第52話
夕食後、土門たちが案内されたのは、地下牢ではなく来客用の貴賓室だった。
大理石の床に広げられた、最高級の絨毯。高価な調度品に、天蓋付きのベッド。そこは、まさに絵に書いたような王侯貴族の部屋であり、さっきまでいた地下牢の環境が最悪だっただけに、その豪華さが土門たちの目には一層際立って見えた。
だが、それも一瞬のことで、土門の心はすぐまた沈み込むことになった。
原因は、夕食会での皇帝の話だった。
戦争は間違っている。
でも、この世界の文化水準が低いせいで、本来ならば死ななくてもいい人間が死んでいるのも事実。それを変えるためには、力で既得権益者を排除するしかないのかもしれない。
でも、だからと言って……。
土門の中では、この2つの価値観がぶつかり合い、堂々巡りを続けていた。
「まだ、あの皇帝から言われたことを考えてるの?」
無駄に悲壮感を漂わせる土門を見て、禿が呆れ顔で言った。
「うん。あの人の言ってることはわかるんだけど、でも、だからと言って、その手段として戦争を肯定するのは違う気がするんだ」
悩む土門を、
「当たり前でしょ。そんなこと」
禿が一刀両断した。
「だいたい、あの男が言ってる事が本当かどうかも怪しいもんだし。今の状況で、そんなこと考えるだけ無駄ってものよ」
「本当かどうかって……」
「ああいう綺麗事並べて、自分の行動を正当化する奴にロクな奴はいないってこと。うちの父親が、そのいい例よ」
「それって……」
思いっきり、ミッちゃんの偏見だよね。と、土門は言おうとしたが、怖いのでやめておいた。
「それと同じ匂いが、あの皇帝からもプンプンするのよ」
「匂いって……」
「都合のいいときに都合のいいことを言ってれば、相手を煙に巻けると思ってる、偽善者の匂いよ」
「偽善者って。あの人は、ちゃんとこの世界のことを考えて」
「何言ってるの。本当にこの世界のことを考えてたら、あんなイカレ野郎を手下になんてしないわよ」
ああ、そこか。
土門は思いっきり納得した。
「それに、あの皇帝の仲間って奴ら、見たでしょ。みーんな、そろって白人で金髪碧眼ばっかりだったじゃない。あれって、要するに自己愛の発露でしょ。そんな奴が他人の、しかも異世界人のために動くわけないじゃないの」
禿は憤然と言い切った。偏見による決めつけも、ここまでくると清々しかった。
「ま、いいわ。とにかく今日は、もう寝ましょ。まあ、さっき目を覚ましたばかりだから、あんまり眠くないんだけど」
そう言ってベッドに横になった禿は、5分もしないうちに熟睡していた。
そんな禿の寝顔を見ながら、土門も眠りについた。その顔に、先程までの苦悩の色はなかった。
色々なことがあり過ぎて、土門は忘れていたのだった。
禿を守る。それ以上に大事なことなど、自分にはないのだということを。
そして2人が眠りについた夜半すぎ、
「お…て、起きて」
土門は自分を揺さぶる手によって目を覚ました。
「なに? 水、ミッちゃん」
土門は、自分を起こしたのは禿だと思いこんでいた。しかし目の前にいたのは、見知らぬ金髪の少女だった。
「だ、誰、君?」
驚く土門の口を、少女が素早く塞ぐ。
「大きな声、立てないで。安心して。敵じゃないから」
部屋に不法侵入した少女が言っても、まったく説得力のない言葉だった。しかし、とりあえず土門がうなずくと、少女は土門から手を離した。
「君は誰なんだい? どうして、こんなことを」
土門は廊下の見張りに聞こえないように、小声で少女に尋ねた。
「ワタシはロセ。あなたと同じ地球人よ。あと、理由は彼女も起こしてから説明するわ」
ロセはそう言うと、禿を起こしにかかった。
「あ、待って」
土門はロセを止めようとしたが、わずかに遅かった。
そして見知らぬ女に起こされたうえ、口を塞がれた禿は、
「!?」
案の定ロセを吹き飛ばしてしまった。
「いきなり、何すんのよ!」
「ちょ、ちょっと、待って。落ち着いて、ミッちゃん」
土門が、あわてて禿をなだめていると、
「ツチカド殿、どうかなさいましたか?」
騒ぎに気づいた見張りが扉越しに声をかけてきた。
「い、いえ、たいしたことじゃないです。ちょっとした痴話喧嘩で。どうも、お騒がせしました」
土門はそう言って見張りをごまかすと、
「何か事情がありそうなんだ。とりあえず、話だけでも聞いてあげようよ」
禿にささやいた。
「てゆーか、誰なの、この女? まさか、土門君が引き込んだんじゃないでしょうね?」
禿は土門を睨みつけた。
「ち、違うよ。ボクも、さっき、この人に起こされてビックリしたんだから」
「なら、いいけど……」
釈然としないものの、禿はとりあえず怒りを収めた。そうして禿の警戒が解けたところで、
「大丈夫かい?」
土門はロセに向き直った。
「ええ、大丈夫よ。ちょっとビックリしただけだから」
ロセは立ち上がると、土門たちに歩み寄った。
「突然押しかけた無礼は、お詫びするわ。でも、こうするしかなかったのよ、ミスターツチカド。と、ミス、カムロで、いいのよね?」
「ええ。で、あなたは、どこの誰なわけ?」
「ああ、そういえば、まだあなたには名乗ってなかったわね。ワタシはロセ。あなたたちと同じ地球人よ」
「地球人?」
「ええ、正確にはスイス人」
「で? そのスイス人が、こんな時間に、どうして私たちの寝込みを襲ったの?」
禿は胡散臭そうにロセを見た。
「寝込みを襲ったわけじゃないわ。ワタシは、あなたたちをここから逃がすために来たのよ」
「逃がす?」
土門と禿は顔を見合わせた。
「そう。あなたたちが、あのアメリカ人に利用されないうちにね」
「どういうこと?」
「あいつらが、あなたたち、いえ、ツチカドを城に連れて来たのは、あなたの力によって自分たちが不老不死になるためなのよ」
「不老不死?」
土門と禿は再び顔を見合わせた。
「でも、そんなことを許したら、それこそこの世界は大変なことなる。それでなくてもアーリアン学説を信じ込んでいる奴らは、アーリア人以外は虫ケラぐらいにしか思っていないんだから」
「アーリアン学説?」
禿は眉をひそめた。
「アーリアン学説っていうのは、一言で言うなら、白人が地球上でもっとも優れた人類で、他は全部ゴミだっていう、偏った人種差別思想のことよ」
ロセは不快感を顕にした。
「あの人たちが、そのアーリアン学説信者だって言うのかい?」
土門には信じられなかった。
「その証拠に、奴らはモスに残っている地球人を殺して回ってる」
「え?」
「それでワタシの仲間たちも殺されたわ」
ロセは唇を噛み締めた。
「殺されたって、どうして?」
土門には、わけがわからなかった。同じ地球人を殺しても、あの皇帝に得など何もないはずだった。
「自分たちが、この世界を支配するうえで邪魔だからよ」
ロセは即答した。
「現代人である奴らにとって、ロクな科学知識もないモスの人間は、取るに足りない猿でしかないわ。でも同じ地球人は違う。自分たちと同じ知識を持っているうえ、特別なスキルも使える地球人は驚異と考えているのよ。他の地球人がいると、いつまた、どんな力で、この戦況をひっくり返されるかわからないってね」
「そ、そんなことのために?」
土門には信じられなかった。
「でも、あの国分って奴とかは、殺されてないじゃない」
禿が冷静なツッコミを入れた。ロセの言うとおりなら、あの連中も殺されているはずだった。
「あいつらは、正体がバレる前から軍に入ってたのよ。そして、そのことに後で気づいたホワイト(ビルヘルムのラストネーム)たちは、殺すよりも有効利用することにしたのよ。掃除屋としてね」
「掃除屋?」
「そう。ホワイトは、彼らに命じたのよ。この世界に残っている、自分たち以外の地球人を皆殺しにしろってね。おそらく汚れ仕事をさせるのに、ちょうどいいと思ったんでしょうね。敗戦からこのかた、日本人はアメリカ人の犬として、ただ言われるまま従順に生きてきたから。そして用が済めば……」
ロセは右手で首を切る仕草をした。
「そんな……」
「現にラザレームの首都に残っていた、あなたたちを除くツアー参加者たちは、彼らによって皆殺しにされたわ。奴らが首都を攻撃した本当の目的は、奇襲によって首都に残っていた地球人の生き残りを根絶やしにして、あなたの身柄を確保することだったのよ、ツチカド」
「ボクを? どうして、ボクを?」
「さっき言ったでしょ。奴らが不老不死を手に入れるためよ」
「不老不死って、ボクには、そんな力……。ボクにできるのは、ケガを治すことだけで、人を不老不死にする力なんて持ってやしないよ」
「でも、時間を巻き戻せるんでしょう? 奴らは、その力を使って1日刻みで延命しようとしてるのよ」
「そんなの、不老不死でもなんでもないじゃないの」
禿は呆れた。確かに「回帰」を使えば、1日前に肉体を戻すことはできる。だが、その場合、その間の記憶も消えてしまう。禿に言わせれば、そんな不老不死など無意味だった。
「もちろん、完全な不老不死じゃないわ。それは奴らもわかってる。だから、あなたは間に合わせなのよ。本当の不老不死が手に入るまでのね。そして、もし奴らが本当の不老不死を手に入れたら、あなたたちも他の地球人と同じ運命をたどることになるのよ」
「…………」
「信じられないって顔ね」
「そ、そういうわけじゃないけど、君の話だけで証拠もなしに、一方的にあの人たちを悪人だって決めつけるのは悪いというか、間違ってるような気がして。もしかしたら何か行き違いというか、誤解があるのかもしれないし……」
土門には、さっきのビルヘルムの言葉が、まったくのデタラメだとはどうしても思えないのだった。
「……日本人は、学校で近代史を教えないっていうのは、本当のようね」
ロセは嘆息した。
「どういう意味よ?」
禿の眼光が鋭さを増した。
「どうして日本がアメリカに負けたのか。その理由を、まったく理解していないってことよ」
「だから、何が言いたいのよ。回りくどいのよ。言いたいことがあるなら、ハッキリ言いなさいよ」
短気な禿はロセに詰め寄った。
「本当に、わからないの? 察しが悪いわね。せっかく角が立たないように、間違いを指摘してあげてるんだから、それぐらい自分たちで考えてほしいんだけど」
「……喧嘩売ってるの、あなた?」
「そんなつもりはないわ。ただ、無駄な争いはしたくないってだけ。でも、いいわ。時間もないし、教えてあげる。あなたたちがアメリカに負けたのはね、国力の差以前に、客観性がなかったからなのよ」
「客観性?」
禿は眉をひそめた。
「そうよ。当時の日本人がアメリカに負けたのは、自分の見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞いて、自分に都合のいい情報だけを信じて、思い込みだけで開戦したからなのよ」
ロセはキッパリ言い切った。
「いえ、それ以前の日露戦争の段階で間違っていたのよ。あの戦争、歴史上では日本の勝利となっているけど、日露戦争が終結した時点で、ロシアにはまだ十分な戦力があったのよ。それこそ、そのまま戦争を継続していれば日本軍を叩き潰せるぐらいのね」
「じゃあ、どうして降参したの?」
禿には解せなかった。
「当時の日本の情報部の力よ。当時の情報部がロシアと接触して、このまま日本と戦争するより、ここで敗北を受け入れたほうが得だと思わせたの。要するに、日本はロシアに勝ったんじゃなくて、勝たせてもらったのよ」
ロセは肩をすくめた。
「なのに当時の日本の軍部は、その勝利を自分たちの実力だと勘違いしてしまった。そして勘違いした日本軍は、あろうことか日露戦争において最大の功労者とも言える情報部をないがしろにして、聞く耳を持たなくなっていったのよ。そして自分たちは無敵なんだ、という思い込みだけを肥大化させて、第二次世界大戦に突入していったのよ。つまり、あの戦争で多大な犠牲者を出した最大の原因は、他人の忠告に耳を貸そうとしなかった、当時の日本首脳部の思い込みだったのよ」
「…………」
「そして、それは今のあなたも同じってことよ。自分の見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞いて、自分の信じたいものだけを信じて、真実から目を背けようとしている、あなたとね」
ロセは土門を指差した。
「ワタシの言葉が嘘だと思うなら、自分の目で見て、耳で聞いて、真実を確かめればいいことでしょう? 少なくとも、こんなところでウジウジ考えてたところで、答えなんて見つかりはしないわ」
ロセは毅然と言い切った。
「確かに、その通りね」
禿は力強くうなずいた。
「ま、私は最初から、あんな皇帝の言うことなんて、まったく信じてなかったわけだけど」
禿は得意げに胸を張った。
「それに、もし私たちが逃げたと知ったとき、あの皇帝がどういう反応を示すか。それを見れば、あの連中の本性もわかるだろうし。もし、あの連中が食事のときに言ってたことが本当なら、私たちが逃げたとして、無理に捕まえようとはしないはずだもの。あいつらが言ってたのは、あくまでも、できれば協力してほしいってレベルの話だったんだから」
「でも、そんな、あの人たちを試すようなこと……」
「何言ってるの。元々、無理矢理連れて来たのは、あいつらでしょ。なんで、そんな奴らに気を使わなきゃなんないの? そんな理由が、どこにあるっていうの? 言ってみなさいよ」
禿に詰め寄られた土門は、
「な、ないです。ごめんなさい」
あっさり白旗を上げた。
「……話はついたようね。なら、ワタシについて来て」
ロセが立ち上がった。
「どうするって言うの?」
「決まってるでしょ。ここから脱出するのよ」
「でも、どうやって? 扉の向こうには見張りがいるし、それをなんとかできたとしても、城にはまだまだ兵隊がウジャウジャいるのよ?」
「大丈夫よ、任せて。現に、こうやって誰にも気づかれずに、あなたたちのところまで来たでしょ」
ロセは土門たちにウインクした。そして、それから30分後、土門たちは本当に誰にも気づかれることなく、アーリア城からの脱出に成功したのだった。
 




