第89話
その日の夜、真境は荻窪にあるオフィスビルの2階にいた。
だが、その室内には設置設備は何もなく、彼と永遠長が座っている椅子が置かれているだけだった。
「おい、これはどういうことだ!?」
忍耐の限界に達した真境は、永遠長に詰め寄った。
その永遠長は、真境を出迎えてから今まで、黙々と本を読み続けていた。
「俺は、貴様がもう1人のモンスターメーカーを捕まえるというから、わざわざここまで来たんだぞ!? なのに、なんだ、貴様は!? 俺が来たときから、ずっーとバカ面さらして本を読んでるだけではないか!」
真境は、てっきり永遠長には、すでに犯人の目星がついていると思っていたのだった。
「あれだけ思わせぶりなことをぬかしておいて、ノープランだったのか、貴様!?」
それならそれで、せめてパトロールをするとか、やれることはあるはずだった。
「うるさい奴だ。別に、おまえに付き合ってくれと言った覚えはない」
永遠長は言い捨てた。
「おまえが、この事件は自分の手で片を付けたいと言うから、付き合わせてやっているんだ。文句があるなら、自分の手で捕まえて来い」
「く……」
まったく、どこまでも憎たらしい男だった。
「それに、何もしていないわけじゃない」
「なに?」
「仮に俺の推測が正しければ、もう1人のモンスターメーカーは、おまえと同じ力を持つ「救済者」である可能性が高い。だとすれば、その力を与えたのは同じ人物ということになる。そして、もし本当に同じ人物であるならば、おまえともう1人のモンスターメーカーは、その力を与えた人物を通して、同じ力で繋がっているとも言える」
「…………」
「ならば、おまえに連結の力を使えば、その力を与えた人物を通して、もう1人のモンスターメーカーの居場所を探り当てることができるのではないか? と考えた。そして試してみたら、できなかった」
永遠長の結論を聞き、真境はズッコケた。
「できなかったのか!? 散々もったいぶっておいて!」
「考察したことのすべてが実現したら、誰も苦労はしない。考察し、検証した結果、成果を得られることなど10に1つもない。しかし、だからと言って思考を放棄すれば、進歩は永遠に望めない。そして進化に行き詰まった生物を待つ運命は、緩やかな絶滅しかない」
永遠長の見るところ、失敗した原因は、おそらく寺林のときと同じと思われた。
羽続という男の話通りだとすると、今現在「世界救済委員会」の担当者は、上司から逃げ回っていることになる。であれば、追手の追跡を逃れるために、ありとあらゆる手を打っているはずだった。
「ただ思いついただけで、あたかもそれが正解であると思い込み、検証もせずに実行に移す。そんな浅はかな真似をしているから、無様をさらすことになる」
永遠長に一蹴され、
「お、大きなお世話だ」
真境は鼻白んだ。
「だいたい、貴様も失敗したのなら、立場は俺と同じだろうが」
「誰が、そんなことを言った」
「言ったろうが、今!」
「俺は「世界救済委員会」の担当者への「連結」は失敗した。そう言ったに過ぎない」
「だから!」
「言ったはずだ。成功するのは10の試みのうち、せいぜい1つだと。連結が失敗したのなら、別のアイディアを試す。ただ、それだけの話だ」
「別のアイディア?」
「おまえの力を使う」
思いがけない永遠長の答えに、
「俺の力だと?」
真境は考え込んだ。
「……それは、なんらかのモンスターの力を使って、犯人を捕まえるということか?」
確かに、予知あるいは探知能力に秀でたモンスターならば、犯人を捕まえるかもしれなかった。だが、実際のところ、そんなモンスターがいるかと言うと……。
「そっちではなく、クオリティのほうだ」
「クオリティだと?」
真境は眉をひそめた。
「しかし、アレは結界とも呼べない弱い光が出せるだけで」
「だから、おまえは考えが足りないというんだ」
「なんだと!?」
真境は奮然と言い返した。
「言っておくが、俺は「境界」の力を何度も検証したし、強化も試みたんだ!」
しかし何度試しても、なんの変化も見られなかったのだった。
「それは、方向性が間違っていたからだ」
「なんだと!?」
「おまえも調べたのなら、すでにわかっているだろうが、境界とは、境界線と言う言葉がある通り、一般的には土地や物事の境目のことを言う」
「そうだ。そして、その境目の内側は自分の領域であり、外側は他人の領域。つまり境界とは「自分と他人を隔てる結界」ということだろう」
そのぐらいのこと、とうにわかっている。とばかりに、真境はフンと鼻を鳴らした。
「そこで思考が止まるから、おまえは詰めが甘いと言うんだ」
「なんだと!?」
「おまえの言う通り、境界の内側はおまえのテリトリー、つまり、おまえの力の及ぶ範囲だと言うことだ。実際、この境界を「きょうかい」ではなく「きょうがい」と読むと、その意味は「自分の力の及ぶ範囲」となる」
「自分の力の及ぶ範囲?」
真境は少し考えた後、
「……つまり、境界の領域内であれば、俺は他人に触れなくてもモンスター化できるということか?」
自分なりの答えに行き着いた。と、同時に、強烈な脱力感に襲われた。
俺の、これまでの苦労はなんだったのか、と。
「魔物使いの力もだ。そして、境界が自分の力の及ぶ範囲を意味しているのであれば、その境界の内側は、おまえの領域ということになる」
「何度も同じことを。だから、なんだというんだ?」
「おまえは、ごく狭い範囲でしか境界を試さなかったから気づかなかったようだが、おまえの境界には別の活用法があるということだ」
「別の活用法だと?」
「わからないなら、試しにここで使ってみるがいい。ただし、後ろの壁を超えるぐらいの広さでだ」
永遠長に言われるまま、真境は「境界」を発動させた。
「やったぞ。これがなんだというのだ?」
いつもより力が必要ということ以外、これと言って何の変わりもなかった。
「なら、そのまま意識を後ろに向けてみろ。今のおまえなら、振り返らずとも、どのくらい後ろに壁があるかが感覚として実感できるはずだ」
「なに?」
真境は目を閉じると、意識を背後に集中させた。すると、
「!?」
永遠長の言う通り、背後にある壁までの距離、配置、厚みが手に取るようにわかった。
「わかったか。つまり、おまえの「境界」には、その領域内に存在するものを、使用者に認識させる力があるんだ。人間が、たとえ目をつぶっていようとも、自分の手足が今どこにあり、どんな格好をしているかがわかるようにな」
「俺の「境界」に、そんな力が?」
自分で確認した今も、信じられなかった。何しろ、今の今まで、まったく使えない力と思い込んでいたのだから。
「今は、まだレベルが低いから境界内の人や物を認識するに留まっているが、レベルが上がればモンスター化や魔物使いの力を使わなくとも、境界内の人や物を自由に動かすことができるようになるかもしれない。人が、自分の体を自由に動かせるようにな」
「…………」
「極論すれば、もしおまえがこの星全体を境界で覆い尽くせるほどにレベルアップすれば、この世界の人間すべてを支配下に置くことができる、ということだ。必然的に、異世界に手を出させないこともな」
永遠長の話のスケールの大きさに、真境は鼻白んだ。
「要するにだ。もしおまえが本当にモスを守りたいと思っているのであれば、星1つとはいかないまでも、せめて日本全土を境界で多い尽くせるぐらいまでにはレベルアップしろということだ。そうすれば、おまえに異世界ストアの全権委譲も考えてもやろう。が、今のままでは話にならん」
永遠長は容赦なく切り捨てた。
「仮に、今おまえが俺を不意打ちか何かで倒して運営権を手に入れたとしても、今のおまえでは、より力のある者に奪われて、また泣き言を言うのが関の山だ。無力な善人の綺麗事など、なんの意味もない。そんなものを、いくら振りかざしたところで、自己中どもは屁とも思わない。黙殺され、踏みにじられ、虫けらとして始末される。ただ、それだけの話だ」
「…………」
「そして今俺は、おまえの「境界」を発動させている。俺の力では関東圏内がせいぜいだが、これまでの事件は、すべて東京都内で起きていることから、それで十分と判断した。そして、もしその領域内で強力な魔力の行使なり、モンスターが出現すれば、すぐにわかる……」
永遠長はそこで言葉を切ると、
「いた」
椅子から立ち上がった。そして、
「行くぞ」
真境を連れて犯人のもとへと転移したのだった。




