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名前を呼ばれなかった私が、異世界でただ一度「君」と呼ばれるまで  作者: Futahiro Tada


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声が届く前に、壊れる

声が届く前に、壊れる


 交易集落は、王都の想像よりずっと小さかった。

 石畳は途中で土に変わり、建物は木と石が混ざった簡素な造り。

 門もなく、守備兵もいない。

 ただ、人が行き交い、荷が運ばれ、

 生活が、露出したまま流れている。

「……ここが、最初の目的地」

 馬車を降りたセシリアが、周囲を見渡す。

 私は、胸の奥がざわつくのを感じていた。

 ――近い。

 歪みの気配が、王都とは比べものにならないほど、近く、濃い。

「気づかれていないわね」

 セシリアが言う。

「まだ、異変として認識されていない段階」

 それは、王都なら管理局が拾う段階。

 でも、ここでは違う。

「……つまり」

 私が言う。

「誰かが倒れるまで、問題にならない」

 セシリアは、否定しなかった。

「ここでは、苦しいは日常よ」

 その言葉が、重く胸に落ちる。

 市場の中央には、人が集まっていた。

 交易商、農民、旅人。

 声は多いが、活気というより、荒さがある。

 怒鳴り声。

 値段交渉。

 苛立ち。

「……集積してる」

 私は、小さく息を吸った。

「感情が、逃げ場を失っている」

 セシリアは、視線を鋭くする。

「どこから?」

「……一箇所じゃない」

 王都の歪みは、点だった。

 ここは、面だ。

 集落全体が、ゆっくりと歪み始めている。

「……まず、聞き込みを」

 セシリアが言う。

「異変の兆候を、できるだけ具体的に」

 私は、頷いた。

 ――でも、間に合うだろうか。

 市場の端で、私は一人の女性に声をかけた。

「すみません」

 年の頃は三十代半ば。

 荷を抱え、疲れた顔をしている。

「最近、体調の悪い方が増えていませんか」

 女性は、一瞬怪訝そうに私を見る。

「……あんた、管理の人?」

「違います」

 正直に答えた。

「通りがかりです」

 女性は、肩をすくめた。

「体調悪い人?

 そりゃ、いくらでもいるよ」

 それが、この場所の現実だった。

「眠れないとか、気分が重いとか」

 私が続ける。

「怒りっぽくなったり、急に落ち込んだり」

 女性の手が、止まった。

「……あんた、何を知ってる」

 低い声。

「それ、うちの旦那だ」

 胸が、沈む。

「いつからですか」

「ここ数日」

 彼女は、荷を抱き直す。

「仕事が減ってね。

 王都の商人が、直接取引を減らしたんだ」

 王都。

 また、そこに繋がる。

「……酒に逃げて、怒鳴って」

 声が、少し震える。

「昨日は、壁を殴ってた」

 私は、喉が詰まった。

 それは、歪みの前段階だ。

「他にも、同じような人は?」

「……何人も」

 女性は、唇を噛む。

「でも、皆、黙ってる」

 声を上げたところで、何も変わらないから。

 それが、この場所の論理。

「……ありがとう」

 私は、深く頭を下げた。

 女性は、少し戸惑った顔で、去っていった。

 セシリアと合流し、情報を共有する。

「予兆は、完全に出ている」

 セシリアが言う。

「でも、まだ事件にはなっていない」

 そのとき。

 集落の奥から、悲鳴が上がった。

「……!」

 私は、反射的に走り出した。

「ユイ!」

 セシリアの声が、背後から聞こえる。

 路地の先。

 人だかり。

 その中心で、一人の男が地面に倒れていた。

 痙攣。

 荒い呼吸。

「下がって!」

 誰かが叫ぶ。

 でも、誰もどうしていいか分からない。

 私は、人をかき分け、男の側に膝をついた。

「……来てる」

 強い歪み。

 王都で感じたものより、ずっと粗暴だ。

「……落ち着いて」

 私は、男に声をかける。

 返事はない。

 でも、感情が、激しく渦巻いている。

 怒り。

 屈辱。

 恐怖。

 それが、限界を超えた。

「……早すぎる」

 セシリアが、息を呑む。

 歪みが、形を取り始めている。

 空気が、揺れる。

「……間に合う」

 私は、自分に言い聞かせる。

 でも。

 王都と違って、ここには余裕がない。

 人が、密集している。

 感情が、剥き出しだ。

 私は、力を使う。

 でも、王都のように静かに解くことができない。

「……危ない!」

 誰かが叫ぶ。

 歪みが、男の体から溢れ、

 周囲の人々に触れようとする。

 私は、覚悟を決めた。

「……止める」

 抑えるのではなく、

 遮断する。

 歪みの流れを、無理やり切る。

 胸が、焼けるように痛む。

「……っ!」

 視界が、一瞬揺れた。

 それでも、踏みとどまる。

 歪みが、悲鳴のような波を立てて、崩れ落ちる。

 その瞬間。

 男の体が、がくりと弛緩した。

 静寂。

 息を詰めていた人々が、ざわめき始める。

「……生きてる」

 誰かが言う。

 私は、深く息を吐いた。

 助けた。

 ――確かに。

 でも。

「……ユイ」

 セシリアの声が、低くなる。

 私は、ゆっくりと立ち上がった。

 足元が、ふらつく。

「……大丈夫」

 口では言った。

 でも、体は正直だった。

 胸の奥に、冷たい空洞が残っている。

 歪みを、切った。

 完全に解いたわけじゃない。

「……これが、王都の外」

 セシリアが、周囲を見る。

 人々の視線は、感謝と恐怖が混ざっている。

 理解はされていない。

 でも、目撃された。

 それが、何を意味するか。

「噂になる」

 セシリアが言う。

「何かをした女として」

 私は、頷いた。

「……それでいい」

 王都のように、隠せない。

 ここでは、結果がすべてだ。

 助かった。

 でも、完全ではない。

 男は、目を覚まさないまま、運ばれていった。

「……救えたのは、今日だけ」

 私は、静かに言う。

 セシリアは、私を見る。

「それでも、意味はある」

「……でも」

 私は、唇を噛む。

「遅れたら、終わりなんですね」

 王都なら、段階がある。

 会議があり、判断がある。

 ここには、ない。

「ええ」

 セシリアは、否定しない。

「だから、あなたが必要なの」

 その言葉は、慰めではなかった。

 残酷な事実だ。

 私は、空を見上げた。

 王都より、ずっと広い。

 そして、ずっと冷たい。

 ――ここから先は、もっと苛烈になる。

 そう、はっきり分かっていた。

 それでも。

 私は、目を逸らさない。

 助けが遅れれば、壊れる。

 壊れれば、戻らない。

 その現実を、

 初めて、体で理解したから。

 これが、王都の外。

 選択の代償が、

 即座に、誰かの生死になる世界。

 私は、深く息を吸った。

 ――それでも、進む。

 離れた場所で、同じ選択を続けている人がいる。

 その事実が、

 今は、私を支えていた。

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