第174話
かつて朝霞の「透過」のクオリティは、リャンの「承認」のクオリティによって無効化された。
その理由がなんなのか、現状において定かではない。ただ1つ確かなことは、天国の発動した「承認」が、天国の「透過」を無効化したということだった。
そして朝霞の本体をあぶり出したところで、
「タイガーインパクト!」
天国は右手から放った衝撃波で、
「が!」
朝霞を地上へと撃ち落とした。
「あれって、あの魔女の力よね?」
秋代は、小鳥遊に答えを求めた。あのときは戦闘中だったので、あまり深く考えていなかったが、改めて言われてみれば、あのとき確かに魔女は朝霞の力を無効化していたのだった。
「たぶん、そうだと思う」
小鳥遊がうなずいたところで、
「やるじゃねえか、あの天国ってヤツ。オレ様たち以外で、アレをゲットした奴を初めて見たぜ」
九重たち「マジカリオン」が運動場に姿を現した。見ると、他の主要ギルドのメンバーたちも運動場に出てきていた。
「それって、あの「アバタール」てののこと? てーか、あんたたちもスペシャルシークレットジョブってヤツなわけ?」
秋代は九重に尋ねた。
「今んところ情報だけだけどな」
九重は渋面を作った。
「なにしろ特級になるには、アイテムが10万個必要だからな」
「10万個!?」
「それも、ウルトラレアなアイテムがな」
「レアアイテムが10万個……」
秋代は気の遠くなる思いだった。千個単位ですら、人手を総動員してようやく集めたというのに、レアアイテムが10万となったら、どれだけの労力することか。
「ああ。だから、さすがのオレ様たちも、全員まだ半分ぐらいしか集められてねえんだよ」
「当然なのです!」
沙門はフンと鼻息を荒げた。
「マリーたちは、日夜異世界をパトロールしているのです。ただ勝手気ままに遊び回っている連中とは違うのですから、集められなくても致し方ないのです」
「ともあれ、その10万個のレアアイテムを、天国は1人で集めきったってわけね」
秋代は改めて天国を見た。
「やるのう。わしらなんて2000個でも大変じゃったのに」
木葉は素直に感心し、それは小鳥遊も同様だった。
「本当に凄いね。そのうえで、他のシークレットジョブの情報や、主要ギルドの情報まで調べてたんだから」
「まあ、天国の場合、3年のインターバルと「共感」のクオリティ。それと獣人化の力があったからできたんだろうけど」
永遠長がチーム戦のときに、1日で数千個の魔石を集めたように。
「今思うと、きっとあのときも」
秋代は、そこで口をつぐんだ。
「なんじゃ?」
「なんでもない」
秋代は、すっとぼけた。本当は「獣人化の能力で分身して、魔石を集めてたんでしょうね。分身できりゃ、そりゃ魔石集めなんて屁でもなかったわけよ」と続けようとしたのだが、そうすると、また木葉が「わしも獣人化したい!」と言い出すに決まっているので口を閉ざしたのだった。
そして秋代たちが見守る中、天国も地上に降り立った。
「今のは、かなり効いたみたいね」
「ふざけんな! この程度」
朝霞は魔法少女の力で体を回復させると、再び天国と対峙した。
「見ろ。おまえの攻撃なんて、わたしには」
得意がる朝霞を、
「他人に与えられた力で、ね」
天国が皮肉る。
「黙れ!」
朝霞は杖から巨大な黒炎弾を撃ち放ったが、
「セイクリッドブレイザー!」
天国の右手から放たれた光刃により両断されてしまった。
「何をしようと無駄。あなたに私は倒せない」
「だから偉そうに!」
朝霞は空に飛び上がると、
「見下してんじゃねええ!」
運動場全体に無数の黒い雷を降らせた。しかし、その攻撃はすべて天国を素通りしてしまった。朝霞の「透過」のクオリティによって。
「確かに便利ね。あなたの力」
これも、ひとえに「承認」の賜物だった。
「こ、このクソ野郎が!」
朝霞の手が怒りに震える。自身の「透過」を封じられたばかりか、その力を逆に利用されるとは。
朝霞は腸の煮えくり返る思いだった。
「なんで、こんな奴に……」
朝霞の目に悔し涙が滲む。
「あなたの生い立ちには同情する。でも、だからと言って何をしても許されるわけじゃない」
「おまえの同情なんていらねえんだよ!」
朝霞は最大出力の黒雷を撃ち出した。しかし、やはり天国にダメージを与えることはできなかった。
「まだ続ける?」
天国の問いかけも、
「くたばれ、クソ女があ!」
激昂した朝霞の耳には届いていなかった。
「……そう。なら望み通り、最後まで相手をしてあげる」
天国は右手で左手首に触れると、
「化現」
左腕に装備していた水竜を剣へと変化させた。
「サモンソード」
天国は剣の柄を掴むと、朝霞めがけて飛び上がった。そして光の速さで朝霞に猛迫した天国が、朝霞へと剣を振り払う。しかし、
「!?」
その剣は魔法障壁により跳ね返されてしまった。が、それは朝霞の力ではなかった。
「お、おまえ、なんで?」
背後に人の気配を感じた朝霞は、後ろを振り返った。すると、そこには今は結界内に閉じ込められているはずの永遠長の姿があった。
「あの程度の結界、出ようと思えばいつでも出られた」
「な!? い、いや、そういうことじゃなくて、どうしてわたしを……」
戸惑う朝霞に、
「決まっている。まだ賭けが終わっていないからだ」
永遠長は淡々と答えた。
「か、賭け?」
「言ったはずだ。もし子供ができれば、そのときはその子が育つまで異世界行きは延期すると」
まだ、あれから2ヵ月ほどしか経っていない。朝霞が妊娠しているかどうかは、もう少し様子を見ないとわからないのだった。
「ちゅうことは、永遠の奴、朝霞とヤッたっちゅうことか?」
本筋から逸れたところに食いつく木葉を、
「今は、そんなことどうでもいいのよ」
秋代がたしなめる。
「でなければ、おまえを助けなどしない。おまえが死のうが生きようが、俺には関係ない話だからな」
永遠長は冷ややかに言い捨ててから、
「そして、それはおまえも同じことだろう?」
言葉を継ぎ足した。
「え?」
「本当のところ、おまえにとって大事なのは弟だけだろう。俺を含め、それ以外の人間のことなど、正直な話どうでもいい。違うか?」
永遠長の指摘に、朝霞は言葉を詰まらせる。
「要するに、おまえは真性のブラコンで、だったらブラコンはブラコンらしく、最後までそれを貫けという話だ」
「だ、だけど、辰巳はわたしのことなんて……」
風花に見せられた未来を思い出し、朝霞の表情が曇る。
「それが、そもそも疑わしいんだけど」
天国が言った。
「あなたが、あの女に見せられた未来。あれは本当に、本当の未来だったの?」
「え?」
「あの女に、本当に時空間を開く力があるのかはともかくとして、5年後の未来、それも真夜中に、あんな悠長な真似をしてる余裕があるとは思えないんだけど。よほどの命知らず以外」
「それって、どういう……」
「それに、あれが本当なら本当で、そうならないよう、今からでも性根を叩き直せばいいだけのことでしょ。未来は、まだ何も決まってないんだから」
「とにかくおまえは、まず弟を独り立ちさせろ。それができない限り、おまえはどこにも進めない」
天国と永遠長に己の成すべき課題を突きつけられ、
「…………」
朝霞の瞳に生気が蘇った次の瞬間、
「きゃあああああ!」
朝霞の体に衝撃が走り、
「あ…あ……あ……」
体から赤い光が抜け出していく。そして光は、上空に浮かぶ女性の右手へと吸い込まれていった。その顔を見て、
「あなたは」
天国の目が険しさを増す。
「まったく期待外れもいいところね」
風花は倒れた朝霞を冷ややかに見やった。
「せっかく目をかけてあげたっていうのに。しょせん、カエルの子はカエルということかしら」
風花は軽く吐息した。
「まあいいわ。失敗は成功のもと。力は返してもらったことだし、また別の子を」
「そんなことはさせない」
天国は毅然と言い放った。
「させない? 相変わらず、生意気な子だこと」
風花は、わずかに目を細めた。
「でも、お生憎様。人間への直接干渉は創様に禁止されているし、なによりあなたごときの相手をしているほど、私は暇」
「おまえの都合など聞いていない」
永遠長は風花の話を遮る形で言い捨てた。
「この前は、別に実害を受けたわけではないから見逃してやったが」
どこまでも不遜な永遠長の物言いに、
「見逃してやった?」
風花の眉がかすかに揺れる。
「今は違う。おまえは調を利用して、俺の人生設計を狂わせた。その代償は、きっちり払ってもらう」
「……その自信は、もしかしたら大地君に勝ったことからきているのかもしれないけれど、だとしたら思い上がりもいいところね」
「ほう」
「あの戦い、あなたが大地君に勝てたのは、大地君が手加減してあげたからに過ぎないというのに。彼、子供には甘いから」
「それって負け惜しみ?」
駆けつけた秋代が皮肉った。
「ただの事実よ。まあ、四大天使だなんだと世間では一括りにされてるから、その意味で大地君の負けは私にも飛び火しかねない、はた迷惑なものではあるのだけれども、それもしょせんは人間が勝手に決めたカテゴリーに過ぎないのだし」
「はあ!?」
秋代の口から、思わず間の抜けた声が漏れた。
「今、四大天使って言った?」
「ああ、そう言えば、あなたたちは知らないのだったわね。そう、大地君はキリスト教で言うところの四大天使の一翼、大地を司るウリエル。そして、私は風を司るラファエル」
「ウリエル!? あのちゃらんぽらんを絵に描いたようなチャラ男が!?」
秋代には、ここ最近で1番の衝撃だった。それこそ、もうじき地球に魔物が復活することよりも。
「まさに、世も末ね」
「その気持は、よくわかるわ。私も、どうして創様が彼をお側に置いておくのか、理解に苦しむもの」
パシリとして重宝だから。ということで、一応納得してはいるが。
「まあ、それはそれとして、証拠が欲しいと言うなら教えてあげる。あの戦いのとき、大地君、連れていた子を自分の体に取り込んだでしょ。あれ、どうしてだと思う?」
「変態だから」
秋代は即答し、
「まあ、その要素も多分にあるのでしょうけれど」
風花の微笑を誘った。
「あれの本当の目的は、あの子が狙われることで創造主化が解けることを防ぐためだったのよ」
寺林の創造主化は、リャンの「承認」のクオリティによって実現した。そのため、もしリャンの力が消えれば、彼女の力によって実現した創造主化も消えることになる。それを防ぐために、寺林は1番安全な自分の体内にリャンを保護したのだった。
「もう、わかったかしら? つまり大地君がその気になれば、力の発生源であるあなたを石化するなりして、いつでも彼の創造主化を解くことができたということなのよ」
「…………」
「でもそれをせず、大地君がバカ正直に戦ってくれたお陰で、あなたは彼に勝てたの。わかったかしら? わかったら、身の程をわきまえて」
「くだらん」
永遠長は言い捨てた。
「なんですって?」
「くだらんと言ったんだ。おまえの言う通り、寺林はいつでも俺の創造主化を解除できたかもしれん。が、俺に言わせれば、あの創造主化は、あの状況から脱出できた時点で役目を終えていた。それでも使い続けていたのは、あくまでも使えたからであって、もし潰されていたらいたで、そのときは別の方法を取ったまでの話だ」
「それこそ負け惜しみではなくて?」
風花は失笑を漏らした。
「すぐにわかる」
あくまでもふてぶてしい永遠長の態度に、風花の顔を不快感が横切る。
「いいわ。そこまで言うなら、少しだけ遊んであげる」
風花は運動場を見回した。
「けれど、ここでは少し手狭ね。創様の学び舎を壊すわけにもいかないし、場所は…そうね、どうせならあなたが大地君と戦った場所で。あなたに、本当に奥の手があったというのなら、あの日と同じ場所、同じ条件で見せてごらんなさいな」
「いいだろう」
「決まりね。では……」
風花は周囲を取り巻く見物人たちに目を向けた。
「あなたたちも連れて行ってあげる。この戦いの見届人として」
そして無様に敗北した永遠長の醜態を、広く世間に吹聴してもらう宣伝役として。
「じゃあ、行くとしましょうか」
風花は力を発動した。直後、風花と永遠長たちの姿は、永遠長たちが寺林と戦ったディサースの廃村に移っていた。そして秋代たち見届人が、戦いに巻き込まれないように2人から距離を取ったところで、
「さあ、見せてちょうだい。あなたの言う別の方法とやらを。もっとも、そんなものがあれば、の話なのだけれど」
風花は目を細めた。
「言われなくとも見せてやる」
永遠長は異世界ナビを手に取ると、画面を2、3操作した。直後、永遠長の体が金色の光に包まれた。そして用が済んだ異世界ナビを再び懐にしまうと、腰の鞘から神器を引き抜いた。
「顕現、疾風迅雷」
神器の力を帯びた永遠長を見て、
「もう、いいのかしら?」
風花は小馬鹿にした口調で問いかけた。
「ああ」
「1つ忠告しておいてあげるけれど、あなたお得意の「連結」は、私には通用しないから、そのつもりでね」
風花のクオリティは「隔絶」であり、あらゆる時間と空間から、自分を含めた対象を切り離すことができる。永遠長が天国にタイムリープを行った際に、風花だけがタイムリープ前の事象を覚えていたのも、その「隔絶」によりタイムリープの効果範囲外に身を置いていたからなのだった。そして、この「隔絶」の力は、もちろん永遠長にも作用する。つまり永遠長は、この戦いにおいて他人の力は使えないのだった。
「じゃあ、見せてもらおうかしら」
「いいだろう」
永遠長は風花に切り込んだ。しかし、その動きには寺林戦ほどの速さはなかった。
「どうしたのかしら? その神器を使えば、光速運動が可能だったのではなくて? そんな動きじゃ、一生私は掴まえられないわよ」
風花は舞うように永遠長から距離を取った。
「気流か」
永遠長は周囲に視線を走らせた。
「あら、よくわかったわね」
風花は小馬鹿にした口調で言った。
本来、いくら電気をまとったところで、人間が光速で動けるわけがない。そんな真似をすれば、摩擦熱で焼け死んでしまう。それを可能としているのは、永遠長が光速移動する際、全身に帯びた電磁波が進行方向の空気を吹き飛ばしているからなのだった。宇宙船が大気圏に突入する際、電磁波を前方に照射することで焼失を防いでいるように。
そこで風花は、自分の周囲に圧縮した空気の層を幾重にも張り巡らせることで、電磁波の進行速度を遅らせたのだった。
「光が、物質中では真空内よりも遅くなることぐらいは、あなたも知っているでしょう? これは基本、空気が絶縁体だからで、これが水中であるとさらに速度は遅くなる」
光は、真空中では秒速約30万キロメートルだが、水中では約22万となるのだった。
「そして今この場には、私の力によって水中よりも遥かに高密度な割合で、電気を阻害する障害物で満ちている。わかるかしら? つまり、この空間では、あなたの神器は本来の力を発揮できないということなの」
風花は微笑した。
「疑うなら、なんと言ったかしら? そう、雷轟電撃とやらを撃ってみればいいわ。そうすれば、嫌でも私の言っていることが事実だとわかるでしょうから」
風花に挑発された永遠長は、
「顕現!」
剣を高々と突き上げると、
「雷轟電撃!」
風花めがけて雷轟電撃を撃ち放った。しかし、上空からほとばしり出た雷は、標的である風花を避けて地上に落ちてしまった。
「これでわかってもらえたかしら?」
雷が屈折しながら地上に落ちるのは、イオン化の進んだところや湿気の多いところなど、電気の流れやすい場所を探しながら進むため。そこで風花は、自分の周囲の空気を操り、わざと電気が流れやすい道を作ることで、そちらに雷を誘導したのだった。
「なんなら電光石火も試してみる? もっとも、あんなにタメが長い上に直線的な攻撃、よほどのグズでなければ当たらないだろうけれども」
風花は含み笑った。
「どうしたの? 攻めてこないの? 早く別の手段とやらを、見せて欲しいのだけれど。それとも、その玩具頼みの攻撃が、あなたの言う別の手段だったのかしら? だとしたら、拍子抜けもいいところね」
風花は、わざとらしく肩をすくめた。
「……どうやら万策尽き果てて、憎まれ口を叩く余裕もないようね。なら」
風花は力を発動した。瞬間、永遠長は右に飛び退いた。直後、寸前まで永遠長のいた地面に衝撃波が直撃した。
「よくかわしたわね」
普通なら、何が起きたのかもわからないうちに、吹き飛んでいるところだというのに。
「なら」
風花は永遠長めがけて、さらに衝撃波を繰り出した。が、すべて永遠長に回避されてしまった。
「どうやら本当に、私の攻撃を察知できるようね。だったら」
風花は永遠長の周囲を炎で取り囲んだ。
「風を司る神だから、炎は使えないと思った? でも、お生憎様。私ほどの力があれば、火の精霊を使役せずとも、これぐらい造作もないことなのよ」
風花は立ち尽くす永遠長を、つつくように軽く指さした。直後、永遠長を中心とする大爆発が起きた。
「はい。これでおしまい。口ほどにもないとは、このことね」
風花は肩をすくめた。
「まあ、それでも人間としてはがんばったほうかしら」
風花が嘲笑するのを傍目で見ながら、
「のう、春夏」
木葉が口を開いた。
「あいつは、なんであんなにドヤ顔しとるんじゃ? あんなもん、魔法使いなら誰でもできることじゃろうが?」
木葉には、さっぱりわからなかった。そして他の事柄なら、風花も無知な子猿の戯言など、一笑に伏していたことだろう。しかし、これだけは話が別だった。
「誰でもですって?」
風花は木葉の正面へと転移した。
「いいわ。説明してあげる」
バカな子猿に説明したところで、時間の無駄でしかないことはわかっている。しかし、こと炎に関することで、そこいらの凡庸な人間と同列に扱われることは、風花のプライドが許さないのだった。
「子猿君、言っておくけれども、今の炎には人間が言うところの魔法はおろか、炎の精霊の力さえ、一切関与してはいないのよ」
「どういうことじゃ?」
「なぜ火が起きるのか。その原理は知っているかしら?」
「火がつくぐらい、物が熱くなるからじゃろ」
「へえ、よく知ってるわね」
「これぐらい当然じゃ」
木葉は胸を張ったが、風花に限りなくバカにされていることには気づいていないようだった。
「その通り。通常火は可燃物に酸素が結びつき、これに熱が関与することで発生する。そして、人は日常において火を起こす場合、マッチやライターなどを使うわけだけれど、これはどうして火が出るか知ってるかしら?」
「摩擦熱じゃろ」
「その通りよ。見かけによらず物知りね、子猿君」
「まーの」
木葉は再び胸を張った。そんな幼なじみを見て、秋代は何か言いたげだったが、取りあえず黙っていた。
「じゃあ、その摩擦熱が空気の圧縮によっても起こることは知っているかしら」
「そうなんか?」
小首を傾げる木葉に、
「ほら、隕石とかが大気圏に突入するとき、大半が摩擦熱で燃え尽きるって言うでしょうが」
秋代が耳打ちし、
「おお! あれか!」
木葉もようやく合点がいった。
「その通りよ。じゃあ、どうして隕石が大気圏に突入すると燃え尽きるのかしら?」
「どうしてって、隕石と空気がすれて摩擦熱が発生するからじゃろ」
「外れ。隕石が大気圏に突入する際に燃え尽きるのは、隕石が大気圏に突入する際に、前方の空気を押し潰すからなの。そして押し潰された空気中の分子同士が激しくぶつかり合って熱を発生させるの。そうね、大気圏にマッハ3ぐらいで突入すると、350度ぐらいかしら」
「そうなんか?」
「ええ。そして、これがどういうことかわかるかしら? つまり、それだけの圧力を空気に加えることさえすれば、どこででも350度を超える熱を発生させることができるということなのよ」
「確かにそうなるの」
「そして、さっき私が行ったのが、まさにそれというわけ。私は、あの子の周囲の空気を圧縮することで高熱を発生させ、その熱で空気中の可燃物を燃焼させることで炎を発生させたの。わかったかしら?」
つまり、風だけでなく炎も自在に繰り出せる自分は、炎しか操れない静火より優れた存在ということなのだった。
「おお、なんかよくわからんが、凄いことしとるってことはわかったぞ」
「いい子ね」
風花は満足げに笑った。木葉がすべてを理解できるとは、最初から思っていない。ただ、自分のしていることが凄いことだ、ということを理解しさえすれば、それでいいのだった。
「ついでに教えておいてあげるけど、気体は押し潰すと熱くなり、引き伸ばすと冷えるの。クーラーや冷蔵庫は、この原理を利用しているのよ」
「そうなんか?」
「ええ、勉強になったでしょう?」
「おう」
「それじゃ、十分遊んだことだし、私はこれで」
満足した風花が引き上げようとしたとき、
「待つのです!」
沙門が声を上げた。
「まだ、マリーたちの用が済んでいないのです!」
「あら? 何かしら?」
「マリーは、あなたを許さないのです!」
沙門は手に持つ杖を風花に突きつけた。
「なんのことかしら?」
「惚けても無駄なのです! あなたが太陽神を唆し、司令官を苦しめた諸悪の根源であることは、すでに調べがついているのです!」
沙門は風花を睨みつけた。
「ここで会ったが百年目なのです! 司令官たちに、いえ、天に代わって成敗するのです!」
鼻息荒く糾弾する沙門に、
「そう断言するからには、証拠があるのでしょうね?」
風花は不敵な笑みを返す。
「寺林さんから聞いたのです」
沙門の根拠を聞き、
本当、口の軽い男だこと。
風花は内心で毒づいた。
「そんなことは証拠にならないわね。それでいいなら、それこそ私が「真犯人は大地君」と言えば、大地君も犯人、もしくは容疑者ということになるんじゃないかしら?」
風花の反論に、
「し、信憑性の問題なのです」
沙門も反論し返したが、その威勢は弱まっていた。
「それなら、なおのこと怪しいのは彼のほうでしょう? 彼、嘘つきだし、創様の言いつけを破った前科持ちなのだから」
風花の主張に、秋代が「確かに」と深くうなずく。
「証拠もなく、信用度ゼロの証人の、それこそ信憑性の欠片もない戯言を元に悪と決めつけるのは、正義の味方としていかがなものなのかしら?」
「ぐ、む、に、ぬ、な」
「それに、月の女神を苦しめたと言ったけれど、あれは彼女の自業自得でしょう」
「なんだと!」
十六夜が声を荒げた。周囲の手前、ここまで抑えていたが、月の女神の一件でもっとも憤っているのは十六夜なのだった。
「麗しい姉弟愛、と言いたいところだけれど、その怒りは筋違いというものではないかしら。なぜなら、あのとき太陽神たちが地球人に不満を抱いていたのは事実で、それは粛清されるに足る十分な理由だったのだから」
それを月の女神がいい子ぶって、権限を越えて執行官と接触したために、話がややこしくなってしまったのだった。それも、誰も処分者を出したくない、などという幼稚極まりない理由で。
「そして転生した彼女を苦しめたのも、太陽神が自身の判断で行ったこと。それで通報者を責めるのは、筋違いではなくて?」
「あ、あなたが余計なことをしなければ、そもそも何も起こらなかったのです」
「そうかしら? そのときはそのときで、不満分子がなんらかのリアクションを起こして、結局粛清されていたと思うのだけれど。まあ、それはいいわ」
どれだけ言い合っても、しょせん水掛け論にしかならないのだから。
「それで? 諸悪の根源であるところの私を、あなたたちが倒そうとでも言うのかしら?」
「成敗するのです!」
沙門たちは身構えた。
「いいわ。なら、かかってらっしゃい。ついでだから、少しだけ遊んであげる。なんなら」
風花は天国を見た。
「あなたも、この子たちと一緒にかかってくる?」
「そんなセリフは俺を倒してから言え」
天国が憮然と言った直後、
「そういうことだ」
永遠長が風花の背後に出現した。そして間髪入れずに切り払われた永遠長の剣は、風花の胴を真っ二つに切り裂いた。しかし、
「相変わらず礼儀がなっていないわね」
風花にダメージらしいダメージはなく、
「話している最中に後ろから斬りかかるなんて」
切り離された上半身と下半身も、あっさり再接合してしまった。
「話し始めたのは、おまえの勝手だ。背後から切られるのが嫌なら、最初からよそ見などするな」
「それにしても、あの攻撃を受けてよく無事だったこと」
復活チケットがあれば、どんな攻撃を受けても無傷で復活できる。しかし、今この一帯は風花のクオリティにより外部から「隔絶」されている。そのため復活チケットがあっても死体はこの地に留まり続け、復活は不可能なはずなのだった。
「結界で防いだ。ただ、それだけの話だ」
「人ごときの力で、防げる威力ではなかったはずなのだけれど」
それは、さっきの不意打ちも同じだった。
風花の周囲には、常に防御の結界が張られている。だから、人ごときの力で切りつけられたところで、弾き返すか、多少揺らぐ程度で済むはずなのだった。
「それにしては、反撃までに随分と間があったわね」
「教師は生徒に学びの機会を与えこそすれ、奪うものじゃない。その教師の本分に従ったまでの話だ」
「殊勝な心掛けだこと」
「当然だ。仕事だからな」
「そう。で、まだ続けるのかしら?」
「当然だ」
「理解に苦しむわね。今の話を聞いていたなら、もはやあなたに勝ち目がないことぐらい、わかりそうなものでしょうに。それこそ私がその気になれば、あなたの周りの空気を奪って真空状態にすることも、逆に何倍もの気圧をかけることもできるのよ。なんなら、この辺り一帯を衝撃波で吹き飛ばしてあげましょうか?」
衝撃波の発生も、原理的には摩擦熱と大差がない。違うのは、衝撃波は、音速で押し出された直近の空気は高圧となるが、さらに前方に存在する空気は通常圧のままなため、この両者の境界面に生じたもの、ということだった。
「やってみろ。できるものならな」
永遠長の全身から漆黒の闇が噴き出した。
「いいわ。そういうことなら、まとめて吹き飛ばしてあげる」
風花は衝撃波を繰り出そうとした。しかし、
「え?」
永遠長は吹き飛ぶどころか、小揺るぎもしなかった。
「これは……」
鼻白む風花に、
「おまえも神なら、闇属性の能力は知っているだろう」
永遠長は淡々と言った。
「精霊力の無効化」
確かに、闇属性には他の精霊力を無効化する力がある。そのことは風花も知っている。しかし、
「そんなこと……」
できるわけがなかった。
闇が他の自然力を無効化できるのは、あくまでも精霊の行使者の力が拮抗している場合のみ。さっき永遠長が放出したのが闇の霊気だったとしても、人が生み出す力ごときが、神である自分の力を無効化できるはずがないのだった。焼け石に水の例え通り、燃え上がる巨岩に水を1滴垂らしたところで無意味なように。
「そして、今この周囲には俺の霊気が充満している」
「だから、なんだと言うの?」
人ごときの霊気がいくら広まったところで、神の力の前には無に等しい。
風花は改めて風の操作を試みた。しかし、やはり風の力は発動しなかった。
まさか、大地君や静火が手助けして……。いえ、さすがに、それは考えられないわ。だとすれば……。
「まさか」
そこで風花は、あることを思い出した。ここを訪れた当初、永遠長が操作していた異世界ナビ。あのときは気にも止めていなかったのだが……。
「あなた、ここに来たとき異世界ナビを操作していたわね。あれは何をしていたの?」
考えられることは、それしかなかった。だが風花の知る限り、ここまでのパワーアップ機能など異世界ナビにはないはずだった。
そして風花の抱いた疑問は、
「どうなってるわけ?」
観戦していた秋代たちの思いでもあった。
「あの女が言ってるように、ナビをイジってたのが原因なわけ?」
困ったときの永遠長ツール。
秋代は天国に答えを求めた。
「オーバーロード」
永遠長ツールは簡潔に答えた。
「オーバーロード!?」
秋代を始め、周囲にいた「マジカリオン」や明峰たちからも声が上がった。
「て、なに?」
聞いたことはあるのだが、やはりハッキリとは思い出せない秋代だった。
「オーバーロードっていうのは、スペシャルシークレットジョブの1つ。そして、そのジョブ能力は戦う相手より強くなれること。たとえ、それが神であろうとも」
レベル1の段階で相手の1.1倍。そしてその強さは、レベルが1上がるごとに1パーセントずつアップしていく。
「聞こえたわよ、あの子の話」
そう言う風花の顔には、余裕が戻っていた。すべては創造主様のお力によるもの。であれば、永遠長のパワーアップも納得というものだった。
「けれども「神であろうと」というのは、いささか風呂敷を広げすぎではないかしら。ジョブシステムなんて、しょせん創様が戯れで作った、ゲームの1設定に過ぎないのだから」
そこまでの力を人間ごときに持たせるとは、さすがに考えられなかった。
「オーバーロードのジョブ能力が、神にも通用すると相当都合が悪いようだな。だが、通用すると言っても現状ではたかが1.1倍。戦い方次第で、どうとでもひっくり返せる数値差だろう。それとも、たかが人間が自分より1割強くなったら、もう勝てませんと泣き言か? 神が聞いてあきれる」
永遠長は言い捨てた。
「人間ごときが、誰に向かって」
「おまえ以外に誰がいる」
「……いいわ。あなたは創様のお気に入りのようだから、少し痛い目に遭わせる程度で許してあげようと思っていたのだけれど、本気で相手をしてあげる」
風花は神の武具を召喚すると、その身に装着した。
「たとえオーバーロードの力が、あの子の言う通りだとしても、これで力関係は逆転したことになるわね」
風花は双剣を手に微笑んだ。仮にオーバーロードが本当に相手より強くなれるジョブだとしても、装備した武具の力は対象外のはず。そして神の武具を装備した風花の力は2倍までアップする。たとえ創造主の力を借りようと、たかが人間が神に勝つなど、どう足掻こうが不可能なのだった。最初のスタートラインが違い過ぎるのだから。
「なら、試してみるとしよう」
永遠長は風花に切りかかった。すると、その速度は前回をさらに上回り、
「え!?」
振り払われた剣撃も武装した風花を超えていた。
「そ、そんな!」
永遠長の剣で弾き飛ばされた風花の顔から、余裕も一緒に弾け飛ぶ。
「どうして!?」
まさかオーバーロードのジョブ能力の対象は、装備を含めた相手の総合能力だとでも言うの!?
そこまでの力を人間ごときに与えるなど、風花には考えられないことだった。
「どうした? 随分と無口になったな。さっきまでの勢いは、どこへいったんだ?」
永遠長が、さっきのお返しとばかりに風花を煽る。
「人間ごときが、創様の気まぐれで少しばかり強くなったからって、気まで大きくなっているようね」
風花の顔に不快感が広がる。
「手加減してやっていれば、どこまでも図に乗って。いいわ。それほど死にたいと言うのなら、本気で相手をしてあげる」
風花は上空へと舞い上がった。
永遠長の闇の霊気が充満しているのは、風花が作った隔絶空間内のみ。であれば、その空間を抜けた場所であれば、風の力も自在に使えるはずだった。
「光栄に思いなさい。人間ごときが、神の真の力を拝めることを」
風花が突き出した両手の先に、プラズマが形成されていく。
その性質上、プラズマは大気中ではエネルギーが拡散してしまう。そのため地球においては実用化に至っていない。だが風の神である風花は、自身の力により磁界を発生させ、その磁界の中にプラズマを閉じ込めることで、プラズマのエネルギー拡散を防ぐことができるのだった。
「なんなら、あなたも同じプラズマで対抗してみる? もっとも、結果は明らかだろうけれども」
風の力を発動し、神の威光を示す風花に対して、
「カオスオーラ」
永遠長は闇の力を発動し、自身の体から漏れ出た黒煙が周囲に広がっていく。
「あらあら、何をするのかと思えば、また闇の霊気? バカのひとつ覚えとは、このことね。それとも、形勢不利と見て、闇に乗じて逃げだそうとでも言うのかしら?」
風花は失笑した。
「でも、お生憎様。今あなたは、私の「隔絶」によって周囲の空間から切り離されているの。だから、そこから転移することはおろか、地球に逃げ帰ることもできないのよ」
事実、永遠長の放出した黒煙は、風花の「隔絶」の領域内に留まり続けていた。
「そして、私のプラズマ砲は狙いをつけるまでもなく、その「隔絶」内すべてをくまなく焼き尽くすことができる」
永遠長の周囲の空気は闇の霊気のために操れないが、その効果が及ばない場所にある空気を操作する分には何も問題ない。そしてプラズマは大量のエネルギーを有するため、これに接触した標的は、破壊、焼失することとなる。それこそ、神である風花が行使すれば、大陸が消し飛ぶほどに。
後はプラズマ砲の発射と同時に、永遠長の頭上の「隔絶」だけを解除すれば、周囲には被害を出さずに「隔絶」内の永遠長だけを始末することができるはずだった。
「神を愚弄した罪。その身をもって償いなさい!」
風花はプラズマを撃ち放ち、同時に永遠長を閉じ込めている「隔絶」の天井部分を解除した。すると、
「カオストルネード」
開け放たれた天井から、漆黒が渦を巻いて飛び出してきた。そして光と闇の力が衝突し、両者の間で光と闇の力がひしめき合う。
「な!?」
圧勝を確信していた風花の顔が屈辱に歪む。
「たかが人間ごときが!」
風花が新たなプラズマ砲を装填したところで、
「オーバードライブ」
永遠長がオーバーロードの新たな能力を発動させた。すると、漆黒の竜巻は十倍に勢力を拡大。風花のプラズマ砲を飲み込みながら、風花へと突き進んでいった。
「な!?」
風花は寸でのところで竜巻を回避した。と思った直後、
「!?」
風花の頭上に永遠長が出現。
「石火!」
神器に蓄積していた力を解き放った。そして神器から放出された閃光が直撃した風花の体は、高熱と爆発により消し飛んだ。しかし、それでも神である風花の体は滅びることなく、再び復元されていく。
「どうした? 電光石火を食らうほど、グズじゃないんじゃなかったのか?」
永遠長は皮肉った。
「それとも、あれは俺の聞き間違いだったか?」
「……どうやら、まだ自分の立場というものが理解できていないようね」
これは強がりではなく、風花の本心だった。
創造主の力で、どれだけパワーアップしようと、しょせん器は貧弱な人間に過ぎない。力を使えば使うほど体力は消耗するし、魔力も目減りする。
一方、神である自分は、どれだけ攻撃されようと即座に回復するし、その力が枯渇することもない。
「わかる? つまり、あなたがどれだけ私の力を上回ろうと、そんなことは勝敗の決定的な要因にはならない、ということなのよ。人は無限に動き続けることなどできないし、無限の回復能力もないのだから。そして、それこそが神と人との決定的な差。それとも、また大地君のときのように、地獄送りにでもしてみる? もっとも、創造主化できない今のあなたには、冥府の門を開くことなどできないでしょうけど」
風花は、ほくそ笑んだ。
「わかったら、私の前にひれ伏しなさい。そうすれば」
「よくわかった」
「そう。いい子ね」
「つまり、俺はおまえを殺してしまうことなど考慮する必要なく、容赦なく徹底的に、思い切り手加減抜きで、おまえに落とし前を取らせることができる。そういうことだな?」
永遠長の目に狂気が宿る。
「な!?」
「おまえと寺林を見るに、おまえたちは体を復元させることはできるが、痛覚自体は人並みにあるようだからな」
永遠長の全身を漆黒の気が取り巻き、
「ひっ」
風花は怯えた顔で後ずさった。
これまで風花は、常に安全な場所から他者を扇動し、踊らせ続けてきた。
自分が戦いの場に身を置くことなく、傷つくことなく、自分の身を危険にさらすこともなく。
力があるがゆえに、なんの覚悟もなく、己の気が向くままに弱者を踏みつけ、命を弄んできた。
だから、自分が他者より下になること。
傷つけられる立場になること。
弱者として蹂躙されることなど、想像したことすらなかった。
それ故に、今まで1度として感じたことがなかったのだった。
恐怖を。
だからこそ、何をするにもためらいがなかった。何をしようと、自分が傷つくことなどないと思っていたから。
しかし今日このときをもって、それは過去のことになろうとしていた。
「い、嫌よ。こ、来ないで」
風花は、さらに後ずさった。すると、何かにぶつかった。見ると、それは沢渡だった。
「い、いいところに来たわ。め、命令よ! あの男を倒しなさい!」
風花は沢渡に命じた。すると、
「わかりました」
沢渡は満面の笑顔を浮かべ、
「転換」
自身のクオリティを発動した。
学園長の命令を遂行するために必要な、
「な!? キャアアア!?」
神である風花の力を我が物とするために。




