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名前を呼ばれなかった私が、異世界でただ一度「君」と呼ばれるまで  作者: Futahiro Tada


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境界線の向こうへ

境界線の向こうへ


 王都を出る朝は、驚くほど静かだった。

 喧騒も、祝祭もない。

 ただ、薄い霧が街路を覆い、建物の輪郭を曖昧にしている。

 私は、城壁の内側で立ち止まり、振り返った。

 ここに来てから、どれほどの選択を重ねただろう。

 守られ、疑われ、試され、引き裂かれた。

 それでも、王都は王都のままだ。

 何も変わらないように見える。

「……行きましょう」

 隣に立つセシリアが、静かに言った。

 彼女は、いつもの研究者の装いではなく、

 外勤用の簡素な服を着ている。

「ここから先は、正式には視察という扱いになる」

「視察、ですか」

「名目はね」

 セシリアは、苦笑する。

「実態は――

 あなたを、王都の外で試すための旅」

 私は、頷いた。

 分かっている。

 これは、自由ではない。

 でも、拘束でもない。

 王都の外縁。

 それは、制度の目が届きにくく、

 それでいて、完全には手放せない場所。

「あなたは、異界人としてではなく」

 セシリアが続ける。

「歪み対応協力者として同行する」

 協力者。

 それは、肩書きであり、枷でもある。

「……拒否は、できなかったんですよね」

 私が言うと、セシリアは視線を逸らした。

「できたわ」

 はっきりと。

「でも、あなたは選ばなかった」

 胸に、静かな痛みが走る。

 ――選んだのは、私。

 王都の門が、ゆっくりと開かれる。

 分厚い石の扉が動く音は、

 まるで、境界線がずれる音のようだった。

 門の向こうには、広い道が続いている。

 交易路。

 王都と外界を繋ぐ、現実の道。

 私は、一歩踏み出した。

 空気が、変わる。

 王都の内側とは違う、

 少し乾いた匂い。

 風の流れも、自由だ。

「……外は、こんな感じだったんですね」

「ええ」

 セシリアは、微笑む。

「王都は、守られている分、閉じている」

 その言葉に、私は思わずレオンを思い出した。

 彼は、王都の中にいながら、

 ずっと外側を見ていた。

「……彼は」

 名前を出すのを、ためらった。

 セシリアは、察したように頷く。

「ここには来ない」

 はっきりとした言葉。

「でも」

 彼女は、前を見たまま言う。

「この旅は、彼と無関係じゃない」

 私は、歩みを止めなかった。

 それが、答えだった。

 馬車が、待っている。

 王都の紋章が刻まれているが、

 装飾は控えめだ。

 目立たないように、という配慮。

「乗って」

 セシリアに促され、私は馬車に乗り込む。

 中は、簡素だが清潔だった。

 扉が閉まり、御者の声が聞こえる。

 馬車が動き出す。

 石畳の音が、次第に遠ざかる。

 私は、膝の上に置いた手を見つめた。

 震えてはいない。

 でも、確かに重い。

 ――この先で、何が起きるか分からない。

「最初の目的地は、南東の交易集落」

 セシリアが、地図を広げる。

「表向きは、流通調査」

「実際は?」

「感情の滞留が、定期的に報告されている」

 私は、頷いた。

「……王都より、素直そうですね」

「ええ」

 セシリアは、同意する。

「だからこそ、歪みが表に出やすい」

 王都では、感情は抑え込まれる。

 外では、溢れ出る。

「あなたの力は」

 セシリアが、慎重に言葉を選ぶ。

「王都の外で、より強く作用するはず」

 それは、期待であり、警戒だった。

 馬車が、緩やかな坂を下る。

 窓の外に、広がる景色。

 畑。

 点在する家屋。

 人の営み。

 その一つ一つに、

 歪みの芽が潜んでいるかもしれない。

「……怖いです」

 正直な言葉が、口をついた。

 セシリアは、驚いたようにこちらを見る。

「怖くないふりは、もうしないんですね」

「しましたから」

 王都で、十分すぎるほど。

「今は……」

 私は、窓の外を見つめる。

「選んだ以上、目を逸らしたくない」

 セシリアは、静かに頷いた。

「それでいい」

 しばらく、沈黙が続く。

 馬車の揺れが、心地よい。

 ふと、胸の奥が、微かにざわついた。

「……来てます」

 私は、思わず言った。

「え?」

「歪みの気配」

 まだ遠い。

 でも、確かに。

「……早すぎる」

 セシリアが、地図を見る。

「予定地点じゃない」

 私は、息を整える。

 王都を出て、まだ半日も経っていない。

 それなのに。

「……これが、外の世界」

 私は、呟いた。

 歪みは、待ってくれない。

 制度も、準備も関係ない。

「止めますか?」

 御者に、セシリアが声をかける。

「この先で」

 私は、迷わず言った。

「行きましょう」

 これは、試験じゃない。

 仕事でもない。

 ――生き方だ。

 馬車が、再び進み出す。

 私は、背筋を伸ばした。

 レオンはいない。

 でも、彼の選択は、ここにある。

 彼が前に立てなくなった場所で、

 私は前に進む。

 それが、離れたまま守る、ということ。

 再会は、約束されていない。

 でも。

 この道を進めば、

 いつか必ず、交差する。

 それが、偶然ではなく、

 世界の必然として。

 王都の城壁は、もう見えなかった。

 私は、完全に――

 境界線の向こう側へ来ていた。

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