第49話
「ここは……」
次に目覚めたとき、土門は地下牢らしき場所に閉じ込められていた。
「また、捕まっちゃったのか。進歩ないな、ボク」
土門は、まず禿を探した。すると、禿は土門の隣で寝息を立てていた。見たところ、外傷を受けた跡もなく、土門はホッと胸を撫で下ろした。
「あれから、街はどうなったんだろう。皆、無事だといいんだけど……」
そう思った直後、土門の脳裏に目の前で死んだ母娘の姿がフィードバックした。
「くそ!」
土門は、やり場のない怒りを壁にぶつけた。
回帰の力さえあれば、誰でも助けられると思いこんでいた。
うぬぼれていた。甘かった。
名医だとおだてられて、調子に乗って、挙句の果てが、この様だった。
「あんな小さな子供1人救えなくて、何が名医だ!」
土門は、もう1度壁を叩いた。すると、
「う…ん……」
禿が目を覚ました。
「ごめん。起こしちゃったかな」
土門は苦笑した。
「土門君? ここは?」
禿は寝ぼけ眼をこすった直後、
「あ!」
自分の身に起きたことを思い出した。
「あいつら!」
禿は立ち上がると、周りを見回した。その顔は怒りに満ちていた。
あのとき、柏川だけはブッ殺すと決めていたのに、乱入してきた第三者に気絶させられ、結局不完全燃焼で終わってしまったのだった。その怒りたるや、以前ブレバンに捕まったときの比ではなかった。
「土門君、あいつら、どこ!? どこにいるの!?」
禿は土門に詰め寄った。
「わ、わからないけど、たぶん近くにいるんじゃないかな。あの状況から考えると、ボクらをここに運んだのは、たぶん彼らだろうから」
「ここ?」
禿は改めて周りを見回した。
「て、ここ、どこなの?」
「わからないけど、たぶんアーリア帝国の城か砦の地下牢じゃないかな。あのときの口ぶりからすると、僕達たちをアーリア帝国の皇帝に会わせるのが、彼らの役目だったみたいだから」
「ということは、ここに、あいつらを私たちのところに差し向けた、ラスボスがいるのね」
「いや、それはまだわかんないけど……」
「それなら話は簡単ね。そのラスボスを始末すれば、すべて万事解決するってことなんだもの」
禿はニッコリ微笑んだ。
「始末って、何言ってるの、水穂さん。そんなことできるわけないだろ」
「何言ってるのは、こっちのセリフよ。散々好き放題されて、こっちはいい加減、頭にきてるんだから。それに、戦争はどんなに兵がいようと、敵の大将首を取ったほうの勝ちなのよ!」
禿の目は完全に座っていた。あそこまでコケにされて、泣き寝入りしたのでは女がすたるというものだった。
「とにかく落ち着いて、水穂さん。始末するとか、やられたからやり返すとか。考え方が、あの永遠長さんと同じになっちゃってるよ」
土門の口から出た固有名詞に、禿の動きが止まった。
「そ、それは、いくらなんでも、失礼だと思うんだけど? わ、私、いくらなんでも、あそこまで好戦的じゃないし、容赦なくもないと思うんだけど?」
禿は毒の抜けた顔で、その場に座り込んだ。どうやら永遠長と同類扱いされたことが、相当ショックのようだった。もっとも土門に言わせれば、目くそ鼻くそレベルの差でしかないのだが。
「ま、まあ、いいわ。私も正直興奮し過ぎてたのは確かだし、ここは1つ落ち着いて、腰を据えて、相手の出方を見ることにしましょ」
禿は動揺を悟られまいと、努めて冷静を装っていた。が、土門にはバレバレであり、禿の子供っぽさに苦笑を抑えるのが大変だった。
そして禿が完全に落ち着いたところで、
「ごめんね、水穂さん」
土門は禿に謝罪した。
「……どうして、土門君が謝るの?」
禿は、けげんな顔で聞き返した。
「だって、こんなことになったのは、ボクがあの街に残るって言い張ったからだから」
もし、あのとき禿の言うことを聞いて、早々にラザレーム王国から避難していれば、こんなことにはなっていなかった。そう思うと、禿に申し訳ない思いで一杯だった。
「別に、土門君だけのせいじゃないわよ。最終的に、私も残ることに同意したんだもの。これは私たち2人の連帯責任であって、土門君1人の責任じゃないわ」
「でも……」
「でも、じゃないの。そもそも、こうなった1番の責任は誰にあるかって言えば」
禿のなかに、柏川たちへの怒りが再燃しかけ、
「わ、わかった。もう2度と言わないから」
土門はあわてて火消しに回った。
「わかればいいのよ」
「あ、そうだ。怒らせついでに、もう1つ言っておきたいことがあるんだ。そのうち聞こうと思っていて、ずっと聞けなかったことなんだけど」
「なんなの?」
「水穂さんて、今でもボクが元の世界に戻ったら、自殺しようと思ってるんだよね?」
「え? そ、それは、え、と、そうよ。もちろんじゃないの」
実のところ、昨日までスッカリ忘れていた禿だった。
「ボクは、なんとかして、それを思いとどまらせようと思ってたんだけど、もし、それでも、どうしても君が死ぬって言うんなら、そのときは、ボクも付き合おうと思ってたんだ」
「え?」
「向こうに帰ったって、やりたいことがあるわけじゃないしね。それぐらいなら、君と一緒に死ぬのも悪くないかなって」
土門は苦笑した。
「てゆーか、もし水穂さんが自殺したら、きっとボクは君を止められなかったことを、ずっと後悔し続けて生きていくと思うんだ、それこそ一生。そんな自分を想像したら、嫌で嫌でたまらなかった。それぐらいなら、君と一緒に死んだほうが、よっぽどマシだと思ったんだ」
「……土門君」
「特に、ボクの場合、生まれつき記憶力がいいから、余計にね。普通の人の場合、どんな嫌なことがあっても、しだいに忘れていくもんなんだろうし、忘れることで前に進んで行くんだろうけど、ボクの場合、なまじ記憶力がいいせいで、忘れることができないんだ。その結果、毎日毎日、過去の記憶がボクを責め立てて来るんだ。あのとき、ああしていればよかったのに。あれは、こうしていれば失敗せずに済んだのにって。それが毎日毎日何年も積み重なっていくうちに、ボクは家から出ることができなくなってしまったんだ」
要するに、お人好し過ぎるのね。そんなの「知るか、ボケ」の一言で、片が付くことなのに。
禿は心のなかで思った。それを、あえて口に出さなかったのは、まだ永遠長効果が禿のなかに残っていたからだった。
「だから、君の死を忘れられずに一生生きるぐらいなら、君と一緒に死のうと思ってたんだ」
土門は本気だった。回帰の力に目覚めるまでは。
「でも、今はできないんだ。今のボクには、やりたいことができてしまったから」
「やりたいこと?」
「医学を学ぶこと」
「医学を?」
「うん。ボクは元の世界に帰って、医学を勉強したいんだ。そして医学知識を身につけて、もう1度この世界に帰って来るんだ。今度は本当の医者として、この世界の病で苦しんでいる人たちを救うために」
それが今の土門の夢なのだった。
「回帰の力があるといっても、結局のところ、問題の先送りに過ぎないからね。もし、本当に患者さんたちを救いたいなら、ちゃんと医学を学ばないとダメなんだ」
回帰の力は万能ではない。そのことを、土門は、あの母娘の死で思い知らされたのだった。
「そのためにも、ボクは元の世界に帰りたいし、君と一緒に死ぬわけにもいかないんだ。そして、もしできるなら……」
土門は意を決すると、
「その病院は、君と一緒にやっていけたらいいと思ってる」
禿に思いの丈を打ち明けた。
「ダメ、かな?」
これでも、もし禿の気持ちが変わらなければ、あきらめるしかなかった。そして禿は、
「し、仕方ないわね。そこまで言うなら、手伝ってあげるわよ」
さも渋々という感じながらOKしたのだった。
「本当、水穂さん?」
「本当よ。あなたって、1人だと危なっかしいんだもの。何かあると、すぐウジウジするし」
容赦なかった。
「普段でさえそうなのに、人の命のかかった医療現場に、1人になんてしておけないわよ。いつ、どんなミスをするか、知れたもんじゃないもの」
笑えなかった。
「ただし、1つ条件があるわ」
「なに?」
「私、最初に会ったとき言ったわよね。私のことは、水穂って呼べって」
「う、うん」
「なのに、何よ、いつまでたっても「水穂さん、水穂さん」て。今までは我慢してたけど、正式にパートナーになるんだったら、ちゃんと水穂って呼ぶこと。それが、土門君の申し出を受ける条件よ」
「ええ? でも、そんないきなり」
「何よ? 嫌なの?」
「嫌って言うか、照れくさいっていうか。ずっと、水穂さんって呼んでたから、急に呼び捨てにしろっていわれても……」
土門は困った末、
「だったら、ミッちゃんでどうかな? これなら、あんまり抵抗なく呼べそうな気がするし」
妥協案を提示した。
「いいわ。だったら、私もこれからが陸く、リッ君と呼ぶことにするわ。いいわね」
「う、うん」
陸君は言いにくかったんだな。と思ったが、土門はあえて黙っていた。
「でも、よかった。みず、じゃなかった。ミッちゃんが死ぬのを思いとどまってくれて。もしボクの話を聞いても、まだ死ぬって言ったら、正直どうしようかと思ってたんだ」
「今の話を聞いて、それでも死ぬって言い張ったら、それこそ私、自己中もいいところじゃないの。私、そこまで我がまま勝手じゃないわよ」
「そ、そうだね」
土門は、そういうことにしておいた。
「あの、今だから聞くんだけど、どうして自殺しようと思ったの?」
土門は、やんわりと探りを入れた。すると、
「聞いてくれる!」
禿が身を乗り出してきた。
「ホント酷いのよ! うちの父親! お母さんが死んで、まだ半年も経ってないっていうのに、もう再婚しちゃったのよ!」
禿の目が、これ以上ないほど吊り上がった。
「普通に考えて、あり得ないでしょ! あれは! 絶対お母さんが死ぬ前から浮気してたのよ! 浮気!」
禿の髪が怒りで揺らめいた。
「しかも! その相手は、お父さんが働いている病院長の娘だっていうのよ! 信じられる!?」
禿は、さらに土門に詰め寄った。
「お母さんが死の床に伏しているときに、その同じ病院で、他の女とイチャイチャしてやがったのよ! あの男は!」
禿は怒気を吐き出した。
「しかもよ! 再婚するとき、名字をその女のほうに変えたのよ! あり得ないでしょ! 普通、結婚したら名字を変えるのは女のほうでしょ! お母さんだって、そうしたんだから! 土門君だって、そう思うわよね!」
「そ、そうだね」
「でしょ! しかもよ! その理由を問い詰めたら、お父さん、なんて言ったと思う?」
「な、なんて言ったの?」
「再婚相手には小さな男の子がいて、今さら名字を変えさせるのは、かわいそうだって。で、私はかわいそうじゃないのかって聞いたら、おまえは女の子なんだから、結婚したら、どうせ名字は変わるんだからって、こうよ! ふざけんなってのよ!」
禿は目を血走らせた。
「しかもよ! 百歩譲って、それが本当の理由なら、まだ許せなくはなかったわ。けどね! それは体の良い、ただの言い訳に過ぎなかったのよ! 本当のところは、再婚相手が院長の娘で、相手のほうが立場が上だったから、逆らえなかっただけなのよ! でも、それじゃバツが悪いから、子供をダシに使っただけのよ! あの卑怯者は!」
禿は怒りに肩を震わせた
「しかもよ! その名前が、よりによってハゲよ、ハゲ! ありえないでしょ! ハゲが名字なんて!」
「そ、それで、最初に会ったとき、名字で呼ぶなって言ったんだね」
禿という名字を、土門自身は、それほど悪いと思っていなかった。しかし、ここは禿に話を合わせておくのが、賢明な判断というものだった。
「そうよ! 病気のお母さんをほっぽって浮気して、そのお母さんが死んだら1年もしないうちに、その浮気相手と再婚した挙げ句、女の方の名字を自分の立場を優先して娘に名乗らせるなんて、ふざけんのもたいがいにしろっていうのよ! 土門君も、そう思うでしょ!」
「そ、そうだね。確かに酷い話だね」
よっぽど怒りが鬱積してたんだな。
禿に相槌を打ちながら、土門は話を振ったことを少し後悔していた。
「でしょ! これじゃ、お母さんの立場がないどころか、よってたかって、お母さんの存在自体をなかったことにしようとしてるみたいじゃない! こんなことが許されていいと思う!?」
「お、思わな」
「でしょ!」
禿は土門の目前まで詰め寄った。
「そりゃ、私だって子供じゃないんだから、お父さんが再婚すること自体に反対なんてしないわよ。そりゃ、生きてる間は、あんなに仲よさげだったくせに、なんなのよ! と思わなくもないけど、それはそれよ。けどね! やり方ってもんがあるでしょうが! お母さんは、もう死んだんだ。だから、もう死んだ人間のことは綺麗サッパリ忘れて、名字を変えて、新しい家族と一緒に再スタートしようって? ふざけんなっての!」
「そ、それで、死のうと思ったの?」
「そういうことよ。死んで、あの男に自分のしたことの罪深さを思い知らせてやろうと思ったのよ」
禿は鼻息を荒げた。そんな禿を前に、土門は返答に窮した。
くだらない。と、一刀両断するのは簡単だった。しかし、それではなんの解決にもならないばかりか、今マグマのごとく煮えたぎっている禿の怒りが、そのまま土門に向かってきかねなかった。かと言って、大人の都合に子供である自分が口を差し挟むのも、おこがましいというものだった。
迂闊なことを言えば、死あるのみ。
土門は慎重に言葉を選んで、禿攻略ルートを進めた。
「だったら、なおさら水、ミッちゃんは生きなきゃダメだよ。だって君は、お母さんの忘れ形見なんだから。これで、もしミッちゃんまで死んでしまったら、それこそお母さんの生きた証は、何もなくなっちゃうことになるんだよ」
土門にそう言われ、禿は鼻白んだ。
「それに、その再婚相手の人がどんな人か知らないけど、もし性格の悪い人なら、それこそミッちゃんが死んだら、その人を喜ばすことになっちゃうんじゃないかな? 邪魔者がいなくなって、せいせいした。これで、自分たちだけの幸せな新生活が送れるって」
土門の憶測に、禿の表情が強張った。その可能性を、今の今までまったく考えていなかったのだった。
「なら君がすべきことは、お母さんの後を追うことじゃなくて、生きて、お母さんの人生が無意味なんかじゃなかったってことを証明することなんじゃないかな? 子供の君が皆から認められるってことは、その君を生み育てた、君のお母さんが認められるってことなんだから」
「……確かに、その通りだわ」
禿は義母への敵意をむき出した。あの女を喜ばせるなど、冗談でも御免だった。
「1度決めたことを覆すのは主義に反するけど、私1度死んだんでしょ? だったら、とりあえず初志は貫徹したわけだから、それでよしとしておくわ」
自分なりの妥協点を見つけた禿に、
それ、初志貫徹って言うのかな?
と、土門は思ったが、それを言うと、また面倒臭いことになりそうなので黙っていた。
「ありがとう、土門君。もう少しで、あの女を喜ばせてしまうところだったわ」
いや、1番言いたいのは、そこじゃないんだけど……。
土門はそう思ったが、とりあえず禿が前向きになってくれたことで、よしとしておいた。その代わりに、
「また土門君に戻ってるよ」
と、別のことをツッコんでおいた。
「あ……」
禿は、あわてて口を押さえてから、
「し、仕方ないでしょ。まだ言い慣れてないんだから」
そっぽを向いた。
「そうだね。これから少しずつ慣れていけば」
そして、これからも、こんなふうに2人で笑いながら生きていければいい。
土門は、心からそう思った。しかし、その日を迎えるのは、まだまだ当分先のことになりそうだった。
 




