第201話
夜の境内は閑散としていて、正面に古びた本堂がある他は草木が生い茂っているだけだった。そして、その本堂の前では、ちょうど久世が本堂の扉を開けるところだった。
くそ、間に合わなかったか。できれば久世が来る前に、俺が朝比奈と馬場の安全を確保しときたかったんだが。
俺は久世を追って本堂に入った。すると本堂の奥で、馬場が口と両手足を縛られた状態で倒れていた。
「馬場君!」
久世は馬場に駆け寄ると、馬場を縛っていた縄をほどいていった。
「これでよし。もう大丈夫だよ、馬場君」
「ありがとう。本当に来てくれたんだね」
「当たり前じゃないか。それより君だけなのか? 朝比奈君はどこにいるんだ?」
久世は辺りを見回したが、朝比奈も犯人らしき人物も見当たらなかった。
「あいつならボクを縛った後、朝比奈君を連れて出て行ったよ」
「……そうか。とにかく、君が無事でよかった。とりあえず、ここを出よう」
おそらく犯人は、どこかから様子を見ているのだろう。
馬場たちを誘拐までして久世を呼び出しておいて、このまま何事もなく帰らせてくれるとは思えない。朝比奈だけを連れ去ったのも、朝比奈を使って何かを仕掛けるつもりなのだろう。まあ、誘拐犯が何を企んでようと、これ以上こいつらに危害を加えさせやしないが。
「それはダメだよ」
馬場は、右手を久世の背中に押し付けた。すると、久世が倒れ込んだ。
「ば、馬場、君?」
見ると、馬場の右手にはスタンガンが握られていた。
「ボ、ボクが悪いんじゃない。悪いのは、おまえらだ。あのときだって、そうだ」
馬場は声を震わせ「僕は悪くない」を繰り返した。
「あのとき?」
「さ、裁判の日のことだ。僕は言われた通り証言したのに、き、木戸は約束を破って、またボクにお金を要求してきたんだ」
やっぱり、そうなったか。
「だ、だから、お金を渡すって呼び出して、殺してやったんだ」
バカなことを……。
「で、でも、1番許せないのは、君だ。だって、そうだろ。き、君は実際には何もできないくせに、綺麗事を並べて、い、いつでも自分は正しいって顔で他人を見下して」
こいつも、相当こじらせてるな。
「あ、挙句の果てに、学園裁判所なんて言い出して。そ、そのせいで、ボクはさらし者にされたうえ、周りから恩知らずとか嘘つきとか、い、言われることになったんだ」
いや、でも、それ事実だし。まあ、その大元の原因が俺にあるといえば、返す言葉はないんだが。
「だ、だから、き、君にはその責任を取ってもらうんだ」
「せ、責任?」
「そ、そうさ。そ、そのために、僕は捕まったフリをして、ここに君を呼び出したんだ。こ、ここで君が死ねば、みんなは君が死んだ理由を「き、木戸を殺した久世が、その罪の意識に耐え切れず、お、幼なじみと同じように自殺した」と、お、思ってくれるはずだから」
「じゃあ、朝比奈君は?」
「ふ、副会長なら、最初から誘拐なんてしてないよ。ま、前に録音しておいた声を流しただけさ」
そういえば「久世君」以外、何も言ってなかったな。俺も、すっかりだまされたわ。
「あ、あとは君の携帯を使って、し、知り合いにメールを送ればいい。そ、そのメールで犯行を告白して、き、木戸の死体が埋めてある場所を知らせれば、だ、誰も疑わない。そ、そのことは犯人しか知らないことだし、そ、れでなくても元々みんな、き、君のことを犯人じゃないかって疑ってるんだから」
いや、さすがに、そのシナリオには無理があるだろ。警察は、そこまでバカじゃない。
前回は、たまたま防犯カメラに映らなかったか、そこまで捜査していない可能性もある。しかし、殺人事件となれば話は別だ。警察も本腰を入れて捜査に当たるだろうから、この付近の防犯カメラは全部チェックするに違いない。そうなれば、ここに馬場が来たことは、すぐに警察の知るところとなるはずだ。逃げ切れるとは思えない。
「それで、この事件は解決だ」
馬場は再びスタンガンを構えた。
「くそ……」
「思い知れ! 偽善者め!」
「いー加減にしろ」
俺は馬場からスタンガンを取り上げた。まったく、黙って聞いてりゃ、勝手なことばかり言いやがって。
「うわああ! ば、化け物!」
馬場は大慌てて後ずさった。が、すぐに冷静さを取り戻した。
「そ、そうか。そういうことか」
馬場は1人納得すると、久世を睨みつけた。
「あ、あれだけ言ったのに、他人に話したんだな、この卑怯者!」
「おまえが言うな」
どの口で、ほざいてやがる。
「それに、久世は誰にも知らせてないぞ。おまえらのことを知って、俺が勝手に来ただけだ」
「う、嘘だ!」
「信じないなら、それでいい」
別に、こいつが信じようが信じまいが、俺には関係ない話だ。
「う、うう……」
馬場は動揺しきりだ。まあ、それも当然だろう。本人にしてみれば、絶対の自信を持って実行した計画が、根底から引っくり返ったわけだからな。
「どうする? おとなしく自首するか? もし、そうするなら、このまま通報しないで見逃してやるが?」
そのほうが、少しは罪も軽くなるだろう。
「ふ、ふざけるな! な、なんで僕が警察なんかに行かなきゃならないんだ!」
馬場は俺を睨みつけた。
「お、おまえがどこの誰だか知らないけど、お、おまえもボクと同じ「救済者」なんだろ? な、なのに、どうしてボクの邪魔をするんだ? ボ、ボクは、この世界を守るためにやってるのに!」
「この世界のために? 俺には、自分の保身のために動いてるようにしか見えなかったがな」
「ち、違う! ボ、ボクは、これからも世界を守るために、あ、悪を滅ぼさなきゃならないんだ! そ、そのためには、こんなところで警察なんかに捕まるわけにはいかないんだよ!」
「だから、それが保身だろうが」
「ち、違う! 世界のためだ!」
ダメだ。完全に目がイッてる。とりあえずブッ叩いて、おとなしくさせるか。
「そ、そして、せ、世界のために戦おうとする、ボクの邪魔をする奴も悪だ。あ、悪は、この世界から排除してやる! か、神に選ばれた「救済者」である、このボクが!」
「神に? 悪魔の間違いじゃないのか?」
「ふざけるな! この力は、神がこの世界を守るために与えてくれた力なんだ!」
「そもそも、その「世界を守る」ってのが眉唾モノなんだよ」
「な、なんだと?」
「確かに、この「世界救済計画」とやらは、一見世界を守るために設けられたもののように思える。だが、実は違う。この計画は、まず特定の人物に、人間の負のエネルギーが原因で世界に危機が迫っていると教える。そして、その上でその危機から世界を救うためには、どうすればいいかと問う。そうすれば、普通の人間はどう答えるか? 決まっている。その負のエネルギーを発する人間を排除することだ。そして、それはすなわち「悪人を殺すこと」になるわけだ」
「そ、それの、ど、どこが問題だっていうんだ? せ、世界を滅ぼす害虫は駆除して当然だろ!」
「そう。そして、そう答えた人間を「世界の救済者」だと祭り上げ、そのために必要な力を与える。そうすれば、その場で正義の名のもとに殺人を行う「殺人マシン」のできあがりってわけだ。わかるか? つまり、この「世界救済計画」は人類を救うための計画ではなく、世界のために効率的に人類を間引く計画なんだよ」
それでなくとも、世の中には「ただ人を殺してみたかった」と、ほざく輩が存在するからな。大義名分を与えられたら、それこそ歯止めが利かなくなる。
だからこそ、俺は皮肉の意味も込めて「何もしない」と答えてやったんだ。
「そして「救済者」にクズどもを殺させた後で、その「救済者」も化け物として政府機関に始末させる。そのために、俺やおまえみたいな奴が「救済者」に選ばれたんだよ。ボッチやイジメられっ子を「救済者」にしておけば、元々社会に不満があるから思い通りに動くだろうし、事が済んだ後に処分しても誰も困らない。いや、むしろ現代問題になっている社会不適応者も一掃できて、世界をより清浄化できるってわけだ」
負け組に汚れ仕事を押し付けて、事が済んだら殺処分する。実に合理的なシステムだ。
「う、嘘だ!」
「嘘じゃねえよ。でなきゃ、おまえみたいな華奢なガリ勉が選ばれるわけねえだろ。もし連中が、本当に人類を救いてえなら、それこそ全人類に「救済者」の力を与えればいいだけの話なんだからよ」
まあ、もしかしたら本当に適合者しか「救済者」になれない可能性もある。が、俺や馬場が選ばれてる時点で、その可能性は低い。
俺にしても「世界救済委員会」とやらが接触してきたのは、白羽と音信不通になった後だったわけだし。
そいつにしてみれば、あのときの俺は恋人にフラレ、自暴自棄になっているボッチキャラに見えたんだろう。奴にとっては、今の馬場同様、いいカモだったわけだ。
「違う! 違う! 違う! ボ、ボクは神に選ばれたんだ! お、おまえの言ってることは、全部デタラメだ!」
馬場が半狂乱で喚き散らした。
「神がパソコン打つとも思えんしな。それこそ神なら、選んだ相手のところに直接天使を遣わすだろ」
「う、うるさい! チ、チンケな呪文唱えるしか能のない影の分際で、ボクの邪魔をしたことを後悔させてやる!」
失礼な。俺を、あんな量産品と一緒にするんじゃない。
「うおおおおおお!」
気分を害する俺の前で、馬場の体が巨大化し始めた。盛り上がった筋肉は赤身を帯び始め、背中にはコウモリのような羽が生え、腰からも尻尾が伸びていく。
なんだ、デーモンにでも変身するのか? でも、正義を自称する馬場が、自分から悪役キャラを選ぶとも思えんが。
俺が考察している間にも、馬場の姿はどんどん巨大化していった。そして、その身長は見る間に俺を追い抜き、2メートル、3メートル、4メートル、5メートルを超え、
「おいおいおいおいおいおいおい」
ついには10メートルを超える、巨大なドラゴンへと変貌を遂げたのだった。
マジか? 確かに、あの選択肢のなかにはドラゴンもあった。そしてドラゴンは確かに最強種だ。しかし、この現代での利便性を考えたら普通選ばないだろ、トラゴンは。
「グオオオオオオオ!」
完全変形した馬場、いやドラゴンは猛々しい咆哮を上げた。
このバカ、真夜中とはいえ、こんな町中でバカでかい声上げやがって。警察に通報でもされたら、どうする気だ? それこそ自衛隊が出張ってきて、ハチの巣にされかねないんだぞ。
「ば、馬場君?」
久世も、あっけにとられている。そりゃそうだ。
「逃げろ、久世」
ああなっても、一応理性は残ってるだろうが、理性があろうがなかろうが、あいつは俺たちを殺す気だろう。
と、言ってる傍から、ドラゴンが俺たちに向けて大きく口を開いた。このバカ、まさか。
「ちいい!」
俺は久世とドラゴンの間に、闇の壁を作り上げた。そして一瞬遅れ、ドラゴンの口から炎が噴き出された。
このバカ、こんなところで火なんか吐きやがって。見つけてくださいって、言ってるようなもんじゃねえか。
「もう止めるんだ、馬場君!」
久世が叫んだ。このバカ。この期に及んで、まだ馬場を説得する気か!?
「逃げろ、久世!」
どいつもこいつも。
「で、でも、このまま久世君を放っておくわけには」
まったく頑固な奴だ。いや、この場合、それが正解か。今、下手に久世を逃がしたら、それを追って馬場も町に降りかねない。
そうなったら町中大騒ぎだ。それに世界救済計画の存在が世間に知られて、魔物狩りとか始められたら、それこそ俺のバカンス計画は水の泡だ。それだけは避けねばならん。
かといって、馬場を傷つけるわけにもいかんし、なんとか無傷で馬場を止める方法を考えんと。
「ブオオオオオ!」
俺が悩んでいる間も、容赦なく続く馬場の火炎放射。こんにゃろう。ひとが下手に出てりゃ、どこまでも調子に乗りやがって。
「もう知らん! そっちがその気なら、こっちも徹底的にやってやる!」
不意打ちかまして、終わりにしてやろうか? しかし、それだと馬場が納得しないだろうし、今度こそ量産品の烙印を押されかねない。馬場に2度と量産品などとほざかせないためにも、ここは正面から行ってやる。
「まさか、馬場君を攻撃する気ですか? 待ってください、羽続さん! そんなことしたら馬場君が」
「わかってる。黙って見てろ」
俺は空に飛び上がると、ドラゴンの真正面に陣取った。
「全力で来い、馬場。こっちも全力でブッ潰してやる!」
そして量産品とほざいたことを、心の底から後悔させてくれるわ!
「行くぞ! クソトカゲ!」
俺は両手に闇の力を収束させた。それに対して、ドラゴンも大きく息を吸い込む。
「消え失せろ、クソトカゲ!」
俺はクソトカゲに向け、闇の大砲をブッ放した。そして、ほぼ同時に、ドラゴンも俺めがけて炎を吐き出す。
闇と炎が、2人の間で衝突した。が、それも一瞬だった。闇は、炎を飲み込みながらドラゴンに直撃。夜の古寺は、漆黒の闇に包まれた。
そして黒霧が晴れた後には、人に戻った馬場の姿があった。やれやれ、どうにかうまくいったようだ。
「な、なんで?」
馬場自身、何が起きたのかわからずにいるようだった。そして俺の存在に気づくと、あわててドラゴンに戻ろうとした。しかし、どんなにがんばっても、再び馬場がドラゴンに変身することはなかった。
「ど、どうして?」
「それは、俺がおまえを普通の人間に戻したからだ」
「も、戻した?」
「そうだ。俺のクオリティは「分離」でな。その力で、おまえの「ドラゴンに変身できる能力」を体から分離したんだよ」
プロビデンスの「物質変換(影)」で、馬場を普通の人間に再構成してもよかったんだが、分離したほうが手っ取り早いからな。
ちなみに「物質変換(影)」は、いわば物質の原子分解だ。そして俺は、その原子に分解された物質を、構成さえ同じなら、どんな形にでも作り替えることができるのだ。まあ、簡単に言うと、俺には炭からダイヤモンドを作りだせるってわけだ。
「う、嘘だ!」
あきらめきれない馬場は、再びドラゴンに変身しようとした。しかし、やはり結果は同じだった。
「そ、そんな……」
馬場は、その場にガックリと崩れ落ちた。
「この先、2度とおまえがドラゴンになることはない。そして、これからおまえは人として、自分の犯した罪と向き合うんだ」
「何が罪だ! なんにも知らないくせに、勝手なことを言うな!」
馬場は吐き捨てた。
「くそ! くそ! くそ!」
馬場は床に拳を叩きつけた。
「ボ、ボクは悪くない! 悪いのは、あいつだ! あのままなら僕は、あいつに殺されてた! ボクは、あいつから自分の身を守っただけだ! そうだ! これは正当防衛なんだ! ボクは悪くない! 悪くないんだ!」
馬場は半狂乱になってわめき散らした。
「おまえの言うことにも一理ある」
実際、あのヘビに同情の余地は一片もない。
「ただひとつ言っとくと、もしおまえが本当に自分のやったことが正当防衛だと思っていたのなら、コソコソ隠れて殺らずに、それこそ堂々とブッ殺せばよかったんだよ。そのうえで「こいつを殺さなければ自分が殺されてた! これは正当防衛だ!」と、堂々と主張すればよかったんだよ」
俺なら、そうしている。いや、それ以前に俺なら殺さないな。殺さず半殺しにして、自分のやったことがどういうことか、骨身に染みて思い知らせているだろう。
両目潰してアキレス腱ブッた切って、両肩の間接ブッ壊して、指を一本ずつハンマーで叩き潰して、金玉蹴り潰して、最後に背骨ヘシ折ってるだろう。そうすれば死ぬ以上の苦しみを与えられるうえ、犯罪としては殺人よりも罪が軽くなる。
「まあ、そこまでいかなくても、犯罪スレスレのレベルで血祭りにあげとけばよかったんだ。そうすれば、その先おまえに手を出す奴はいなくなったはずだ。だが、おまえはクソどもに散々好き勝手やらせたあげく、リミッター超えたらブッ殺すっていう両極端な方法を取っちまった。そのうえ、おまえは久世を殺して犯人に仕立て上げようとすらした。それは、おまえが自分のやったことが犯罪だと自覚していたという、何よりの証拠だ。つまり、その時点で、おまえは自分で自分の正義を否定しちまったんだよ」
「…………」
「せめてそのセリフを、あの裁判のときに言ってりゃあ、違った結果になったかもしれねえのにな。勇気の使いどころを、完全に間違えたな」
「……う、うう」
馬場は、うなだれて嗚咽を漏らした。
その後、馬場は久世の通報で駆けつけた警官に逮捕された。
こうして学園裁判所の最初で最後の法廷は、今度こそ本当の閉廷を迎えた。
誰にとっても、後味の悪い結末だった。




