楽園終焉!
【前回のあらすじ】
かつて百地署長と同じ宇宙探索隊に、保健医として参加していたという靖利の実父にして生物学者・鮫洲幹人。
だがその目的は人類の新天地発見などではなく「自らの手で史上最強の生物を生み出すこと」だった。
独断専行が過ぎるあまり、船内に無許可で危険な宇宙生物を持ち込み、隊員達の生命を危険に晒した罪で拘束・船外追放となった彼を、誰もがとっくにのたれ死んだものと思い込んでいた。
しかし、彼はその後もしぶとく生き延び、宇宙甲虫を用いた月の民の生体改造に携わった可能性があるばかりか、地球上に降り立って獣人最強の靖利を誕生させていた。
千年近くを経ても、鮫洲の最強生物創造の野望は微塵も衰えてなどいないのだった。
一方、小鞠に付き添って熊田と共に一夜を明かしてしまった靖利は、あらぬ誤解を避けるために小鞠を御丹摩署員に紹介する。
その愛らしさに目をつけた鹿取社長の画策により、結局は彼女も『ポリポリ』最年少メンバーとしてアイドルデビュー。あざとカワイさとアクロバティックなダンスで瞬く間に大人気を博す。
そして社長の粋な計らいにより、いまだ服役中の母親と自由に連絡が取れるように。近日中には釈放されそうだという母親との久しぶりの触れ合いを満喫した小鞠は、アイドルになって良かったと感涙にむせぶ。
そんな微笑ましい光景を目の当たりにした靖利は、自分の家族は今ごろどこで何をしているのだろうかと思いを巡らせ…
…ていたところに、丁度タイムリーなことに靖利の母親から連絡が入った。
後日ファミレスで再会した鰐口ファミリーは、いずれも靖利に負けず劣らずなイケメン揃いの三兄弟と美人な母親。
義父の成金親父は靖利が起こした事件後、商売が立ち行かなくなり、家族を残して早々に夜逃げこいてた。
一家離散の原因を作ってしまったことを靖利は謝罪するが、三兄弟は留未をあんな目に遭わせた連中は死んで当然だと褒め称え、母親も金目当てだけで再婚した成金親父と別れられたから結果オーライとあっけらかん。
誰も靖利を恨んでなどいなかったのだ。
ならば何故、鮫洲と離婚したのかと問う靖利に、母親はすべてを打ち明ける。
鮫洲は最初から靖利を産ませるためだけに自分に近づき、そんな彼の態度や靖利の将来に不安を覚えたからだと。
そこまで粘着質な彼なら、放っておいてもいずれ靖利に接触を図るだろうと警告し終えた後は、久々の団欒タイムに。
どうやら一家は靖利が刑殺官になった直後に故郷の小笠原を離れ、現在は都内のごく近所に住んでいたらしいと知り、靖利は呆れ返る。
しかも、成金親父が残した当座の生活費もそろそろ底を突くが、その先どうやって暮らしていくかも未定という無計画ぶり。
…とそこへ、靖利の後をコッソリつけてきた鹿取社長がひょっこり首を挟む。
一家のイケメンぶりに目をつけた社長はすかさずアイドルにスカウトし、全員即答で了解という、これまた考え無しな展開に。
果たして鰐口一家の明日はどっちだ!?
◇
《皆の者ちぃーッス!!》
繁華街のビルに設置された巨大モニターから、能天気な挨拶が街中に轟く。
何事かと振り向く人々の目には、モニター内でブンブン元気に手を振る三人組の姿。
《俺達、せーのっ『SMブラザーズ』でぇ〜ッス☆》
『キャアーーーーーーッ♩』
名乗りを上げた三人組に、街中いたるところで黄色い歓声が応える。
彼らこそは最近巷を賑わす新人アイドルグループ…新人なのに何故だか超人気ユニット『ポリッシュポリシー』略して『ポリポリ』の兄貴分という位置付けの『SMブラザーズ』だ。
何やら鞭を振り振りチーパッパ♩な淫靡な二文字を冠し、コスチュームもソレを想起させるレザー調となっているが…無論そんな公共電波的にアウト!な意味合いではなく、単に『鰐口=シャークマウス』の略である。
そう、彼らはいずれも鰐口靖利の実兄だ。
え、なんでサメなのにワニなのかって?
今さら解説になるが…てゆーか単に今まで説明し忘れていたが、古代日本ではサメのことを『フカ』だの『ワニ』だのと呼んでいたのだ。
かの有名な因幡の白兎伝説も、年代によっては兎が騙してその背を渡ったのはワニとされている。
…うん、ビジュアル的にはそっちの方がよりしっくりくる。
ともかく前回は三人一まとめでバカ兄貴扱いしていたので、より詳しく解説しよう。
まず長男・號壱。一見さわやか好青年タイプで、長男ならではののんびりムードが周囲を和ませる。…が、そこはあの靖利の兄貴なだけに、実際の性格はその上位互換に他ならない。
続いて次男・號弍。他との差別化を計りたがる眼鏡っ子の長髪キャラで、中性的かつ理知的なイメージ。…だが、中身はやはり靖利と大差なし。
そして最後に三男・號留。三人目だけ命名ルールが異なるが、男子ばかり続いて辟易した鮫洲の「これで打ち止めにしたい」という意思がありありと見て取れる。
末っ子らしい典型的なヤンチャ坊主で、年齢がいちばん近いため靖利の人格形成に与えた影響も大きい。
てゆーか…もう大昔なので誰も覚えていないが、留未は最初、同い年なのに異様にデカい靖利を怖がり、名前に自分と同じ文字が付く號留にばかりくっついていた。
小っちゃくてカワイイ留未となんとしてでも仲良くなりたかった靖利は、それ故に號留を意識し、そっくりそのまま真似たのだった。
ここまで語れば、三兄弟の中身が靖利とまったく変わり映えしないのも無理はあるまい。
色や香りは違えども実態はまるで同じ砂糖水な、かき氷のシロップみたいなもんである。
「をっSMBぢゃん!?」「コイツら見てるだけで笑けるよな〜♩」「ここまで見事に見かけ倒しだと、逆に応援したくなるよな〜」
てな塩梅で、普通のイケメンは圧倒的女性人気を誇りつつも、男性にはいささか受けが悪いものだが…
この三人はデビュー早々に比類なきおバカキャラであることが周知の事実となったため、同情的に多数の男性ファンを獲得することに成功した稀有な存在なのだ。
《え〜っと、いよいよ俺達のファーストシングル『兄貴盛り』が…いつ発売だっけ?》
《え? 知らんけど?》
《いや俺も。三人いりゃ誰かは聞いてるだろと思って》
《奇遇だな、俺もだ》
《気が合いすぎるってのも問題だよなー♩》
《ナァーッハッハッハ☆》
さっそく本領発揮のおバカっぷりに、街中から朗らかな笑いが漏れる。
この殺伐とした時代に癒し系の存在は実に貴重だ。
《…まいっか。どーせ大々的に発売するだろうから、見かけたら買っといてくれよ!》
《売れ行きがどうあれ、どーせ今年のレコ大は確定…》
《どーせついでにいらんコトゆーなっ! あ〜も〜いいからとっとと踊るぞ!》
街中の失笑を一身に浴びつつ、録画ではなくライブ配信でいきなりその場でデビュー曲『シスコンだけどシスコンじゃない〜妹の親友が気になるだけ〜』のサビを踊り始める三人。
さすがは靖利の兄なだけに運動神経バツグン、一糸乱れね息もピッタリでキレッキレなダンス、さらには日頃からカラオケで鍛えたハイレベルな歌唱力に、呆れながら見ていた観衆も目からウロコ。
これだけの実力と潜在人気、そして唯一無二の魅力があれば、わざわざ裏から手を回さずとも確かにレコ大ノミネートものだ。
…思えばあの日、ファミレスで鹿取社長からスカウトされて即答し、靖利から「もっと考えて答えろや!」とお前がゆーな!的なツッコミを受けてから早一ヶ月。
「いやいやちゃんと考えてるって」「俺らが自分で店を切り盛りするよか手間も経費も掛かんねーし」「お水より断然クリーンな商売だしな」「それに、俺達ならファンのほうからすぐに寄り付くっての!」
ンナァーーハッハッハ☆…などと応えて靖利に白い目で睨まれもしたし、アイドルがクリーンかどうかはさておき、自信過剰でいられるだけの実力はとっくに備わっていた訳だ。
《あ〜あと、ついでに俺達の母ちゃんもヨロシクなー♩》
踊りながら器用に番宣をこなしたところで唐突に映像が切り替わり…
やたら暑苦しかった男三人組から一転、見ているだけで色々ヤバさげなセクシー美女軍団のお出ましである。
《こんにちわ皆さん、ウチの靖利がいつもお世話になってます。母の靖美です♩》
うやうやしくお辞儀するグループリーダー鰐口靖美の美貌に、男性だけではなく女性もモニターから目を離せない。
「いまだに信じらんねーよな…」「ああ、アレで本当に四人もの子持ちなのか?」「でも顔はたしかに靖利お姉さまソックリ♩」「人妻でもステキ…☆」
こちらもデビュー直後から評判は上々。靖美だけではなくいずれも人妻で統一されたメンバーそれぞれに、早くも熱心なファンがついている。
さらに映像の枠外では、卒業アルバムの撮影時に不在だった生徒のごとく別撮りされた小窓から、まるで人妻には見えない小柄な女性がブンブン手を振ってしきりと愛嬌を振りまいている。
靖美とグループ内人気を争うナンバー2・音成真里子だ。名前からもうバレバレだろうが、小鞠の母親である。
…これまた鹿取社長からファミレスでスカウトされたあの日。
即答したのは三兄弟だけではなかった。
いかに靖利とは真逆のおしとやかで奥ゆかしい性格な母・靖美だろうと、目立ちたい精神が無い訳ではなく…むしろあわよくば!な、存外アグレッシブな御仁であった。
「フ…この私の潜在的な魅力に気づくなんて、社長サンもなかなかね♩」
「ってアンタこそもっと冷静になれや母ちゃん!?」
などというおバカ母娘のやりとりを傍らで眺めつつ、スカウトした張本人の鹿取社長は唯一人衝撃を受けていた。
「え゛…『母ちゃん』て…お姉さんじゃなかったの!? 嘘ぉ〜んっ!?」
最初っから真後ろで一部始終を見届けていたという割には、肝心な部分は何一つ伝わってなかったという、さすがの鹿頭ぶりである。
まぁ靖利がすこぶる大人びてる分、相対的に周囲が若々しく見えるとゆー罠ではあるが。
だがしかし、転んでもひたすら駄々をこね続けて只では起き上がらない社長のこと。
「あ…ひらめいたーっ☆」
とすぐさま緊急告知を掲げ、『人妻限定』でオーディションを行い、瞬く間に残り八人のメンバーをかき集めた。靖美を含めて総勢九名の中規模グループである。
その中には社長の一存で真里子もねじ込まれていた。
彼女達の娘である靖利と小鞠の仲睦まじさを見たときから、コレしかない!と直感していた。
靖美と真里子…この二人の相乗効果で、グループの魅力は爆発的に跳ね上がる!と。
その予感は的中し、二人はすぐさま打ち解けて、個人的にも小鞠を介してマメに連絡を取り合っているらしい。
小っちゃくてカワイイ子好きなのは靖利に限らず、一家の共通嗜好らしかった。
真里子の刑期はまだ二ヶ月は残っていたが、アイドルデビューが決まったことで社会貢献を果たしていると見做され減刑措置がとられた。
が、それでも即釈放というほど甘くはなく、結局デビューには間に合わなかった。
かくして、収監中にアイドル活動を続けるというなんともレアな獄中タレントが誕生してしまったが、この御時世にそんな些細なことを気にする者などいやしない。
予定通りならもうしばらくで釈放予定なので、その後に改めて華々しくデビューライブを行う予定だ。
《それではご覧ください。私達『授乳戦隊タレナイン』のデビュー曲『悶々時間〜先っぽばかり噛まないで〜』。》
鹿取社長のネーミングセンス大炸裂なグループ名(語呂合わせのためだけに九人集めたのは言うまでもない)に、店頭での注文が憚られるため配信サービス必須な曲タイトル。
続けざまに巨大モニターで繰り広げられるのは、なんとも思わせぶりで淫靡な振り付けのサバト…否、ダンスナンバー。
某国営放送の年末大型音楽番組には絶対ノミネートされないであろうヤバさもここに極まれりな曲調と踊りに、男性陣は思わず身をかがめ、女性陣は身体をよじってモジモジモゾモゾ♩
だが今の御時世、それくらいで目くじらを立てる輩は以下略。
立てるなら別の所を以下略!
著しくコンプライアンス違反以下略!!
所詮、一般大衆の嗜好など大概エログロ以下略!!!
◇
「…なんだかな〜…」
街中の巨大モニターを中心に繰り広げられる、ある種の宗教儀式的な阿鼻叫喚絵巻を、御丹摩署の窓から頬杖ついて眺めつつ、靖利は深ぁ〜い溜息ひとつ。
「結局みんなデビューしちゃったね♩」
「そーゆーピン子が田舎から出てきてちゃっかりアイドルになっちまった時点で、嫌〜ンな予感はしてたんだけどな。
いったい何処のキムラファミリーだよウチは…」
気がつけば芸能一家と化していた状況がいまだに飲み込めない靖利達の後ろ姿を遠目に眺めて、ニャオと百地署長もヒソヒソと、
《かつての家族が今や全員芸能人だなんて、鮫洲にとってはこれ以上ない挑発でしょうね。》
「これで普通はますます手が出しづらくなったと思うがネィ…彼の思考回路はいささか特殊だからねェーイ?」
《鹿取社長がどこまで計算尽くかは不明ですが…天然でこれだけ策略を練れるというのは、ある意味恐るべき才能ですね。》
「逆にこれで何も考えてないなら、ますます驚異的な人だねェイ…」
という二人の視線の先には、街中の様子を窓から眺めて満足気に頷く鹿取社長の揺れる鹿角。
「個人的には野郎三人組はキョーミないけど、人妻グループのほうはそそるね〜♩」
その背後から近づいた葉潤が、相変わらずのセクハラ発言。
「あのキワドすぎる歌詞…。日頃どんなコト考えてたらあんなの思い浮かぶんだい?」
「フフッ気になる? 日頃からエッチな想像してるのは男性だけじゃないってコトよ♩」
寮での共同生活も板に付いて、ずいぶん砕けた雰囲気を醸し出すムッツリカップル。
最初のうちこそ押せ押せな社長の攻勢に戸惑った葉潤だが、よくよく考えればガキのお守りからシモの世話までさせられるよりは鹿女のほうがよっぽどマシだ。富と名声にも恵まれてるし。
だがしかし、共同生活を送っているのはこの二人だけではなく、その『ガキ』も一緒だった。しかも独占欲が人一倍強い。
「なら今度、そこいらへんを根掘り葉掘りズップリぬっぷり痛ててててっ!?」
セクハラナンパの途中で思くそ尻をつねり上げられ、葉潤の口説き文句は悲鳴に変わる。
「えーかげん片っ端から節操なく声かけるのはやめてくださいよ。あたしのオッパイじゃ不満だってんですか…!?」
「不満しかないから肉感の増量を試みてるだけア゛痛ダダダダーッ!?」
いまだ夜な夜な洗濯板後輩への豊胸マッサージは日課として続いていたが、増長するのは留未の葉潤への態度と思慕だけで、肉量は一向に増量される見込みがない。
ちうかよくよく考えればこんなんでももう成人年齢に達してるんだから(実は留未のほうが靖利よりも数ヶ月年上)、これ以上の開発発展は望み薄なのでは…?
「次は前のほうを捻り上げてチョウチョ結びにしてやりますからねっ!?」
「モノにはそれなりに自信あるけど、さすがに結べるほど長くないよ…」
「じゃあ結べるまで左手でほじくり出して差し上げます♩」
「コワッ!? マジ怖いよこのチビペンギン!」
「チビゆーなゆーとるやろがぃゴルァッ!!」
同居が長引くほどモラルハザードの危険性も跳ね上がるが、今のところ誰一人として寮から出て行く予定はないのだった…。
「イイわねイイわね、やっぱりネタの宝庫だわここの署は☆」
最近妙に鹿取社長を署内で見かけると思ったら、作品のネタ補充をしていたのか…。
そんな寮生活組の仲睦まじい?様子を、七尾家居候組の靖利は羨ましげに見つめるしかない。
よりにもよって今日は残りのボン子もセブンも非番で不在だから、ますます心細い。
まあ非番とはいえ二人とも根は真面目だから、『ポリポリ』のプロモーションなり練習なりに精進してるだろうけど。
そんな親友の視線に気づいたのか、靖利限定で気遣い上手な留未はそれとなく、
「でも良かったね、また家族と会えるようになって」
「…まぁな」
全員近所に住んでることが判ったし、今後は芸能活動で頻繁に顔を合わせることになるだろうから、望郷の念も抱かずに済む。
「…あたしはそう簡単には会いにいけないから、ちょっと羨ましいけどね…」
以前にも触れた通り、二人の故郷の小笠原は東京都内ではあるものの距離的に管轄外となるため、しちめんどくさい手続きを踏まなければ越境許可が下りないのだ。
ちなみに留未やセブンには靖利達のように外科手術的な反抗防止処置は施されてはいない。この二人は特に自己治癒力が高いため、やるだけムダだから。
今のところ二人とも職務には忠実なので、何らの対策もないままでの存在が許されている稀有な刑官である。
それでも留未の家族は鰐口家のように離散の憂き目に遭ったわけでもなく、全員無事に暮らしているのが判りきってるから安心できるが。
「…ま、あたいも二度と会うことは無いだろと思った途端にコレだからさ。
お前も次に会うときを楽しみにしといて、それまではウチの兄ちゃん達でもコキ使ってやってくれよ」
「言われなくてもそーするつもり♩
…でも、ありがと。」
靖利も留未も親が多忙で子供達だけで過ごすことが多かったし、近所同士で兄弟同然に育ったから、お互いがそばにいてくれるだけで寂しさは感じない。
それでも何故だか無性に恋しくなるのが故郷というものだろうか。
「…ん? そういや、あの熊リス親子はどしたの? まだ非番じゃないよね?」
「親子じゃねーけど、似たようなもんか。
そういや朝から見かけねーな?」
「寮を出るまではそこいらへんでジャレてたはずなんだけど。なんかすんごくはしゃいでて…」
二人が話題にしているのは熊田と小鞠のことだ。
彼らも今は留未や葉潤と同じ寮に住んでいるので、より近況が判り易くなったはずだが…?
「あ〜、あの二人なら上からの密命で『護送任務』にあたってるわよん♩」
鹿取社長の回答に一瞬キョトンとする靖利達だったが…
「…あそっか、もぉそんな日か?」
「道理で朝からテンション高かった訳か。小鞠ちゃんにとっては待ち遠しかった瞬間だろーしね〜♩」
◇
「…お務めご苦労さん」
自動運転車のドアを開けた熊田が、車道のそばに立つ小柄な人影をねぎらう。
「あ〜っ、やっぱり娑婆の空気はサイコーだわ♩」
あたかも高原の澄んだ空気を深呼吸するかのように、寂れた街の澱んだ空気を堪能しつつ、彼女は車内に潜り込んできた。
だが服役中とはいえ、既に廃止された刑務所ではなく国指定の各種事業所内に勤務していたので、吸う空気はそう変わらないはずだが…?
そしてすぐさま、シートの片隅に転がる小柄な女の子に気づいて…
「やけに静かだと思ったら…しょうがない子ね」
「はしゃぎ疲れてここに着く前に眠っちまったんだ。昨夜から大騒ぎしてたからな…」
苦笑する熊田の言葉に頬を緩めながら、小鞠を愛おしげに抱きしめた。
「…ただいま♩」
久しぶりの温かい親子の触れ合いに、熊田もしばし目を細めて余韻を満喫していた。
「…よし、戻ろう。御丹摩署まで頼む」
《了解しました。》
オーダーに従い、自動運転車は来た道を引き返す。
「…でも世の中アイドル様々ね。おかげで刑期があっという間に終わっちゃった♩」
「俺もいまだに信じられんよ。まさかお前ら二人とも芸能人になっちまうなんてな…」
紹介が遅れたが…というか何を今さらだろうが、この女性こそは小鞠の母親にして人妻アイドルグループ『タレナイン』最後のメンバー・音成真里子である。
小鞠にそっくりな顔立ちながらも、リス型獣人ならではの小柄すぎる体格故に、到底子持ちとは思えない幼い容姿。
だがしかし、その盛り上がり過ぎな胸部装甲はこれ見よがしに存在感を自己主張しまくり、そこだけ母親オーラを遺憾なく発揮している。
「でも私がメンバーでいいのかな? 人妻だったことなんて一度もないのに…」
水商売ゆえの副産物として、彼女が小鞠を身籠ったのは仕事を初めて間もない頃のことだった。
当然、父親は判らない。その身体的特徴が娘の外見に表れていれば判別は簡単だったろうに、ほとんどリスそのものでは推測のしようもなかった。
けれども根が超ポジティブな真里子は、子供がいたほうが仕事の励みになるからと、小鞠を一人で育てていくことを決意した。
が、やはり一人だけでは色々と困難な事も多く…そんな時に出会ったのが熊田だった。
「気にすんな。蓉子の奴だって判っててお前さんに声を掛けたんだ。
要はイメージが大切なんだとさ」
そういう視点でいくと、鹿取社長が真里子の"どの部分"に人妻性を見出したかは言うに及ばず…
「私は本当に人妻になっちゃってもいいと思ってるんだけどな〜♩」
「ええいっ、いちいち乳をくっつけるな暑苦しい!」
などとうざがってみせる熊田だが、巨乳を押し付けられて喜ばない男子などいるはずがない、断言!
真里子は初めて熊田と知り合った当初から彼の不器用な優しさに気づき、さらには水商売の自分を色眼鏡で見ない純真な人柄に惹かれて果敢にアタックし続けているのだが…
ご覧の通り、非情なまでに堅物な彼に拒まれれば拒まれるほど攻略意欲が高まるとゆー、もぉ勝手にやっとけや!的なあやふやな関係が今日まで続いている。
「え〜、やっぱり幼馴染の蓉子さんみたいなお嬢様のほうがいいの〜?」
「アレがお嬢様なのは見た目だけだぜ。中身は俺よかよっぽどオッサンだぞ?」
「…傍目には超絶ハイレベルな人にも容赦なくぞんざいな扱い…ガーくんってメチャメチャ理想高くない?」
熊田の名前は我雄だからガーくん。もはやお隣さんを超えた親密なお付き合いだからこその馴れ馴れしさだ。
だが熊田は葉潤に「熊田ッチ」だの靖利に「オッサン」だの呼ばわりされても怒らないし、意外と度量が深いらしい。
「俺はもっと普通のがいいんだよ。おハイソ過ぎる奴は付き合いにくくてイケねぇ」
とはいえ熊田も割とおハイソな軍人一家の出身ではあるのだが。
「…じゃあ私でもいいじゃない? 小鞠もとっくに本当のパパだと思っちゃってるし…」
「…そいつもそろそろ直させねーとな。こういうのはキッチリ分別付けとかねーと」
「相変わらずイケズねぇ…」
とは言いつつ熊田自身も小鞠にパパ呼ばわりされるのは案外気に入ってるので、当面はこのまま放置の方向で。
「…俺はたぶん一生刑官のままで、お前達は極々普通の一般人だ。やっと娑婆に戻れたんなら、もうこっちの世界に踏み込むんじゃねーぞ?」
熊田がなかなか他人を受け入れないのは、そんな負い目があるからだ。
文字通りぶっ潰して肉塊に変えてやったかつての教官については、自業自得だったから微塵も後悔などしていない。
が、奴の企てだったとはいえ、かつての親友にしてチームメイトにして蓉子の恋人を撃墜したのは、間違いなく自分だ。
他の誰が許そうとも、熊田自身がそれを許せない。
この罪は一生背負って生きていくつもりだから…その重荷を他の者にまで押しつけたくはないのだ。
「小鞠も私ももう一般庶民とはいえないけど…それでもダメなの?」
「尚更だな。お前らの世界は俺にゃ〜眩しすぎるぜ」
片やアイドル、片や刑官=犯罪者。
決して交わることのない光と影…。
「じゃあ…噂の"あの子"は?」
「…………」
言われて熊田も口籠る。
居たな、思くそ常識外なワケわからん奴が。
アレにかかればどんな影も強烈な陽射しを浴びてたちどころに消え失せることだろう。
熊田には他人の古傷をほじくり返す趣味はないから詳しくは知らないが…
不良どもに絡まれた留未を救うためだったとはいえ、熊田なんぞ足下にも及ばないほどの大量殺戮事件をやらかした。
にもかかわらず周囲が弁護する形で急速にイメージ回復をはかり、すべての元凶である織家小蘭華を撃破してからは英雄扱いで、過去の些細な罪など微塵もなく消し飛んてしまった。
さらにはそれがキッカケで掟破りのアイドルデビューを果たし、今では国民的愛されキャラと化した…
鰐口靖利というチートキャラが。
あれだけ理不尽な能力を誇るゲームバランス崩壊キャラは、普通なら忌避されて然るべきだというのに…
何故だか周囲に彼女を悪く言う者は一人としておらず、常に好意的に受け入れられるという非常識にも程がある輩だ。
ソレがどーゆーワケだか自分に好意を抱いてて、愚直なまでに真っ直ぐな想いを手向けてくれることも、熊田は既に自覚していた。
さらには自身が容姿端麗すぎるのをどこまで自覚しているのか、女性としての強み…具体的には魅力と贅肉の塊な巨乳を嫌というほど見せつけてくれるから、どう足掻こうと意識せざるを得ない。
だからこそ尚更自分がそれを受け入れる訳にはいかない…と熊田は思い込んでいる。
いまだ未成年なガキに迂闊に手を出せば誰に何を言われるやら…という、真っ当な成人男性ならば誰しもが築く防波堤効果はもちろんのこと…
アレは皆に幸せを運ぶ女神キャラだからして、自分のような陰キャラが独占するなどおこがましい…と。
「…ちょっと? 私達に比べたらスンゴイ長いこと考え込んでるじゃない。
まさか…本気なの?」
しまった、ついアレコレ気を回しすぎたか。
「そんなんじゃねーよ。アレがいちばん扱いにくいから困ってるだけだ」
「…やっぱ本気じゃん。私達のことは気にも留めてくんないのに…グッスン」
う〜む、これ以上はどう弁解しても藪蛇になるだけだろう。
…とか思ってるうちに、ちょうど都合よく車が目的地に到着した。運転時間はわずか十分足らず。
そもそも出発点の事業所が、郊外とはいえ、獣人の足なら余裕で徒歩で行き来できるほど近場だったのだ。
小鞠もいるからあえて車を用意したが、熊田だけなら歩いて迎えに行っていた。
てゆーかいっそ真里子だけ歩かせて直接署に来させていた。
子供には激アマだが女には務めてビターに。それがガーくんクオリティー。
「ホラ着いたぞ。一応これからの新しい職場だからな、シャキッとしろよ!」
いまだグッスリ眠り続ける小鞠を真里子の腕から強奪して、車外へと蹴り出す。
水商売なら(客に人気さえあれば)多少の遅刻や無断欠勤は許されるだろうが、新人アイドルは初日が肝心だ。
「あふんっ、なんてご無体な…っ。
でもそこがス・テ・キ♩」
既にお察しだろうが、捕食動物の分際で森の食物連鎖の頂点に立つ熊畜生に惚れる輩などマトモな訳がない。
真里子は多分にM気質の変態だった。
◇
「音成真里子でッス! たまたま入店したトコが不法営業をやらかしてたお陰でパクられました! 今日からお世話になりまッス!!」
両手両足を一直線にピンと伸ばして直立不動で挨拶する真里子に、
「あ〜そんな緊張しなくていいから。えーかげん娑婆の空気に馴染みなさい♩」
鹿取社長はや〜ねぇ〜と右手をパタパタ振って、ヘラヘラ挨拶し返した。
しかし相手は超大物プロデューサー、緊張が解ける訳がない。
「それより…感動の再会なのに、なんで小鞠ちゃんはそんなにむくれてるの?」
いつもは絶えずニコニコ笑ってるのに、今日に限って珍しく膨れっ面のまま熊田の背中に隠れるようにして肩車されてる小鞠を見つけた社長が問うと、
「ついさっきまで寝てたんだよ、はしゃぎ疲れちまってな」
しょうがなさげに熊田が答え、
「自分が真っ先に抱きつくんだって意気込んでたもんだからよ…」
あ゛〜…とそれでみんな納得。
つまり、今年こそは除夜の鐘を聞いて初日の出を見るんだ!と張り切ってた子供が、結局は紅白の途中で寝てしまい…
目が覚めたら、お天道様がとっくに空高く燦然と輝いてたときの虚しさ、やるせなさ…てな感じを痛いほど味わってる最中な訳か。
「でも、今日からはまた母ちゃんと一緒に暮らせるんだろ? もっと嬉しそうな顔しろよ♩」
と靖利が小鞠のほっぺたをツンツンするが、小鞠はますますむくれて熊田の背中に顔を埋めてしまう。
喜びどころを逸してしまったときのどうにもならない感情の行き場が、どういう訳だか怒りにすり替わる子供時代ならではの摩訶不思議…解ります。
そんな我が子のつれない様子に苦笑しつつ、真里子の今一番の気掛かりは…
「え〜っとぉ…本当に私で良かったんでしょうか?」
「モチロン。人を見る目には自信があるのよ私は」
人を見る目というよりは、モノになりそうな『商品』を的確に嗅ぎ分ける嗅覚は非常に長けている。
「それに、あなたの起用は『彼女』のたっての希望でもあるのよ」
『彼女』?と真里子が疑問を抱くよりも早く、部屋のドアがガラリと開いて…
「…あ、母ちゃん」
靖利がそう呼びかけたのは、彼女にそっくりな風貌の長い黒髪の女性。
「アナタ御待望の彼女がご到着よ、靖美さん♩」
鹿取社長に名を呼ばれた靖利の母は、真里子を見つけるなり駆け出しかけて…ハッと気づいたように部屋の皆に向けて一礼すると、取り繕いつつゆっくり歩み寄った。
「直に会うのは『初めまして』ね…真里子ちゃん♩」
「そーですね。業務連絡と称して、携帯では毎日話してましたけど」
ニッコリ微笑み返した真里子に、靖美は…
「あ〜やっぱり小っちゃくてカワイイわ。私の理想通りね♩」
鮫型獣人なのに、急にタコみたくデレデレになって真里子に纏わり付いた。
「えっえっ靖美さん!?」
彼女の激変ぶりに戸惑うしかない真里子の身体に、靖美はそっと手を回して、
「なのにココはこんなに大っきく腫らしちゃって…イケナイ娘♩」
そこだけアンバランスに盛り上がった真里子のお乳を、骨董品を愛でる愛好家のように愛おしげに撫で回す。
「あっちょっダメ…小鞠が見てるのにぃ〜!」
あまりの異常事態にすっかり見入ってしまっていた靖利と熊田はその言葉に我に返って、赤くなったり青くなったりしながら今さら「あわわわわっ!?」と小鞠の視界を塞ごうとするが、
「二人とも、もぉすっかり仲良しさんだね〜♩」
何も知らない小鞠は脳天気に笑ってるだけだった。願わくばその純真さをいつまでも持ち続けてほしいものである。
おかげで機嫌も直ったようだし、結果オーライ。
「他のメンバーにも紹介しなくちゃね。さぁ行きましょう?…マリちゃん♩」
何気に呼び方も変わってるし。一文字削っただけでドえりゃあ馴れ馴れしいな。
「ハァハァ…ハイぃ…靖美お姉様…♩」
こっちもこっちで堕ちるの早くね!?な真里子を引き連れて、靖美はまた何事もなかったかのように部屋から出て行った。
「…相変わらずスゴイね、靖利ちゃんのママ…」
離婚直前の夫婦喧嘩での靖美の凄まじい剣幕を目の当たりにしていたご近所の留未だが、それとはまた違った桃色吐息な一面を目にして怖気付いている。
「なんかもぉ自分の男運の無さに愛想が尽きたから、これからはカワイイ子だけを相手にするんだとさ。確かに小鞠ママは可愛かったけど…」
「そいつぁまた極端すぎねーか?」
思わずツッコンでしまった熊田に、靖利はその真意を解さずに「あたいに言われてもな〜」と苦笑してる。
「…天然タラシなのはコイツだけじゃなかったのかよ…」
と独りごちた熊田に、
「靖利ちゃん家はだいたいみんなこんな感じですね〜」
と留未が反応し、
「無意識でアレかい? つくづく末恐ろしい一家だね…」
と葉潤も戦々恐々。
しかし鹿取社長は大いに手ごたえを感じた様子で、
「これは予想以上の逸材ね…イイわよイイわよ!
てな訳で一週間後に三グループの合同ライブを行うから☆」
『だからなんでいつも急なんだよ!?』
皆に一斉にツッコまれても、すっかりどこ吹く風な社長なのだった。
◇
そしてきっかり一週間後。
無理クリにも程があるほど急な告知にもかかわらず、ライブ会場には入りきれないほどの大勢のファンが集まった。
まぁファン内では真里子が娑婆に帰還した時点で、近いうちにイベントが開催されることは予想済みだったらしいが。
「つー訳で姫、これ終わったら朝まで飲み明かそうぜ!」
「いやあたし成人したけど飲酒年齢にはまだ達してないから!」
という留未の反論もどこ吹く風、鰐口兄貴達は互いに手に手を重ね、
「ほんじゃま、一発しばき倒してくるとするかっ!?」『応ッ!!』
気合い一発、SMブラザーズは一斉に楽屋から飛び出していった。
「お兄さん達も相変わらずだねー。全然緊張してなくて羨ましいわ」
と溜息を吐く留未の肩に、靖利がポンッと手を置いて、
「あれでも案外ガチガチなんだぜ? 兄ちゃん達が熱血するのなんて大バクチ打つときだけだしな」
そういう靖利の手もわずかに震えているのを感じて、留未は黙ってその手を握り返した。
地球最強の獣人でありながらも、その精神は豆腐並みにやわやわ。そんな靖利が弱みを見せるのは親友の留未だけ…
だと本人は思っているが、割とバレバレなのは言うまでもない。
「私達にとっては初ライブね…。
逝きましょう子猫ちゃん達♩」
『ハイ悦んでっ靖美お姉様っ☆」
靖美率いるタレナインも緩めの気合いで楽屋をゾロゾロ後にする。
既に真里子以外も全員洗脳済みらしい…リーダー恐るべし。
脳内麻薬が充満してるせいか、リーダー以外は誰一人緊張したそぶりは見せない。
「フフ…今日もイイ張り具合ね♩」「あぁん…お姉様…っ♩」
そのリーダー靖美は緊張をほぐすべく、メンバー真里子の巨乳をもみほぐしながらステージへと向かう。
そういえば靖美と真里子以外のメンバー紹介がまだだったので、ここらでサクッと紹介しよう。
牛型獣人の吉田美流、馬形獣人の東海帝子、虎型獣人の大阪西江、蛇型獣人の辰巳虹流、ビーバー型獣人のキャシー前橋、マッコウクジラ型獣人の寺葛マツコ、鹿型獣人の鹿取蓉子と、まさに痒いところに手が届く豪華仕様…
「ってちゃっかりオメーも入ってんのかよ!?」
何食わぬ顔で隊列に加わっていた鹿取社長を熊田が指差せば、
「プロデューサー自らグループメンバーに加わってるのなんて、今どき珍しくもないでしょ?」
社長はしれっと笑い返す。相変わらず行動が読めない人である。
「つーかお前も人妻じゃあないよな?」
「ええ、もう少しで妻の座に収まれる寸前までは行ったけどね…」
そう言い返されると熊田は二の句が継げない。社長的にはもう彼を微塵も恨んでなどいないが、口うるさい輩を黙らせるには打ってつけの決め台詞ではある。
「まぁ人妻デリ◯ルに実際には本物の人妻なんて一人もいないのと同じね。本物ならもっと効率良く売◯で…」
はーいはーいお巡りさんの目の前なんだからもうちょい口に気をつけてー!
「ママー、頑張ってねー!」「小鞠もね…あふんっ♩」
愛娘の声援にいまいち締まらない返事をしつつ、視界から遠ざかる似非人妻軍団。
「ヤッちゃんに負けず劣らずの美人なのに、なんでか不思議と食指が動かないと思ったら…なるほどねぇ」
「動かしてたら今頃そのだらしない口元から左手突っ込んで裏表ひっくり返してやってるトコですよ…!」
冷や汗タラタラに納得した様子な警備担当の葉潤に、さらに冷や汗が滴る恐喝を平然と行う留未だった。
「もうアイツらはタレナイン改め『鰐口靖美と東京◯マンチカ』で良くねーか?」
「むぅ、あえてレトロチックなネーミングもアリだったわね。アンタにしてはいいセンスじゃない…!」
思わずツッコンだ同じく警備担当の熊田に本気で悔しがる鹿取社長だが、既出のグループ名ですから!
「さぁーてと…」
最後に残ったポリポリメンバー…留未・ボン子・セブン・ニャオ、そして小鞠らの顔触れをぐるりと見渡して、
「あたいらもそろそろ行ってみっか!」
と気合いを入れるリーダーの靖利。
新グループ二つとは違い、既に何度もライブを行なっているからガチガチにこそならないが、本番前のこの緊張感をようやく心地よく思える程度には成長できた。
SMBみたいに気合い注入のキメポーズでもやってみようか?と考えていた矢先、
「パパー♩」
まったく緊張すらしていない様子でブンブン手を振る小鞠に、
「おうっ、ちゃんと見ててやるからな。一丁頑張ってこい!」
と熊田も軽く手を振って…その視線が靖利と交わる。
「…お前らもな。」
たぶん小鞠のついでに景気付けただけだろうが、それだけで靖利の肩から余計な力が抜けた。
「…ああ!」
ただそれだけのことなのに、どうしてこんなに嬉しく、頼もしいのだろうか。
ふと見れば、留未も靖利と同じようにヤル気に満ちた顔をしていた。熊田の隣に立つ葉潤の微笑みを受けて。
つくづく扱い易い女どもだと我ながら思う。
そして、靖利達よりは取り扱いが難しそうなボン子やニャオは…
「…やれやれ、なんとか間に合ったようだねェイ。土壇場で急な仕事が入ったものだから、遅れて申し訳なァイ」
慌てた口ぶりの割にはのっそり楽屋に入ってきた百地署長と入れ替わりに送り出されて、見るからに顔を輝かせていた。やはり扱い易かったようだ。
いつもと何ら変わらず飄々としてるのはセブンくらいのものだ。
「あァ、セブンくゥん?」
そのセブンを署長は珍しく個別に呼び止めて、
「まァキミなら大丈夫だろゥけどねェイ…頑張りたまェヨ。」
「??? うん…?」
激励されたセブンは訳もわからず応答して、ボン子に「なんでお前だけ!?」的にやっかまれつつ、揃って楽屋を後にした。
ニャオだけは合点したようにコックリ頷き返していたが。
「…さぁてと、署長?」「何かありましたね?」
いつもと違う百地の様子にピンときた熊田と葉潤に訊かれ、署長はわずかに緊張を滲ませて、
「…先ほど、微弱だが局地的な次元振動波が観測されたンだヨ。彼がこっちの世界に現れたときと同様のね」
『……!?』
当たり前だが、そんなものはそうそう観測される代物ではない。たとえば、地球と同規模程度の質量を持った天体が異常接近でもしない限りは。
と、いうことは…
「…鮫洲が仕掛けてきましたか」
「鮫洲…誰だそいつは?」
声を上ずらせる葉潤に真顔で問う熊田に、
「これは失敬、熊田クンにはまだ説明してなかったねェイ。
黒幕だよ、恐らくは一連の不可解な事件のネ。
そして…鰐口クンの実の父親だヨ」
「な…んだと…っ!?」
毛むくじゃらの熊ヅラでも顔面蒼白となったことがモロに判る様相でのけぞる熊田を見て、百地は苦笑しつつ、
「幸い今回は以前のようなリソースオーバーは無いようだがネ…
この場で何かが起こるのは確実だァねェイ。」
◇
ヴオオオォォォォ…!
ライブ会場中央のステージは、あたかも獣の咆哮のような大歓声に揺るがされていた。
…まぁ獣人だからそのまんまではあるが。
「こ、こいつぁ…」「凄いわね…」
先に出たSMBとタレナインの面々は、初めて直面する無数の観衆の圧に完全に呑まれていた。
思えば靖利も初ステージでは訳もわからず、ただ闇雲にプログラムの消化に専念するのみだった。
もっともあの時は、途中でステージに乱入してきた留未のおかげでうまい塩梅に緊張が削がれたが。
だが、これまでに幾度となくライブをこなしてきた今はもう違う。
果たして、このステージは誰のためのものなのか? 観客か? それとも自分達か?
それはいまだに解らないが…これだけはいえる。
臆する兄貴達と母親達の肩にポンッと手を掛けて…靖利は言った。
「大丈夫…みんな、あたい達を応援してくれてるんだ…!」
そうだ、観客は敵ではなく味方だ。
そして、自分達にはそんな彼らに夢と希望を与える力がある…!
《…ぉっしゃ!
みんなーっ、こうして直に会うのは初めてだなー!? SMBだぜーッ!!》
《同じく初めましてー! タレナインよーッ!!》
《そしてお馴染みポリポリだァーッ!!》
三者三様、しかしそこは実家族なだけに妙に息の合ったステージ挨拶をかますと、観客の大歓声はまさしく疾風怒濤の勢いで轟き渡る。
よくよく考えれば全員家族ってのも物凄いレアな状況だ。
かつて日本でも大ヒットした某韓流ドラマのメガネ主人公を演じた人気俳優は、ファンを自らの家族と称して大切に扱った。
が、こっちはマジモンの血縁者である。
血の繋がりは絶対だ。
…しかし、そもそもの源流となる父親の姿は、この場には無い。
そして彼は、自ら望んで家族のもとを去ったのではない。
すなわち…今も未練タラタラだった。
元家族の晴れ舞台に、こんな茶々をかます程度には。
《ビッ…ザザガガビィーーーッ!!》
突然、全てのマイクパフォーマンスが耳障りなノイズで打ち消された。
「オイオイなんだ? 機材の不具合か?」
《有り得ません。この場の全機材は私の管理下にあります。》
靖利の疑問を即座に否定する万能生体AIのニャオだったが、
《…と、言いたいところですが…何者かに管理権を奪われました。》
「何だと!? いったい誰が…」
靖利の疑問にニャオが答えるよりも早く、ステージ背後の巨大モニターが明滅し…
《…ずいぶん楽しそうなことをしてるじゃないか。僕も仲間に入れてくれるかい?》
乱れまくるノイズ地獄の中、どこかで聞いた声が会場全体に響き渡った。
次いで、映像のノイズが治まると同時に、とある男の顔が画面に大映しとなる。
「…誰だアレ?」「いや知らんて」「でも結構イケメンじゃない♩」「だけどなんか…どっかで見覚えが…?」
ざわつく観客のヒソヒソ声が靖利の耳にも届いていたが、すぐには答えられなかった。
…あまりにも久しぶりすぎて。
だが、その正体はすぐに判明した。
《ちょ…マジかよ?》《なんで今さら…》《このタイミングで…!?》
《…幹人さん…!?》
スイッチが入ったままのマイクが靖利の兄達や母・靖美の呟きを拾うと、水を打ったような会場のざわめきはにわかにどよめきへと変わった。
《フフッ…会場にお集まりの皆さんには初めまして。
鮫洲幹人と申します。
そこの鰐口靖美の元夫で、そこの三兄弟と…カワイイ靖利の実の父親だヨ♩》
冗談めかしつつも丁寧に頭を下げて、モニターの男…鮫洲幹人は自己紹介を終えた。
「と…父ちゃん…っ!?」
靖利は衝撃を受けていた。
いつかまた会える日を信じてはいたが…
自分が事件を起こしたせいで、もう二度と会うことは叶わないだろうと、半ば諦めかけていた彼と…
よもや、こんな形で再会しようとは!
「アレがそうか…!?」「思いのほか紳士的だね」「見た目だけはねェイ」
ステージ袖から会場の様子を見守っていた熊田・葉潤・百地署長の三人も呆気にとられている。
これだけ大胆に会場ジャックした割には、期待?に反してずいぶん穏やかな物腰に拍子抜けしてしまったのだ。
だが…署長が言うように、本当の恐怖はこれからだった。
「ちょっとアンタッ!! なんてことしてくれちゃってんの!?」
突然の再会に身動きがとれない鰐口一家に代わって鮫洲に怒鳴りつけたのは、自らグループメンバーとしてステージ上に立っていた鹿取社長だった。
「せっかくのステージが台無しじゃない! この準備にどんだけお金掛かってると思ってんの!?」
イベント経営者でもある彼女的にはそりゃもう大打撃だ。
しかもその妨害者がグループメンバーの家族だなんて前代未聞の珍事…
「…あれ? 考えようによってはかえってイイ宣伝になるんじゃないのコレ?」
などとブツクサ考え込んでしまった社長を見て、鮫洲は愉快そうに笑い転げつつ、
《これはまた勇ましいお嬢さんだね。
お詫びに、とっておきのビッグイベントをプレゼントしよう。
…空を見上げてごらん?》
と、モニター中で真上を指差した。
皆もつられて頭上を見上げれば…
スタジアムの屋根の中央にぽっかり空いた大穴からは、降るような満天の星。人間時代とは違い化学工場が大幅に減った現在、夜空はどこまでも澄み渡っている。
その片隅には昼間でも見える巨大な月が、いつものように青白く光り輝いて……ない。
「お、おい…なんだアレ?」「アレは…月…なのか?」「なんか真っ赤に光ってるけど…?」「ホント、まるで燃えてるみたい…」「…いや、見間違いじゃないぞ!?」「ありゃあ本当に燃えてるんだ!」
『月が…燃えてるッ!!』
いつもは街明かりが蜘蛛の巣のように煌めいている月面が、まるでマグマを噴き上げる火山のように赤々と妖しく揺らいでいる。
その事実にようやく気づいた観客達は、もはや大パニック!
そんな彼らに本来なら冷静さを取り戻すようアナウンスすべき靖利達も、予想外すぎる異常事態になす術がない。
「…やってくれたねェイ…鮫洲…ッ!!」
頭上の赤月とモニターの彼を交互に睨んで、百地署長は憎々しげに呻いた。
◇
開催間もなかったイベントは、当然のごとくその時点で中断となった。
パニックは会場だけではなく世界中に広がり、誰もがこの世の終焉を予感した。
しかし実際に終焉を迎えたのは見上げていただけの地球側ではなく、大火に包まれた月世界のほうである。
…が。
《…結論から申し上げれば、あれだけの大惨事にもかかわらず被害者数は最小限に留まりました。》
間もなく地球側の通信に応えた月の民の代表者は、憔悴した顔で溜息をついた。
なんでも月面の発電施設が一斉に過剰供給を記録し、行き場のない余剰エネルギーが街中に溢れ返った結果、瞬く間に業火に飲み込まれたのだという。
日頃から資源の節約に努めている彼らにとっては、ムダな発電などあり得ない事態だった。
《どうやら何者かが全発電施設の制御プログラムに細工を施したようですが…
そちらの事態を考慮すれば、犯人は考えるまでもないでしょうね》
無論、発電施設の管理領域には自立制御AIによる厳重なプロテクトが施されており、たとえ管理者でも迂闊には手を出せないはずだが…。
「…どうやら鮫洲の実力を見誤っていたようだねェイ」
百地署長が歯噛みをする。
自称生物学者の彼が、専門外な分野にそこまで精通しているとは…。
あるいはコレこそが鮫洲の真骨頂なのだろうか? ライブ会場の管理プログラムにも容易く侵入してみせたことだし。
《そして幸い、我々は宇宙甲虫のDNAにより大幅に強化されていたため、咄嗟の大事故にも大半の者が耐え抜きました。
…ですが彼らは、自らの身体がそんなことになっていようなどとは夢にも思わなかったでしょうから、後々説明に苦労しそうですけどね…》
過去のDNA改造の件は月の一般市民には伏せられていた事実である。
今頃は廃墟と化した月面都市を見上げて、「これでなぜ自分は生き残れたんだ?」とさぞや不思議がっていることだろう。
…そういえば現在、かつては人類が滅亡してもおかしくなかった世界規模の大災害や新種の疫病にも、我々は自然と対処できて生き延びられるようになってきているが…
あるいは既に人類改造が進展しているのやもしれぬ。
「…あるいはソレが鮫洲の狙いなのかもねェイ?」
DNA改造に彼が関わった可能性はすこぶる高い。
にもかかわらず鮫洲の名や功績は月の歴史からは削除されており、誰も…現在の代表でさえもその経緯を知らない。
つまり今回の惨事は、彼の売名行為なのか?
《それはどうでしょうね。これだけの騒動になれば悪名ばかりが高まるのでは?》
「しかし世の中には有名になれさえすれば善悪は問わない悪徳ユー◯ューバーが溢れ返っていることだしねェイ」
という署長の弁に、月の代表も「フム…なんとも厄介な輩ですね…」と唸った。
《…幸い、重要施設は万一の事態を考慮してセーフティ機構が幾重にも施されていたためほぼ無傷です。
また月の地下には、かつて開拓時代に建造された前線基地がいくつも現存しています。
当面はそれらを拠点に一から仕切り直すことになりますが…長い戦いになりそうです》
月の代表は深く長い溜息をついた。
不幸中の幸いと言っては気の毒すぎる状況だが、命あってこその物種だ。
きっと彼らは今まで以上の素晴らしい世界を築き上げることだろう。
《と言いますか…実は、入植開始から千年近くを経た街は老朽化が目立ち、インフラの再整備が問題視されていた最中でした。
こう言っては何ですが…鮫洲のおかげで、さほど手間を掛けずに街並みの大半が更地に戻った次第です。
そうしたこちらの事情にまで配慮していたとすれば、誠にたいした輩ですが…》
「それは買いかぶり過ぎでショオ。彼奴は他人の都合などお構い無しで、常に己の欲望のままに動く男デスよ」
彼奴を褒めるなど正気か?と眉をひそめた百地は代表の見解を全否定し、
「それでダ…鮫洲は結局、今どこにいるのかねェイ?」
という彼のそもそもの疑問には、月の代表に代わってニャオが首を横に振り、
《判りません。地球、月の両星に現存する生命体IDを全検索してみましたが、該当するナンバーは検出できませんでした。》
紛らわしい言い回しだが…要するにあの時も現時点においても、鮫洲は地球と月のどこにも存在しないという。
「…極めて微弱な次元振動しか観測できなかったのも頷けるねェイ」
たとえ他者になりすましていようと、各生命体に割り振られたIDナンバーは個々の遺伝情報に刻まれているため誤魔化しようがない。
仮に無理やり同じID個体を複製すると、いずれかの存在は徐々に薄れ、一体だけが残る。つまりコピー不可なのだ。
従って鮫洲は我々が住まう世界以外の場所から、次元に穴を開けてまでこちら側にアクセスし、わざわざあんな嫌がらせ映像を送りつけてきた…ということになる。
単に録画済みのものを垂れ流していたのではないことは、鹿取社長のクレームに適切に受け応えしていたことから明らかだ。
そして彼はあれだけド派手に登場したにもかかわらず、消え去るときは一瞬だった。
皆が頭上の赤い月に気を取られている間に、ポツリと一言、
《近いうちに迎えに行くよ…靖利。》
そんな言葉だけを残して。
「ずいぶん慌ただしかったが…異世界通信には時間制限でもあるのかねェイ?」
国際電話みたいに。現在ではネット経由で無制限に通信できるため、著しく需要が減ったと思われるが、ネットの使用が著しく制限された共産圏ではいまだに頼みの綱だ。
《それは不明ですが…悪戯にしては手が込んでいますし、少なからず犠牲者も出ています。甚だ許しがたい…!
我々は彼を宇宙的凶悪犯に認定して追跡を続けます。
貴方がたもくれぐれもお気を付けください》
終始穏やかな口調に鮫洲への激しい怒りを滾らせて、月側からの通信は途絶えた。
《…無論、我々も鮫洲を国際指名手配する。
しかしあれだけの芸当をこともなげにこなす相手だ。どこから手をつけて良いものやら…》
オンラインで会議に参加していた評議長も渋り顔で頭を抱える。
「…彼奴の『元家族』への処遇はいかがなさいますかねェイ?」
最も気掛かりな事項を問う百地署長に、評議長は考えるまでもないといった口ぶりで、
《『元』なら現在は無関係だろう。どうもせんよ。
ずいぶん長いこと交流を絶っていたようだから、グルとも思えんしね》
だが…と評議長は言葉を濁し、
《現時点では最もアレに接触する危険性が高い彼らを、このまま放っておく訳にもいかんだろう。
当面は政府直属の警備部隊の庇護下に置くことになるだろうな…》
当然といえば当然の措置だが、ただでさえお気の毒なこの状況下で…。
…いや、むしろその方が彼らにとっては不幸中の幸いか?
頭痛のタネが増えてしまった百地は複雑な顔色を浮かべつつ、机上のサブモニターに映し出されたとあるネット記事に視線を投じた。
[世紀の凶悪テロリスト・鮫洲幹人と鰐口ファミリーの驚きの関係!]
センセーショナルな見出しが躍るサムネイルには、多数のマスコミに取り囲まれて困惑する靖利達の姿があった。
【第十二話 END】
そろそろクライマックスということで…
毎度まいど常識はずれなアクシデントに見舞われるヒロイン達を、今回は過去最大級にトンデモネー事態が襲います。
なんてったって星一個まるまる燃えちゃってますから(笑)。
詳しくは本編をお読み頂くとして…それまではコメディーというかギャグを主体に展開させていただけに、その凄まじき落差に驚愕して頂けたなら幸いです。
ムダに登場人物も増えて、さぁこれから!という時期に、また振り出しへと逆戻りです。
こんな時こそ家族の絆が試される!…と、普通ならそんな筋書きになるのでしょうが。
なにぶんヒネクレ者な作者のこと、そう簡単にはいきませんよ、ェェ(笑)。
次回以降さらなる衝撃の展開になる予定ですので、是非ともお楽しみに♩
さて、もはや宇宙規模での重罪人と化した鮫洲という男ですが。
かつて自分は過去作にて、コレに非常に近い登場人物を描いたことがあります。
我々常識人?とは感性があまりにも違いすぎて、相入れることなど不可能…と誰もがサジをなげた、物語の中核を担った輩でした。
最終的には、自らが創り上げた『相棒』にすら裏切られて、あえなく退場させられた『彼』ですが…
もちろん今作においても無関係ではありませんよ。
何故なら本作はそれらの"続編"ですからね…フフリ。
う〜ん、現時点ではまだ語れないコトが多すぎて、あとがきにするネタがないので…最後に『エルデンリング』の話題でも(笑)。
ゲーム開始から早四ヶ月。一時はまさに寝食を忘れて没頭し、難敵打破のためのルーンとアイテム集めに奔走し、四百時間ものプレイ履歴と三百超のレベルに達した今作も、ようやっと終わりが見えてきました。
このレベルならばラスボス・ラダゴンも戦技の連発であっけなく屠れるまでに成長しましたが…その後の真ボス・エルデの獣が強すぎ!
とっととぶっ倒して、よりルーンが稼げる二周目にはやく逝きたいのに…ウルウル(笑)。