言葉ひとつ惜しんで、何年も遠回りをするものだな
「アレクサンドルとシャルローヌの婚約式を行う。3日後だ!」
ギヨーム王の突然の宣言に、王宮が動きを止めた。
マルゲリータ王妃が扇をゆるやかに閉じ、優雅に問い返す。
「陛下……今、なんとおっしゃいました?」
「聞こえなんだか? アルマン大公がいるうちに婚約式を行う!」
ギヨーム王は堂々と胸を張り、豪快に笑う。
「孫の顔を見る前に、まずはその婚約式を見ておかねばならん!」
「父上、それは順序が――」
アレクサンドルが言いかけたとき、すかさずリオネルが小声で補った。
「順序は合っています、殿下」
「おまえはどっちの味方だ」
「常に国益の側です」
王妃マルゲリータが微笑んだ。
「陛下の御意のままに。
――3日後に間に合わせるよう婚約式の準備を整えます」
その声音は驚くほど落ち着いていた。
「婚約式の会場は王立聖堂、すぐに司祭に連絡を。
装花は季節の白薔薇で。
祝宴の楽士は王立音楽院より急行させましょう。
陛下には、純白のマントをお召しいただきます」
指示は的確で、流れるように整っていく。
侍従たちは慌てふためきながらも、王妃の指先ひとつで次々と動き出した。
「陛下のご意志を実現するのがわたくしの務めですもの」
王妃が涼やかに笑う。
ギヨーム王は豪快に頷いた。
「さすが、わしのマルゲリータ! 惚れ直すわ!」
「おほほ。陛下、式の段取りが先でございます」
(何より先なのかは聞かなくて良いやつ)とリオネルの心の声。
こうして、王のひと声で王宮は祝祭の戦場と化した。
「聖女様のご婚約式、となれば、商会の名誉でございますとも!」
と、クロード翁は気合い十分。王都一の大商会の名にかけて采配を振るう。
カイルとエレナも昼夜問わず、荷造り荷運びに駆り出された。
「おお、ビジュ!ひさしぶり!」
「ピルルル」
リオネルは警備隊の配置指揮に奔走していた。
「なぜ俺が会場設営まで……!? これ護衛任務の範囲超えてるだろ!」
文句を言いながら、結局すべてを仕切ってしまうあたり、さすがである。
混乱のなか、それでも誰もが笑顔だった。
国を救った聖女と、未来の王である黒太子の婚約――それは国中の願いだ。
その喧騒の中、シャルローヌは真新しい白のドレスを仮縫いされながら、
「え、ええと……まだ心の準備が……」と戸惑っていた。
アレクサンドルは、彼女の手を取って微笑む。
「王が決めたら、もう誰にも止められない」
「わかってますけど……はやすぎませんか!?」
そして。
すべての準備が、奇跡的に整った。
◇
婚約式前夜の謁見の間。
豪奢な燭光がゆらめく中、ギヨーム王は愉快そうに笑っていた。
「婚約式の準備は順調か?」
その問いに、マルゲリータ王妃が静かにうなずく。
「ええ、すべて抜かりなく」
「うむ、ならばよい」
満足げにひげを撫でた王は、ちらりと隣に座るアルマン・ド・モンテリューへ目をやった。
大公は相変わらず険しい顔で沈黙している。
(……やはり、か)
ギヨーム王は心の中でため息をついた。
娘を思う気持ちが深いのはよくわかる。だが、それを言葉にできぬまま、愛する者の望みから離れてしまう――かつての自分と同じだ。
ならば、同じ過ちを繰り返させてはならぬ。
王は、わざとらしく肩をすくめた。
「さて……ひとつ問題があるな」
周囲がざわめく。
「聖女の婚約式なのに、祝福を授ける“聖女”がいない。まあ仕方あるまい。なくても良いだろう。急ぎだからな」
アルマンの眉が、ぴくりと動いた。
「陛下。聖女ほどでなくとも、祝福の儀を行う司祭はおりましょう」
「いやいや、良いではないか」
ギヨーム王は愉快そうに手を振る。
「なんなら、本人たちに自分で祝福をあげてもらうか」
アレクサンドルが思わず前に出る。
「父上、それはあまりにも……。祝福の儀は婚約式の大切な神聖な儀式ではありませんか」
その横で、マルゲリータ王妃がくすりと笑った。
「まあ、あなたはこの前すでに一度“祝福の儀”を味わったのだから、良いでしょう。……欲張りね」
シャルローヌは小首をかしげる。
「たしかに、そうかもしれませんね」
「なっ……!」
アレクサンドルが抗議の声を上げかけたそのとき――
ぷつん。
長いあいだ沈黙を守っていたアルマンの堪忍袋が、静かに、しかし盛大に切れた。
「……いったい我が娘をなんだと思っているのだ!」
轟くような声に、謁見の間がびくりと震えた。
「どういう扱いだ。黙っていれば言いたい放題!」
突然の爆発に、シャルローヌとアレクサンドルが同時に目を見開く。
リオネルが小声でつぶやいた。
「……いや、黙っているからでは?」
「そんな扱いをするなど許せん!」
アルマンが両腕を大きく広げ、山のような体をさらに膨らませて立ち上がる。
「我が娘を、見世物のように扱うとは何事だ、この――すっとこどっこい国王!!!」
謁見の間が一瞬で凍りついた。
廷臣たちのあいだから、誰かの喉が「ひゅっ」と鳴る。
リオネルでさえ、とっさに言葉が出ない。
マルゲリータ王妃だけが、扇を口元に当てて優雅に「まあ」と目を細めた。
ギヨーム王は一拍の沈黙ののち、腹を抱えて大笑いした。
「ふはははは! そのような言われようは初めてだわ! 気分が良い!」
(すっとこどっこいで通じるんだ、この世界)と別の意味で感心しているのはシャルローヌ。
国王の豪快な笑いに、アルマンも勢いを削がれたように立ち尽くす。
「あの、お父さま? そんなに怒るなんてどうしたの? わたしなら全然大丈夫よ?」
シャルローヌの言葉に、またもアルマンの憤りが復活した。
「あのような言われ方をして、本人が“大丈夫”などと言うではない!」
――ごちん。
拳骨が娘の頭頂に炸裂した。
「いったぁ……!?」
シャルローヌが頭を押さえて唖然とする。
さらにもう一発いこうとしたところで、アレクサンドルがとっさに間に入る。
「やめろ!」
王子の腕が、シャルローヌを庇うように広がった。
父と婚約者、火花を散らす二人。
一触即発。
(――さすがに、ここで王子を殴ったらただではすまない)
(戦争だ……)
そんな空気が漂ったそのとき。
「大公殿下!! 」
ばあやがすごい勢いで飛び込んできた。
その声には涙が滲んでいる。
「手より先にお言葉を、と仰られていたではありませんか! いつも、セリーヌ様が!」
その名を聞いた瞬間、アルマンの動きが止まった。
拳を振り上げたまま、ぴたりと硬直する。
ばあやは、少し息を整えてから、やさしく続けた。
「――“アルマン様。馬が怯えますよ。そんなに強く手綱を引かずに、お言葉をかけてください”」
静かな声で、まるでその場にセリーヌがいるように語る。
「“そうですよ。アルマン様の優しいお気持ちがちゃんと届くように。怖がらせないで”――と、いつも……」
その言葉に、アルマンの瞳が大きく揺れた。
セリーヌ。
同じ顔をした娘が、いま涙目で自分を見上げている。
そんな顔をさせたかったわけではない。
アルマンの肩が、わずかに落ちる。
ゆっくりと拳を下ろし、深く息を吐いた。
「……すまん、シャルローヌ」
低く、掠れた声。
それは、ようやくこぼれた本心だった。
シャルローヌがはっとして顔を上げる。
「お父さま……」
アルマンはもう視線を逸らさず、まっすぐに娘を見つめた。
「よく、生きて戻ったな。心配した。無事でよかった」
その瞬間、シャルローヌの目に涙がにじんだ。
「……うん」
「シャルローヌ。おまえを大切に思っておる」
こんなに優しい父の声を聞いたのは初めてだった。
「お父さま。ありがとう。大好き!」
言葉の勢いのまま、父の胸に飛び込んだ。
アルマンは、そっとシャルローヌの頭をなでた。自らの拳で痛めてしまったことを悔いながら。
「言葉ひとつ惜しんで、何年も遠回りをするものだな」
ギヨーム王は、静かに目を細めて頷き、マルゲリータ王妃は、そっと扇を胸の前で閉じた。
長くこじれていた父と娘の間に、ようやく、言葉という名の橋がかかったのだった。
やがて、場が落ち着きを取り戻したころ。
ギヨーム王が肩を揺らしながら、満足そうにうなずいた。
「……いや、少々やりすぎたな。
大公を怒らせて本音を言わせ、姫に思いを伝えさせようと諮ったことだったが、
まさかシャルローヌが“自分は大丈夫だ”と素で言い出すとは……」
シャルローヌが「えっ」と目を丸くする。
「おかげで痛い思いをさせてしまったな」
マルゲリータ王妃は苦笑を浮かべた。
「そういう天然ですよ、この姫は」
ギヨーム王が愉快そうにうなずく。
「おまえもすぐに意図を理解して、のってくれおったな」
王妃は優雅に扇を開きながら微笑む。
「おほほ。陛下の思惑には、時々おつきあいして差し上げませんとね」
リオネルがこっそりぼやく。
(――でも王妃殿下の“のり方”は、途中でアレックスを口撃してましたけどね)
アルマンは深く息を吸い、王の前に進み出る。
「陛下の御心にも考え及ばず、あまりに浅はかな己が情けなく……」
そこでふと、はっと顔を上げた。
「……すっとこどっこいと言ってしまった」
平伏。
ビジュが床にひれ伏す大山のような背中に乗って首をかしげる。
ギヨーム王が再び大笑いした。
「ははははは! そのような悪口は、帝国の皇帝にさえ言われたことがなかったぞ!
よいよい。許す」
「国王陛下。王妃様。ばあや……そしてお父様。
ありがとうございます」
ようやく皆の気持ちがわかって、輝く笑顔で告げるシャルローヌ。
誰もがほっとしたような優しい笑顔になる。
――が。
その場の片隅で、アレクサンドルがひっそりと項垂れていた。
「……守れなかった。拳から、シャルローヌを」
リオネルがすかさず小声でつっこむ。
「いや、あれは無理です。相手、山でしたから」
「だが……目の前でゲンコツを……!」
アレクサンドルは青ざめたまま天を仰ぐ。
「俺はシャルローヌを守ると誓ったのに」
ばあやが静かに語る。
「殿下、あれは“父親の権限”ですから」
「……権限……」
さらに沈む王子。
マルゲリータ王妃がくすくすと笑い、ギヨーム王が肩を揺らして言う。
「まあ、シャルローヌがよけなかったのは、殺気がなかったからであろう。
アレクサンドルも同じではないか?大公の拳には娘を想う気持ちしかなかった。
あれを防ぐのは無理だ」
アレクサンドルは唇を引き結び、
「……次は勝つ」とだけぼそりと呟く。
「次……あるの?」
シャルローヌが遠い目をしてつぶやいた。
――そして翌朝、鐘は“祝祭”のために磨かれ始める。




