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野性刑殺  作者: のりまき
10/18

追憶風景!

【前回のあらすじ】

 月の民の正体は、あの五本脚の宇宙甲虫だった。

 ということは、彼らこそ侵略者の手先なのか?

 …だが事実は大きく違っていた。

 月のテラフォーミング後、そこに移住した人類には原因不明の不審死が相次いだ。

 まるで、人類は地球以外への居住は許されてはいないかのように。

 そこで彼らはあの宇宙甲虫をおびき寄せ、その遺伝子を自らに融合することで過酷な環境下でも生き抜ける強靭な肉体を手に入れた。

 つまりは、現在の月の民も獣人に他ならなかった。

 それ故に不安定となった精神状態を抑えるために、マチルダ製薬製の件のクスリを必要としていたに過ぎなかった。

 彼らには地球侵略の意図など毛頭なく、それどころか多大な犠牲を強いてまで手に入れた月面世界を誇りにすら思っていたのだ。


 ならば、そのマチルダ製薬をそそのかしてクスリを作らせたのは…?

 マチルダ側も月側も、互いに相手側から接触してきたと矛盾する理由を述べた。

 こんな状況下でこそ暗躍する第三者…侵略組織の影がチラつくと百地ももち署長は言う。

 さらにはそのクスリの主成分は、地球上の獣人のみが持つ『トランスフォーム細胞』から抽出されていた事実が判明する。

 クスリの原料は『獣人』だったのだ…!

 しかもそれを横流ししていたのは、身内である刑殺組織内の現場処理班だった。


 敵がすでに刑殺組織内にまで入り込んでいた事に騒然となる御丹摩署の面々。

 だがさらなる裏切り者…カルト教団に捜査情報を漏らし、占い師の老婆を見殺しにした『真犯人』はより身近にいる、とボン子は憤る。

 そして、七尾家の敷地内に現れた真犯人…ニャオを問い詰めるのだった。

 普段はホログラムの彼女は、実体はナノマシンの集合体で、時折り管理システムから離れて、自身の元の肉体や先代が眠る『墓所』を訪れていた。

 そして彼女の本名が『海月ハイユエ』であることや、ボン子とは数世紀を経た実姉妹であったことが判明する。


 しかし、そこにひょっこり顔を出した百地署長はニャオを庇い、こうなった原因は自分にあると明かす。

 彼もかつては月の民であり、新天地を求めて宇宙へと旅立った探索隊の一員だった。

 だが結果的に地球以上に恵まれた環境は見つからず、創造主は何故そこまでして地球や人類にこだわるのかを探るため、地上に降り立ち刑殺に職を得たのだった。

 そんな百地の口から、さらに驚愕の事実が語られる。

 宇宙探索隊を組織したのは、大昔に月へと向かったはずのボン子達の父『七尾ななお』だったのだ…。



 


「『七尾ななお』…!

 お父様をご存知だったんですかぁ〜!?」


 素っ頓狂な声を上げたボン子に、百地はさも楽しげに笑い転げて、


「ご存知も何も、私が最初に乗船したのは『彼』の艦だったからねーイ♩」


 思いもよらぬ答えを返した。

 以前にも紹介したが、七尾ななおは『不死人』だ。

 人類史上、同様な人物はドラキュラ伯爵など、現在に至るまで極々数名だと言われている。

 …と書くと大きな語弊があり、実際には死ぬ時にはキッチリ死んでいる。

 が、その直後にその場で復活を果たし、すなわち何度殺しても死ぬ気がしない。故に不死人…と呼ばれているのが実情である。

 そして現在でも特殊研究機関『ゴタンマ』の首領であり続けている。

 七尾家当主の座はボン子に譲渡し、機関自体も月面へと帰属し現在の地球上には存在しないが、それでもボン子へ定期的に莫大な生活費用が提供され続けているので、企業としてはいまだ存続中と思われる。


 彼はかつて日本を陰から操っていた秘密結社時代のゴタンマの、時の首領のクローンとして生み出された。

 当初こそは死亡後、自力では復活できず、『代替の肉体』と『生前の記憶』を別途用意し、外部の力を借りてインストールする必要があった。

 つまりは別個体に記憶を後付けした『赤の他人』な訳だが、到底そうは思えないほどの非の打ち所がない同一人物に仕上がる時点で既に奇跡的ではあった。

 だがその後、能力者との婚姻により肉体再生能力や記憶維持能力、他者への憑依能力…等々のチート能力を次々に獲得し、やがて単独で蘇生できるようになる頃には、現代に『魔王』が復活した…と誰もが恐れ慄いた。

 しかし当人には世界征服だのという大それた野望は微塵もなく、只々漫画と異性に目がないだけの小市民に徹してくれていたのが幸いではあったが。


「お父様が宇宙に〜!? てっきり今も月にいるものとばかりぃ…」


「いつまでも一所でおとなしくしているような人ではないでしょう。

 とはいえ私もその後の消息は掴めておりませんが…」


 呑気に丸い部屋の天井を…その先に常に昇る月を見つめる妹を嗜めた姉にすら、彼の現状は判らない。昔からそんな落ち着きのない人物だった。

 詳細は毎度お馴染み前作『へぼでく。』にて。


「いやはや、あれだけ愉快な人物にはそうそう逢うこともないだろゥ…長生きはするもんだねェイ?」


 昔を懐かしむように百地署長は遠い目をする。

 実年齢こそはニャオやボン子とどっこいどっこいな彼だが、宇宙航海中は大半が冷凍状態だったため、経験自体はそこいらの普通の人と大差ない。

 それでも人を惹きつけてやまないのは、ひとえに彼が持って生まれた性ゆえだろうか?


「なにしろ今の私があるのも、多分に彼のおかげだからねイ…」


 最初は一兵卒に過ぎなかった百地だが、すぐに獣人ならではのパワフルさで頭角を現し、それが七尾氏の目にも留まった。

 親族に獣人やHWM等が大勢いた氏には差別意識など微塵もなく、百地にも分け隔てなく接して…その稀有なカリスマ性を一早く見抜いた。

 百地はすぐさま艦船防衛隊の指揮官に任命され、以降順調に出世街道を駆け上っていったのだ。


「あれから早千年近くになるがネ…この私がこうして健在な以上、彼に何かあったとはとても思えんがねェイ…」


 遠い追憶にかられる三人。

 もちろんその他の面々…靖利達はあまりにもスケールがデカすぎる話にポカーン。

 …だがそこで、思いもよらぬ爆弾投下!


「あ〜その人かなぁ? ボクを此処に来させたのは」


 セブンがポツリとこぼした呟きに、三人の顔が捻じ切れそうな勢いでギュルンッと振り向いた。


「見たんですかっ、お父様を〜!?」


 そして今度はセブンの首がもげそうな勢いで胸ぐら引っ掴んでブンブン揺さぶるボン子に、


「そ、その人かどうかは知らないよ!? 最後にチラッと顔見ただけだし!」


「コレが父ですが、間違いないですか?」


 答えるに答えられないセブンを救うついでに、自前のスマホの待ち受け画面を彼の顔面にグリグリ押しつけるニャオ。お前も落ち着け。そしてスマホ持ってたんかい。

 そこに映っていたのは、ニャオとその母親の先代ニャオに挟まれてだらしなく笑う、まだ若い学生風のトッポいアンチャン。


「あっウンこの人この人! 間違いないよっ!」


 クビをブンブン振りみだして頷くセブンのおかげで、七尾氏の生存確定。


「フム、まずは一安心だァねェイ♩

 …で、彼は今どこに? キミは何処から来たんだねェイセブンくぅ〜〜〜ンッ!?」


 いやアンタが一番落ち着けモモたん。


「いやそれがボクにも全然わかんないんだよ。

 目が覚めたらこの人達がそばにいてさ、そのまま『逝ってこぉーい♩』って転送機に放り込まれちゃったんだよね…」


 嗚呼なんたるブラック機関!?

 せめてもうちょい説明したげてからコッチ寄越して!

 だがこれで、セブンが七尾氏によりこの地へ派遣されたことはまず間違いなくなった。

 彼には記憶が無いのではなく、元々何も知らないことも…。


「…おそらく父は私達と直に連絡がとれないため、代わりに彼を遣わせたのだと思いますが。

 行き当たりばったりは毎度の事とはいえ、こうも説明不足では…」


「そーでもないと思いますよぉ〜?」


 頭を抱えるニャオにボン子は横槍入れて、


「これまでのセブンくんを見る限り、どーやら『不死人』の創造には成功してるみたいじゃないですかぁ〜♩」


 ハッと我に返ったニャオと百地がセブンを凝視する。

 確かに彼はどんなアクシデントに見舞われても死ぬことはなく、すぐにその場で復活を果たす…不死人には違いない。


「あとは、お父様ですら一つしかない魂リソースを独りで数万人分も持ってたりぃ、どんなモノにでも変身できちゃったりぃ…。

 そんなハチャメチャ過ぎるスペックも、お父様が関わってるとなれば納得ですねぇ〜♩」


「まったく…お年を召されれば少しは落ち着きも増すかと思いきや、ますます無理無茶無謀を極めてますね…あの人は。」


 互いにいがみ合いつつも、愛する父親のことになれば途端に意気投合する凸凹姉妹である。


「え〜っと…よく解んねーけど、ケリが着いたってことでいいのか?」


 今まですっかり置いてきぼりを食らっていた靖利の問いかけで、その場は一気にお開きモードに。


「ともかく、規則は規則だからねイ。

 最も遵守されるべき捜査情報を、故意に外部に漏らしたニャオくんには、何らかの処罰を与えねばならんねェーイ?」


「…はい。覚悟はできています。」


 厳しいようだが、御丹摩署のツートップがなぁなぁで済ませたのでは部下達に示しがつかない。そこら辺は重々心得ている二人だ。


「ではァ…ニャオくんは当面、保護観察処分だねィ。

 今後もちょくちょく様子を見に来るからァ、なるべく今みたく生身で応対するコト!…ってところかねェイ♩」


 百地署長にそう言い渡されたニャオは、目をパチクリ。どこいら辺が心得てんだよゴルァ?

 よーするにチョイチョイ此処に通うから直にお相手しなさいってことだろーがこんロリペドおやぢ!

 思いがけない『処罰』にしばし理解が追いつかなかったニャオは、やっと事態が飲み込めたようで、


「…了解しました。」


 いつになく柔和な表情で伏し目がちに頷き返した。もしかして…照れてる?


「あとは…ボンバイエくゥーン、キミも同様だからねェイ?」


『…ほへ?』


 続け様に予想外な署長のお達しに、姉妹揃ってマヌケな声を漏らす。


「署員同士で、あまつさえ姉妹で仲間割れなんてもってのほかだからねェイ!

 せめて客人にはお茶の一つも出したまェイ♩」


「あ〜コレはコレは大変すんずれい致しましたぁ〜ん。

 なんならこれからでも奥のお部屋でズッポシぬっぷしお相手致しますけどもぉ〜むひょひょ♩」


 どんどんずーずーしくなってくるロリペド署長殿に、ボン子は気を悪くするどころかすっかり舞い上がって、さっそく別室へと誘う。

 …お茶だけで済むのかコレ?


「お待ちなさい、一体ナニをやらかすつもりですか!?…ゼェハァ。」


 ニャオも慌てて二人を追いかけるが…


「遅っっっそ!? え、それでマジに走ってんの?」


「ほんの少し走っただけでもう息切れしてるし、運動不足すぎんだろ。これだからひきこもりは…」


 あまり運動が得意ではない留未にすらツッコまれ、大脳を使わず脊髄反射だけで生きてる靖利に罵詈雑言吐かれる始末。

 いつもは神出鬼没のホログラムだからな…。


「わ、私は事務方ですので。貴方たち獣人やHWMと一緒にしないでください。」


 いや普通は一緒にされたほうが自慢できそうなものだが…兎にも角にも素顔は割りかし抜けまくりな人間電算機サマだった。


「くっ…ついでにセブン、貴方も来なさい。どうやら関係者らしいですし」


「え、そーなの?」


 まぁ名前というか個体番号からして『7』だしねぇ。場合によっては彼女達の最新の『家族』になるやもしれんし…。

 てな訳で道連れにされた彼も、早くも息も絶え絶えなニャオの背中…というか身長的にお尻を押して部屋を出ていく。


「…なんかお尻ぷよぷよだね? もう少し筋肉付けたほうがいいんじゃ…」


「私の不摂生ではなくナノマシンの仕様ですお黙りなさい。」





 退室した華麗なる?七尾一族を見送ってから…


「…なんかよーワカランけど、これでお開きってこったな?

 んじゃ、あたいらは非番だからこれで。おちかれ〜♩」


「ハイ待ちチョイ待ち。」


 そそくさと引き上げようとする靖利の後ろ髪を、留未がすかさず左手で鷲掴んで制止。


「あ゛痛だだだっ!? ちぎれるちぎれる!」


「ちぎれるどころか頭皮ごと引っ剥がされて永久に円形脱毛症で悩みたくなかったら、ちゃんと説明せいっ!」


 説明も何も、ボン子やセブンとの同居がバレた。ただそれだけのコト。


「甲斐性ナシの靖利ちゃんがちゃんと自活できてる時点でオカシイとは思ったけど…何処でもすぐハーレムこさえちゃうんだから…」


 マウントを取ったら即タコ殴りにしてくれる大親友の容赦ない叱責に、靖利もぉ涙ぢょお〜。


「…でも、おかげで先輩と一緒のおウチに住めたから結果オーライだけどね♩」


「おウチってゆーか寮だからね。鹿取社長もいるし」


 先輩としてちゃんと線引きはしたい葉潤はうるだが、ところ構わず甘えさくる後輩の猛攻にもはや陥落寸前である。

 そんな二人の仲睦まじい様子を「いいなぁアレ…」と羨ましげに見つめつつ、所在なさげに室内をうろつく熊田にチラチラ視線を送る靖利を見て…留未はなにやら悪だくみした顔でほくそ笑み、


「たしか熊田さんも明日から非番だったよね?

 じゃあ靖利ちゃんにブラ買ったげて♩」


「は、はぁ!?」「なんで俺が!?」


 同時に声を荒げる、当然といえば当然な二人に、留未は得意満面に、


「どーせ靖利ちゃんはそーゆー下着しか持ってなさそうだし、熊田さんもさっきエラソーに高説垂れてたから、詳しいのかな〜って思って」


「いや詳しいっつーか何つーか、昔さんざん蓉子の買い物に付き合わされてすっかり憶えさせられちまっただけだぞ?」


 幼馴染のお嬢様的には、ゴツいクマ男がボディガードとしておあつらえ向きだったからチョイチョイ利用していただけなのだが、


「か、鹿取社長の下着を…オッサンが選んだ…!?」


 断じて選んでなどいない!

 しかしそれだけ明け透けに振る舞えるほど気が置けない仲ということではあるし、靖利的には気が気ではない。


「ホラホラ、靖利ちゃんもうかうかしてられないし…二人っきりでデートするチャンスじゃない?」


「でででぇと!?」


 留未にそそのかされて浮き足立つ靖利ではあるが…確かにコレは千載一遇!

 思えば学生時代は連日水泳漬けで、そんな心ときめくイベントとはトコトン無縁だった。

 けどまぁそこはJKだからして、留未や部活仲間のショッピング等には気さくに付き合ってあげて、相手のほうは心ときめかせてたかもしれないが。


「ボンちゃん達には邪魔しないよう言っとくから、熊田さんと水入らずでヨロシクぅ♩」


「おまっ、またそんな勝手に!?

 …あ、いや待てよ…?」


 一方的な留未に不満を漏らしかけた熊田だったが、ふと何やら考え込んで…


「靖利お前、良い店知ってるのか? 特に女モノの品揃えが抜群な感じの…」


「へ?…あ、あぁ、ボンちゃんが贔屓にしてる店だけど、メチャメチャ広くて多くて、そんなに高くもなかったな…」


 いつぞやセブンの日用品一式を買い揃えた、あの店舗がすぐ思い浮かんだ。

 というか他に靖利が立ち寄るような店はコンビニくらいのものだが。


「なるほど…なら付き合ってやろう」


 いったいどーゆー風の吹き回しか、熊田はコロッと方針転換。


「つつつつ付き合う!?」


「ウブ過ぎんだろオメー買い物に付き合うってだけだ勘違いすんなこの低脳鮫!」


 ハイ判ってました。てか靖利の扱いがどんどん粗雑になっていく熊田だが、気をつかう必要もないほど馴れたってことで良いのだろうか?

 それでもお買い物デートには違いない。漫画とかでよくあるシーンにはずっと憧れていた。二人で待ち合わせて、あてもなく?街中を彷徨う…


「…あ、待ち合わせ場所とかって…?」


「ンなモン俺が知るワケねーし、ンな乳臭い真似ができるか! 俺ん家まで迎えに来い!」


「へ…?」


 いや待て、デートよりもなおさら刺激的なワードが突然飛び出しましたよ今!?


「あ、場所知らねーか? 後で通信端末に送っといてやる」


「お、おう…?」


 ちょっと前には絶対教えねーとか言われた気がするが…思くそ急変した熊田の態度に、靖利はもう着いていけない。


「やったじゃん靖利ちゃん! これでカレシん家にシケ込み放題だネ♩」


「シシシケケケコココ!?」


 熊田以上に最近変わり過ぎな留未に小突かれて、やっとその意味合いの重大さに気づいた靖利は、ついにバグった。

 そんな現役JK同士の会話に葉潤は頭を抱えつつ、


「内緒にしてたんじゃなかったの? まぁウチの近所に住んでるらしいのは気づいてたけど」


 だのに何故、幼馴染の鹿取社長すら知らなかった潜伏場所を今になって?…と熊田に問えば、彼はあっけらかんと、


「まぁな。自宅にまで押しかけられたら堪ったもんじゃねぇと思ってたんだが…この際、仕方ねぇだろ」


 何がどう仕方ないのかサッパリだが、彼自身がそう判断したのなら誰にも文句は無い。

 しかし熊田がポツリとこぼした独り言はあまりにも以外だった。


「…アレには今後も何かと世話になるかもしれんしな…」


 おんやぁ? てことは靖利が今後もちょくちょく立ち寄ることは織り込み済みなのか?

 寄るな触るな出没注意なはずの獰猛な熊っころが、すっかり丸くなっちゃって…本当にどうしたんだヘイヘイベイベー?





 てな次第でサクッと翌日の朝。

 なかなかスケジュールが合わない靖利と熊田の休暇が奇跡的に一致した貴重な一日である。


「…此処か…?」


 ぶっきらぼうな熊田が携帯端末に寄越したショートメッセージには、本当に自宅の現住所しか書いてなかったが…

 それだけをアテにして靖利がたどり着いた先には、半壊した安物マンション。元は何階建だったのか不明だが、上階はとっくに崩落して現在は四階建になっている。

 周囲を見回せば、他にも似たような物件がゴロゴロ。生存能力が強い獣人にとっては、雨風さえ凌げれば上出来だ。

 その最上階の一番端の部屋が彼の家らしい。

 眩い朝陽を浴びて輝くそれが、今の靖利には魔王の居城にすら思えてきて、サングラス越しの目にもやけに眩しい。

 位置的にも先日訪れた葉潤や留未達の寮から程近いから迷うこともなかったし。

 …親友ん家の近くに住んでる魔王て。


「…ぃよしっ!」


 気合いを入れ直して突入開始。

 エレベーターなんて便利な代物は大昔に壊れて単なる通気孔になっているので、仕方なく横の階段に足を掛けるが、


「っとぉ!? ううっ、歩きにくいな…」


 スカートの裾が階段脇の瓦礫に引っ掛かって、危うくコケかけた。

 いつも刑官制服以外ではパンツスタイルが多い靖利だが、今日のいでたちは珍しくロングスカートドレス。

 カジュアルそのものな日常から真逆に舵を切ったエレガ〜ンスな装いで、馬子にも衣装とはまさにこのことか。

 留未から事情を聞いたボン子が大張り切りで貸してくれた一張羅だ。熊田は絶対に清楚系が好みだから!と。

 自身が新たな恋路に目覚めると、なんでか他人にも世話を焼きたくなるのは人情なのか、はたまたHWMとしての仕様なのか?

 とはいえさすがにボン子と靖利では体格が違いすぎるが、千年近い歴史で数百名もの家族を擁する七尾家に揃えられないモノは無い。

 ちょうど靖利と同じくらい高身長な女性の衣類が、数百年の時を経てもまったく劣化しないまま残っていた。

 デザインも現在でも充分通用するほどオシャレだし…てゆーか獣人には着の身着のままな輩が非常に多く、流行なんざここ数百年は停滞したっきりだ。


 それはそれで良いのだが、普段からまったく履き慣れていない衣類な上に、建物もあちこち崩れて歩きにくいことこの上ない。

 おまけにボン子の家族の大切な形見に何かあったらと思うと気が気じゃない。

 とはいえ他にデートに着て行けそうな気の利いた服は皆無だし…こんなところで女性らしさには無頓着なアスリートならではのマイナス面が露呈するとは。


 …などと苦労して階段を昇り詰めて、やっとこさ最上階までたどり着いた。

 階段からすぐの数部屋は天井や壁が崩れて雨ざらしになっているため、まともに住めそうなのは奥側の二〜三部屋のみ。

 これなら他の住人と鉢合わせるケースも少ないだろうから、アイドルの身にはありがたい。

 …そんなこんなで熊田の部屋の前に到着。

 刑官という仕事柄か、表札に名前は無く、代わりに『クマ出没注意!』のステッカーが貼られていた。ジョークがキツすぎる。

 だが呼び鈴は生きているようなので、おっかなびっくりチャイムボタンを押してみる。

 するとドア越しにすぐさま人の気配が…!?


「うわっうわわっ!?」


 慌てふためいてピンポンダッシュ! 下校時に暇つぶしにアホなイタズラを繰り返す小学生か!?

 しかし…


「はーい、どちら様ですかぁ?」


 てっきりヒネクレまくった野太い熊田の声が出迎えてくれるかと思いきや…

 室内から聞こえたのは予想外に甲高くて若干舌っ足らずな、まさしく小学生のような声色。


「…え、え〜っと、オッサ…熊田サンの同僚ですケド…?」


 興味本位に受け応えた靖利の顔を、玄関ドアの覗き窓越しに確認する気配。そして…


「アレッ…靖利ちゃん? 靖利ちゃんだぁっ!?」


 なぬぅ、なぜバレた!? 一応グラサンで変装してるのに…?


「…だ〜からオメーの変装なんざ見るからにバレバレだって前にも言っただろ?」


 戸惑いを隠せない靖利を、開いたドアの向こうからのっそり現れた今度こそ熊田が出迎えてくれた。

 寝起きなのかラフな寝巻き姿のままで、いつにも増して機嫌が悪い。

 おまけに普段はほとんど獣形態のままなのに、寝る時は人化する主義なのか、いつもの無造作ヘアーと無精髭がよりワイルドさを増して、親父趣味な靖利の琴線をコロコロリンッ♩と掻き鳴らしまくりだ。

 だが、問題はそんなことよりも…


「ほらほらパパ、靖利ちゃんだよ☆」


 さっきドア越しに応対してくれたと思しき、カワイイ声の印象通りに小柄なリス型獣人の女の子が大興奮でこちらを指差せば、


「んあ…そーだな、お前が大好きなアホ鮫アイドル様だな…」


 足下にまとわりつくその子を鬱陶しげに抱き上げた熊田は、しっかりちゃっかり靖利をディスることを忘れない。

 いやだから問題はそんなコトではなく…


「…『パパ』?」


「ん?…あっイヤこれは違うぞっ!? ホラよく見ろリスだリスッ!」


 早くも涙目な靖利の抗議の視線に気づいた熊田が慌てて弁解するも、時すでに遅し。


「このっ…裏切り者ォーッ!!」


 ガブリんちょっ☆


「どっっっぎゃあァーッス!?」


 靖利久々の必殺技『かぶりつき』が、熊田の肩口に見事に炸裂したのだった。





「ったく、紛らわしい真似しやがって…」


「だから説明したのに、ちゃんと聞かねーオメーが悪い」


 朝っぱらから首筋に深々と付いた靖利の歯形をさすりつつ、いまだ非を認めない熊田だが、


「イイな〜靖利ちゃんの歯形…最強のレアサインぢゃん♩」


 一人だけ判断基準がおかしい小リス娘の羨望の眼差しを受けて、バツが悪そうに肩をすくめた。

 良かったな熊田、靖利が人化を解かないままで。鮫形態で食らいつかれた日にゃあ今ごろ跡形も無かったぞ。

 まあ確かにサインどころかキスマークにも相当するファン垂涎の最強マーキングではあるが。


「だからパパって呼ぶなっつってんだろが小鞠こまりよぉ…」


「え〜っ? だってあたし達、もぉ家族みたいなもんでしょパパ♩」


 てな訳でまったく悪びれた様子もないこの子は、本来ならば熊田の"隣の部屋"に住むリス型獣人の音成小鞠おとなりこまりたん♩

 市内の小学校に通う四年生だが、今日は靖利達のデート…もといお買い物に付き合うため自主休学しているという。

 小中学生の義務教育制度などとっくに撤廃された今日、単位さえ取れていれば進級には支障なく、彼女は非常に成績優秀なため割り合い自由気ままに生活している羨ましいご身分らしい。


「でもホントに靖利ちゃんだぁ〜。パパと同じ刑殺署ってホントだったんだぁ〜!」


 室内に通され、リビングのソファに腰掛けて出された茶をすする靖利を、小鞠は興味津々なキラキラお目々で見つめ倒す。

 熱狂的ファンをいざ目の前にして、靖利もたじたじだが…元来カワイイもの好きだから、パパ呼びも含めて許す♩

 今日びは女子同士でもみだりに未成年に付きまとえば事案発生だが、熊田の知り合いなら合法的に以下略…ではなく。

 そもそも、なんで隣の部屋の彼女がここにいるのかといえば…


「『犯則労務』かぁ…そいつはキツイな」


 小鞠ではなく、その母親はそのために当分不在中とのこと。

 水商売の彼女は、女手ひとつで娘の小鞠を育てながら都内の店舗を転々と渡り歩いていた。

 いつだったか、まだ幼い小鞠を置いて朝イチで出掛けなければならず困り果てていたところ、たまたま非番中だった熊田が見かねて留守番役を申し出て…それ以来の付き合いだという。

 一見とっつきにくそうな彼だが、案外気さくで子供好きな実態がこれまでにもチョコチョコ垣間見えているので、気になる方はじっくり再読してほしい。

 以来、熊田も休暇にはだいたい小鞠を預かるようになり、しっかり者で人懐っこい彼女もいつしか無断でちょくちょく部屋に上がり込んでは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるようになった。

 熊田も別に子供に懐かれるのが嫌いではないし、母親も母親で相手が刑官なら安心とばかり頼りきるようになっていった。


「ママも運が悪いよね〜…」


 …が、そこでアクシデントが。

 母親が新しく勤めたお店があまり程度がおヨロシイところではなかったため、不正営業で摘発されてしまったのだ。

 勤め始めたばかりだから知らなかった、などという言い訳が通じる訳もなく、母親も一緒にお縄に。

 しかしこの獣人社会、風俗関係にはかな〜り寛容である。

 社会に少しでも悪影響を与えるような犯罪ならば刑殺の手で速やかに処刑されるところだが、そうするまでもない取るに足らない犯罪はそもそも刑殺の管轄ではない。

 結果、政府指定の福祉施設で勤労奉仕の刑と相成った。獣人は人口こそ多いが就労従事者は少ないため、どこも常に人手不足なのだよハッハッハ♩

 刑期は靖利たち刑官同様、懲罰ポイントが皆無になるまでなので具体的には定まっていない。

 要は世の中のお役に立てれば立てるほど早く解放されるが、要領が悪い奴や善悪の区別がつかない奴は未来永劫こき使われるのだ。

 またいかに要領良くとはいえ、不正がバレればそのぶんポイントがゴッソリ増加するし、やってられるかンなモン!と脱走すれば今度こそ刑殺の出番だ。


「…寂しくないか?」


 靖利も罪を犯して全てを失った時には大いなる虚無感に苛まれた経験がある。というか刑官なんてやってる輩は皆そんな思いを抱えている。

 それをこんな幼い身で…と小鞠を気遣ってやったのに、


「ぜぇーんっぜん。だってパパがいるも〜ん♩」


 あっけらかんと答えた小鞠はそのまま熊田の背中に飛び乗るようにしがみつく。強がってる感じは全くなく、心底そう思ってるようだ。

 元々二人っきりの母子家庭で生まれ育ったところに待望の父親役が現れたおかげか、熊田への懐き方や信頼度がハンパない。

 熊田が誰にも自宅を明かさなかったのも無理ないわなコリャ。


「…なんであたいを呼んだんだ?」


 こんな他言無用な嬉し恥ずかし空間にわざわざ部外者を招待したくらいだ。よっぽど切実な事情があるに違いない…!


「そりゃ、お前が買う下着に興味あるからだ」


 でもなかった!


「今度こそ骨の髄まで齧り尽くしてやろうか?」


「だーから早とちりすんなって」


 いやその理由のどこに誤解要素があるのか?

 …とか思ったら〜、熊田は小鞠を指差して、


「ほらコイツ、ちんまいクセにもう乳張ってきてやがるだろ? 母親もデカかったしよぉ」


 ツンつくツンッ☆


「いや〜んパパのえっち♩」


 熊田の指先で胸をつつかれた小鞠は嫌がるどころかむしろ大喜びだが、確かに小柄な割にはけっこう目立つ。学校でも男子達の密かな注目を浴びそうなコト請合いだ。

 …ではなくっ!


「刑官の目の前でナチュラルにセクハラすなっ! お前もちゃんと拒否りやがれっ!」


 公然と行われた父娘のディープな触れ合いに気が気ではない靖利だが、


「ん〜けどコイツがもっと小っせぇ頃から風呂にも入れてやってるしな。何を今さらだろ?」


「なんなら今も一緒に入ってるモンね〜♩」


 なんだとゴルァ羨ましすぎんだろっ!?

 …ではなく、ダメだコイツら実際には赤の他人でモロアウトなことさえ忘れてやがる!

 そろそろ風呂は別々に入りなさいっ!!

 ってかこれで熊田がなんで靖利を誘ったのかが嫌というほど解った。


「…つまりはこの子の下着買うのに付き添ってやりゃ〜いいんだな?」


「ぅわーい靖利ちゃんとお揃い♩」


 いやそれはサイズ的にも年齢的にも無理だろ。

 ったくヌカ喜びさせやがって…。

 預かった子という事情もあるだろうが、熊田は単に子煩悩なだけなのだ。

 …と、いうことは…

 ちょくちょく靖利に絡んでくるのも、単に未成年だから心配してるだけなのでは?

 勇気を振り絞って彼と交わした口づけも、単なる子供の戯れとしか思われていないのでは…?

 なんだか気分がざわついてきた靖利をよそに、


「せっかくだから俺もついてくぜ。未成年だけで街に行かせるのは不安だしな」


 どんだけ過保護なんだこの似非父は?

 いや元からそんな話だったけど。

 未成年て、靖利は曲がりなりにも刑官だし…

 それ以前にお買い物の内容がですね!?


「そう嫌そうな顔すんなって。オメーらの買物代くらい奢ってやるよ」


「…ごちアザッス。」



 


「靖利ちゃんってつくづくシブい趣味してるよね〜」


 留未がミルクコーヒーをちびちび飲みつつ溜息をつく。

 彼女と指導役の葉潤は御丹摩署内で待機中だが、今日に限って世界は平和で出動の機会はなかなか巡ってはこない。


「しかもよりにもよって、あーんな愛想悪いオジサン目当てだなんて…どんどん拗らせてない?」


 今はデカ部屋で葉潤と二人っきりなためか、留未の口はいつも以上に軽い。

 親友の話題とはいえ、あまり明け透けにディスるのは感心しないが…ちょい待ち。


「拗らせた?…ってことは彼女、前からあんな感じなのかい?」


「ですねー。靖利ちゃんって、年上の男の人が相手だと割りかし素直なんですよ。JK的にアブナイですよね〜?」


 いやいや夜な夜な葉潤の寝床に潜り込んでナマ乳揉ませてるチミのほうがよっぽどヤバイでしょ?


「…刑官になったんだって、署長さんにそう言われたからじゃないですか?」


 止むに止まれぬ事情とはいえ、若くして大量殺人犯になってしまった靖利にとっては他に道が無かったとも言えるが…たしかに少々不安を覚えるほどの素直さだ。

 普通はこの世代の若人といったら大概は反抗期真っ只中で、オトナの言うことにはとにかく頭っから歯向かいまくるもんなのでは?


「僕らも人のことは言えないけど、なんだかずいぶん変わってるよね…彼女。親の顔が見てみたいってヤツかな?」


「なんであたしまで含めるんですか?

 …てゆーか靖利ちゃんの場合、その『親』が問題なんですよ」


 まったく変人の自覚がない留未の口から、さらに気になる一言が。


「ここだけの話…実はご両親、一度離婚してるんです。」


 本人の許可なくここでも何処でも気軽に話して良い内容ではない気がするが…今はモラルよりも好奇心が優っている。


「一度? ってことは今は?」


「今は別の旦那さんがいますよ。おばさん、靖利ちゃんに似て美人だからモテるんですよ〜♩

 でも靖利ちゃんの事件以降は結局ギクシャクしちゃって…早々に島を離れて行っちゃいましたね…」


 事件を起こしてギクシャクするのは刑官なら皆当然だが…

 なるほど、靖利の美貌は母親譲りか。

 そしてその口ぶりだと…


「二人目のお父さんは、あまりヤッちゃんと仲良くなかった?」


「靖利ちゃんとって言うよりは、兄妹みんなと仲悪かったですね〜。あ、靖利ちゃんの上にお兄さんが三人いるんですけど」


 男兄弟ばかりの最後に生まれた末娘か。

 あんだけ男勝りな性格や喋り方になるのも無理ないわなそりゃ。


「あの人は完全におばさん目当てで、子供はあまり好きじゃなかったみたいで…。

 でもお金持ちだったから、おばさんも渋々再婚したみたいですね〜」


 女手一つで四人もの子供を養わなきゃならないのは相当大変だから、母親もやむを得なかったんだろう…。

 そうした輩は大抵イケ好かない連中と相場が決まってるが、はてさて?


「ん〜…悪い人じゃないとは思うんだけど、見栄っ張りな感じが強くて…な〜んかアレがアレで…あたしもあまり好きになれなかったですね」


 やはり典型的な悪役タイプだったか。

 嫌な記憶が甦ったのか、留未は残りのミルクコーヒーを一気に喉元に流し込んで口直し。

 家族どころか隣人にまで嫌われてるならホンモノだ。

 …でもそれなら、靖利が熊田に惹かれた理由がますます解らんが?


「だからそれは"前の"お父さんの影響なんですよ…たぶん。

 これがまた今の人とは真逆と言ってもいいくらい超〜イイ人で♩」


 なるほど。まあ成金風情をひけらかす輩に比べりゃ誰でも聖人だろうけど。


「でもそれだと尚更、熊田っちとかけ離れてない? 彼はまあホラ…あんなだし」


「見た目はね。

 でも熊田さんて、なんだかんだでけっこー面倒見がいいじゃないですか。

 ぶっきらぼうだけど、ちゃ〜んと責任は取ってくれるし。

 靖利ちゃんはそこに前のお父さんを重ねてるんじゃないかな〜?」


 ああ、確かに。いつぞやのシャチUFO戦でも軍から戦闘機をチャーターしてまで、全面的に靖利をバックアップしてくれたし。


「へぇ…前の人とは仲良かったんだ?」


「良いってゆーか、良すぎるってゆーか…当時まだ子供だったあたしから見ても度が過ぎてるほどイチャコラしまくってましたね〜♩」


 そんなに!?


「それまでの子供が男ばかりだったもんだから、なおさら末娘の靖利ちゃんが可愛くって仕方なかったみたいで…。

 明らかに他の兄弟より贔屓してましたし、靖利ちゃんも今の彼女からは信じられないほどお父さんに甘えまくってて…」


 男子には微塵も媚びない現在の靖利の姿からは、たしかに想像もつかない。


「小学校高学年になってもまだ一緒にお風呂に入ってるって自慢してたくらいですから」


 いやそこはさすがにもうちょい遠慮しようよヤッちゃん!?


「靖利ちゃんって子供の頃から成長が早くて、その頃にはもう身体も大きくてすっかり大人びてたから、聞いてるあたしがアレコレ心配しちゃうくらいで…」


 心配どころかとっくに近親相姦レベルだよ!


「でもホラ、あの子って大人びた見た目の割には無邪気ってゆーか、ハッキリ言ってお子様じゃないですか?

 だからも〜どうやって説得すればいいのか全然わかんなくって…」


 本人がいないトコだと言いたい放題だなコイツ。

 だがその気持ちはよく解る。

 世の中でいちばん手に負えないのは、自身の変態ぶりをまるっきり理解していない輩だ。

 でもお父さん、同じ子ばかり贔屓するのは家庭不和の原因になりかねませんよ?


「あっちゃ〜警告が遅かったですね。実際そうなっちゃいました」


 オーマイガッ!?





「靖利ちゃんのお母さんって美人で物静かだけど、その実めっちゃヤキモチ焼きなんですよ。それが自分の子供でもなりふり構わず。

 だから靖利ちゃんが成長するにつれて、夫婦仲がどんどん悪くなってって…」


 俗にいう良妻賢母タイプは、一旦キレると手がつけられない。

 逆に言えば、それだけ旦那さんに惚れてたんだろうけど…その愛情が自分にはまるで向いてないのが許せなかったんだろうな…。


「酷いときなんて夫婦喧嘩の声が向かいのあたしん家まで聞こえてきましたもん。

 『そんなに靖利が大事なの!?』とか…」


 それは当時の靖利も大変だったろうな。喧嘩の原因が自分ってことがハッキリしてるんだから…


「『あぁ大事だね、靖利は僕の最高傑作なんだ!』とか『お前たち凡人に何が解る!?』とか…」


 おんやぁ? なんか話が変わってきたぞ?

 産んだ母親がそう自慢するなら解らなくもないけど、父親の弁にしては何か違和感が…。


「挙句には『あなたオカシイわよ!?』『もう靖利に近づかないで!!』っておばさんも逆ギレして…。

 結局、あたし達が小学校を卒業する頃には離婚しちゃってましたね。

 子供もおばさんが全員引き取って、裁判所に『金輪際、娘には近づかない』って命令まで出させて…」


 ミステリーマニアを自称する留未も、すぐ近所で起きていた不可解すぎる事態にはさすがに気づけなかったようだが…コレはオカシイ。

 明らかに…何もかもが。

 金銭的には明らかに不利になることが目に見えていながら、どうして子供を全員…?

 これではまるで、靖利を父親から守るために離婚したとしか…?


「…つかぬ事を訊くけど。ヤッちゃんのお父さんって何やってた人なの?」


 興味本位で尋ねた葉潤に、話に夢中な留未はさほど気にも留めず、


「あたしもまだ小さかったから詳しくは知らないけど、学者さんだったらしいですよ?

 うちの親もハッキリとは聞いてなかったけど、何処かの製薬会社の研究員をされてたようです」


 フム…ますます臭うな。

 なんだか嫌な予感がギュンギュンする。

 とりわけ先日マチルダ絡みの事件があったばかりで、よりにもよって製薬会社の研究員だなんて…。


「…ヤッちゃんのお母さんも大変だったでしょ。あんなに発育が良すぎる子供ばかり四人も抱えてたら何かと…」


 嫌な予感を払拭するためにも、試しに葉潤はカマをかけてみた。すると…


「え? あ〜いえ、大っき過ぎるのは靖利ちゃんだけで、他のお兄さん達はいたって普通サイズでしたよ。みんなすんごいイケメンだったけど♩」


 ほらドンピシャ。

 獣化すると全長十メートルもの巨大鮫になる靖利だが、実際のホオジロザメはそこまで巨大にはならない。

 たしかにメスのほうがオスよりも一回り大きいが、それでもせいぜい五メートル以下。

 あんなメガロドン級の非常識ジョーズが出没するのは映画の中だけのフィクションなのだ。

 にもかかわらず…さてはお父上、何か盛りやがったな?


「幼い頃からお父さんがチヤホヤしすぎたせいで、靖利ちゃんってば一番年下なのに、すっかり増長して女王様気取りで。お兄さん達をいつも家来みたくコキ使ってましたね。

 あたしは大抵なだめ役だったから、彼らに感謝されまくった挙句『姫』なんて呼ばれて…あの頃は気持ち良かったな〜♩」


 なるほど、留未がここまでワガママ三昧に育ってしまった理由もこれで判明した。


「いつもそんなだったから、離婚直後の靖利ちゃんの落ち込みぶりったらもう…見てるこっちが辛くなるほどで、ほとんど廃人みたいでした…」


 だろうなぁ…最も両親と触れ合いたがる多感な時期に、自分のせいでそうなってしまった訳だし。


「でもでもあの子って、メチャメチャ立ち直り早いでしょ? 何も考えてない訳じゃないだろうけど、そりゃも〜アホみたいに」


 てゆーか環境適応力がハンパない。実際の鮫もそうだが、事実上どんな海域でも瞬く間に順応し、淡水だろうと深海だろうと問題なく生き延びる。

 さらには肉食のイメージが強いが、実は雑食なので餌にも事欠かず、なんと空腹のままでも長期間生き続ける。

 靖利も配属直後にボン子を味方につけて、初日からちゃっかり極楽な住環境を構築できたし、突然現れたセブンとも難なく同居を決め込んでしまった。

 臨機応変、恐るべきサバイバル能力を持ち合わせた天然ハンター…それこそがサメという生物なのだ。


「見事に立ち直れたきっかけは、中学生になってから水泳部に入ったことでしたね。

 靖利ちゃんは元々水遊びが大好きだけど、泳いでる間は何も考えずに済むからって…」


 心底打ち込めるモノを持っている人は強い。

 たとえどれだけ周囲に裏切られようとも、努力だけは自分を裏切らないからな。


「そしたらすぐにトンデモナイ成績を叩き出しちゃって、大興奮した顧問の先生に言われたそうなんです。

 『お前は百年…いや千年に一度の逸材だ!』って。

 『お前なら日本一…いや世界一も夢じゃない!』って。」


 いやいやいくらなんでもそこまでは…と普通なら謙遜するだろう。

 だが靖利は愚直にその言葉を受け止めて、ひたむきに練習に打ち込み始めた。

 その理由というのが…


「自分が有名人になれば、今は離れて暮らしてるお父さんにも情報が届くから…って。

 そんな泣けるコト言われちゃったら、もう応援するしかないじゃーないですか!?」


 留未は目頭を抑えた。どこまでも真っ直ぐな当時の靖利を思い出して。

 なんとも単純な理由ではあるが…すべては愛する父のためだったのだ。


「でもって、記録更新を重ねて有名になってく度に、男子からはその抜群のプロポーションで、女子からは根っからの王子様気質で大人気になっちゃって…。

 あの頃はあたしも何かと大変でしたね〜」


 何がどう大変だったのか具体的には訊かないほうが良い気もするが、有名になって苦労するのは本人よりもむしろ周りだ。

 それこそ色んな魑魅魍魎が、なんとかしてその人気に当て込んでひと山当てようと群がりたかるからな…。


「でもさすがに告白までしようとする命知らずは皆無でしたね。なんせ天下無敵の鮫ですし♩

 もっとも本人はとにかく水泳一筋に打ち込んでたから、そんな雑音は一切取り合わなかったと思いますけど」


 まさに高嶺の花子さん…いや深海の王者の風格である。

 自身の活躍ぶりを父親に届けることが全てだから、身の周りのことには無頓着だったのか。

 しかし皮肉なことに、それ故に水泳部長の織家小蘭華おるかおらんかに恨まれてしまい、やがてあのトラブルへと繋がっていく…。


「事件を起こした靖利ちゃんは、もう水泳どころじゃなくなっちゃったけど…

 それまでの弛まぬ努力は、やっぱり彼女を裏切りませんでした」


 水泳選手の道こそ断たれたものの、刑官として目覚ましい活躍を続ける靖利の噂は、再び世間をざわつかせた。

 環境保護を笠に着てやりたい放題だった暴走集団『緑ピンフ』をたった一人で壊滅させ…

 謎の侵略者から与えられた機動兵器で、自分を拒んだ家族や故郷を葬り去ろうとした小蘭華を撃退し…

 その功績と類稀な美貌が大きな話題となった挙句、勢いのままになんとアイドルデビュー。

 華麗な外見からは予想もつかない男勝りで天然な言動のギャップも相まって、いまだに数多のファンを獲得・魅了し続けている。


「靖利ちゃんはもう気づいてるんだと思いますよ。なにも水泳だけにこだわらなくても、自身の知名度を上げる方法はいくらでもあるって」


 それは優越感に浸るためではなく、世界のどこかで自分を見守っているだろう父親に自身の存在を知らしめるため。


「だからこそ…いくらでも限界を乗り越えて頑張り続けることが出来るんでしょうね、靖利ちゃんは」


 既に誰にも到達できないほどの圧倒的な能力を持ちつつも、それに奢ることなく努力し続ける。

 だからこそ、彼女は気高く美しい──。


「…なのになんで、熊田のオジサンの前ではあんなにダメダメなんでしょうかね?」


「さぁ…人の趣味はそれぞれだしね。

 熊田ッチもまるで興味ナシってことはないだろうけど、なんであそこまでツッケンドンなんだろね…?」


「絶世の美女でしかもアイドルにあそこまで好かれまくっときながら指一本触れようともしないなんて…変態ですよね〜♩」


 そして話題は振り出しへと。

 ままならない凸凹な二人の思慕の行方に、思わず苦笑する留未と葉潤。

 そんな二人もまた道無き道をひた走っている訳だが。


「あ…あたしが色々くっちゃべったこと、靖利ちゃんには内緒にしといてくださいね?

 別に口止めされてはいないけど…」


「解ってるさ。…コーヒーもう一杯どう?」


「じゃあさっきと同じミルクで」


 了解っと頷いて、葉潤は刑事部屋の外へ。

 …もちろん素直にコーヒーを淹れに行く訳もなく、すぐさま通信端末を取り出して何処ぞへと連絡を入れる。

 留未には「靖利には内緒に」と言われただけだし、他の者にならOKだろう。


「お忙しいところ申し訳ありませんが…少々お伺いしたいことが。」



 


 そして靖利達はいつぞやの洋品店めざして一路、街へと。

 手順もボン子達と訪れた時同様、繁華街は徒歩で通り抜け、商店街に入ったら車を捕まえる。


 繁華街の治安の悪さは相変わらず。

 だのにいかにも無警戒な美女と美幼女がノコノコ歩いてくるのを見て、さっそく悪いコト考えた連中が街灯にたかる羽虫のごとく群がってきたが…

 その背後から睨みを効かせた熊男がノッソリ近づいてくるなり、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


「今日はやけに静かだな。いつもはもっと絡まれるんだけど…」


 主にカラダ目当てでな。という事実は微塵も知らず小首を傾げる靖利に、


「クマさんがお散歩してるからじゃない?」


 勝手知ったる森の住人は余裕でクスクス笑い返す。ナリは小さいが将来は大物間違いナシの愛らしさだ。

 そんなこんなで繁華街もそろそろ終端に近づいたところで、


「さて、そろそろ車を捕まえようか?」


 と通りを走る自動運転車に片手を挙げる靖利に、


「あんなのに乗るのか? 俺ァ納まり切らねーぞ」


 と熊田が早速ケチをつけるも、


「こないだはさらに狭苦しい戦闘機に乗ってただろ? 人化すりゃいいだけじゃん」


 と靖利にやり返されて、それもそうかと渋々人化。すると…


「えっ…パパ?」


 それを見てまともに驚く小鞠。一緒に住んでもうずいぶん経つというに、どうやら人化した姿を見たことがなかったらしい。

 熊田の不精ぶりもここまで徹底していると筋金入りだ。


「どーよ、カッコイイだろ♩」


 何故だか自慢げに耳打ちする靖利に、小鞠は首をすくめてその背後に隠れ、


「でもなんかガラ悪いし…コワイかも…」


 森の中では熊に捕食される側のリス子が普段はまるで怖がってないのに、人化したほうが恐怖対象とはこれ如何に?

 まあ確かにいかにも素行が悪さげな面構えだし、靖利の美的感覚がやや難アリなのも一因かもしれないが。


「…安心しろ。お前の前では今後この姿にゃならねーよ。今日は特別だ」


 そう言って娘の頭をポンポンあやす父親のいつもと変わらぬ優しさに、


「パパ…♩」


 と小鞠も頬を赤らめて安心した様子だが、


「むぅ…」


 と靖利はワケわからんジェラシーを感じていた。

 熊田が日頃は滅多に人化しないのには、こういった事情もあったのかもしれない。


 ほどなくして無事に車を捕まえた一向は、乗車して商店街へと。

 バラック小屋が所狭しと建ち並んでいた繁華街から一変した街並みは、人間が地上でまだ生活を営んでいた頃の整然とした佇まいに。

 その様子を初めて目にしてはしゃぐ小鞠と靖利はもうすっかり打ち解けて、話に花を咲かせている。

 靖利の精神年齢が小鞠程度だからか、はたまた逆に小鞠がうまく合わせているからか、あるいは可愛くて小っちゃい子が大好きという靖利の歪んだ性癖のなせる業かは知らないが、本当の姉妹のように仲が良い。

 そんな華やいだ車内の様子に、熊田も珍しく和やかな表情を見せていた。


 今回は謎の円盤UFOにいきなり狙撃されることもさすがになく、スムーズに目的地へと辿り着いた。

 目の前にはしばらく前にボン子達と訪れた、あの瀟洒な洋品店が誇らしげに聳え立っている。


「ぅわぁ〜大っきい〜!?」


 今までもずっとはしゃぎっぱなしだったのに、ますます大興奮な小鞠の横で、


「ロボ子の奴、こんな豪勢な店で買い物してやがんのか。贅沢すぎんだろ…」


 予想とは大違いだったらしい熊田は戦々恐々としている。

 どんな強敵にも屈しない彼の怯えた素ぶりに靖利は思わず吹き出して、


「奢ってくれんだろ? まからねーぞ♩」


「チッ、わぁーってるよ…」


 熊田が舌打ちしたところで、店舗内から店員達がゾロゾロ出てきてズラリと整列し、人間アーチを形成。

 その最奥にはあのタヌキ親父…否、狸型獣人のオーナーが。


「いらっしゃいませ鰐口様、熊田様。お待ち申し上げておりました」


 揉み手で出迎えてくれた彼がすでに熊田の名前まで把握していたのは驚きだが、おそらく事前にボン子が一報を入れておいてくれたのだろう。


「ささ、どうぞ中へ」


 店の表で用件を訊かれたらどうしようかと思ったが、そこいら辺も事前に伝わっているのか、すんなり店内へと通された。接客が出来ている。

 相変わらず煌びやかな店内に所狭しと陳列された豊富な商品に、熊田父娘はさっそく目移りしまくり。

 その間に靖利はオーナーにお伺い。


「あの、今日はボンちゃんいないんだけど…」


「構いませんよ。御丹摩署の方々であればどなたでも大歓迎致します」


 てっきりボン子の知り合いだからかと思いきや、意外に優遇者範囲が広い。


「実はですね、この店は元々は七尾家の一員である海鳥ハイニャオ様が所有されておりまして。

 一家揃って地球から旅立たれることになった際、当時店長をしておりました私の先祖にお譲り頂いたのです」


 『はいにゃお』?…あ、つい最近何処かで聞いた名前だと思ったら、ニャオの先々代か。

 それで七尾家現当主のボン子は厚待遇だし、前当主の七尾ななお氏が首領を勤めていた研究機関『ゴタンマ』の跡地に建つ御丹摩署も対象になるのか。

 そして…


「三代目ニャオ様には直にご来店頂いたことはございませんが、いつも当店の通販サイトをご利用頂いております」


 通販できるのかよ。けどまぁ下着は直に品定めできたほうが安心だしな。

 ずっとホログラムだと思っていたニャオにも実体があった以上、衣類の消費は避けられない。ナノマシンの身体に新陳代謝があるのかどうかは不明だが。


「それでは、私はこれで。後は係の者に引き継ぎますので、ごゆっくりどうぞ」


 こちらの目当ての品が下着と判っているためか、男性オーナーは気を利かせて足早に退散した。

 七尾家への多大な恩義を現在でも愚直に返し続ける、予想以上に立派な成り立ちの店だった。


「とゆー訳でぇ、お久しぶりです鰐口様♩」


 オーナーと入れ替わりに現れた係の者は、前回と同じ猫型獣人の女子。


「今日はご家族とご一緒ですかぁ〜? 隅に置けませんねぇこのこのぉ♩」


「どーやったら鮫と熊からリスが産まれんだよ? あたいは一応アイドルだぞ!」


「解ってますよぉ。誰も貴女のお子さんだなんて言ってないじゃ〜ないですかぁ?」


 クッ、ハメられた!?


「そこいら辺は後でサインを頂ければお口にチャックしときますんで〜♩」


 ちゃっかりしてやがる。見るからにガバガバなチャックだが、背に腹は代えられまい。

 こっちは刑官でしかもアイドルだと言うに、若干馴れ馴れしすぎる嫌いもあるが…これだけふてぶてしい相手のほうが変に気を遣わずに済む。

 とそこへ、


「靖利ママ〜、あたしアレがいい☆」


 さっそくめぼしい商品を見つけた小鞠が靖利の袖を引いて催促した。


「どれどれ…って誰がママだ誰が!?」


 思わずスルーしてしまうところだったが、そんな微笑ましい様子を迷惑そうに見つめる熊田と、あからさまにニヤニヤ笑っている猫店員の手前、否定しない訳にはいかない。


「本当の母ちゃんがちゃんといるだろお前には? ってかなんで『お姉ちゃん』じゃなくてイキナリ『ママ』なんだ!?」


「だーからオメエはそうとしか見えねー年格好なんだってばよ。いい加減自分の規格外なスペックに気づけや」


 つい先日までやはり彼女を未成年だとは気づかなかった熊田のツッコミにガーン!?とショックを受けた靖利に追い討ちをかけるように、


「だぁ〜ってぇホントのママってば、だらしないし小っこいしお料理も下手クソだしす〜ぐフラれて泣くし、あたしより手間のかかる妹みたいなんだもん。

 靖利ちゃんがママになってくれたらいいのに…♩」


 今もどこかで大切な娘との日常を取り戻すべく一生懸命働いてる本当のママさん、サーセン。

 貴女のお子さんは幼くしてもう立派に自立できそうなほどシッカリしてらっしゃいます。

 どーでもいいが靖利も料理はできない。てゆーか調理経験自体がない。

 学校で何度か調理実習があったはずだが、皆に「靖利ちゃんは何もせずにおとなしく座ってて♩」と満面の笑顔で言われたから。


「ぅ゛ぅ゛…んで、どれがいいって?」


 涙をちょちょ切らせつつも、気を取り直して小鞠がチョイスした商品に目を移せば…


『母娘ペア下着セット』


 彼女が熱望してたお揃い下着、ホントにあったよ!

 さすがに何でも揃うと自負する店だけのことはある。

 デザインは個人的にやや華美な気もするが、母親用のものはちゃんと実用に耐える機能的でオトナなスタイルとなっている。無論靖利はこの手のモノは一着たりとて所有していない。

 対して子供用のほうは基本的には同じデザインを踏襲しつつも着用しやすく、誰が見ても「カワイイ♩」と褒めたくなるであろう背伸びしすぎないスタイリング。

 同一デザインでも方向性がこうも違う…まさに職人技である。


「なるほど…確かにイイな」


「ってアンタが褒めたらなんかキモいだろ!?」


 プシッ☆


「ぐぉぁわっ!? 目がっ、目がぁ〜っ!」


 横から首を突っ込んできた熊田に軽く目潰しを喰らわせて、ムスカみたいにのたうち回る彼を睨みつつ、靖利はよくよく考える。

 コレ買っちゃったら、小鞠がコレ着て家の中でくつろいでるのを見るたびに、靖利も同じモノを着てるんだなぁ…と彼に連想させやしないだろうか?

 恥ずかしい…実に恥ずかしい。

 …だがなんでかちょっと萌ゑる☆


「ソレでしたらペア商品ということで、別々に二点お買い上げ頂くよりもお求めやすい価格となっておりますよ〜♩」


 猫店員がすかさずセールストーク。なかなか心憎いところを突いてくる。

 ザックリ店内を見回してみて思うが、下着なるモノはなかなかに値が張る。兄貴達のパンツなら三枚セットでお値打ちのがあるからワンパックで全員分買えるが、女性用の場合には有り得ない。

 そして今日は熊田の奢りという話だから、あまり高価なモノをねだって呆れられても困る。


「う〜〜〜ん…じ、じゃあコレで。」


「ハァ〜イ毎度アリィ〜♩」


 熟慮に熟慮を重ね…るまでもなく、もはや靖利に選択肢は無かった。





 さて、商品が衣類であるからには、どんな安物だろうと嬉し恥ずかし試着サービスがもれなく付いてくるのを忘れちゃいけない。


「パパ〜、こんなん出ましたけど〜♩」


 試着ブースのカーテンを勢いよく開け放って、下着姿の小鞠が表に飛び出していく。

 まだ恥じらいの少ないお年頃とはいえ、自由奔放すぎやしないか?


「ちょっ、他のお客さんが!?」


 小鞠なら小さくてかさばらないからと、同じブースで着替えていた靖利が慌てて振り向けば…


「をっ、予想通りカワイイ…な…?」


 カーテンの向こうで小鞠を出迎えた親バカな熊田と思くそ目がカチ合った。

 幸い近隣に他の客はいなかったが、問題はそこじゃあない。

 慣れない本格的下着に四苦八苦しつつ、かろうじて試着を済ませた後だったが、問題はそこでもない。

 今着ているのは下着に他ならない…それが何よりの問題である。

 なにしろ他人が無許可で目にしただけで不同意猥褻罪が成立してしまう劇物なのである。

 いや問題はそこではないような気もしなくもないが、とりあえずはどうすべきか?

 大声で騒ぎ立てれば良い気もするが…だがしかし、この下着の購入者は熊田だ。

 靖利はそれに袖を通した上で、アクシデントとはいえ勝手に見せつけたにすぎない。

 となれば、失礼なのはむしろこちらのほう…?


「…あれこれ考えるより、まずはカーテン閉めろや」


「…あ、あぁ、済まない。お見苦しいモノを…」


 言ってしまってからふと思う。なんでそこまでへりくだらねはならないのか?

 被害者はやはりどう考えてもこちらのような気もするし、今からでも悲鳴を上げれば…


「いや…なかなか似合ってたぞ」


 不意に褒められた。メチャクチャ恥ずいが…なんだか嬉しい。

 嬉しいことは嬉しいのだが…褒めてくれたってことは…


「しっかりちゃっかり見てんじゃねーかッ!?」


 ガブリんちょっ☆


「ぐっっっぎゃあぁあ〜〜〜っす!? 朝と同じ場所ぉーッ!!」


 朝方つけた傷口と同一箇所を最攻撃され、熊田は三たび悲鳴を上げた。結果オーライ。


「仲がいいパパママだね〜♩」

「うんっ☆」

「パパぢゃねぇっ!」

「ママでもねーしっ!」


 要らん合いの手を入れた猫店員と小鞠に絶妙な掛け合いで反論する熊田と靖利だが、


「やっぱり本当のパパママにならない? 夫婦だったらお互い裸とか見ても平気らしいよ…知らんけど。」


 よー知らんのに赤面必至な提案すんなし小鞠。


 そのせいでな〜んかビミョーな空気になってしまったが、とりあえず目的は達成した。

 後はそれぞれの普段着や日用品を何点か(もちろんコレは自腹で)買って、ついでに猫店員が催促していた靖利のサインもくれてやって、這々の体で店から退散した。


「…コレ、転売しちゃってもイイですか〜?」


『すなっ!!』


 熊田一家に口を揃えてツッコまれた猫店員は、性懲りもなくヘラヘラ笑い返して、


「冗談ですよぅ。我が家の家宝にします☆

 あと、ついでにおっぱい触ってもイイですか〜?」


「…まぁ、触るだけなら…」


「え゛っ、マヂでいいのにゃ!?」


「相変わらず安請け合いする奴だな…」


 田舎者ならではの距離感のおかしさを微塵も疑問に思わない鮫女に、予想外の回答に思わず素に戻った猫店員に、女同士ならまぁ問題あるまいと放置状態の熊男。

 微妙なベクトルの狂いも三つ巴ならばどうにか補正され…るわきゃないか。


「ううっ、お帰り間際にお名残り惜しい限りですけど…ソレはまたのご来店の際に、入念な寸法測定にて…ハァハァぢゅるるっ」


 優良店…?


「それでは、またのお越しを〜♩」


 どこまで本気か解らんが、とりあえず喜んでくれたらしい猫店員に見送られて、来た時と同じく捕まえた車に乗り込む。

 朝早くに来たかと思えば、気づけばもう昼過ぎだった。


「…ついでにどっかで飯でも食ってくか?」


「奢ってくれるならな。さっきタダ見しやがった分はキッチリ払って貰うぜ」


「ケッ。…だがまぁ、確かに金が取れるかもしれんなアリャ」


「クッ、あー言えばこー言う…!」


 仲が良いのか悪いのか、傍から見れば痴話喧嘩そのものな二人に、


「それいーかも。アイドルのお宝写真は高く売れるしね♩」


 え゛…?


「あたし、ファミレス入ってみたいな〜。ママがいた頃は時々一緒に通ってたし♩」


 時々ドキリとさせる言葉を放つ妖女…いや幼女は、いかにも子供らしい意見でお茶を濁した。

 …熊田はおおよそファミレスなんぞ利用しそうにないし、小鞠も小鞠で色々我慢してるのかもしれない。


「…んじゃ、決まりだな。目的地は最寄りのファミレスに変更だ」


《了解しました。》


 そっけないAIの返事を残し、三人を乗せた自動運転車はハンドルを切った。





 故郷の小笠原にもファミレスぐらいはあり、部活帰りに仲間達とよく利用した。

 友達の手前、あまり呆れられないよう控えめに注文してはいたが…ガタイがデカくてアスリートな靖利のこと、全っっっ然食い足りない!

 しかも今日は代金は熊田持ち。事前に承認は得てるから…思う存分喰らい尽くせる!!


「…つーても少しは手加減しろよ。俺にも生活費ってもんが必要なんだぜ?」


「う゛…」


 熊田に泣きつかれたし、他の誰に呆れ返られるよりもこたえたので、結局メニューの半分くらいを消化したあたりで止めておいた。


「そーやって蓄えたムダな栄養が全部乳に回る訳だな、お前は…」


 八つ当たり気味にセクハラすんのヤメレし。


「まぁお前は見るからに大飯食らいだって判るから覚悟はしてたんだよ。

 予想外なのは、こっちのほうだよな…」


 と溜息混じりに熊田が見やる方向に、靖利もつられて視線を移せば…脇目も振らず一心不乱にお食事中の小鞠の姿。

 そりゃ食べた総量は靖利に比べるべくもないが、それを差し引いてもとんでもない食欲だ。

 しかも、いかにもリスが木の実をカリカリ齧るような小動物らしくて可愛らしい仕草の割に、凄まじい速さで瞬く間に大皿料理が口の中へと消えていく…。

 靖利よりもずぅーっと小さいミニマムボディの一体どこにあれだけ大量の食糧が収まっているのか?

 やはりリスらしくプニプニほっぺの内側に蓄えているのか?

 それとも、年齢や体格とは不釣り合いに膨らんでいる胸のあたりに…?


「…晩飯の量、もっと増やすか…」


 青息吐息な熊田のぼやきに同情しつつも、そんな不器用な父娘の触れ合いに微笑ましさを感じる靖利だった。


 そして帰り道。

 まだ夕暮れ前だというのに、はしゃぎ疲れか食べ疲れかでスヤスヤ健やかな寝息を立て始めた小鞠をおぶって、熊田は家路を引き返す。

 ファミレスから自宅マンションまでは結構離れているが、腹ごなしには丁度いいと彼は笑う。

 その隣に寄り添って歩きながら、靖利は過去の想い出に浸っていた。

 大好きだった前の父の背中越しに見た、何故だか少し物悲しい真夏の昼下がりの風景を。

 もう二度とは戻らない、過ぎ去りし日々を…。


「…お前がいてくれて助かったよ。恩に着るぜ」


 不意に熊田の口からこぼれた感謝の言葉。滅多に聞けないそれが、今はいない父の背中に重なって…胸が熱くなる。


「頼れる奴なら他にいるだろ? 鹿取社長とか…」


 だから、ついつい口が滑ってしまう。

 お互いただの腐れ縁だという、彼の幼馴染の彼女のことが、どうしても気になって。


「あんなのがアテになるかよ。アイツん家は金持ちだから、子供の頃から身の回りの世話はぜ〜んぶお付きの者に任せてたんだぜ?」


 あ、それで彼女よりはまだ使い物になりそうな靖利にお鉢が回ってきたのか。

 でも言っちゃアレだが、靖利ん家も金だけには困らない環境だったが。母親の再婚相手が金持ちだったから。

 愛情は全然足りてなかったけどな…。


「なのにアイツ、一目惚れした俺のダチと結婚したいって言い出して家を飛び出して…

 結局、ダチは事故で死んじまって…。

 世の中ってなぁままならないもんだよな」


 御令嬢なはずの社長が今でも一人暮らしを続けている理由がソレだった。

 だから彼女の心は、いまだに熊田には向いていない。

 それが解って安心したと同時に…他人の不幸に喜ぶ自分が嫌になる靖利だった。

 そして、熊田も…その『事故』は自身が引き起こした空軍時代の誤射事件で、社長の恋人を撃ち殺したのは彼自身だと…いまだに靖利には言えずじまいでいた。

 その責任を決して熊田に問うことがない、幼馴染の優しさに救われて…。


「…むにゃむにゃ…ママぁ、帰ってきてくれたんだね…♩」


 熊田の背に揺られた小鞠の口から、ぽつりと漏れた寝言にハッとさせられる。

 夢の中のママは、もちろん靖利ではあるまい。

 なんだかんだで強がっているのを周囲には気づかせない、芯の強い子だった。

 靖利も、熊田も…誰しもが決して消せない心の古傷を抱えて、それでも懸命に今日という日を生き抜いている。

 だが、そんな苦労をこんなに幼い子にまで強いるのは…世の中どこか間違っている気がしてならない。


「…せめて、コイツが起きるまではウチに居てやってくんねぇか?

 目ぇ覚ましたときにお前がいなかったら、きっと寂しがるだろうしな…」


「わかった。

 …これからも、ちょくちょく寄ってもいいか? こ、小鞠の様子を見るためにな!」


「ケッ、勝手にしろ。

 …お前なら大歓迎だよ。小鞠がな」


 子供じみた言い訳がましい彼の言い草が、かえって微笑ましい。

 どうせ今のところは使い勝手の良い便利屋程度にしか思われていないのだろう。

 それでも…今の靖利は充分すぎるほど満足していた。


「…あぁそれと、服装は今みたいなので来い。

 昨日みたいにふしだらな格好を小鞠が真似したら困るし…せっかく似合ってんだからよ」


「ゔ。」


 ふしだらて。

 せっかく忘れてたのに…ほとんど下着のまんまな部屋着を目撃された記憶が甦って、靖利はうろたえる。

 だが…小鞠をダシにしつつも、どうやら褒めてくれているらしい。

 激しく今さらな気もするが…やはり嬉しい。

 たまには着慣れない格好もしてみるものだ。

 …が、正直、毎回コレはかなりキツイのもまた事実。

 根っからのアスリートである靖利的には、もっとラフな服装でなければくつろげないのだ。


「…あ、じゃあ競泳水着は? あたい水泳部だったから、あの格好でいることのほうが一番多くて着慣れてんだけど♩」


「…まずは社会常識を身につけるところから学び直してこいや田舎モン!」


 今度こそ耳まで真っ赤になって怒鳴り返した陸上動物型獣人に、まるで理解できない海洋生物型獣人はますますうろたえるしかなかった。

 年齢だの刑歴だの以前に、いちばん厄介な『生活環境の壁』が二人の間には依然として横たわっていたのだった。南無〜♩





「…では、やはりご存知だったのですね?」


「知ってるも何も、それが鰐口クンを我が署に抜擢した最大要因だからねェーイ♩」


 なぜだか照明を落とした薄暗い室内にて、顔を突き合わせて怪しげな会話に興じる二人の男。

 一人は葉潤。書類整理などの雑務を留未に押し付け、トイレで大っきいのを捻ってくるなどと言い残して此処に来た。

 そしてもう一人は、この特徴ありすぎな口調でモロバレな通り、百地署長だ。

 葉潤が先ほど連絡していた人物とは、言うまでもなくこの人である。

 彼の理解が及ばない不可思議な事象は、大概この人に訊けば答えが得られる。

 今回もどうやら大当たりだった。


「その通り…鮫洲さめず博士は靖利くんの実の父親だねェイ」


 葉潤の読み通り、鮫洲幹人さめずみきひとはかつてマチルダ製薬に在籍していた研究者だった。

 マチルダ側は誰が月側に例のクスリを売り込んだのか明らかにしてはいないが、ここまで来れば彼の関与は明白だろう。

 尚、なぜ靖利と名字が異なるのかは無論、離婚した母親が旧姓に戻ったからに他ならない。


「そしてェ、宇宙探索隊時代の私の同僚でもあるんだねェーイこれが♩」


 同僚?…待て、百地が宇宙を駆けていた時期は千年近くあるのだが?


「ワケあって私より数百年前に下船したから、よもや彼本人が生きているはずはないだろうと思っていたがァ…どっこい今も存命中だったらしいねェーイ」


 宇宙船内ではコールドスリープも使えるし、ワープ航法により通常時空とは大きな時差が生じることになるが…


「下船したってことは、それらを利用せずに今まで生きてきたことになりますよ…ね?」


 当然の結論を口にしつつも、葉潤は背筋に冷たいものがつたい下りるのを感じて身震いした。


「ただただ生き永らえてるだけならまだしも、自分の子供まで実験対象にしていたとは…。

 ますますもって許し難いねェーイ…!」


 朗らかな笑みを湛えつつも、百地の怒りゲージが急上昇していくのを悟って、葉潤の体温は逆にどんどん急降下していく。

 この期に及んで、靖利の出生の秘密まで絡んでこようとは…。

 どうやらまた、一筋縄ではいかない事態になってきたらしい。




【第十話 END】

 エルデンリングにハマったせいで、すっかり執筆が滞りがちな今日この頃ですが(汗)。

 ゲーム開始から早二ヶ月…そろそろ自分の限界が見えてきたので、いずれ元の更新速度に戻るかと。

 自分はニュータイプじゃないので、あんなに疾い敵の攻撃が見切れる訳もなく…。

 死にゲーだけど死にたくない。いや死んでもいいけど金は落としたくない!(笑)

 つい先日発売されたナイトレインも見るからに鬼畜な難易度っぽいので、今のところ購入予定はありませんし。


 てな訳でまたしても一ヶ月ぶりの公開と相成りましたが、記念すべき話数二桁台突入の今回はお詫びとばかりにいつもよりチョイ長めです。

 ここ最近はシリアスな展開が続いていたので、久々におバカなノリで書き進めてみました。

 しかも前々作『はのん』、前作『へぼでく。』に引き続き、またしても女児の下着を買いに行くというおビョーキイベントの同情です(笑)。


 今までは謎に包まれていた熊田の意外なプライベートに特化した回ですので、彼のイメージが大きく変わること請け合い。

 これまではまっっったく進展する見込みが無かった靖利との仲も急展開しとります。

 いつもは毎回必ず何人か死んでる犠牲者数も、今回は完全にゼロ。

 今作史上最年少な新キャラの登場もあって、今までにない牧歌的な雰囲気となっております。

 たまにはこんな息抜き的なお話もいいかな〜と。


 あとは前回のあとがきでもチラリと触れた、無敵なヒロイン靖利の出生の秘密がいよいよ明かされ始めまして。

 終盤ではやっとこさラスボス的なモノの意外な正体が垣間見えてきました。

 作者的にもいったい何処へ向かおうとしているのか皆目不明になりかけていただけに、かろうじて軌道修正できてホッとしとります(笑)。

 次回以降、さらに驚愕すべき世界の謎も解き明かされる予定ですので、乞うご期待!

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