第166話
現在、地球には妖怪、魔物、魑魅魍魎を封じる結界が張られている。しかし、その結界は年々弱まり続けていて、いつ消滅してもおかしくない状態にある。だが、時折その力が強まることがあり、そのときはクオリティも使えなくなる。
以前、秋代たちは羽続から、そう聞かされてはいた。しかし、それを実体験するのは始めてだった。
「本当に使えないわね」
秋代は火炎付与を試してみたが、まったく反応しなかった。
「てゆーか、マズいんじゃない、これ?」
永遠長の強さは「連結」のクオリティがあってこそ。その力を封じられてしまえば、どこにでもいる普通の人間に過ぎないのだった。
もっとも、それは万丈も同じだったが、永遠長と万丈では大きく異なる点があった。
それは、永遠長が175センチ前後の中肉中背であるのに対し、万丈は2メートル近い筋骨隆々の大男だということだった。
クオリティが使えなくなった以上、両者の武器は己の肉体のみとなる。要するに、ただの喧嘩であり、喧嘩においてはウエイトが大きく物を言う。その点で、体格の劣る永遠長は一気に劣勢に陥ってしまったのだった。
この場にいる大半の者が、万丈の勝利を確信するなか、
「やめだ、やめ」
万丈の体から気合が抜けた。
「こんな形でテメーに勝っても、なんの意味もねえ。勝負は次の満月までお預けだ」
そう言って運動場を去ろうとする万丈に、
「話にならんな」
永遠長が吐き捨てた。
「あんだと?」
万丈は永遠長を振り返った。
「おまえが今日、単独で俺に挑んでいたのであれば、それでいい。だが、今日おまえは獣人組を代表して、この場に立っているのだろう。そして」
永遠長は獣人組に目を向けた。
「今このとき、この場におまえが立っているのは、おまえが勝つために捨て石となってくれた仲間がいたからだ。でなければ、結界が強まる前に、おまえは俺に倒されていた。すなわち」
永遠長の目が鋭さを増す。
「この状況は、おまえの仲間が身を挺して作ってくれたチャンスだということだ」
たとえ、それが偶然であろうとも。
「それを仲間に相談することもなく、安いプライドを満足させるために台無しにして許されると思っている。だから話にならんと言ったんだ」
「や、安いプライドだと?」
「そうだ。一見、正々堂々を装っているが、要するにおまえは「結界が強まったから勝てただけ」と、後で周りから陰口を叩かれるのが嫌なだけだろう」
永遠長に断言され、万丈は気色ばんだ。
「大義を成そうとする者は、清濁併せ呑まなければならない。にも関わらず、おまえは自分が汚れ役を引き受けることを拒んだばかりか、捨て石となった仲間の思いまで無下にしようとしている。そんな奴が、どんな大義を掲げたところで、鼻であしらわれるのが関の山だ」
永遠長はフンと鼻を鳴らした。
「でなければ、笛吹役の曲に合わせて、いいように踊るだけの道下に成り下がるか。どちらにせよ、今のおまえは汚れ役を他人に押し付けて、自分は王道を歩いているつもりでいる、滑稽な裸の王様でしかない」
「こ、こ、この野郎、言わせておけば……」
万丈の顔が怒りに紅潮する。
「何より愚かな点は、たかが力が使えなくなった程度のことで、俺に勝てると決めつけていることだ」
「この状況で、オレに勝てると本気で思ってやがんのか、テメェは!?」
「だから、そう言っている」
「上等だ」
万丈は再び身構えた。
「バカな野郎だ。黙ってりゃ、痛え思いをせずに済んだかもしれねえのによ」
「だから、そういうセリフは勝ってから言えと言っている」
「じゃあ、そうすらあ!」
万丈は永遠長に殴りかかった。それに対し、永遠長も万丈へと右足を大きく踏み出す。そして両者が接触した直後、
「!?」
吹き飛んだのは万丈のほうだった。
当たり負けした万丈を見て、
「な!?」
学生たちの顔も驚きで染まっていた。そして、それは珍しく秋代たちも同じだった。
「何したわけ、今の?」
何が起きたのかわからずにいる秋代に、
「八極拳」
天国が言った。
「八極拳? て、あの中国拳法の?」
秋代は眉をひそめた。
「永遠長の奴、そんなもんまでマスターしてたわけ? ホント、なんでもありね、あいつ」
「マスターしてた、というか、したの。ほら、この前のギルド戦でクオリティを封じられて、流輝君痛い目を見たでしょ。だから、もしまたクオリティを封じられたり、使えない状況になったとしても、戦える方法を考えたってわけ」
「で? それが八極拳だったってわけ?」
「そう。と言っても、あくまでも我流だけど」
「我流? 我流で身につくもんなの、ああいうの?」
秋代と木葉は顔を見合わせた。中国拳法に精通しているわけではないが、我流で身につくほど甘いものではないはずだった。
「正確には、八極拳の達人と知識や体感を「共有」することで、その達人の技をトレースした。つまり、巫剣君の「体得」と同じことを「共有」でしたってわけ」
「「共有」で「体得」と同じことを?」
秋代と木葉は再び顔を見合わせた。
「ええ、達人と「共有」すれば、どの技をどんな感じで出すかわかるでしょ? 呼吸とか気の回し方、筋肉の力の入れ具合とかね」
そうすれば、後は技を出せるだけのポテンシャルが、本人にあるかどうかだけとなる。そして、その点、永遠長は異世界での活動で、達人の動きにも即座に対応できる土台が十分できていた。
「……それって、その気になれば柔道でも剣道でも、どんな格闘技でも即座に達人レベルになれるってこと?」
「ええ。実際、流輝君もう有名どころの格闘技は、あらかたマスターしてるから、1対1の勝負で流輝君に勝てる人間はそうそういないでしょうね」
天国の説明を聞き、周囲にいた学生たちが息を呑む。
「次は誰だ?」
倒れた万丈に目もくれず、永遠長は獣人組に声をかけた。
「ま、待ちやがれ……」
万丈は身を起こした。
「テメェのほうこそ、勝手に勝った気になってんじゃねえよ」
「ほう、起きたか」
「たりめえだ」
万丈は立ち上がったが、
「しょ、勝負はこれからだ」
完全に足に来ていた。
「やめておけ。これ以上やっても時間の無駄でしかない」
「あんだと!?」
「今の当たりでわかった。おまえはガタイがいいだけで、なんの武術の覚えもない」
「だから、なんだってんだ!? そんなもんなくても、オレ様は無敵なんだよ!」
「たった今、無様に吹っ飛ばされておいて、どの口でほざいている」
「う、うるせえ! い、今のは、ちょっと油断しただけだ!」
「油断? 体格的に不利な俺が、勝負の続行を申し出ている時点で、普通は何か奥の手があると用心するもんだろう。それを、ただ闇雲に突っ込んで来るのは油断ではなく、ただのバカだろう」
永遠長の指摘に、
「確かに」
佐木を始めとする獣人組の面々もうなずく。
「て、テメエら、どっちの味方だ!?」
憤る万丈に、
「おまえは、それ以前の問題だがな」
永遠長は言い捨てた。
「なんだとお!?」
「言ったはずだ。おまえには格闘技の覚えがない、と」
「だから、それは」
「おまえが、ただの力自慢の一兵卒として、これから先も生きていくつもりでいるなら、それでいい。だが、おまえの目的は、この世界に獣人の人権を確立することなんだろう」
「だ、だったら、なんだってんだ!?」
「にも関わらず、おまえには引き出しがなさすぎる」
「ひ、引き出し?」
「力で世界を黙らせようと思っているなら、今のおまえの力は脆弱過ぎるし、真っ当な方法で獣人の人権を勝ち取ろうと思うならば、法律に関する知識や政治家になるための知識や人脈が必要となる。だが」
永遠長は万丈を指さした。
「今のおまえは、そのどれも持ち合わせていなければ、それを得るために努力した形跡もない」
「ぐ……」
万丈は鼻白んだ。
「そんな奴が、どうやって獣人の人権を勝ち取ろうと言うんだ? 体を鍛えるでもなく、知識を増やすでもなく、ただただただただ、その日その日を食いつぶし、無駄に年だけを重ねてきただけの分際が、獣人の人権を勝ち取るなど口にするのもおこがましい。恥を知れ。このフーセン豚が」
「フ、フーセン豚?」
「見てくれがデカいだけで、中身は空っぽということだ」
「い、いちいち説明しなくても、て、なんだとコラあ!」
実は、あまりよく理解していなかった万丈だった。
「もっとも、そんなことは食堂で絡んできた時点で、わかっていたことだがな」
「ああ!?」
「本当に、自分の人生を賭けるに値する大義を成そうとする者ならば、たとえ新任の教師が同年代であろうがなかろうが、そんなことを気にしている暇などないはずだからだ」
永遠長の指摘に、万丈の口から出かけていた反論が霧散する。
「まあ、それは俺に絡んできた全員に言えることだがな」
永遠長は集まっている学生たちに視線を走らせた。
「ここまでの人生を、ただただ無駄に垂れ流してきただけのおまえごときに、この俺が負ける要素など微塵もない」
永遠長から発せられる気に、
「う……」
万丈が後ずさる。
「うるせえ! うるせえ! 偉そうに説教たれやがって、何様のつもりだ!」
開き直って喚き散らす万丈に、
「教師に決まっている」
永遠長は淡々と答えた。
「でなければ、最初から、おまえのようなバカなど相手にしていない」
永遠長は言い捨てた。
「おまえがどんなバカだろうと、俺にはなんの関係もない話だからだ」
「…………」
「誰かが自分を気にかけてくれることを、当たり前だと思うな。本来、そんな義理も責任も、この世界の誰にもありはしない。それでもなお、声をかけてくれる人間の言葉を糧とするかゴミとして捨て去るかは、おまえ自身にかかっている。前にも言ったはずだ。自分を救えるのは自分だけだと。己で変わる意思を持たない者に、周りが何を言おうと無意味だからな」
「勝手なこと、ぬかしやがって」
万丈は忌々しそうに吐き捨てた。
「百歩ゆずって、知識を身につける必要があるってのは認めるがな。武術だの格闘技だの、そんなもん身につけたところで、それでどうなるってんだ? それで獣人の人権を、どうやったら勝ち取れるってんだ!? ああ!?」
「バカを黙らせられる」
「は?」
「この学園のエスパー組のような、ちょっと他人にはない力を持っているだけで、何をやっても許されると思っているようなバカどもをな」
永遠長は周囲の観客に視線を走らせた。
「そして、そういうバカどもほど、他人が必死で何かをしていると、その邪魔をして悦に浸る傾向がある。自分が何も持っていないから、他人の物を奪うことでしか、下卑た優越感を満たすことができないからだ」
永遠長の目に殺気がこもる。
「そして、そういう輩だからこそ、自分が傷つくリスクを冒してまで他人の物に手を出そうとはしない。つまり何かを成すためには、まず自分自身が強固でなければならないということだ。考え得る限りのな」
「…………」
「それに、確かに現存するレベルの武術であれば、軍隊を相手にするのは厳しいものがある。だが」
永遠長は右拳を腰まで引くと、一気に突き出した。すると、拳の先から衝撃波が打ち放たれた。
「そして」
永遠長は右腕を水平になぎ払った。すると、今度は右腕から真空波が発生した。
「このように、一定以上の力があれば、警官隊や歩兵部隊ならば蹴散らすことができる武器となる。さらに」
永遠長は右手に気を集めると、
「こうして気を一点に集めれば」
運動場に右拳を叩き込んだ。すると、地響きとともに運動場がヒビ割れた。
「このように体を硬質化させて、弾丸すら弾き返すことができるようになる」
永遠長は右手に霊気を集中させた。
「加えて、これに「気」を込めれば、戦車や戦闘機の破壊も可能な武器となる。これでもまだ、鍛錬が無駄だと言うなら、それでいい。要は、おまえ次第ということだ」
事もなげに言う永遠長に、万丈のみならず、その場にいる全学生が言葉を失っていた。
「……あいつ、あんなこともできたわけ?」
秋代は天国に尋ねた。
「あれも八極拳と同じ。漫画とかだとよくある技だし、ディサースじゃジョブスキルとして普通に使ってる技だから、自力でやろうと思えばできるんじゃないかって」
「で、試してみたら、できたってわけね」
これも毎度のことで、秋代にとっては驚くに値しなかった。
「では、課外授業はここまでにして、続きといこうか。望み通りな」
永遠長は腰を落として身構えた。
「う……」
万丈は一瞬ためらった後、
「うおおおお!」
永遠長へと突進した。一見、前回と同じに見えるが、今回は重心を低く下げていた。
体当たりでも打撃でも太刀打ちできないならば、残る手段は唯1つ。
タックルで押し倒し、寝技に持ち込む。
これしかなかった。
たとえ永遠長が本当に全身を鋼鉄化できようとも、永遠に鋼鉄化し続けられるわけではない。倒して、関節技か絞め技に持ち込むことができれば、勝機はあるはずだった。
「ほう。少しは考える頭があったようだな」
素直に感心する永遠長に、
「ぬかせ!」
万丈が渾身のタックルをかける。
もらった!
万丈が永遠長の体を捉えたと思った瞬間、
「な!?」
永遠長の姿が万丈の眼前から消えた。いわゆる残像であり、本体である永遠長は、次の瞬間には万丈の背後に回り込んでいた。そして、
「は!」
中国拳法で言うところの発勁により、万丈に渾身の一撃を食らわせたのだった。
再び吹き飛ばされた万丈に、
「万丈!」
「万丈さん!」
獣人組が急いで駆け寄る。見ると、気を失ってはいるものの、骨折などの重傷は負っていないようだった。
ひとまず安堵する獣人組を、
「次は誰だ?」
永遠長の眼光が射すくめる。しかし、今度こそ誰も名乗りを上げる者はいなかった。
「いないのか? ならば、この勝負は俺の勝ちということでいいんだな?」
確認する永遠長に、
「ああ。俺たちの負けだ」
佐木が無念そうに敗北を宣言した。
「そうか。なら……」
永遠長は天国から異世界ナビを受け取ると、新しい異世界ナビを召喚した。
「そいつが起きたら、こいつを渡しておけ」
永遠長は異世界ナビを佐木に手渡した。
「獣人がどうのノーマルがどうのと、こんな小さな世界しか知らんから、そんなことが気になるんだ」
「…………」
「それに、どうせ無駄に時間を潰すなら、違う世界を体験するほうが幾分かマシだろう。もっとも、それで調子に乗って異世界人に危害を加えるようなら、規約違反として相応の代償を払うことになるがな」
永遠長の目が底光りする。
「むろん強制はしない。不要なら、どこぞの捨て置くがいい。どうするも、そいつの自由だ」
永遠長は獣人組を見回した。
「そして、それはおまえたちも同じことだ。もし、おまえたちの中に異世界に行くことを望む者がいるならば、言ってくるがいい。異世界ナビを渡してやる。そして異世界で、自分の甘さを痛感してくるがいい」
永遠長はそう言い捨てると、獣人組に背を向けた。
そして後日、獣人組は誰1人欠けることなく、永遠長の元を訪れることになる。
自分たちの目と耳で、永遠長の言う「自分たちの甘さ」を確かめるために。




