19.処刑
ジュリアンらはどうにか崖を下りきった。崖の下は鬱蒼とした森になっている。
「あの裏切り者を追え!」
ジュリアンがそう叫んだ。しかし、エドアルトが直ぐにそれを制止する。
「お待ちください、殿下。あの男が逃げた先には敵軍がいるはずです。追えば待ち伏せを受けます」
その時、凛々しい女性の声が響いた。リュドミラ・リシュコフの声だった。
「愚かな判断だな、エドアルト・アルティーロ」
ジュリアンらが声のした方を向くと、そこには確かにリュドミラがいた。
彼女は、白銀の鎧に身を包み美しい金髪を結い上げた凛々しい姿で、木々の間に立っていた。
細剣を腰に佩いているが、側に控えるのは公爵家騎士団団長のアレクセイ1人だけだった。
リュドミラは言葉を続ける。
「待ち伏せ、という発想がありながら、なぜ、今この場で待ち伏せられる事を想定しなかった?」
そして、ジュリアンらへと向かって歩く。アレクセイがそれに続いた。
ジュリアンとエドアルトは動揺していたが、フョードルと2人の近衛騎士は素早く反応した。
ジュリアンを守るべくその前に立って、抜き払った剣を構える。
フョードルは直ぐに状況を分析した。
(待ち伏せをしていた以上、たった2人だけのはずはない。気配は感じないが、周りに多数の兵がいるはずだ。しかし、今近くまで来ているのは2人だけ。これは隙だ。策が成功したと思って油断したな。
俺と騎士1人であの男を抑える。その間に、もう1人の騎士にリュドミラを捕らえさせる。リュドミラを人質にすれば、状況を打開できるはず)
そう考えて、騎士達に指示を出そうとする。
しかし、その前にリュドミラの声が響いた。
「常闇よ」
すると、唐突にフョードルの視界が闇に覆われ、何も見えなくなる。
「何ッ!」
フョードルは思わず声を上げた。
「ぐわぁ!」「ごはっ!」
その直ぐ後に、フョードルの近くでそんな声が上がった。2人の近衛騎士の声だ。敵に攻撃されたに違いない。
(くそッ!)
フョードルは心中で悪態をつきながらも、動揺を必死に抑え周りの音を聞くことに神経を集中させる。
何が起こっているのか正確な事は分からないが、この後自分が攻撃されるのは間違いない。そう考え、出来る限りそれに対応しようとしたのだ。
そのフョードルに、またリュドミラの声が聞こえた。
「静寂よ」
そして、フョードルから聴覚が失われた。
(何なんだ、これは!?)
フョードルは視覚に続いて聴覚まで奪われ、流石に激しく混乱した。
そして、その混乱から立ち直る前に激痛が彼を襲う。痛みは右の太腿から生じていた。
(足を刺された!)
そう悟ったフョードルだが、視覚も聴覚も失われたままでどうすることも出来ない。
次の激痛は、左肩からだった。
敵はフョードルをいたぶるように攻撃するつもりのようだ。
右脇、腹、左腕、左足首、右胸、不規則に時間をかけながら、次々と痛みが襲う。
周りの状況が全く分からない中で続けられる攻撃に耐えかね、フョードルはついに叫びをあげた。
「やめろ~」
だが、それで攻撃が止まるはずがない。
音のない闇の中、延々と続けられる攻撃。その恐怖は、フョードルの精神の均衡を崩す。
「う、うわぁ~~」
フョードルは、叫びを上げながら、手にした剣を無茶苦茶に振り回し始めた。
剣を握るフョードルの右手が攻撃される。人指し指と中指が切断され、手にしていた剣がすっぽ抜ける。
フョードルは武器さえ失った。尚も、攻撃が止む事はない。
「や、やめてくれぇ~」
とうとうフョードルはそう叫んでその場に蹲った。
もはや泣き叫ぶ事しかできない。
それでもフョードルに対して、容赦ない攻撃が続けられる。
フョードルを執拗に攻撃していたのはアレクセイだった。
そして、その間に、リュドミラがジュリアンとエドアルトの方に歩いた。
ジュリアンとエドアルトは恐怖に震えていた。特にエドアルトの動揺は大きかった。リュドミラが何をしたか、理解することができたからだ。
「い、今のは、暗黒神アーリファの特殊神聖魔法……」
エドアルトはそう口にした。リュドミラが行使したのが暗黒神アーリファの信徒たる神聖術師だけが使える、特殊な神聖魔法だと気付いたのである。
リュドミラが、エドアルトに肯定の意を返した。
「そうだ。地下牢から逃れた少し後に、私はこの力を得た。私の神聖魔法の適性は天才的なのだそうだ。
わが師は、短期間の内にこれほどの強さで神聖魔法を行使できるようになるのは、古今にも稀だと言ってくれている」
ジュリアンが非難の声を上げる。
「リュドミラ、貴様、闇司祭に身を落としたか!」
リュドミラは動ずることなく言葉を返す。
「貴様らのような下種に、咎めだてられる筋合いはない。
大体、貴様らは、自分の行った事が、いずれかの光の神の意にかなうものだとでも思っているのか?
全ての光の神の教えに背を向けるようなことを為していながら、闇司祭を責めるとは滑稽だ。まともな判断力があるなら、いずれかの闇の神に助力を請うべきだろうに。
いずれにしても、今や私と貴様らとはあらゆる意味で不倶戴天の敵同士。今更言い争う事すら必要ない。戦おうではないか。剣を抜くといい」
そして、リュドミラは腰に佩いていた細剣を抜き払いジュリアンらに向けて構えた。
それを見てもジュリアンらは動く事が出来なかった。真面に剣を習っていないジュリアンとエドアルトでは、2人掛かりでリュドミラと戦っても勝ち目はない。彼らはその事を理解していた。
そして、2人の近衛騎士はアレクセイによってあっけなく惨殺されており、頼みの綱のフョードルは、少し前から泣き叫びながら攻撃されるばかり。
状況は絶望的と認めるしかない。2人は揃って後ずさった。
その無様な姿を見て、リュドミラの顔が不快気に歪む。
「抵抗できない女をいたぶることしか出来ないのか。本当に見下げ果てたものだ」
そう言い捨てると、足早にジュリアンに向かう。
エドアルトはなけなしの勇気を振り絞った。一応身に付けていたブロードソードを抜いて、リュドミラの前に飛び出し、そして、ブロードソードでリュドミラを突こうとする。
「うおぉぉぉぉ」
そんな声を上げて、彼なりに必死に攻撃した。
だが、ずぶの素人が行った刺突は、ただ目標物を敵の前に置く行為に過ぎなかった。
リュドミラは、左斜め前に体を動かしてその攻撃を避けると、すかさず細剣を振り下ろす。
それだけでエドアルトの右腕が切り落とされた。その身体は脆弱だった。
「うああああ!」
エドアルトは叫びを上げてその場に座り込む。
「ひぃ!」
ジュリアンは情けない声を上げ、リュドミラに背を向けて逃げようとした。だが、その動きも素早いものではない。
リュドミラは容易く追いつき、下に向かって細剣を薙ぐ。ジュリアンの左足首の腱が切断された。ジュリアンは勢いよく前に転倒する。
「うわぁ!」
走ろうとする勢いのままに顔面から地面にぶつかったジュリアンは、そんな声を上げた。
「う、うぅぅ」
そして、倒れたまま呻く。
リュドミラは、余りに無様な男たちの醜態に冷たい視線を向けた。
そのうちに、フョードルに止めを刺したアレクセイがリュドミラの近くに歩み寄った。
彼は、フョードルを攻撃しつつも、リュドミラの方に注意を向けており、何かあれば助けに入ろうとしていたが、その必要はなかった。
リュドミラは、未だに地に伏せ呻いているジュリアンを指さしてアレクセイに告げる。
「あれは捕虜にします。色々騒がれても面倒なので、喉を念入りに潰しなさい」
「畏まりました。公爵様」
そう答えたアレクセイは、続けてリュドミラに問いかけた。
「もう1人は、如何なされますか?」
リュドミラは、エドアルトへと視線を移す。エドアルトも蹲ったままだ。
「捕虜は1人で十分です。私が処置します」
そして、そう告げてエドアルトの方へと歩く。
エドアルトの近く来たリュドミラは、躊躇わずにエドアルトの右肩を細剣で貫く。
「ぐぅ」
エドアルトは呻き声をあげた。彼は絶望した。リュドミラが致命傷にならない右肩を突いたという事は、自分を一思いに殺す気はないという事を証明していたからだ。
予想通り、背中や腹などいたる所に、細剣が振るわれ、直ぐには死なない程度の軽い傷を作ってゆく。
「……!」
エドアルトは、ひたすら痛みに耐えた。
命乞いの言葉は口にしなかった。
今更、何をどう言ったところで、リュドミラの意思を覆す事など出来ない。そう理解していたからだ。
無駄な事はしない。それが、先ほどから無様を晒し続けているエドアルトの、最後の矜持だった。
そして、その矜持を守ったまま、死んだ。
エドアルトへの処置を終えたリュドミラに、アレクセイが声をかける。
「こちらの対応は済みました」
見ると、ジュリアンは両手両足を縛られ、地面に転がっている。切られた左足首も出血は止まっていた。回復薬を使ったようだ。
「うッ、ぐッ」
そして、そんなくぐもった声を上げている。
リュドミラが命じた通り、喉が潰されていた。
「では、野営地に帰りましょう」
リュドミラは静かな口調でそう告げた。
この間、桟道にいた王国軍も激しい攻撃を受け続けており、何ら有効な対応ができていない。全滅は必至の情勢になっている。
王国軍は敗れたのである。
リシュコフ公爵軍の野営地に引っ立てられて来たジュリアンは、屋外に作られた台の上にその身を晒されていた。
2本の柱が建てられ、その柱と柱の間に渡された横木に両手を縄で括られ、吊り下げられていたのだ。
ジュリアンを晒す台の上に1人の騎士が乗り、台の前に集まった兵達に向かって口上を述べる。
「皆の者、聞け! これは、怨敵ゲオルギイの子、愚劣なるジュリアン。前公爵様の仇の一人だ。
これより処刑を執行するが、公爵様は、格別のご配慮を持って、我ら全員に恨みを晴らす機会をお与え下された。
この者は、我らの手で石撃ち刑に処す」
「おお!」
兵士たちは歓声をあげてこの決定を歓迎した。
騎士が注意事項を述べる。
「一石投じたならば、他の者と交代せよ。そして、投げる石は余り大きくない物を選ぶように。より長く苦しみを与えるためだ」
ジュリアンは、必死に首を左右に振りながら、何事か述べようとした。
「うぅ、ぐぅ~」
しかし、潰された喉からは、そんな音しか出ない。
騎士はジュリアンの声にならない訴えを無視して台から降りると、改めて号令をかけた。
「始めろ!」
その言葉が終わると同時に、兵士たちから無数の石礫が放たれた。兵士たちは命令通り小さな石を選んでいた。
バラバラと、小石がジュリアンに浴びせかけられる。一つ一つの打撃はたいしたことはない。
それはつまり、ジュリアンの苦痛が、長く、長く、続く事を意味していた。
騎士がまた声を上げた。
「焦る必要はないぞ。死にそうになったなら、回復薬を使って回復させることになっている。全員で石撃つまで、終わらせることはない!」
ジュリアンの絶望は更に深まった。
思わずジュリアンが目を見開くと、その左目に小石が当たった。
「ぐぁ」
そんな声を上げると、その口の中にいくつもの小石が飛び込む。
「がはぁ」
ジュリアンは激しく咽る。だが、吊るされた状態では石を吐き出すことは出来ず、石は食道を傷つけながら下って行った。
ジュリアンは更に激しく身悶えたが、委細かまわず処刑は続けられる。むしろ、処刑は始まったばかりだった。