1.篠田くんはサラリーマンにはなれません でも普通の学校に通って大丈夫です
小学生のころ、私はいじめにあっていた。今考えれば原因はわかる。身の回りの整理整頓ができなかったり、とにかくうろうろしていたり、座っていても落ち着きが無かったり。言われた提出物や宿題は期限通り出せず、遅れて出すときはいつもクシャクシャ。そういった奇怪な行動が、周りに受け入れられなかったのだと思う。
今でも親には迷惑をかけ続けてはいるが、個人的にこのころが一番迷惑をかけていたと思っている。何かあるたびに変な目で見られるのは本人だけではない。ましてや、本人は小学生、どういう育て方をしている、なんて、面と向かっては言われないと思うけど、そういう目線で見られるのはつらいことだ。
このころにはまだ私は「普通」の人間として生きていたから、苦手なことを克服しようとしない怠け者と周りの眼には映っていたはずだ。親も同様の目線で見るのは当たり前で、かなり怒られた記憶がある。ただそれは、「この子は言えば直る」と信じていたからに他ならない。
ある時、母親が保護者面談から帰ってきたとき、珍しく動揺した顔を浮かべていた。どうしたのと恐る恐る聞くと、面談でかなりの勢いで先生からいろいろ言われたのだという。「宿題もまともに出さない。授業には集中しない。周りも課題も常にぐしゃぐしゃで、保護者にサインをもらってほしいといった重要書類もまだ提出されていません。もうちょっと本気で考えるように指導してください。篠田くんはサラリーマンにはなれません」
私は、この言葉を母親から聞いたとき、先生は卑怯だと思った。もちろん、今ならわかる。親には子供の保護監督責任があって、私は当時まだ小学生。伝えなきゃいけない相手も、真っ向から私に伝えなかった理由も、痛いほどわかる。でも、今でも私は卑怯だと思っている。陰口はやめましょう、人の心を考えましょうと言っていた先生が、堂々と本人以外に伝えたこの言葉の重みが、理解できないはずがない。
母親と小学生時代の話をすると、必ず、このエピソードが出てくる。母親も死ぬほど悔しかったと毎回話してくれる。実は、この言葉には続きがあった。「私が言ったことを篠田くんには伝えないでください」。ちなみに母親はそれも含めて当時の私にすべてを伝えてくれた。その判断は間違っていないと思う。ありがとう。
当時の私はよく言えば天真爛漫、悪く言えば世間知らずの自分知らずだったので、親や周りの人間の言うことを確実に聞いていたかと言われれば、それは微妙だ。説教を受けた直後は直そうとしていたのは事実だ。翌日以降それが実践できるかと言われれば、できないのだけど。これは今でも変わらない。
でもこの言葉は私に暗い影を落とした。私は変な奴だとうすうすは理解していたが、それでも明るく生きていた。サラリーマンになれないという言葉は、未来を閉ざす言葉だ。どちらかといえば外向的だった私が、内向的にも深く考え悩むようになったのは、この言葉がきっかけだと思う。
その後、専門のセンターで診断を受けた。両親がちゃんと知っておいたほうがいいという判断だったと思う。ただ、この時私にはそんなこと何も伝えられていなかった。「IQを測る」、こんな感じで連れていかれた記憶がある。加えて、結果も当時の私には一切つたえられていない。行った趣旨も結果も伝えられないのだから、私個人的には行く意味は全くなかったと思っている。
親から言われたことは、物事の想像力が少し働かない傾向があって、そこに気を付けながら生きたほうがいい、ということだった。その後はやっぱり自分は変な人なのかなあと思いつつ過ごしていた。ちなみにのちに聞いたその時の結果は、アスペルガー症候群の「気」があるが普通の範囲内です。普通学級に行くのは何ら問題ありません、大丈夫です、だったそうだ。
親としてはかなり困ったと思う。担任には、「サラリーマンになれません」とまで言われて、かたや障がいのプロには「普通の学校にいって大丈夫です」と伝えられる。この子はどうしてあげるのが正解なんだろうか、そのように迷っていたに違いない。結局、私は中学、高校と普通学級で過ごした。あの時にしてほしかった、伝えてほしかったことはあるけれども、あの時に伝えられず、普通学級に通えたからこそ知ったことや、気づいたことも多くあると思っている。