第3話
お大通りに立ち並ぶ店舗の中で、ひときわ大きな建物の前で、小鳥遊は立ち止まった。
「ここで、いいんだよね」
小鳥遊が見つめる店先の看板には「ユーリッヒ商会」と書かれていた。
よし。
小鳥遊が意を決して店内に入ると、
「いらっしゃいませ」
店主らしき中年男性が近づいてきた。
「本日はどういったご要件で? ご購入でございますか? それとも売却で?」
店主は接客しつつ、その目は注意深く小鳥遊を値踏みしていた。
「こ、購入です。さっき、ここに運ばれてきた奴隷を買いたいんですけど」
「さっき? ああ、馬車で運ばれてきたときにご覧になられたのですね」
店主は納得すると、小鳥遊を先程搬入した奴隷を入れた檻へと案内した。
すると、男女2つの檻に分けられて閉じ込められている秋代たち5人の姿があった。
「小鳥遊さん? なんで、ここに?」
小鳥遊に気づいて困惑する秋代を見て、
「お知り合いですかな?」
店主は小鳥遊に探りを入れた。
「え、ええ。同郷の者です」
小鳥遊はぎこちなく答えた。買い取ろうとする奴隷が知り合いだとバレた場合、足元を見られる恐れがある。だから購入するまでは、極力知り合いだとはバレないようにしろ。と、永遠長から注意されていたのだった。
「そうですか。ですが、だとすると困りましたな」
店主は顎を撫でた。
「な、何か問題が?」
「いえ、実は、ここにいる者たちは、すでに買い手が決まっているのです」
「え?」
「こちらと致しましても信用商売である以上、すでに交わした契約を反故にするわけにはいきませんし」
店主は少し考えた後、
「では、こうされてはいかがでしょう? あなたが直接、こちらの取引先に出向いて交渉するというのは」
「交渉、ですか?」
「はい。こちらの奴隷を購入したブリューバー公爵は、人徳のあるご立派な人格者であらせられます。事情を話してお願いすれば、きっとお譲りくださると思いますよ。及ばずながら私も同行し、口添えさせていただきますので」
「わ、わかりました」
小鳥遊としても他に選択肢はなく、店主であるユーリッヒの用意した馬車でブリューバー公爵邸へと向かった。そして公爵邸に着いたユーリッヒは門番に事情を話し、小鳥遊はなんとか公爵との面談に漕ぎ着けたのだった。
「はじめまして、公爵閣下。この度は、わたくしのために時間を割いていただき、真にありがとうございます」
小鳥遊はできる限りの丁寧さで、客間に現れたブリューバー公爵に挨拶した。それに対して、
「ふむ」
ブリューバー公爵はマジマジと小鳥遊を見つめた後、
「いいだろう」
鷹揚に頷いた。
「本当ですか?」
小鳥遊の顔に安堵が浮かぶ。まだ何も話していないが、おそらく事情は店主が事前に話してくれたんだろう。
小鳥遊は、そう思っていた。
「お気に召していただけましたか? では、こちらに買い取りのサインを」
ユーリッヒはホクホク顔で、公爵に契約書とペンを差し出した。そして公爵が契約書にサインしたところで、
「連れて行け」
公爵の後ろに控えていた家臣が、ソファーに座っていた小鳥遊の両脇を掴み上げた。
「え?」
理由がわからないでいる小鳥遊に、
「毎度あり」
ユーリッヒが小馬鹿にした笑みを見せる。その顔を見て、ようやくと小鳥遊も気づいたのだった。ユーリッヒには元より、自分と公爵の仲介役を引き受けるつもりなどなかったのだということに。
付け加えると、秋代たちが公爵に売却済というのも、ユーリッヒの嘘に過ぎなかった。ありもしない売買契約をでっち上げることで、バカな小鳥が進んで鳥かごの中に飛び込むように仕向けたのだった。
「では、私はこれで失礼いたします。それと、コレ以外にも上質の奴隷が入っておりますので、これからも是非ご贔屓に」
ユーリッヒは恭しく頭を下げると、公爵邸を後にした。突如舞い込んだ臨時報酬に満足しながら。
しかし、ユーリッヒは気づいていなかったのだった。
垢抜けない田舎娘とタカをくくっていた小鳥遊に、1人連れがいたことを。
そして、ここまでのユーリッヒの行動のすべてが、その連れの思惑通りであるということを。
満月の下、その招かれざる来訪者は、音もなくユーリッヒ邸の正面門に舞い降りた。直後、正面門を守る門番2人が倒れ込む。そして来訪者は、2人の門番が安らかな寝息を立てているのを確かめた後、開け放った門から邸内に踏み込んだ。すると、用心棒らしき男たちが館から飛び出してきた。
「1人か?」
フードで顔を隠した侵入者を見て、リーダー格のフレイルが訝しむ。
「用心しろ。こいつは囮かもしれん」
1人が暴れて家人の注意を引いている間に、他のメンバーがターゲットの暗殺なりの目的を果たす。昔から使い古された作戦だった。
「なら、こいつの始末はオレに任せろ」
名乗りを上げたのは「ガイアクラッシャー」のホーケンであり、彼はその剛腕から繰り出す一撃によって、これまでも幾度となく賊を撃退してきたのだった。
「囮だとしても、正面から堂々と乗り込んで来るとは、いい度胸してるじゃねえか」
ホーケンはニヤリと笑った。
「狙いは例によって、旦那の命か? たとえ囮とはいえ、暗殺者がこうして堂々と姿を見せるってこたあ、よっぽど腕に覚えがあるってこったよな」
活きのいい獲物は、ホーケンの大好物だった。
「その腕、見せてもらおうか! ガイア」
大技を繰り出そうとするホーケンを見て、侵入者も地を蹴る。その結果、
「おぼあ!?」
殴り飛ばされたのはホーケンのほうだった。
「な……」
館の壁に叩きつけられ、崩れ落ちるホーケンを見て、用心棒たちが息を呑む。
タフさを売りにする「ガイアクラッシャー」を一撃で倒す打撃力。得体の知れない賊に用心棒たちが気後れする中、
「おもしれえ! 次はオレが相手だ!」
ホーケンに次ぐ巨体を持つマグドルが進み出た。
マグドルのジョブは全身をダイヤモンドに変えることができる「ダイヤモンドソルジャー」であり、防御力においては「ガイアクラッシャー」を上回っていた。
「ぶっ飛ばせるもんなら、ぶっ飛ばしてみやがれ!」
たとえ、どんなに巨大化しようと、ダイヤモンドを砕くことなど誰にもできない。
マグドルが勝利を確信する中、賊の右手から炎が吹き出した。
世界最硬を誇るダイヤモンドも、炎の前では炭と化す。
「ギャアアア!」
賊の炎で火ダルマとされたマグドルは、その場で転げ回った。
「ま、魔術師だったのか」
用心棒たちが浮足立つ中、2階の窓から矢が撃ち放たれる。撃ったのは「ターゲットマスター」のナイブスであり、彼の手から撃ち放たれた矢は「ロックオン」のジョブスキルにより、必ずターゲットに命中するのだった。そしてナイブスの放った矢は、賊の頭部に命中した。しかし、刺さったのは賊が被っていたフードを貫いただけで、頭部には一切ダメージがなかった。そして矢勢によってフードが外れ、露わになった顔は、まだ十代の少女のものだった。
『永遠長君、フードが』
小鳥遊は、ついさっき教わった念話で、永遠長に話しかけた。
『落ち着け。フードを外したのはわざとだ』
『わざと?』
『そうだ。矢で吹き飛んだように見せかけてな』
『どうして、そんなこと?』
『決まっている。もし正体がバレないまま事件が解決したら、俺に辿り着く奴が現れるかもしれんからだ』
そうなったら、クラスの連中にも、自分の正体がバレる恐れが出てくる。
『だが、ここでおまえが正体を明かせば、襲撃犯はおまえで確定され、誰も俺が裏で画策しているとは思わない』
それもあり、永遠長は小鳥遊を単独で館に襲撃させたのだった。自分の存在を隠すための身代わりとして。むろん、小鳥遊が1人でも戦えるように、最大限のフォローをした上で。
「女!? それもガキだと!?」
用心棒たちの顔に戸惑いが浮かぶ。小娘であるということ自体よりも、そんな小娘に「ガイアクラッシャー」や「ダイヤモンドソルジャー」が容易く倒されてしまったことに。
「ガキだと侮るな! 相当の手練れだぞ!」
フレイルが注意を促す。
ぜ、ぜんぜん、そんなんじゃないんだけど。
小鳥遊は内心で恐縮した。実際、さっきホーケンという大男殴り飛ばせたのも、永遠長が身体強化してくれた上で、念動魔法で小鳥遊の体を操ってのことだった。それでも体にかかる負荷は相当なもので、小鳥遊の体は今もアチコチが悲鳴を上げていた。さっきホーケンを殴り飛ばしたときも、もう少しで「痛ーい!」と叫んでしまうところだった。
『アーチャーは俺が始末する』
『わ、私はどうすれば!?』
『片付くまで逃げていろ』
『ええ!?』
『安心しろ。煙幕は張っておく』
永遠長がそう言った直後、小鳥遊の周囲に黒い霧が立ち込めた。
「だったら引きずり出すまでだ! シュミッツ!」
「おうよ!」
シュミッツと呼ばれた男は、突き出した両手から磁力を放出した。シュミッツのジョブスキルは「マグネットソルジャー」であり、マグネットソルジャーは任意の空間に磁界を発生させることができるのだった。
「おら! 出てきやがれ!」
シュミッツは最大出力で磁力を発現させた。が、なんの手応えもなかった。
鎧を身に着けている以上、必ず磁力に反応するはず。
いぶかしむシュミッツの耳に、
「後ろだ!」
フレイルの忠告が飛び込む。しかし、その声にシュミッツが反応するより早く、
「が!」
永遠長の剣がシュミッツの背中を貫いていた。館の2階にいたナイブスを片付けた後、転移魔法でシュミッツの背後を取ったのだった。そして闇に溶け込むように姿を消す。
「転移魔法、いや「シャドウウォーク」か」
フレイルの顔が険しさを増す。盗賊の上級職である「シャドウウォーカー」は影を操るジョブであり、そのジョブスキルである「シャドウウォーク」によって、影の中を自由に移動することができるのだった。
「では、さっきの炎は魔法ではなくマジックアイテム……」
フレイルの推測に、
「シャドウウォーク?」
「てことは「シャドウウォーカー」かよ!?」
用心棒たちは足元に目を落とす。
いえ、ただの初心者魔法戦士です。
小鳥遊は心の中で答えたが、用心棒たちに伝わるわけもなく、
「や、館に入れ! ここにいたんじゃ、奴のいいカモだ!」
用心棒たちは我先にと邸内に駆け込んでいく。
「ありったけの光源を出せ。魔術師は全力で光魔法だ。可能な限り影をなくせ! 奴にスキルを使う隙を与えるな!」
フレイルの指示が飛び、用心棒たちが明かりを求めて館内を駆け回る。そして魔術師の光球に照らし出された前庭で、1人残ったフレイルが小鳥遊と真っ向から相対していた。
ユーリッヒ傭兵団最強のカースソルジャー対シャドウウォーカー。
共に闇の系譜に連なる戦士の対決を、用心棒たちは固唾を呑んで見守っていた。
『と、永遠長君、どうしよう? あの人って、ここで1番強い人だよね』
小鳥遊はフードの中で身をすくませた。
『そのようだな』
『か、勝てるんだよね?』
『そんなものは、やってみなければわからん』
永遠長の無責任な言葉に、
『そんなあ……』
小鳥遊が縮み上がるなか、
「しかし解せんな」
フレイルは今1つ、自分の判断に自信が持てずにいた。
自分で言っておいてなんだが、もし本当に「シャドウウォーカー」なら、こっそりユーリッヒの寝室に忍び込めば済むこと。それに、先程のパワー。あれはシーフ系のシャドウウォーカーには、あり得ないパワーだった。
シャドウウォーカーではないのか? だとすれば、さっきの技は?
フレイルは迷いを振り切った。
「まあいい。貴様が何者であろうと、倒してしまえば関係ない」
フレイルの眼光が増し、その全身から凶々しい妖気が吹き出す。
「小細工はなしだ」
フレイルは魔剣を上段に構えた。するとフレイルの剣身には、彼と彼の武具に宿っている呪詛の妖気が炎のように吹き上がる。対する小鳥遊は、魔法で剣に光を帯びさせる。もっとも、それも呪文らしき言葉を適当に並べているだけで、本当は永遠長が遠隔操作で付与しているのだが。
「剣に光魔法を? 魔法戦士だったのか?」
自らの魔法で魔剣化した剣を振るえるのは、騎士と魔法戦士のみ。しかし正々堂々を旨とする騎士が、正体を隠して夜襲など仕掛けるとは思えない。ならば、答えは1つしかなかった。
「なるほど。貴様、魔法戦士か。まんまと騙されたが、そうとわかれば真っ向から切り捨てるのみだ!」
シャドウウォーカーでなければ、影に逃げ込まれることはない。そして、こと剣技において、カースソルジャーである自分が、魔法戦士ごとき半端者に遅れを取ることなどありえなかった。
「これで終わりだ」
勝利を確信し、フレイルは全呪力を剣に注ぎ込んでいく。だが最大出力で生み出したフレイルの黒刃が、元の刀身の3倍ほどなのに対して、
「な……」
侵入者の放つ光刃は元の10倍を超え、
「バ、バカな……」
さらに巨大化を続けていた。
「カ、カ、カ、カース、ディストラクション!」
フレイルは迷いを断ち切るように、全力で呪詛の剣を振り下ろす。それを見て、
『来た! 来た! 来たよ! 永遠長君!』
小鳥遊が腰砕けになる。
『わかっている』
永遠長は軽く答えると、
『ひいいー!』
小鳥遊を操り光の刃を振り下ろさせる。そして2人の剣から放たれた光と闇の刃は、両者の中央で真っ向から激突した。結果、
「くそおおおお!」
光の刃は呪いの刃を切り裂き、
「おおお……」
そのままフレイルを吹き飛ばした。呪詛を帯びた防具のおかげで絶命こそ免れたものの、そうでなければ両断されているところだった。
「化け…物め……」
壁に叩きつけられたフレイルは、そのつぶやきを最後に意識を失った。
そして傭兵団の主要メンバーを撃破した侵入者は、そのまま館内に踏み込みんでいく。
同時刻、
「何事だ? 騒がしい」
その館の主であるユーリッヒは寝室で目を覚ましていた。そして寝台から起き出したところで、寝室の扉が開け放たれた。
「大変です、ユーリッヒの旦那!」
「なんだ、ノックもなしに」
ゴロツキに礼儀作法を求めるのは不毛とわかってはいるが、それでも限度というものがあった。
「それどころじゃねえんだ、旦那! 賊が!」
「賊? なら、いつも通りフレイルたちに処理させろ。いちいち、私のところまで」
「それが、ただの賊じゃねえんですよ! 相手は」
そこまで言った後、
「ひい、来た!」
用心棒は血相を変えて、ユーリッヒの部屋から逃げ出した。そして用心棒の次に現れたのは、フードを被り直した小鳥遊だった。
「な、なんだ、貴様は!? い、いや、それより、こんな真似をして、タダで済むと思っているのか!?」
ユーリッヒは可能な限り虚勢を張った。ここまで賊の侵入を許したとはいえ、百人からの用心棒が全滅したとは思えない。ならば助けが来るまで、少しでも時間を稼がねばならなかった。そして、その思惑は早々に叶うこととなった。
「待て! そこまでだ!」
騒ぎを聞きつけたのだろう。武装した衛兵隊が寝室に突入してきたのだった。
「い、いいところに来てくれた! 早く! 早く、そいつを捕まえてくれ!」
ユーリッヒの顔に安堵が浮かぶ。しかし、
「何か考え違いをしておられるようですな、ユーリッヒ殿」
衛兵隊長のカイエンは、冷めた目をユーリッヒに向けた。
「な、何?」
「今宵、我々が貴殿の元を訪れたのは、貴殿を逮捕するためなのですよ。ユーリッヒ殿」
「な!?」
ユーリッヒは気色ばんだ。
「ふ、ふざけるな! なぜ私が逮捕されなければならんのだ!? 私は法に触れるようなことなど、何も」
「確かに。この国において奴隷制度は合法化されております。ですが、それはあくまでも法の範囲内でのこと。奴隷を買うために店を訪れた客を不当に拘束し、奴隷として売り飛ばすことは、法の範疇を超えている」
「な……」
なぜ、それを!? と言いかけて、ユーリッヒは、その言葉を飲み込んだ。
「い、言いがかりだ! わ、私は、そんなことはしていない!」
ユーリッヒは全力で否定した。その場しのぎではなく、本気で逃げ切れる自信があってのことだった。仮に奴隷として売り飛ばしたことが本当に露見したのだとしても、それはそれで小娘が自分から身売りした言えば済む話。しかも、売却先はこの国でも有数の力を持つブリューバー公爵。誘拐して不当に売買したという証拠が出てこない限り、どうとでも言い逃れできる。そう判断したのだった。
「どうしても私を逮捕すると言うなら、私が不当な人身売買をしたという証拠を出してもらおうか!」
あくまでも強気なユーリッヒに、
「……こう言っているが?」
カイエンは侵入者に意見を求めた。
「……証拠、いえ証人ならいます」
小鳥遊はそう言うと、おもむろにフードを取った。そしてあらわになった侵入者の顔を見て、
「な!?」
ユーリッヒの顔から血の気が引く。フードの奥から現れた侵入者の顔は、間違いなく昼間売り飛ばした小娘のものだった。
「私が、この人に売られた本人だからです」
「バ、バカな」
愕然とするユーリッヒを見て、
「この者は、こう申しておりますが?」
カイエンが意地悪く詰め寄る。
「わ、罠だ! これは、すべてこいつが仕組んだ罠なんだ!」
ユーリッヒは小鳥遊を睨みつけた。
「こう言ってるが?」
衛兵隊長は小鳥遊の意見を求めた。
「私の言うことが信用できないと言うのであれば、ブリューバー公爵のところに行って確かめて来てください。この男に私を買い取るよう持ちかけられたが断った、と証言してくださるはずですから」
「な……」
ユーリッヒの顔から血の気が失せる。
す、すでに公爵家にまで手を回していたのか?
「な、なんなんだ、貴様は?」
ユーリッヒの口から疑問が吐いて出る。
「この者ですか? この者は「背徳のボッチート」の連れです」
カイエンは憐憫の眼差しをユーリッヒに向けた。
「背徳!? あ、あの3大ギルドを1人で潰滅させたという!?」
「あなたもバカなことをしたものだ。寄りにもよって、あの男の連れに手を出すとは」
「ち、違う! 誤解だ!」
「さようで? ですが、だとすればなおのこと無実を証明するため、あなたにはご協力いただかねばなりませんな。これまでの取引を含めて」
「な……」
この館には、これまでの全取引の書類が保存してある。それこそ、この街で調達した商品を含めて。
「ま、待て!」
「おや? 何か問題でも?」
わざとらしく尋ねるカイエンに、
「問題ありません。家探しでもなんでも気が済むまでしてください」
ユーリッヒに代わって小鳥遊が答えた。
「貴様、何を勝手に!」
激昂するユーリッヒに、
「私の館を私がどうしようと、あなたにとやかく言われる筋合いはありません」
小鳥遊は平然と答えた。
「ふ、ふざけるな! 何が私の館だ! この館の主は私だ!」
「ふざけてなどいません」
小鳥遊の顔は大真面目だった。
「あなたは、私を奴隷として公爵に売り飛ばそうとした。それはつまり、力による支配を正当化したということです。そして今、この館は力により私が制圧した。つまり私の物ということです」
「ふ、ふざけるな! そんな屁理屈が通用するか!」
「では、あなたに奴隷として売り飛ばされた人たちは、あなたに喜んで全財産を差し出して売られていったとでもいうのですか?」
小鳥遊の皮肉に、ユーリッヒは絶句した。
「な、何をしている!? 早くこいつを捕まえろ!」
反論に窮したユーリッヒは、衛兵隊長に訴えた。
「生憎ですが、それはできませんな」
「なんだと!?」
「この娘の今回の行動には、正当性が認められる。そして正当性があると認められる限り、あの男に関連する事案に関与することを禁ずる。というのが、陛下の勅命ですので」
「な……」
「加えてユーリッヒ殿には、この街の住人をかどわかし、他国に売り渡した容疑もかかっております」
「あ、う……」
「この娘を不当に拉致した件と合わせて、じっくり話を聞かせていただきましょう」
「ま、待て! 私にこんな真似をして、どうなるかわかっているのか!? 私に何かあればリューベン伯やゼーレ辺境伯、それに他国の王侯貴族が黙っていないぞ!」
「わかりました。わかりました。話の続きは戻ってから伺いますので」
衛兵隊長はユーリッヒを軽くいなすと、
「連れて行け」
部下に命じてユーリッヒを連れ出させた。
「他の者は館の捜索だ。どこに、どんな隠し部屋や金庫があるかわからん。とにかく怪しいところは、くまなく探せ」
「はっ!」
部下たちが屋敷中に散ったところで、
「おまえも今夜は帰るがいい」
カイエンは小鳥遊に言った。
「証人として出廷してもらうことになるだろうから、しばらくは王都に留まってもらうことになるが、かまわんな?」
「は、はい」
小鳥遊は、ぎこちなくうなずいた。ユーリッヒの前では気丈に振る舞っていたが、内心ではビビリまくっていたのだった。
「それとな、戻ったら奴に言っておけ」
カイエンの目に怒りが帯びる。
「まったく、この間の件といい、騒ぎを起こさんと気が済まんのか、貴様は! とな」
「は、はい」
「事前に知らせてきたことも考慮して、今回のことは大目に見てやるが、いつでもこうだと思うなよ、ともな」
永遠長は、今夜ユーリッヒの館に殴り込みをかけることを、あらかじめ衛兵隊長に伝えていたのだった。
「今度という今度は奴も言い逃れできまいし、貴族の助力もないだろう。なにしろ、そんな真似をすれば、あやつと事を構えることになるからな」
ブリューバー公爵も手を引いた今、そこまでしてユーリッヒを擁護する物好きがいるとは思えなかった。
「で、では、私はこれで失礼します」
これ以上火の粉が飛んでこない内に、小鳥遊は退散した。そしてユーリッヒの館を出たところで、
「し、し、死ぬかと思った」
小鳥遊はへたり込んだ。今思い出しても震えが来る。よくがんばったと、自分で自分を褒めたい心境だった。そこへ、
「死ななかったんだから、いいだろう」
永遠長が姿を現した。
「そ、それはそうだけど」
一歩間違えれば本当に死んでいただけに、小鳥遊としては愚痴の1つも言いたくなるのだった。
「酷いよ、永遠長君。本当に私1人で行かせるなんて」
「言ったはずだ。俺は、あくまで力を貸すだけだと」
秋代たちを助けたいのは小鳥遊であり、ならば言い出した本人が体を張るのが筋というものだった。
「そ、それは、そうなんだけど……」
「なんだ?」
「もしかして永遠長君、最初に私1人で行けって言ったのって、私が1人で行ったら、あの商人が私を奴隷として売り飛ばそうとするって読んでのことだったの?」
「むろん、可能性があるとは思っていた」
永遠長は悪びれもせず言い切った。
「あの商人には、前々から黒い噂が絶えなかったからな。王都の住人や、自分が経営している宿屋に泊まった客を他国に売り飛ばしているとな。だから小娘1人がノコノコと店に入れば、カモにされる可能性はあると思っていた」
「酷い。わかってたんなら1言教えてくれればよかったのに」
「売却先が決まっていると言われたときに、いったん戻るという選択肢もあった。それをストレートで公爵のところに出向いたのは、おまえの判断だろう。人に文句を言う前に、自分の間抜けさを恥じろ」
そう言われたら、返す言葉のない小鳥遊だった。
「それに結果論ではあるが、おまえが捕まったおかげでクラスの連中を買い戻す金が浮いたし、館も手に入りクエストも達成できた。おまえ的にも喜ぶべきことだろう」
「クエスト?」
「あの奴隷商人の悪事を暴いてくれ。あの奴隷商人に連れ去られた家族を連れ戻してくれ。という依頼がギルドにあったんでな。ちょうどいいから受けておいた」
加えて、ブリューバー公爵に買われた奴隷も解放することができた。
黙って小鳥遊を始めとする奴隷を引き渡すか。ユーリッヒと運命をともにするか。
ナイフを喉に突きつけ、そう二者択一を迫る永遠長に、ブリューバーは前者を選んだのだった。
「……もしかして、そのために私を囮に?」
「あくまでも結果論だ。おまえが1人で行ったとしても、奴が黙って5人を引き渡す可能性も十分にあったんだからな。そんなことより、今日はもう遅い。さっさと帰って寝るぞ」
「え? でも、まだ秋代さんたちが」
秋代たちは、今も狭い檻の中で心細い思いをしているに違いないのだった。
「あいつらが、そんな玉か。他の3人はともかく、秋代と木葉は今頃檻の中で熟睡しているに決まっている。むしろ今行ったら、せっかく気持ちよく眠ってたのに、と文句を言われる可能性すらある」
確かに言いそうだった。特に木葉辺りは。
「だが、まあいい。そんなに気になるなら、先に連中を解放しに行くとしよう」
永遠長は小鳥遊を連れて奴隷商人の店へと転移すると、同じく魔法で店の扉を開いた。そして店番を拳で黙らせた後、秋代たちが閉じ込められている檻へと向かった。すると永遠長の予想通り、クラスメイトたちは全員グースカ眠りこけていた。
気まずそうな小鳥遊を、
「どうした? 連れ出すんだろう? だったら、さっさとしろ」
永遠長が促し、
「う、うん」
呪縛が解けた小鳥遊は檻の錠に鍵を差し込んだ。そして眠りこけている秋代たちを起こしていく。
「んー? 誰よ、うるさいわね」
まず起こされた秋代は、
「小鳥遊さん?」
寝ぼけ眼で小鳥遊を確認すると、
「なんで、ここにいるわけ?」
驚きに目を瞬かせた。
「もちろん助けに来たんだよ」
小鳥遊がそう説明すると、
「マジで?」
秋代の頭はようやく通常運転を再開した。そして小鳥遊と手分けにして、残る3人も起こし終えたところで、
「助けてくれたことには礼を言うけど、どうして助けてくれたわけ?」
改めて尋ねた。小鳥遊たちとは敵同士。足を引っ張りこそすれ、助ける理由などないはずなのだった。
「それは小鳥遊がお人好しだからだ」
永遠長が答えた。
「そして助け出せたのも小鳥遊のおかげだ。小鳥遊が単身で奴隷商人のところに乗り込んで、連中を一網打尽にしたから、こうして助けに来れたんだからな」
「そ、そうだったの。凄いのね、小鳥遊さん」
秋代は素直に感心していた。普段、目立たない小鳥遊に、そんな力があったなんて、と。
「え? それは」
確かに、永遠長は間違ったことは言っていない。でも、と小鳥遊が事実を補足しようとしたところで、
「実は、小鳥遊は以前にも、この世界に来たことがあったらしくてな。そのとき連中を倒せる強さも身につけたらしい」
さらに永遠長が大嘘を並べ立て、
「え? そうなの?」
秋代たちは驚いたが、
「ええ!?」
小鳥遊の驚きは、それ以上だった。そして小鳥遊は「違う!」と即座に否定しようとした。が、口が開かなかった。
「とにかく今日はもう遅い。宿屋に2部屋取ってあるから、6人でも雑魚寝ぐらいはできるだろう」
「6人て、永遠長君はどうするの?」
「ここまで来たついでだ。残りの連中も解放する」
「だったら私も」
「おまえまで残ったら、宿屋の場所がわからんだろう。それに、その後でもう1度あの奴隷商人の館に行くつもりだしな」
「え?」
けげんな顔をする小鳥遊を見て、
「このまま解放されても、ここにいる連中も困るだろう。故郷に戻るにしても、ここで再起するにしても先立つものがなければ始まらん」
「それもそうね」
秋代が言った。
「だから、館に連れて行って金目の物を分配する。そうすれば、幾分マシだろう」
永遠長の言う通りだった。
「わかったら、さっさと行け」
永遠長に追い払われる形で自分、小鳥遊たちは宿屋へと向かった。そして1人残った永遠長は、奴隷たちを解放した後、ユーリッヒの館でひと眠り。夜明けとともに宿屋へと戻った。
すべては永遠長の計画通り。後は小鳥遊とともにレベリングに勤しむのみ。の、はずだったのだが……。