第42話
昼下り、王との謁見を済ませたブレバンは、馬車で館に帰宅した。
「おかえりなさいませ、旦那様」
出迎えた執事に、
「留守中、変化は?」
ブレバンは事務的に尋ねた。
「特には何も。強いて言えば、グレイク殿が何やら騒いでいたぐらいで」
「グレイク君が? まさか、あの娘に手を出したのではあるまいね?」
ブレバンの眉間が細まった。
「いえ、何やら神器らしき物を所持した男を見つけたとかで、人を集めておられました」
「神器?」
「はい。どうやら、夜襲をかけて神器を奪う算段のようで」
「神器か……」
確かにそれが本当ならば、面白そうな話ではあった。だが、今は大口の取引を片付けることが先だった。
「もう1度、出る。君はグレイク君に、あの2人を牢から出してくるように伝えた後、護送用の馬車を用意しておいてくれたまえ」
当初、ブレバンは土門と禿を引き渡すのは、調教してからにするつもりでいた。が、王は即座の引き渡しを求めてきたのだった。どうやらブレバンの予想以上に、アーリア帝国の進軍が早まっているようだった。
「かしこまりました」
執事は恭しく一礼すると、ブレバンの前から歩き去った。そしてブレバン自身は、土門たちの売買契約書を取りに執務室へと向かった。
これで、あの2人の引き渡しが完了すれば、王の自分に対する覚えも一層よくなることだろう。のみならず、医師ギルドにも大きな貸しを作れた。
計算通りの結果に、ブレバンは満足しながら執務室に入った。直後、彼の耳に激しい爆音が飛び込んできた。
「な、なんだ、一体?」
ブレバンが窓を開けると、正面門が吹き飛んでいた。そして破壊された門の向こうには、白銀の鎧を装備した男が立っていた。
「なんだ、あの男は? 今のは奴の仕業か?」
ブレバンがいぶかしんでいると、
「大変です! ブレバンの旦那!」
部下の1人が執務室に飛び込んできた。
「なんだね、ノックもせずに」
「す、すんません。でも、今、門のところに」
「見ればわかる。大方、私に恨みを持つ輩が雇った、殺し屋か何かだろう。いつものように始末しておきなさい」
ブレバンは部下を追い払うと、土門たちの売買契約書を机の引き出しから取り出した。
しょせん、相手は1人。仮に、あの男が陽動だとしても、館には腕利きの用心棒が常時100人以上待機している。たとえ相手がレジェンド・クラスでも、負けることはないはずだった。
ブレバンは売買契約書を鞄に収めると、再び玄関へと向かった。すると、すでにグレイクたちが土門たちを玄関広間に連れ出していた。
「ご苦労様でした。それと」
ブレバンはグレイクに右手を出した。
「ああ、そうでしたね」
ブレバンの意図を察し、グレイクは指輪を指から引き抜いた。そして、その間も外では未だに怒号と悲鳴が上がり続けていた。
「まだ片付けてねえのかよ。たく、何をグズグズしてやがんだか」
グレイクはブレバンに指輪を返すと、外の様子を見に行った。すると間もなく、
「ぎゃああああああ!」
外からグレイクらしき悲鳴が聞こえてきた。その悲鳴は、その後数分に渡って断続的に続き、その間、ブレバンたちは何が起きているのかもわからないまま立ち尽くしていた。
だが、その声もついには途絶え、直後、再び玄関の扉が開かれた。そして、その扉の向こうから姿を見せたのは、半殺しにしたグレイクの髪を鷲掴みにしている白銀の戦士だった。
「な……」
鼻白むブレバンに、
「あ、うう、ひゃ、ひゃすへて、ふれふぁんひゃん」
グレイクが助けを求めて、ヘシ折られた右手を伸ばす。そんなグレイクの頭を、
「おまえの心情など聞いていない」
白銀の戦士は床に叩きつけた。そして、気絶したグレイクを掴んだまま歩みを再開する。
「う……」
ブレバンは後ずさった。
「まさか、あの数を、すべて倒したというのか?」
ブレバンは信じられなかった。
「レクソン! 何をしている! レクソン! さっさと出て来て、こいつを始末しろ!」
ブレバンは執事の名を呼んだ。しかし、いくら呼んでも執事が姿を見せることはなかった。これだけの騒ぎに、レクソンが気づかないわけがない。だとすれば、考えられることは1つしかなかった。
「ま、まさか、レクソンもやられたというのか?」
レクソンは、今でこそブレバンの執事を務めているが、数年前までは暗殺を生業する殺し屋であり、王器の所有者でもあった。そのレクソンが、こんな若造に遅れを取るなど、あり得なかった。いや、あり得ないはずだった。
だが、ここで「バカな!」と「あり得ない!」を、いくら連呼したところで、事態は何も好転しない。何か現実的な方法で、この窮地を脱しなければならなかった。
「お、驚いた。あのレクソンまで倒してしまうとは、君は相当腕が立つようだね」
ブレバンは精一杯の愛想笑いを浮かべた。
「どうかな? その力、私の元で役立てるつもりはないかね? 君が誰に雇われたのかは知らないが、その報酬の10倍、いや20倍出そうじゃないか? なんなら、この国の王にとりなして、騎士に取り立ててもらえるように話をつけてもいい。どうだ。悪い話じゃないだろう」
ブレバンは交渉しながら、頭の中では別の計算をしていた。
この館には、賊が侵入したときに備えて、各所に罠を仕掛けてある。白銀の戦士が、もし色よい返事をしない場合は、その罠を発動させるつもりだった。
そして白銀の戦士は、
「いらんし興味ない」
ブレバンの誘いを、にべもなく断った。
「そうか。それは残念だ! ドレパス!」
ブレバンは、玄関広間に設置しておいた魔石による結界が発動させた。すると、白銀の戦士が身に付けていた鎧が、液状化して溶け落ちていった。
「やった! やったぞ! 私の勝ちだ!」
ブレバンは高笑った。
この結界は敵を閉じ込めるだけでなく、魔具の力を封じることもできる。たとえ白銀の戦士が、どんなに強力な魔具を所持しているとしても、その力を封じてしまえば、ただの1剣士に過ぎないのだった。
「その鎧も魔具だったようだが、もうそうなっては役に立つまい! いい気味だ! どこの馬の骨とも知れん野良犬風情が、本気で私の首を取れると思っていたのか? 身の程を知れ! 虫ケラが!」
ブレバンは勝ち誇った。しかし、そんなブレバンなどおかまいなしに、
「カオスブレイド」
白銀の戦士は剣を振り下ろした。しかし、何も起きなかった。
「やはりダメか」
白銀の戦士は軽くため息をついた。
「ようやく、わかったらしいな。だが、もう遅い。貴様には、ここで」
優越感に浸るブレバンをよそに、
「仕方ない」
白銀の戦士は軽く息を吸い込んだ。そして、
「変現」
おもむろにつぶやくと、
「人獣白狐」
白い狐へと、その姿を変化させていったのだった。
「な……」
その変貌ぶりに、ブレバンは言葉を失っていた。
獣人化自体は、獣器を使えば誰にでもできる。だが、この結界のなかでは神器であろうと、その効力を発揮することはできない。だとすれば、この変身は、あの白銀の戦士自身の能力ということになるのだった。
「素晴らしい。獣に変身することができる人間とは。これは、きっと高値で売れる」
ブレバンは目を輝かせた。まさか、こんなお宝商品が自分から転がり込んでくるとは。この男といい、土門たちの件といい、今日は最高の1日となりそうだった。
しかしブレバンの目算は、直後に大きく狂うことになった。
白銀の戦士の変身は、これで終わりではなかったのだった。
「変現」
白銀の戦士は再び口を開くと、
「巨獣白狐」
今度は両腕を巨大化させた。そして巨大化させた左腕で、グレイクの体を結界へと投げつけたのだった。
「ぎゃあああああ!」
結界のよる電撃を全身に浴び、グレイクの口から絶叫が上がる。だが白銀の戦士はかまわず、さらにグレイクの背中へと右鉄拳を叩き込む。
「うべ、が、ぎ、が」
白銀の戦士の巨腕と結界に挟まれ、グレイクの体が押し潰される。が、それでも結界を突き破るには至らなかった。それを見て取った白銀の戦士は、
「巨獣白狐」
さらに右手を巨大化させると、
「へげべ!」
再びグレイクへと右鉄拳を叩き込んだ。すると、白銀の戦士の繰り出した一撃は、グレイクの全身の骨を粉砕しながら、今度こそ結界を突き破ったのだった。
その、あまりにも強引な力技に、
「な……」
ブレバンは色を失い、土門たちも呆気に取られていた。
「何を驚いている? どんな結界であろうと、その機能は何らかの力によって維持されている。ならば、それ以上の力を加えれば破れる。当たり前の話だ」
白銀の戦士は涼しい顔で言った。
まずグレイクを結界に投げつけたのも、感情からではなく、合理的な理由からだった。万が一にも、この結界に接触者を消滅させる力があれば、突き破る前に腕が消滅しかねない。その可能性を考慮して、とりあえずグレイクの体で結界の効果を試したのだった。
他人のために自分の身を投げ出すことを厭わない土門陸と、自分のために他人の身を投げ出すことを厭わない、白銀の戦士こと永遠長流輝。
相反する価値観を持ちながら、後に世界の命運をかけて共闘することになる2人は、こうして邂逅を果たしたのだった。




