セットリスト
リハーサルでも立った場所なのに、ライトを当てられると別の場所のように感じる。
気を抜くと、目の前に並んだ人の多さに脚がすくむ。
その視線や聴覚が私たちの側に向いているというのがまた、ヒリヒリする。
こんなライブイベントに参加するなんて、まだ場違いだったんじゃないかと弱音を吐きたくなる。
そんなことはない。
そんなことはない、はずだ。
肩にかかるギターの重さ、左手に握るネックの感触を確かめて、あたしはなんのためにここに立っているのかを反芻する。
ステージ中央に立つ彼女はどんな思いでこのステージに立っているんだろう。
スタンドマイクの高さを神経質に細かく修正しながら、肩を上下させてストレッチに意識を集中しているように見える。
でも、あたしは見逃していない。
その視線は、ずっと彼女の足元を見つめているのだと。
顔を上げて群衆の側を眺めてみれば、その表情のひとつひとつが眩しい。
フロアの後方、影に隠れるように立つ両親を見つけた。
父は仕事帰りの姿で、高校生バンドのライブイベントには不釣り合いな格好をしている。
恥ずかしさと共に少しの心強さを感じながら、彼女が言ったこと思い出した。
「うちは単身赴任家庭だからさ」
今も遠くにいる彼女の父親はここにいないし、今夜の仕事を外せなかった彼女の母親もここにはいない。
今目の前にいる集団の中に、彼女の身内はいない。
大丈夫だよ。
元々あたしたちはずっとそうだったじゃないか。
オタク気質で自分の殻に篭もりがちだったベーシスト、DTMで楽曲を作れるくせにそれをどこにも発表できず抱えていたドラマー。
そして、彼女とあたし。
教室の片隅でひとりイヤホンをつけて孤立していたあたしに強引に声をかけたのは彼女だったじゃないか。
自分をさらけ出せば拒絶されて傷ついて、周りと噛み合わない会話にうんざりしていたあたしをここまで連れてきたのは、一体誰だと思っているんだ。
これだけの人の前に立つ恐怖や不安を彼女も感じていることは痛いほどわかる。
それでも、あたしたちが今まで立ち向かってきたものに比べれば、あるいはあたしたちがこれから立ち向かうものに比べれば、どうとでもなるはずだ。
だから、大丈夫だよ。
フロアがゆっくりと暗くなる。
時間だ。
準備はいい?
最初のフレットに指を添わせながら、視線だけで合図を送る。
始めるよ?
あたしが鳴らした最初の音に合わせて、小刻みなリズムでベースとドラムがついてくる。
生意気にマニアックなスラップで重低音を響かせるベース、涼しげな無表情でいるくせに体の芯を突き動かすようなドラム。
決まった。
何回も練習した導入を合わせれば余計なことは全部置いていける気がする。
最初の導入で流れを掴み、同じフレーズを2回繰り返せば彼女の歌い出しだ。
スタンドマイクに体重を預けるように立つ彼女は、じっと動かない。
三人の視線は、彼女の背中に向いている。
あたしは念をこめるようにギターを鳴らす。
あたしたちは信じている。
彼女なら、大丈夫だ。
ほら。
案の定、完璧なタイミングで息を吸い、彼女は歌い出した。
太く力強く響く低音域が心地よい。
あたしたちの演奏にも自然と熱が入る。
盛り上がるメロディー、リズムに合わせて激しく揺れる空間。
それでも、彼女が本領を発揮するのはこれからだ。
鋭く尖って攻撃的な彼女の高音は、なるほど号哭にも聴こえてあたしたちの感情を激しく揺さぶる。
あたしたちはもっと強くなれる。
よく通る彼女の声に引っ張られてあたしたちは、緊張も恐怖も不安も忘れる。
彼女にとっても、あたしたちの演奏が力になっていればいいと願った。
演奏の合間、ふとまた前を向けば恐怖は何度でもよみがえった。
たったこれだけの人の前に立つのすらこんなに怖いのに。
それなのに、あたしたちはいつの日か世界と立ち向かわなければならなくなる。
学校を卒業して、親元を離れて、あたしたち自身の力で生きていかなければならなくなる。
行儀よく生きてみたって、あるいはときに道を外れてみたって、平凡に生きてみたって、奇抜な生き方をしてみたって、その構図自体はちっとも変わらない。
それが怖くないとは言わない。
それでも、大人になるって、きっとそういうことでしょう?
だったら、何度でもあたしたちは立ち向かってみせる。
決して、ひとりぼっちなんかじゃないんだから。
あたしたちのセットリストは、始まったばかりだ。
読んでくださり、ありがとうございます。