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リリオスの王女

 エレナや行方不明の娘たちの救出に成功し、シャルローヌはすがすがしい朝を迎えていた。

 魔道具の指輪も手に入れ、石も素晴らしいものをアレクサンドルから賜った。

 みんなが笑い合っていた姿が、何より嬉しかった。まだギヨーム王の不調は気がかりだが――それでも、この世界で目を覚ましてから続いていた困りごとは、ほとんど消えたように思えた。

 王宮の庭でのいつもの素振りも、空気が澄んで感じられる。


 カイルはエレナと共に街へ戻った。

(ふたりで結婚準備を始めるんだって。ふふ。しあわせになあれ)

 クロード翁も屋敷へと戻り、静かで平和な朝だった。


「朝早くから精が出るな」

 アレクサンドルがリオネルを伴って姿を現した。


「アレックス! おはようございます。鍛錬は欠かせなくて」

「ほんとうに姫はお強い」リオネルが感心したように笑う。「殿下と並び立って戦える女性が存在することに驚きましたよ」


 シャルローヌは剣を納めてふたりを振り向いた。

「リオネルこそ、びっくりしちゃった。あんなに強かったのね」

「俺をなんだと思ってたんですか」

「アレックスの近衛隊長?」

「……合ってます」


 アレクサンドルが静かに見つめているのに気づいて、慌てて言い添える。

「アレックスもすごく強かった! 二人の息もぴったりで」

「子どものころからずっと一緒に稽古や実戦をしてきたからな」

「実戦?」

「姫はご存じないのですか。半年前までの――帝国との戦争を」

「ああ、そういえば……」

 シャルローヌは記憶の糸をたぐるように目を伏せた。

「じゃあ、アレックスもリオネルも……あの戦場にいたのね」

 頷くふたり。

 胸の奥から熱がこみ上げた。

(生きていてくれてよかった……)

 

 ◇


 春の光が王の間を満たしていた。大理石の床に反射した光が、天井の金装飾を淡く照らす。玉座の前で、王妃マルゲリータは静かに膝を折っていた。


「陛下。リリオス王国より、アレクサンドル殿下への縁談のお申し出がございました」


 ギヨーム王の眉がわずかに動いた。

「リリオスの王女……其方の姪君であったな」


「はい。イサドラ王女殿下。二十三歳になられます。聡明で、礼節に富み、国の顔として申し分ないお方です」

 王妃は微笑みを絶やさず、言葉を紡ぐ。

「先の戦で我が国は勝利しましたが、帝国の動きはいまだ油断なりません。

 この時期にリリオスとの絆をさらに強めておくのは得策でございましょう」


「……ふむ」

 王は玉座に身を預け、顎に手を当てた。たしかに、戦後の国政はまだ不安定だ。なにより己が身の不調。だがその瞳の奥にわずかな迷いがあった。


「アレクサンドルにはすでにシャルローヌ姫がいる。二重の婚約は混乱を招かぬか」


「陛下。先の戦争で我が国はリリオス王国の多大な力添えを得ました。申し出を無下にできぬ情勢でございます」

 マルゲリータは柔らかく微笑みながら、王の目をまっすぐに見た。その笑みの奥に、王妃派の計算が潜んでいることを、王はかすかに感じ取っていた。


 しばしの沈黙。

 王は、そばに控えていた銀髪の男に視線を向けた。


「……ラザール。お前の考えを聞かせてくれ」


 王直属の騎士団長、ラザール・ヴァレン。軍服の襟を正し、恭しく膝を折る。


「陛下のお心のままにございます。……ですが、もし僭越ながら申し上げるなら――」

 静かな声が王の間に響く。


「どちらの姫君も、国にとっては得難い縁。ただ、順番としてはイサドラ殿下の方が先かと」


「順番、とは?」


「年齢のこともございます。そして……シャルローヌ姫の母君――セリーヌ殿下は、姫をお産みになった折にお命を落とされたとか。あまりに若いご出産は、姫の身に危うさを残しましょう」


 王の目が、かすかに陰った。二十年近く前の記憶が、胸の奥に疼く。モンテリュー大公の館で見た金の髪の少女のような妃――セリーヌ。


「……たしかに、あの悲劇をもう繰り返したくない。シャルローヌ姫はまだあの頃のセリーヌ姫と変わらぬ」


 ラザールは頭を深く垂れる。

「最終的にお決めになるのは、陛下のご判断にございます」


 その控えめな一言が、王の胸の決意を静かに傾けた。

「……アレクサンドルを呼べ」


 ◇


 王の間に現れたアレクサンドルは、深く礼をした。王の表情は重く、王妃は穏やかに微笑んでいる。その空気だけで、何かを察した。


「アレクサンドル。おまえに、新たな婚約の話がある」

 父の声は穏やかだが、決定の響きがあった。


「リリオス王国のイサドラ殿下だ」


「……イサドラ姫と」


「うむ。戦での同盟関係をより確実にし、両国の絆を深める。おまえが今、妻を迎えるなら、それ以上の選びはあるまい」


 アレクサンドルは短く息を吐いた。視線の端に、王妃の微笑が見える。


(――なるほど。王妃は、自分の影響の及ぶ者を俺の婚約者にしたいのか)


 冷静な分析が頭を巡る。だが胸の奥には、ざらりとした痛みが広がっていた。


「……承知しました。少しだけ、考える時間をいただけますか」


「よかろう」

 王が頷き、王妃が優雅に微笑む。

「イサドラは優しい子です。殿下の良き伴侶となりましょう」


 アレクサンドルは黙って一礼し、その場を辞した。


 ◇


 向かった先は、王宮の庭の東屋。午後の光が石の床を金色に染めている。シャルローヌは風に髪を揺らし、集めた小花の花束を両手に立っていた。


「アレックス?」


 振り向いた顔が明るい。その無防備さに、胸が痛む。


「……婚約の話が出た」


「えっ、わたしたちの?」


「いや。リリオスのイサドラ姫との、だ」


 一瞬きょとんとして、すぐにぱっと笑った。


「いいじゃない! リリオスって戦争で同盟を結んでくれた大切な国でしょう? この国のためなら、それが一番だよ」


「……そう、思うか」


「うん。だってアレックスだもの。その姫がどんな人でも仲良くなれるだろうし、それに……」

 少し首をかしげて、まっすぐ言った。

「“聖女”を政略で使いたい気持ちはわかるけど、わたしは物じゃない。だから、アレックスはアレックスの幸せを選ばなくちゃ」


 その瞬間、息が詰まる。


 彼女の瞳には、悲しみのかけらもない。

 ただ、まっすぐで優しい光――“祝福”のようなまなざし。


 感情が、喉元で凍りついた。

 ただ短く息を吸い、静かに言う。


「……わかった」


 そう告げたアレクサンドルに、シャルローヌは笑顔で持っていた小花の束を差し出した。


「おめでとう、アレックス」


 春の光の中で、白い花弁が風に揺れた。

 アレクサンドルはその可憐な花束を静かに受け取り、言葉を探すこともせず、踵を返す。


 背後で「がんばってね!」という明るい声が追いかけてきた。

 その声が遠ざかるにつれ、胸の奥で何かが軋む。


(……俺は、がんばるのか。誰のために? 何のために?)


 いつものように「国のためだ」とすぐに言い切れない何かが、春の風の中に溶けていった。

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