3.自分がADHDだと知るということ
私自身の話に戻ろうと思う。ずっと好きだった「文章を書く」ということを磨きたくて、小説の実作を学ぶ専門の大学に入った。そこで私は、自分の人と違う点に改めていくつも遭遇した。
例えば、私は小説の課題を提出するとき、必ず前の晩にすべてを仕上げる。何日も計画をかけてやることは不可能だった。ただ、普通の人には一日ずっと集中して一本の小説を書ききる、ということができないと知った。これは「過集中」というらしい。
それ以外にも、授業中に先生が言ったことを大体暗記していたりもした。ノートを取るのは子供のころからどうしても苦手で、ノート提出は最も嫌いな提出物の一つだった。大学でも例にもれずノートやプリントへのメモなどをまともに取ったことが無かったが、テストや課題の成績は(私基準で)良好だった。それは人と違うことだと同級生にびっくりされた。
私自身、大学まで、できることとできないことを分けて考えていた。つまり、整理整頓だったり、うまいコミュニケーションだったりはできない。興味があることへの記憶力や謎な行動力などは長所。それが交わることもないし、一緒くたにして「個性」だと考えることをしてこなかった。
ただ、それをひとくくりにできる機会があった。親が家に持って帰ってきたパンフレット。ADHDとはと書かれた冊子で、私は自分の「症状」を初めて知った。そこに書かれていることはすべて鏡だった。私の人生を誰かが見て、客観的にまとめたんじゃないかと思うくらい、私と同じような長所、短所を持つ人が描かれていた。読み終わって涙が出た。
読み終わってから、母親と話した。小学校の時に受けた検査では、アスペルガー症候群の疑いがあるが確証がないと言われたこと、多分ADHDなんじゃないか、と思っていること。すべてありのままを話してくれた。私は、そうだと思うと答えた。
アスペルガー症候群とは、ADHDと同じ発達障害の一部で、どちらかというとこだわりが強く、文脈が読めないタイプの症状が出る人だ。ただその分、こだわりの強さを活かして、様々な才能を発揮する人も多い。実をいうと、後で受けた検査では、私はADHDとアスペルガー症候群の併発だった。もちろんADHDがほとんどではあるが、この二つは分類が難しく、併発することもままあると精神科の先生に教えてもらった。これは個人的な見解だが、小学校の時は、アスペルガー症候群ありきのテストだったから、「微妙」と出たのではないかと思っている。
とにかく私は、自分が人とは違うということを明確に自覚した。今まで、散々できてこなかったことは、向き合うのではなく、付き合っていくことだったと知った。私の中には二つの感情があった。一つは、もっと早く知りたかった。もう一つは、これから、どうしていけばいいんだろう。前者は置いておいて、後者の問題を解決していくために、まずはADHDをもっと知ることだと思った。私は、様々な本を読んで勉強し、「自分」に対しての理解を深めるため努力をした。