬れるか?」

 レオンが、短く尋ねる。

 彼は、すでに戦闘態勢だった。

「無理です」

 即答。

「これは……壊したら、反動が周囲に飛びます」

 下手をすれば、

 王都外縁全体に影響が出る。

「……なら、封じる」

 レオンが言う。

「一時的にでも、動きを止める」

 彼の判断も、正しい。

 だが。

「それでは、同じです」

 私は、声を強めた。

「封じれば、また溜まる。

 別の場所で、同じことが起きる」

 レオンが、私を見る。

 視線が、鋭い。

「……じゃあ、どうする」

 私は、一瞬、言葉に詰まった。

 答えは、ある。

 でも、それは――

 彼が最も嫌う方法だ。

「……解放します」

 その言葉に、

 レオンの表情が、はっきりと変わった。

「正気か」

「はい」

 私は、震える息を抑えながら続ける。

「ここに溜まった感情を、

 人に戻します」

「それは……」

「危険です」

 被せるように言う。

「制御を誤れば、

 感情の奔流が、周囲を壊します」

 レオンは、剣を強く握った。

「……そんな賭けは、許可できない」

 それが、彼の限界だった。

 守る者としての。

「でも、これ以上、

 誰かがまとめて背負う構造を続けたら、

 必ず、また死にます」

 私は、彼を見た。

「……昨夜、私は救えなかった」

 その言葉に、

 レオンの動きが、一瞬止まる。

「だから、同じ失敗はしません」

 歪みが、唸り声のような振動を発する。

 時間は、ない。

「……俺が前に出る」

 レオンが、言った。

「お前は、後ろからやれ」

 それは、妥協案だった。

「……だめです」

 私は、首を振る。

「それでは、感情の流れを遮断します」

「それでもいい」

 レオンの声は、低い。

「お前が壊れるよりは」

 その言葉が、

 私の胸に、強く突き刺さった。

 ――彼は、私を守ろうとしている。

 でも。

「それは……私を選んでいません」

 静かに言う。

「……世界を選んでいるだけです」

 一瞬の沈黙。

 歪みが、膨張する。

「……それの、何が悪い」

 レオンが、絞り出すように言った。

「守るべきものがある」

「あります」

 私は、即答した。

「だから、私は……

 全部を一度、外に出す」

「……!」

 レオンが、振り返る。

「それは、

 この場にいる全員を、

 巻き込む可能性がある」

「ええ」

 私は、深く息を吸う。

「だからこそ、

 私一人ではできません」

 視線を、まっすぐ向ける。

「……あなたが、止めてください」

 その言葉に、

 レオンの目が、大きく見開かれた。

「解放するのは、私」

「……」

「溢れた感情を、

 人に戻しきれなかったら、

 あなたが、止める」

 それは、

 命を預けるという意味だった。

 剣を振るのではない。

 私を、斬る覚悟。

 歪みが、限界まで膨張する。

「……正気じゃない」

 レオンが、呟く。

「ええ」

 私は、微かに笑った。

「恋をしたまま、

 世界を選ぼうとするなんて」

 その瞬間。

 歪みが、暴発した。

 感情の奔流が、

 建物の中を満たす。

 怒号。

 泣き声。

 叫び。

 何十人分もの感情が、

 一気に流れ込む。

「……っ!」

 膝が、崩れそうになる。

 私は、必死に踏みとどまった。

「……ユイ!」

 レオンの声が、遠くなる。

 それでも、私は、解放を続けた。

 ――返す。

 ――元の場所へ。

 歪みは、確かに小さくなっていく。

 だが。

 完全には、消えない。

 溢れた感情が、

 行き場を失い、暴れ出す。

「……危険域だ!」

 レオンが、叫ぶ。

 彼が、一歩、踏み出す。

 剣を構え、

 私の前に立つ。

「……止めるぞ」

 それは、脅しじゃない。

 決意だった。

 私は、歯を食いしばる。

 ――ここで止めたら、

 また同じことが起きる。

 ――続けたら、

 彼が、私を斬る。

 噛み合わない。

 呼吸も、判断も。

 恋があるからこそ。

「……分かってください!」

 私は、叫んだ。

「私たちは、

 同じ方向を見ているのに、

 違うやり方しか選べない!」

 レオンの剣が、

 わずかに、震えた。

 歪みが、最後の悲鳴を上げる。

 その瞬間――

 彼の剣が、私の頬をかすめた。

 血が、飛ぶ。

 わずかな傷。

 でも、それは、

 はっきりとした境界線だった。

 彼は、止めに来た。

 私は、止まらなかった。

 歪みは、

 不完全な形で、霧散した。

 建物が、静かになる。

 残ったのは、

 荒れた空気と、

 血の味だけ。

 私たちは、互いに向き合ったまま、動けなかった。

 共闘は、成功とは言えない。

 失敗とも言い切れない。

 ただ、

 噛み合わなかった。

 それだけが、

 痛いほど、はっきりしていた。

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