同じ空の下で、違う場所から
同じ空の下で、違う場所から
夜が明ける前、私は目を覚ました。
眠った感覚は、ほとんどない。
まぶたを閉じても、昨夜の光景が何度も蘇る。
――間に合わなかった。
その事実は、まだ胸の奥で鈍く疼いていた。
外は静かだ。
交易集落の朝は早いはずなのに、今日は妙に人の気配が薄い。
「……広がってる」
小さく呟く。
昨夜の歪みは、消えていない。
弱まりはしたが、形を変えて残っている。
――このままでは、また起きる。
私は身支度を整え、宿の外に出た。
集落の中央に向かう途中、視線を感じる。
人々の目。
昨日までは、ただの旅人だった。
今は、何かをした女。
感謝と恐れが、混ざり合った視線。
それが、胸に刺さる。
――ここでは、隠れられない。
王都とは、決定的に違う。
「ユイ」
声をかけられ、振り返ると、セシリアがいた。
彼女の表情は、いつもより硬い。
「……王都から、連絡が入った」
胸が、跳ねる。
「管理局ですか」
「ええ。でも、それだけじゃない」
セシリアは、周囲を確認してから、声を落とした。
「騎士団からも」
その言葉だけで、誰のことか分かった。
「……レオン隊長が?」
セシリアは、静かに頷いた。
「正式な連絡ではないわ」
念を押すように言う。
「でも、間違いなく彼の動き」
私たちは、宿の裏手に回った。
人目につかない場所。
「騎士団内部で、情報が動いている」
セシリアが、低い声で言う。
「王都周辺だけじゃなく、交易路沿いの集落で、同様の兆候が出ている」
私は、息を呑んだ。
「……やっぱり」
「ええ」
セシリアは、頷く。
「あなたが感知した場所と、騎士団が把握している小規模な衝突の地点が、重なっている」
衝突。
それは、感情が表に出た結果だ。
暴力。
争い。
事故。
「……レオン隊長は」
私は、言葉を探す。
「何を、しようとしているんですか」
セシリアは、少しだけ、迷うように間を置いた。
「……彼は、前線に戻るつもりはない」
胸が、きゅっと締めつけられる。
分かっていた。
でも、どこかで期待していた。
「代わりに」
セシリアは、続ける。
「騎士団の後方を動かしている」
後方。
それは、命令系統、物資、情報。
「歪みが発生しやすい地域に、
理由をつけて人を配置する」
表向きは、治安維持や交易保護。
「……歪みが、暴発する前に」
「そう」
セシリアは、頷いた。
「あなたが間に合わなかった場所を、
次は、間に合わせるために」
その言葉に、胸が熱くなる。
彼は、ここにいない。
でも、確かに関わっている。
――同じ問題を、違う立場から見ている。
「……でも」
私は、俯いた。
「それでも、死は防げない」
昨夜の光景が、蘇る。
「ええ」
セシリアは、否定しない。
「彼も、それを理解している」
だからこそ。
「彼は、被害を減らす方に舵を切った」
救えない命があることを、前提に。
その選択が、どれほど重いか。
私は、拳を握った。
「……ずるいですね」
思わず、言葉が漏れる。
「彼は、前に立たずに、
それでも人を守っている」
セシリアは、微かに笑った。
「あなたも、同じよ」
私は、首を振った。
「私は……目の前で、救えなかった」
「だからこそ」
セシリアは、はっきり言う。
「あなたは、現場にいる意味がある」
その瞬間。
胸の奥で、何かが、少しだけ整理された。
私は、失敗した。
限界を知った。
でも、それで終わりじゃない。
――役割が、分かれただけ。
その日の昼前、集落に騎士団の小隊が到着した。
王都の紋章。
しかし、隊長の姿はない。
代わりに、見知った顔があった。
北境で、レオンの部下だった騎士。
彼は、私を見ると、わずかに頷いた。
言葉はない。
それで、十分だった。
彼らは、理由を問わず、集落に留まった。
巡回。
仲裁。
表向きは、いつも通りの仕事。
でも、その存在だけで、
感情の暴発は、確実に抑えられている。
「……来るの、早すぎませんか」
私がセシリアに聞くと、彼女は小さく息を吐いた。
「ええ。異常なほど」
それが、答えだった。
これは、偶然じゃない。
王都で、誰かが、全力で裏を回している。
私は、空を見上げた。
王都の方向。
遠くて、見えない。
でも。
――同じ空の下だ。
彼は、前に立たない。
私は、後ろに下がらない。
違う場所で、
違うやり方で、
同じ問題に向き合っている。
それが、今の私たちの形。
再会は、まだ遠い。
でも、必要ない。
この道を進み続ける限り、
いずれ、必ず交差する。
それが、
偶然じゃなく、
必然として。
私は、深く息を吸った。
――次は、間に合わせる。
その誓いは、
王都の外で、
静かに、しかし確かに、形を持ち始めていた。




