エレナと逆さま博士 ◆ 3 ◆
◇ ◇ ◇
都心の喧騒から離れたバス停。すっかり身支度を済ませたエレナは乗ってきたバスを見送り、プロムナードの街路樹の下を歩きだす。愛用の包丁やらが入ったかばんと大きなクーラーボックスをたずさえて。
エレナは、朝からのラッキーな出来事にるんるんと道を行くが、遠く前を歩く背中にハッと気付く。エレナと同じようにクーラーボックスをぶらさげている少年の後ろ姿。彼のプラチナブロンドの髪は朝日が当たると特徴的な赤い光を反射して、エレナは遠目でも彼がクラスメイトのミヒャエル・ミヤギだとわかった。
今日の試験の強力なライバル! だけど敵前逃亡は良くないわ。それに誰だろうが明るくさわやかな挨拶をするのってゲン担ぎに良さそうだし、そもそもライバルってお互いを高め合う関係だし、彼まぁまぁハンサムだし、声かけてあげようっと。そんなことを考えて、エレナはタッと足を早めた。
「ミヒャエル~~~~!!」
ぴた、と少年の足が止まる。振り向いた彼の顔は「げっ」とでも言いたげだった。
「げっ」
否、口にした。駆け寄ってきたエレナは意に介しておらず、無邪気に笑いかける。
「おはよー。自由課題のネタ何持ってきたの?」
ミヒャエルは、エレナが視線を落とした彼のクーラーボックスを庇うように体の後ろに隠した。
「教えない」
「えーいいじゃん。あたしはエビ!」
「からむな! 試験前にお前に声かけられるなんて縁起でもない、このFラン女!」
「ひどーい!」
「事実だろ」
ぎゃーすか言いあう中で、ミヒャエルはアカデミーの実習での一幕を頭の片隅で思い浮かべる。
◇ ◇ ◇
「てめぇ! ほどよい粘りっつっただろ! パラッパラじゃねーか! 誰がチャーハン作れっつったよ!」
「ひーん」
◇ ◇ ◇
同じ班に振り分けられたエレナのシャリは、それはそれはひどいものだった。ミヒャエルが覚えている限り彼女は実技において評価Fの常連だった。評価Sの獲得競争組であるミヒャエルにとって、グループ実習でエレナと同班にならないように祈った回数は数え切れない。
隣に並ぶエレナを横目に、ミヒャエルはげんなりした顔で足を早めた。様々な年代が集う寿司アカデミーで、10代の学生は多くない。ミヒャエルは歳が近いであろう彼女に入学当初は親近感を持っていたのだが、今となっては話しかけるべきじゃなかったと後悔している。
「いちいちからんできてうっとうしいヤツだな。付いてくんなよ」
「行き先同じなんだからしょうがないじゃん」
「離れて歩けFラン! バカがうつるだろ!」
「せめて名前で呼んでよ~」
「成績上位者はドベのヤツの名前なんて目に入らねんだよ」
アカデミー内の掲示版に貼られた過去の試験結果が彼の頭をよぎる。ミヒャエルは気にもしていないのだが、なぜかエレナ本人が報告してくるので、座学についても彼女のひどい成績を熟知していた。
ストレートに邪険にしているミヒャエルだが、エレナには通じないようで彼女は「まったくもう」とでも言いたげに、ミヒャエルの前に回りこんで行く手をふさいだ。
「忘れっぽいんだから。いーい? あたしの名前はエレナ・メフぃ……メランヒトン」
「あ? 名乗りで噛むのかよ。流石ポンコツ」
「時間無駄にした」と言いながらミヒャエルはエレナを押しのけ歩き出す。ばいん、とよろけたエレナはミヒャエルの背中をムムッと見送る。振り返らず歩くミヒャエルは、街のはずれにある時計台の方を向いていた。時刻はこのプロムナードからでもよく見える。
「開始時間に遅刻したら問答無用で失格だからな。道中から俺の試験をジャマすんじゃ……」
捨て台詞を言いかけて、ミヒャエルは「ん?」と何かに気付き立ち止まる。クーラーボックスを前に回してストッパーをガチャガチャ鳴らす。
「なんか軽い……」
怪訝な顔でカパッとボックスを開けたミヒャエルは、さぁっと青ざめた。
「な……ない」
「ないって何が?」
性懲りもなくエレナがミヒャエルに近づく。
「ネタだよ! 自由課題の……」
ゴゴゴ、と地鳴りが聞こえ、ミヒャエルは口をつぐんだ。ふたりはそっくり同じ動作で上を見あげる。黒く大きな影があんぐりとした顔のふたりにかかる。ぬっと摩天楼をバックに現れたのは巨大な――
「タ、コ……」
そう余力でこぼした瞬間、ブンと鞭のようにしなる何かがふたりに向かって飛んできくる。ミヒャエルが反射でエレナを抱き寄せ――
ドオオンとひと際大きい地響きがL.E.に広がった。