第94話
午前9時。
開会時刻となったスタジアムでは、まず秋代による開会宣言が行われ、同時に異世界ストアから異世界ギルドへの改名が正式に発表された。
そして開会式終了後、第1種目の100メートル走で、世界記録の9秒58を超える6秒31が飛び出すと、2種目めの中距離(1500メートル)では2分13秒81。長距離(10000メートル)では17分32秒15。ハードル走(400メートル)では28秒65と、立て続けに世界記録を塗り替えることとなった。
むろん、これらの大記録はクオリティの産物であり、純粋な世界記録と比べられる代物ではない。しかし、なんの制約もなく自分の力を発揮できることは、プレイヤーたちに充実感と満足感をもたらしていた。
また、競技が槍投げ、円盤投げなどの投擲競技へと移行すると、スタジアムも投擲競技に適したU字へと変化し、観客を大いに驚かせた。
そして最終種目のハンマー投げが終了し、秋代が閉会の挨拶を行おうとしたとき、
「!?」
フードを被った複数の人間がスタジアム内に転移してきた。
「よう、随分と楽しそうじゃねえか。オレたちも混ぜてくれよ」
現れた7人のうち、1人がフードを外した。そして顕になった顔は、かつてアーリア帝国に席をおいていた、柏川蓮のものだった。
思いがけない再会に、
「柏川君?」
土門は戸惑い、
「柏川あ!」
禿は怒りを顕にする。
「久しぶりだな、土門、クソ女」
柏川は薄ら笑うと、
「それと国分! 本郷!」
観客席に目を向けた。
「あのときは、よくもナメた真似してくれやがったな! 落とし前はキッチリ取らせてやるから、覚悟してやがれ!」
怒りのままに怒鳴り散らす柏川に、
「ブッ殺す!」
禿は呼び寄せた剣を身構える。
「やってみろや、クソ女」
柏川は吐き捨てた。
「言っとくが、今のオレ様は、あのときとは比べモンになんねえぐらいパワーアップしてんだぜ! 悪魔の力でなあ!」
柏川がそう言い放った直後、スタジアム全体が炎に包まれた。
「せいぜい、いい声で泣きやがれ! それでこそ「ラグナロク」を告げる「ギャラルホルン」に相応しいってもんだ!」
紅蓮の炎に包まれるスタジアムを見て、柏川が高笑う。しかし、
「は?」
炎が消えた後のスタジアムには、観客たちが無傷のまま生き残っていた。
「ど、どうなって……」
困惑する柏川めがけ、鎖付きの手錠が飛んできた。そして柏川の右手首を捕らえると、
「うおおおおお!?」
柏川の体は上空へと吊り上げてしまった。
「な!?」
見ると手錠の鎖は、上空にある真横に伸びた鉄棒に繋がっていて、その鉄棒は左右に打ち立てられた50メートルを超える石柱によって固定されていた。
そして、柏川の体が限界まで引き上げられたところで、
「うおおおおお!」
鎖が緩み、柏川の体が落下する。しかし鎖は柏川の体が地面に激突する寸前で、再び柏川の体を上空へと引き上げる。すると、その衝撃に耐えられなかった柏川の右肩の関節が抜け、右手首の骨が折れる。その激痛に、
「ぎゃああああああ!」
柏川の口から絶叫が上がるが、傷自体は悪魔の力で見る間に全回復した。
「……なるほど。悪魔と契約したことで、治癒能力も向上しているのか」
その様子を下から眺めながら、永遠長が独り言ちた。
「それとも不老不死の恩恵か。どちらにせよ、これでは実験にならん」
永遠長は右手をシェイド化すると、柏川の体に突っ込んだ。そして、
「分離」
柏川の体から悪魔によって与えられた不老不死の力を掴みだすと、再び柏川を上空へと引き上げていく。
「て、てめえ……」
柏川は青ざめた顔で、永遠長を睨みつける。
「ブッ殺す!」
柏川が永遠長を焼き殺そうと「炎上」を発動させる。しかし、炎が地面から吹き上がることはなかった。
「無駄だ。おまえの力は、すでに封じている」
永遠長はそう言うと、2度目の落下を実行し、
「ぎゃあああああ!」
柏川の口から再び絶叫が上がる。
「て、てめえらあ!」
激痛に身悶えながら、柏川は仲間たちを怒鳴りつけた。
「バカ面さらして見てねえで、さっさとそいつをブチ殺しやがれ!」
柏川に一喝され、仲間たちは行動に移ろうとした。しかし体を動かすことも、力を発動させることもできなかった。
「言うまでもないが、そいつらの動きもすでに封じてある」
永遠長は淡々と言うと、
「て、てめええ!」
気色ばむ柏川に構わず、
「3回目」
「4回目」
「5回目」
黙々と実験を続けていく。その凄惨な光景に、
「う……」
観客の中には、不快感から立ち去ろうとする者も現れた。しかし、その全員が動くことはおろか、スタジアムから目を逸らすことも耳を塞ぐこともできなかった。
そして15回目の落下後、ついに柏川は動かなくなった。
「15回か。結構もったな。問題は、この結果が一般的に妥当と言えるのか、ということだな。もしかしたら以前の実験によって、この種の痛みに対して、ある程度の耐性がついていることも考えられるからな」
永遠長は、しばし考え込んだ後、
「まあいい。実験材料なら、まだまだある」
柏川の仲間たちに目を向けた。
「ひっ!」
永遠長にロックオンされ、悪魔に魂を売り渡したはずの「契約者」たちの体が恐怖にすくむ。そのとき、
「止めるのです!」
観客席の最上段から沙門の声が飛んできた。
「それ以上の非道は、この「魔法少女」マリーが許さないのです!」
すると、堰を切ったように、
「そ、そうだよな」
「いくらなんでもやり過ぎだぜ」
「そこまでやらなくても、いいでしょうに」
「酷すぎるわ」
観客の中からも非難の声が上がる。
「何を勘違いしている」
永遠長の声は大きくなかったが、その声は「境界」により、スタジアム中に届いていた。
「これは運動会でもなければ、オリンピックでもない。外野がいくら喚こうが、それによって異世界ギルドの運営方針が変化することなどない。同調圧力でマウントを取りたければ、地球に帰ってSNSにでも投稿していろ」
永遠長は容赦なく言い捨てるが、
「外野も同調圧力も関係ないのです! 間違っているものは間違っているのです! そんなことは「魔法少女」として許せないのです!」
沙門は、なおも敢然と立ち向かう。
「おまえの思想信条になど興味はない。おまえは異世界ギルドの1利用者に過ぎない。そのおまえが、いくら声を大にして叫ぼうが、異世界ギルドの決定が覆ることなどない。それとも、異世界ストアの創設者とやらに助けを求めるか? どうやら、おまえたちは異世界ストアの創設者と仲良しのようだからな。助けて、創造主様、と泣きつけば、あるいは決定を覆せるかもしれんぞ」
「誰が、そんなみっともない真似するか! なのです!」
「なら、どうする? 力尽くで止めてみるか? やってみるがいい。もしおまえたちが俺に勝つことができれば、こいつらを助けることができる」
「言われるまでもないのです!」
スタジアムに殴り込もうとする沙門を、
「ダメよ、マリーちゃん」
花宮が引き止める。
「離すのです!」
「ダメよ。永遠長君の言う通り、今の私たちは異世界ストアの1利用者に過ぎないんだから」
「咲ちゃんの言う通りだよ」
十六夜も花宮に加勢し、
「だな。大義は奴のほうにある」
九重も花宮の言い分を支持した。
実際、やり方はともかく、イベントを妨害する者を排除することは、イベントの主催者として当然の業務だった。そしてイベントの妨害者にペナルティーを与えることは、規約にも記されている。ゆえに、そのことに1利用者が干渉するということは明らかな規約違反となり、下手をすれば異世界ナビの使用禁止を含めたペナルティーの対象となるのだった。
「ぐぬぬ! なのです!」
沙門の体が怒りに打ち震える。
「おまえたちも同じだ」
永遠長は観客を見回した。
「異世界ナビを利用する上での禁則事項は、ナビに明確に記載されている。もちろん、それを破った場合のペナルティーについてもだ」
永遠長の言葉に、観客席がざわめく。
「にも関わらず、最近のプレイヤーの中には、ゲーム気分で異世界で好き放題した挙げ句、自分勝手な正当防衛を主張して、自分の行動を正当化している奴がいるという。俺の名を、都合のいい免罪符として利用してな」
永遠長の目が鋭さを増す。
「だが、それ自体は問題ではない。規約にも、正当防衛による現地人への攻撃は認められている。しかし」
永遠長は「契約者」たちに歩み寄ると、
「その行為が正当防衛かどうか、それを決めるのは俺であっておまえたちではない」
剣を引き抜いた。
「それでもなお、これから先もゲーム気分で、虫のいい正当防衛を振りかざしたければするがいい」
永遠長は剣を振り上げると、
「そして、せいぜい神に祈るがいい。おまえたちが主張する正当防衛を、この俺も認めてくれることを」
契約者の1人を真っ二つにした。
「さもなければ」
永遠長は、さらに1人の首を切り飛ばすと、
「おまえたちも、こいつらと同じ運命をたどることになる」
また別の契約者の胸に剣を突き刺した。
「だが、問題ないだろう。おまえたちにとって、ここでのことは、しょせんゲームに過ぎないのだからな」
永遠長はそう言いながら、倒れた契約者たちの体に剣を突き落としていく。
「実際、どんな攻撃をされようとも、復活チケットさえ持っていれば死ぬことはない。少し痛い目を見る。ただ、それだけの話だ。もっとも、人によっては死んだほうがマシだと思うかもしれんがな」
永遠長はそう言い捨てると、
「おまえたちもだ」
血まみれの契約者たちに目を落とした。
「あ……」
「うう……」
「ひい」
永遠長に射すくめられた契約者の顔が、恐怖に引きつる。
「おまえたちが、どこの誰と、どんな契約をし、地球にどんな害をもたらそうが、そんなことは俺の預かり知るところではない」
永遠長は契約者の1人の顔に剣を突き刺すと、自分の目線まで持ち上げた。
「だが、この異世界に手を出すと言うのであれば、それは俺への敵対行為であり」
「ひゃ、ひゃめて、たふけへ」
「それ相応の代償を払うことになる。覚えておけとは言わない。必ずやる。ただ、それだけの話だ」
永遠長はそう宣告すると、シェイド化させた右腕で、
「分離」
契約者たちの体から不老不死の力を奪い取っていった。そして、不老不死の力を失った契約者たちは次々と絶命し、地球へと強制送還されていく。
「話は以上だ」
永遠長は静まり返った観客たちにそう言い捨てると、自身もスタジアムから姿を消した。
観客たちに忘れようのない警告と、強烈なトラウマを残して。




