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ミステリーリレー小説2021『名探偵ミナミ・セイヨウの誕生』  作者: ミステリーリレー小説2021「学園ドラマ×ミステリー」参加者一同
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第5話 ジョリー・アンド・ヨッシー (若松ユウ)

 人間臭く嫉妬深い、まるでギリシャ神話か古事記に登場する神々のような自称神ナツの神業により忽然と姿を現したバナナの皮で、南見正陽は足を滑らせ、頭をアスファルトに強く打ち付けた。

 暗転する視界が明転するまでの一刹那に、正陽の瞼裏には、何故か三時間目の光景が浮かんできた。 


  *


 三時間目の教室には、南向きの窓から夏の陽光が差し込み、黒板の上では、磔刑に処されるイエスの横に掛けられている時計が、十一時過ぎを指している。

 教壇では、ジョリーこと二年A組の担任にして社会科教員である常利(つねとし)先生が、右手にチョーク、左手に世界史Bの青い教科書を持ち、余談に花を咲かせている。黒板には、ザクセンシュピーゲルと、ほぼ同時代に日本で成立した御成敗式目について、その類似点と相違点をマトリックス表にして簡潔にまとめたものが記されている。


「……であるからして、少なくとも十三世紀には、西欧でも日本でも、それまでの貴族に代わる新たな勢力が政治的権力を持ちはじめたと言えよう」


 一齣(ひとくさり)講釈を語った常利は、一旦話を止めて生徒のほうへ視線を移した。

 すると、廊下側一番前の席で、背中を丸めた吉岡が、図説を盾にして何やらゴソゴソと好からぬことをやってのけている様子や、その模様を窓側に近い北川や中央列の南見がチラチラ伺っているのに気付いた。

 常利は、また吉岡かと内心で呆れつつ、教壇にチョークと教科書を置いてから彼の席に近付いて質問を投げかけた。

 

「吉岡。これは中学までの復習だが、御成敗式目を制定した人物は誰だ?」

「ええっ? お、俺じゃねぇよ!」

「そんなことは百も承知だ、馬鹿者。こんな小細工をせずに、少しは真面目に授業を受けたまえ」


 吉岡の素っ頓狂な受け答えに一喝してから、常利は目隠し代わりに立てている図説を伏せ、その内側に広げていた漫画を取り上げた。焦る吉岡と怒る常利が繰り広げる漫才劇場の開幕に、教室中でクスクスと忍び笑いが頻発している。

 

「ちょっ、それ借り物だから返して!」

「いいや、これは学業に不要の物であるからして、放課後まで預かっておく。ホームルームの後に、職員室まで来なさい」

「見逃してよ、常利大先生様。ソーセージあげるから」

「教師を食べ物で釣るな。そもそも、早弁など以ての外だ」

「ちぇー。これ、結構うまいのに」

「コラ。他人様が説教している間に、食べ進める奴があるか!」 

 

 反省の色も見せず、あまつさえ箸でソーセージを口に運んだ吉岡に対し、常利は取り上げた漫画の角で吉岡の頭頂部を小突いたのであった。


  *


「いや、こういう時は、幼少期の楽しかった思い出なんかが蘇るのがセオリーじゃないのか?」


 正陽は自分で自分の記憶細胞にツッコミを入れつつ、頭を押さえて立ち上がり、パパッと手の平とスラックスの塵芥を払ってから手落とした文庫本と前籠から落ちた鞄を抱え持ち、次いでカラカラと乾いた音を立てて前輪が回っている自転車を起こし、再び帰路に就いた。何だか自分の滑稽さを、岐路に立つ地蔵菩薩像に背後で笑われているかのような気配を感じた正陽は、気持ち急ぎ足になった。


 十余分ほど田舎道を自転車を押して歩くと、正陽は、この春から厄介になっている親戚の家に到達した。

 それから正陽は、夕飯と入浴を済ませ、課題があると親戚に告げてから一階の居間から二階の四畳半の和室へ上がり、提出期限が迫っている数学の問題集を、解答例を見ながら丸写しだとバレない程度に適当に間違えつつノートしたり、リーダーの長文の中で、今度の授業で自分が当たりそうなパラグラフを訳したりしてから、デスクライトを消し、布団に寝転がって『緋色の研究』を読みはじめた。

 ホームズが初対面のワトソンの来歴を言い当てたところまでは集中していた正陽だったが、スコットランド・ヤードのグレグスン刑事からの手紙に応じて現場検証をはじめた頃には、目では活字を追いつつも、心ここにあらずといった具合になっていた。

 

「たしか、ベートーヴェンのヒソウとか言ってたな――」


 気が付けば、正陽は文庫本を閉じて鞄に仕舞い、代わりにスマホを取り出してイヤホンを装着し、夕暮れの中で東夜鈴が語っていたクラシック音楽を調べていた。

 ヒソウが悲愴という字を書くことや、ピアノソナタ第八番が第三楽章まであることまでは分かった正陽だったが、なぜ東夜が途中で言い淀んでしまったのかは不可解なままであった。

 

「ベートーヴェンって、神経質なくらい同じメロディーを繰り返すんだな……」


 再生中の動画の横に現れるオススメ動画を辿り、第十四番の月光や第二十三番の熱情を聴いていた正陽だったが、その退屈なほどの単調さに飽き、次第次第に上瞼が重くなり、そのまま夏の夜の夢の世界に誘われてしまった。

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