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名前を呼ばれなかった私が、異世界でただ一度「君」と呼ばれるまで  作者: Futahiro Tada


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触れてしまった場所

触れてしまった場所


 歪みは、王都の北側区画にあった。

 夜明け前。

 人の往来が最も少なく、街の輪郭がぼやける時間帯。

 私は、深くフードを被り、レオンの半歩後ろを歩いていた。

「……この辺りだ」

 彼の声は低く、短い。

 北側区画は、王都の中でも古い地区だ。

 石造りの建物が密集し、路地は狭く、光が届きにくい。

 華やかな王都の顔とは違う。

 ここには、溜まった生活と、捨てられた感情がある。

 私は、胸の奥がじわじわと重くなるのを感じていた。

「……来てる」

 小さく呟くと、レオンが立ち止まる。

「感じるか」

「はい」

 管理局の地下よりも、はっきりしている。

 押さえ込まれた感情が、行き場を失って滞留している。

 それは怒りや恐怖だけじゃない。

 諦め、後悔、誰にも届かなかった声。

「……ここは」

 路地の奥に、小さな集合住宅が見えた。

 外壁は古く、補修の跡が目立つ。

 灯りは点いているが、どこか弱々しい。

「この建物で、体調不良が続出している」

 レオンが言う。

「公式には、衛生問題で処理されているが……」

「違いますね」

 私は、息を詰める。

「これは……人の中に、入り込んでる」

 北境の歪みは、場所にあった。

 管理局の歪みは、制度にあった。

 でも、ここは――

 人そのものだ。

「……入るぞ」

 レオンが、短く言った。

 私は、頷いた。

 建物の中は、ひどく静かだった。

 住人が寝ているのか、それとも――

 階段を上るごとに、空気が重くなる。

「……苦しい」

 思わず、足を止める。

 レオンが振り返る。

「無理なら、下がれ」

「……いいえ」

 私は、首を振った。

「ここで止まったら、もっと酷くなる」

 それは、感覚ではなく、確信だった。

 最上階の一室。

 扉の前で、空気が歪んでいる。

「……ここだ」

 レオンは、剣に手をかけた。

 でも、それは意味のない動作だと、二人とも分かっている。

 これは、斬れるものじゃない。

 私は、深く息を吸った。

「……私が前に出ます」

「危険だ」

「分かっています」

 それでも、引かなかった。

 私は、扉に触れた。

 瞬間――

 胸の奥に、激しい感情が流れ込む。

 怒り。

 恐怖。

 孤独。

「……っ!」

 思わず、膝が折れそうになる。

「ユイ!」

 レオンの声。

「……大丈夫」

 歯を食いしばる。

 これは、管理局での歪みよりも、ずっと生々しい。

 ――誰にも、助けを求められなかった感情。

 私は、扉の向こうにいる誰かに、語りかけた。

 ――苦しかったね。

 ――誰も、聞いてくれなかったね。

 それは、慰めじゃない。

 同情でもない。

 ただ、認めること。

 歪みは、抵抗するように揺れた。

「……来るぞ」

 レオンが低く言う。

 空気が、形を持つ。

 目に見えないはずのものが、圧となって迫る。

 私は、踏みとどまった。

 逃げない。

 ここで引いたら、

 この人たちは、また何もなかったことにされる。

「……大丈夫」

 自分に言い聞かせる。

 胸の奥から、静かな力が広がる。

 それは、抑える力じゃない。

 解放する力。

 溜まった感情に、出口を作る。

 ――ここから、流れていい。

 歪みが、悲鳴のような波を立てた。

「……!」

 私は、思わず叫びそうになるのを堪える。

 その瞬間。

 背後から、強い腕が私を支えた。

 レオンだった。

「……一人で抱えるな」

 低い声。

 それは、命令じゃない。

 共有だ。

 彼の存在が、私を現実に繋ぎ止める。

 私は、彼に身を預ける形で、最後の一押しをした。

 歪みが、ふっと緩む。

 圧が消え、空気が戻る。

 扉の向こうから、誰かの咳払いが聞こえた。

「……?」

 人の声。

 私は、その場に崩れ落ちた。

「……終わった」

 息が、震える。

 レオンが、私を支えながら、周囲を警戒する。

「……成功だな」

 その声に、微かな安堵が滲んでいた。

 扉の中から、住人が顔を出す。

 疲れ切った表情。

 でも、目ははっきりしている。

「……楽になった」

 その一言で、胸がいっぱいになった。

 私は、深く息を吐いた。

 救えた。

 確かに。

 でも。

「……ユイ」

 レオンの声が、低くなる。

 私は、彼を見る。

「……見られている」

 その言葉に、背筋が凍る。

 階段の下。

 微かな足音。

 ――遅かった。

 管理局か、騎士団か。

 どちらにしても、想定より早い。

「……行くぞ」

 レオンが言う。

 彼は、私の手首を掴んだ。

 迷いはなかった。

 これは、明確な越権行為。

 もう、偶然では済まされない。

 私も、手を振りほどかなかった。

 その瞬間、はっきりと理解する。

 これが――

 決定的な一線だ。

 私は、彼の手を握り返した。

 それは、

 守られるためでも、

 縋るためでもない。

 共に、責任を負うための行為。

 レオンが、私を見る。

 その目には、覚悟があった。

「……後悔するな」

「……しません」

 同じ言葉を、今度は同じ立場で交わす。

 二人で選んだ行動。

 二人で越えた線。

 王都の夜は、

 その事実を、もう見逃してはくれなかった。

 遠くで、警笛のような音が響く。

 追及が始まる。

 それでも、私は思った。

 ――選んだ。

 恋は、もう感情ではない。

 これは、

 生き方そのものだ。

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