こんにちは、婚約者様
翌日以降、ネアを心配したこの世界での両親からの質問を颯爽とかわしたり、礼儀作法とか色々思い出しているうちに一週間が経っていた。
さてさて、今は貴族の令嬢らしく優雅にティータイム中だ。
目の前のテーブルには紅茶と大量のお菓子、そして隣にチェス盤が置いてある。この世界は国名は違えど中世西洋がモチーフらしく、チェスというゲームが存在するし、チェス盤も自室に置いてあった。ネアは特に得意だった訳でもないし、私も最低限のルールしか知らないけど、カッコイイので持ってきてとりあえず置いてみた。
優雅に紅茶を飲みながら物憂げな顔で佇む…きっとこれ傍から見たら超カッコイイななんて思っていると、部屋がノックされた。続けてグレンです、と名乗る声が聞こえてくる。部屋に迎え入れると、いつものピッチリとした七三分けの執事が入ってきて用件を告げた。
「お嬢様に来客です」
「来客?一体どなたかしら」
そう、私は1週間でちゃんとネア口調をマスターしてるのだ。さすが私、順応力が高くて惚れぼれする。まあ16年分のネアの記憶もあるから当然といえば当然だけど。それは置いておいて。問われたグレンは恭しく客の名前を告げた。
「アルバート殿下です。応接室にお通ししております」
私は一口紅茶を優雅に啜ってから、ふぅとため息をついて答えた。
「準備したらすぐに行くわ」
ーー
私はできる限り急ぎ足で自室に戻り、鍵のかかった引き出しを開けてノートを開いた。そのノートは初日にグレンに持ってきてもらったもので、アイカナ世界で知っていることについてまとめておいたものだ。あ、あと私の設定も。ちなみにノートには黒い表紙に白いペン…は無かったのでチョークで『✞無垢なる書✟』ってタイトルをつけてある。
「アルバート?って誰だっけ~?」
独り言を呟きながらページを捲った。先程はさも「ああ、あの人ね」みたいな返答したけど実際は全く思い出せない。ネアの記憶でもアルバートという名前は出てこない。
あ、とページを捲る手が止まった。
アルバート、彼はこの国の第一王子であり、ネアの婚約者。そして攻略対象の一人だ。
ネアの記憶で名前が出てこなかったのはいつも彼女が彼を愛称である「アル」と呼んでおり、第三者も第一王子と呼んでいたからだった。いやグレンのやつなんであえて正式名称で呼んだんだよ。
ーー
自室を出て、王子について思い出しながら応接室まで向かっていた。
ネアの家柄はかなり良い。この国で四つしかない公爵家の一つだ。ネアは公爵家に産まれた王子と同い年の娘ということでほぼ自動的に婚約者となった。
これはいわゆる政略結婚というやつだったが、ネアにとっては好都合だった。何故ならネアはアル(正式にはアルバートであるが今後はアルと呼ぶので以下からアルと呼称する)に一目惚れしていたからだ。思い出すと恥ずかしくなるくらい一心に思っていたというか、それはもうぞっこんだった。
応接室に入り、アルに近寄って私は軽く膝を曲げて貴族令嬢らしく挨拶をする。
「ごきげんよう。ようこそいらっしゃいました。お元気そうで何よりです」
「ああ。ネアも元気そうだな。もっとやつれているかと思っていた。夏風邪を引いたと聞いていたから」
「ご心配をお掛けしました。今はこのとおり、元気になりました」
「そうか」
挨拶もそこそこに近況などを会話していく。まあ、乙女ゲームの攻略キャラだけあって顔は悪くない。プラチナブロンドの髪に碧眼の眼はまさに王子様キャラ。口調は若干高飛車な印象を受けるが、それも顔面が大体カバーしてくれてる。ただ、会話は物凄くつまらないものだった。
「それくらい、この国の王子としては当然のことだ」
この男、ことある事にこの言葉を使うからだ。というか、どんな会話しても結局はこの言葉に辿り着く。なんだお前は、しりとり最強か?いつ帰るんだよお前と、そろそろ面倒くさくなってきて返答もおざなりになってきた頃、アルがどこか安心したような声色で話し始めた。
「実を言うと、君が婚約者として相応しい人間か、最近不安だったんだ。最近の君の行動は少しおかしかったから。それに、君の両親からおかしくなってしまったとも聞いていて…」
きっとアルはネアの悪役令嬢ムーブのことを言っているのだと思う。おかしくなってしまったという話は別人格と称したマリナのことだろう。ちなみに今は説明を割愛するが、ネアはこのアルがきっかけで悪役令嬢ムーブに目覚めている。
うーん、ちょっとムカッときた。そもそもの原因はコイツなのに。ネアだったらアル様が心配してくれた!と喜ぶところなのだろうが、今は前世の記憶がある。ということで少しここで新生ネア様をお披露目してやろうではないか。
「フッ、それはボクのことかな?」
「…君は?」
「ボクはマリナ。ネアの別人格だ」
アルは一瞬目を見開いたが、すぐに平静を取り戻して私に問いかけてきた。ネアの別人格と聞いても取り乱すことは無い。ここは流石王子と言うべきだろう。
「別人格か。話に聞いていたが、まさか本当にそうなってしまっていたとは。非常に残念だが、婚約関係を見直さなければならないかもしれない」
なーに少し嬉しそうに婚約関係見直さなきゃとか言ってるんだ。まさか今ってヒロインと会ってネアのことが若干疎ましくなってきた頃?渡りに船といったところか。はー、ムカつく。そんな男、こっちから願い下げだ。
「はっ、構わないよ。そんなものにボクは興味が無いからね」
「興味がない?この婚約がってことか?これはそんな言い方をしていい話じゃない、この国全体の問題になる話なんだ」
この国全体の問題?なら尚更ヒロインにかまけている暇なんてないだろうに。この男、自分のことしか考えてないな。
「やれやれ。王妃というものにも、もう興味などないし、国なんてものにも興味が無いね」
「…では逆に聞こう。ネアが…いや、マリナが今興味を持っているものとはなんだ」
よくぞ聞いてくれたな、と内心ニッコリしつつ、私は高らかに宣言した。
「ボクが興味あることはこの世界の支配…そう、ボクが今目指しているもの…それは覇王さ…!」
椅子から立ち上がってちゃんとシャフ度を決めながら宣言すると、どうやらアルは呆気に取られている様子だ。その様子に私はさらにニッコリとする。まあ、とどのつまり自分のことしか考えていないのは私もということだ。
「…は?」
しばらくの沈黙の後、アルはようやく言葉を絞り出した。なんたる間抜け面。面白くて何度でも見たくなるような顔だ。
「だから婚約も破棄してもらって構わないよ」
「何故いきなりそんな…なんだ、一体何があったっていうんだ。マリナ、君は―」
「何があったか…?ふっふっふっ、ネアの中にいるもう一つの人格もボクと同意見でね。最近になってようやく動き始めたわけさ」
「…」
「まあ一応フォローしておくとしよう。誇るがいい、ネアは本当にキミが好きだった。今はボクらが発現したから変わったけどね。ちなみにボク程になるとそんなものには興味が無い。ボクはただ、生物学上は女ってだけだからね!」
アルは何を言ってるんだという顔をして固まっていた。
「何を言ってるんだ君は」
ついには言われた。そう真顔で返されると、段々と恥ずかしくなってきた。調子に乗りすぎた…。私は恥ずかしさを隠すように一瞬下を向いてフッと鼻で笑ってから話し始めた。
「そもそもどうしてボクが君に惚れないといけないんだい?顔と第一王子という地位くらいしか取り柄のない君に」
まあ本当はアルの性格を詳しく知らないだけなんだけど。ネアの記憶でも残念ながらそんな詳しく知らないというか…ネアって控えめな感じで、遠くから『お慕い申し上げております』みたいなこと言うタイプだったから深くアルと関わっていたかというとそうでもないというか…。
「なっ、王子である私に対してなんて口を…無礼だぞ!」
「ボクから見た事実を述べただけだろう。で、なんだって?『王子である私に対して』?だからお前は浅いんだよ」
「なんだと!」
「お前、怒るくせに結局は自分の地位だよりじゃあないか。口を開けば自分は王子だからどうとか。お前自身は何かないのか?」
アルは閉口している。口から先に産まれたと常々言われてきたこのボクに舌戦で勝てる人間なんて地球上でも一人しかいないのだ。
「何も無いんだろう?だからアルは王子として当然っていう話しか出来ないんだ。そういうところ、虫唾が走る。糾弾するならそうするといい。別に問題ない。ボクはたとえ家を出たって覇王になってやるって思ってるから。父や母には申し訳ないが、絶縁してもらうしかないだろうよ」
私が吐き捨てるように言うと、アルは目を逸らして、小声で「今日は帰る」とだけ言って部屋を出ていってしまった。
少ししてから、グレンが部屋に入ってきて私に告げる。
「よろしいのですか?」
「何が?」
「あんな風に啖呵を切って、です」
「いい。アルに言ったことは全て本心だ。ネアも、もう彼に未練はないよ」
それだけ言い捨てて、私も自室へと戻る。部屋にはただ一人、グレンが残されていた。
ーー
自室にて、私は頭を抱えた。
「うん、どうしよ!!」
怒りに任せて啖呵切っちゃったけど、もちろんノープランである。とりあえず明日から考えよ、そう思ってすぐに眠りにつくことにしたのだった。