第36話
土門陸が異世界を知るきっかけになったのは、ネットの宣伝広告だった。
異世界なんて、現実にあるわけがない。
そう思いながらも、土門は広告内容を読み進めていった。すると、ツアー代金は2泊3日で5000円。日帰りなら1000円と書かれてあった。
なにより土門の心を惹きつけたのは「あなたも異世界で人生をやり直して見ませんか」というキャッチコピーだった。
今年の6月から家に引きこもり、自殺さえ考えていた土門にとって、その誘い文句は魅力的なものだった。熟慮の末、ツアーに申し込んだ土門は、当日、指定された駅前のバス停留所へと向かった。そして、運転手らしき男性に送られてきたチケットを提示すると、バスへと乗り込んだのだった。
見ると、すでに車内には20人ほど乗っていたが、全員土門と同じ年代の少年少女ばかりだった。
まあ、当然だよね。異世界へのツアーなんて、いい大人が信じるわけないもんね。
土門は、その状況に疑問を感じることなく、自分の席に着いた。そして、それから間もなく、空いていた隣の席に1人の少女が腰を下ろした。
わあ、綺麗な子だな。
ストレートヘアを腰まで流した、やはり同年代の少女の凛とした横顔に、土門は思わず見惚れた。
「なに? 私の顔に何かついてる?」
土門の視線に気づいた少女は、土門を睨みつけた。
「え? い、いえ、別に、何も……」
土門は、あわてて首を振った。
「だったら、ジロジロ見ないで。不愉快だわ」
少女に素っ気なく言い捨てられ、
「ご、ごめんなさい」
土門は気恥ずかしさで縮こまった。それでも内心では、
こんな綺麗な子の隣に座れただけで、このツアーに参加してよかった。
と、彼女いない歴=年齢の土門は、ささやかな幸せに浸っていたのだった。
そして、それから10分ほどして、ツアー客全員がバスに乗り込んだところで、受付をしていた男性がマイクを手にした。
「あ、あ、えー、皆様、本日はわたくしども異世界ストアが企画した異世界ツアーに参加いただき、まことにありがとうございます。わたくし、このツアーの運転手兼ガイド役を務めさせていただく、寺林と申します。短い間ではございますが、どうぞよろしくお願いします」
寺林はそう言うと、マイクを置いて運転席に着いた。そして、
「では、出発いたしまーす」
と言った次の瞬間、
「はーい、到着いたしました」
寺林は運転席から立ち上がった。
「え?」
土門は驚いて外を見た。すると、本当に窓から見える景色は、バス停留所から荒野に変わっていた。
「皆様、お忘れ物のないように、あわてず順番にお降り願いまーす」
寺林に促されるまま、土門たちはバスから降りた。
「ここが異世界」
初めて踏みしめた異世界の大地は、地球と変わらないものだった。
「はーい。皆さん、降りられましたね。では、ご武運を」
寺林が、バスのなかから笑顔で手を振った。と思った直後、バスと一緒に消えてしまった。
「え?」
土門を始めとするツアー客たちは、一瞬、何が起きたのかわからなかった。
「ど、どういうことだよ?」
乗客の1人が口火を切ると、他の乗客たちも次々と不安を口にし始めた。
「わたしたち、もしかして置き去りにされたの?」
「まさか、また別の案内人がいるんだろ」
「そ、そうだよな」
「で、でも、どこにいんだよ?」
ツアー客たちは辺りを見回した。しかし荒野が広がるのみで、現地のガイドどころか人っ子一人見当たらなかった。
土門たちが不安を募らせていると、突然ブザーがなった。見ると、音の発生源はバスに乗車するときに、あのツアーガイドから渡されたタブレットだった。
土門たちがタブレットの電源を入れると、寺林からのメールが届いていた。
そこで、急いで内容を確認してみると、
「皆さん、いかがお過ごしでしょうか。私は、すこぶる元気です^^」
という人を食った挨拶の後、
「さて、皆さん、すでにお気づきのことと思いますが、皆さんはその世界に置き去りにされちゃいました」
全員に否応ない現実を突きつけた。
「ですが、元々、これは皆さんが望まれたことであると、当方は理解しております。なにしろ皆さんは、あなたも異世界で人生をやり直してみませんか? というキャッチフレーズをご覧になって、このツアーに参加されたのですから」
運営の指摘は紛れもない事実ではあったが、それと断りもなく置き去りにされることは話が別だった。そして、それは他のツアー客たちも同じで、皆一様に鼻白んでいた。
「ですが、お客様の中には、今回は様子見のつもりだった方や、あくまでも観光目的に過ぎなかった方、もしくは、こんなはずではなかったと地球への帰還を望まれる方もいらっしゃるかと存じます。ですので、当方といたしましては救済措置をご用意させていただきましたので、ご安心ください」
寺林のメールは、この調子で延々と続いた。その内容を要約すると、
異世界ストアの用意した救済措置とは、異世界ストアの課すクエストをクリアして、1000万ポイントをゲットすること。
そして、そのポイントは冒険者ギルドに登録して、そのギルドのクエストをクリアすることで貯まること。
そのポイントが、初期設定で10万ポイントだけチャージされていること。
そのポイントで、異世界ストアで武器その他、冒険に必要なアイテムが購入することができること。
そして今手にしている異世界ナビが、クエストをクリアするための助けになる、ということだった。
そこで、とりあえず土門たちは異世界ナビの指示に従い、リアライズを行った。すると、異世界ナビのステータス欄に「回帰」の文字が表示された。
「回帰? 回帰って、どういう意味だっけ? 原点回帰とかは聞いたことがあるけど、これがなんの力になるんだ?」
あの寺林という奴の目的といい、わからないことだらけだった。
かと言って、いつまでも悩んでばかりもいられなかった。じっとしていても時間は過ぎていくし、否が応でも腹は減る。幸い、異世界ナビによると、西に少し行ったところに街があるようだったので、土門たちはそこへ向かうことにした。
そのとき、
「あれは……」
行く手の空に、鳥が群れで飛んでいるのが見えた。
ああ、この世界にも、やっぱり鳥はいるんだな。
鳥の大群を見上げながら、土門はボンヤリとそう思った。
だが、このときの土門は、まだ理解していなかったのだった。
ここが地球ではなく、異世界なのだということを。
そして、この直後、土門は否応なく、そのことを思い知らされることになったのだった。
飛来した、2メートルを超える猛禽群の襲撃によって。
「うわあああ!」
巨鳥の急襲に、ツアー客たちはパニックに陥った。このとき、もしツアー客たちがリアライズによって得た力を使っていれば、あるいは結果は違ったかもしれない。だが、このときのツアー客たちの頭にあったのは、この鳥たちから逃げる。それだけだった。
飛来する巨鳥たちから、ツアーメンバーたちは一目散に逃げ出した。しかし、荒野に避難できる場所はなく、逃げ遅れた者たちから巨鳥の餌食となっていく。巨鳥たちの爪やクチバシによって、ある者は腕を食いちぎられ、ある者は腹をついばまれ、ある者は頭をもぎ取られる。
「ぎゃあああ!」
「イヤアアア!」
ツアーメンバーたちの悲痛な叫びを背に受けながら、このときの土門の心を締めていたのは、
逃げなきゃ。逃げなきゃ殺される。嫌だ。死にたくない。
ただただ死の恐怖だけだった。
このまま行けば逃げ切れるかもしれない。
そう思ったとき、土門の足が不意に止まった。
生き延びて、それでどうするっていうんだ?
こんな、誰も知らない世界で、他人を見捨てて自分だけが助かる?
なんのための?
そうまでして生き延びたい理由が、ボクにあるのか?
ただ流されるままに生き、現実から目をそらして、気がつけば引きこもりになっていた。
生きがいも将来の展望もなく、日がな一日、自分の部屋で無為に時間を過ごす毎日。
あの生活に戻ることが、そんなに大事なことなのか? あの人たちを見捨ててまで?
違うと思った。今でさえ、生きる屍のような自分が、ここであの人たちを見殺しにして、そのことを後悔しながら、この先一生罪悪感に苛まれながら生きていく。
それは死よりも恐ろしいことだった。
土門は、きびすを返した。すると、バスで土門の隣に座っていた少女が巨鳥に襲われていた。
「やめろお!」
土門は、その巨鳥へと突っ込んだ。そして、少女の肩を鷲掴みにしていた巨鳥の足に殴りかかった。しかし、非力な土門の一撃は巨鳥を怯ますことさえできず、巨鳥は大きく翼を羽ばたかせた。
「この!」
土門は逃すまいと、巨鳥の足にしがみついた。しかし、巨鳥は土門のことなどお構いなしに飛び上がってしまった。
「くそ! 離せ!」
土門は巨鳥の足に何度も拳を叩きつけたが、巨鳥はビクともしなかった。そして、そうこうしているうちに、巨鳥は50メートルを超える高さまで上昇してしまった。
ここで下手に暴れたら、二人とも墜落して死ぬ。
そう思った土門は、巨鳥へと攻撃をやめた。
この鳥も、いつかは地上に降りるはず。そのとき、こいつにこの子を離させて逃げるしかない。
土門が、そう思ったときだった。巨鳥の後方から、何かがこちらに飛んでくるのが見えた。
あれって……。
それは、巨鳥をさらに上回る巨体を持つ翼竜だった。
どうやら巨鳥たちが急に飛び立ったのは、あの翼竜が原因らしかった。
さらに上位の捕食者の登場により、狩られる側へと立場が逆転した巨鳥たちは、全速力で逃げにかかる。そして、逃亡の足枷になると思ったのか。あるいは翼竜の目をそらすためか。逃避行のなか、巨鳥は少女を投げ捨てた。
「あ!」
それを見て、土門も少女を追って巨鳥から飛び降りた。
考えてやったことではなかった。助けないと。その思いが、とっさに土門の体を突き動かしたのだった。
そして少女に追いついた土門は、少女の頭を抱きかかえた。しかし、落下距離は50メートル。人1人がクッションになったぐらいで、助かる高さではなかった。
死を覚悟しつつ、それでも土門は少女から手を放さなかった。すると、少女が地上に向かって手を突き出した。
「しっかり掴まってて」
少女がそう言った直後、2人の体は再び空へと飛び上がった。
「え?」
訳がわからないまま、土門の体は再び地上へと落下していく。そして、そんな上下運動を5度繰り返した後、2人は地上へと着地したのだった。
「い、今のって、君がやったの?」
土門にとっては、まさに奇跡だった。
「そうよ。反射の力でね」
少女は素っ気なく答えた。
「反射?」
「さっき、やったでしょ。リアライズっていうの」
「ああ」
土門は、ようやく合点がいった。自分の力が正体不明だったため、リアライズの存在自体、今の今まで忘れていたのだった。
「あれで、攻撃を跳ね返す壁みたいなのを作れるようになったから、その力を地面に向かって使えば、クッション代わりになるんじゃないじゃと思ったのよ。うまくいって、よかったわ」
「そ、そうだったんだ。すごいね、えーと」
「水穂でいいわ。禿って名字、嫌いだから」
「あ、ボ、ボクは土門陸です」
「どうでもいいわ。それと、結局なんの役にも立たなかったけど、とりあえず助けてくれようとしたことには、一応礼を言っておくわ。ありがとう」
「はは、は」
土門は笑うしかなかった。
「けど、どうして助けてくれたの?」
あの状態で、赤の他人を助けるために動くなど、自殺行為でしかない。禿には考えられないことだった。
「後悔したくなかったから、かな」
「後悔?」
「うん。ボクは、今まで、ずっと後悔ばかりして生きてきたんだ。あのとき、ああしていればよかった。あそこで、もっとうまくやれてれば、違う結果になったかもしれないって。そして、次こそはと思うんだけど、いざとなると、やっぱりうまくいかなくて、また後で後悔するの繰り返しで……。でも、これで死ぬかもしれないと思ったとき、思ったんだ。どうせ死ぬなら、最後ぐらい後悔しない自分でいたいって」
「……そう。でも、私に関しては、もし次に何かあっても、もう助けなくていいから」
「え?」
「助けても、どうせ無駄だから」
「それって、どういう」
「だって私、ここに死にに来たんだから」
禿は淡々と言った。
「死ににって、それって自殺ってこと?」
「そんなに、驚くことじゃないでしょ。一時期よりも減ったとはいえ、今だって毎年1万人以上の人間が自殺してるのよ。私も、そのなかの1人ってだけよ」
「ど、どうして?」
「どうして? おかしなことを聞くのね。自殺する動機なんて、多かれ少なかれ、決まっているでしょ。生きているのが嫌になったからよ。このくだらない世界でね」
どうして生きることが嫌になったのか?
土門は、そう聞き返そうとして思いとどまった。自分自身、何度も自殺を考えたことがある身で、これ以上他人の事情に踏み込むのは気が引けたのだった。
「そ、それで、このツアーに参加したの? 異世界で死ぬために?」
「ええ、そうよ。どうせ死ぬなら、今まで誰もしたことのない死に方をしたほうが素敵でしょ。それに、異世界なら遺体も見つかることはないだろうから、騒がれなくて済むし。なまじ遺体が見つかると、どうして死んだのか? 何があったのかって、マスコミとかが、きっと騒ぎ立てるもの。嫌なのよ、そういうの」
「で、でも、さっきは、あの鳥から逃げて」
「当然でしょ。私は、ここに死にに来たんであって、殺されにきたんじゃないもの。自分の死に方ぐらい、自分で決めるわ。自分の死に方まで他人に決められるなんて、冗談じゃないわ」
「そ、そうだね」
「でも、とりあえず死ぬのは保留にするわ」
「え?」
「理由はどうあれ、私を助けるために、あなたはみんなとハグレてしまったわけだし。ここで私が死んで、そのせいであなたも死んだりしたら、私のせいで死んだみたいで不愉快だもの。あなた、見るからに弱そうだし」
「はは、は」
やはり笑うしかない土門だった。
「だから、あなたが元の世界に帰るまで、私が守ってあげるわ。死ぬのは、いつだってできるから」
女の子に守ってもらう、ボクって一体……。
土門は心底情けなかった。しかし、自分の力の使い方もわからない状態では、確かに反射能力を持つ禿が同行してくれるのは心強かった。それに本人が望んでいるとはいえ、自殺を公言している人間を、このまま放っておくわけにもいかなかった。
「と、とにかく、これから、よろしく、お願いします」
土門は禿に右手を差し出した。しかし、
「勘違いしないで。確かに、あなたが帰るために力は貸すけど、それはあくまで私のためであって、あなたのためじゃないんだから」
禿に素気なく拒絶されてしまった。
「それと、これからは気安く触らないで。さっきは不可抗力だから仕方ないけど、私、あなたと馴れ合うつもりはサラサラないから」
さっさと歩き出してしまった禿を、
「あ、ま、待って、水穂さん」
あわてて土門が追いかける。
こうして、引きこもり少年と死にたがり少女は、それぞれの目的を果たすために、とりあえず行動をともにすることになったのだった。




