第160話
校庭での始業式が終了した後、秋代たちは事前に指定された1−Sの教室へと向かった。すると、教室には机が7つしかなく、教室の入口に張り出された座席表にも、秋代、木葉、小鳥遊、加山、土門、禿、黒洲命の名前が書かれてあるだけだった。
「7人を、それぞれ振り分けるより、一緒くたにしたほうが面倒がないってことね。どうせ、三学期は2月足らずで終わりなわけだし」
秋代はそう納得すると、指定された座席に荷物を置いた。本来ならば、始業式の日は挨拶だけで終わるのが通例なのだが、秋代たちには1ヵ月の欠席。残る3人も長期の引きこもり期間があるため、初日から授業を行う旨が事前に通達されていたのだった。
そして始業ベルとともに、秋代たちの教室に現れたのは、
「やあ、おはよう、諸君」
寺林だった。
「な、なんで、あんたがここに!?」
驚く秋代たちに、
「そりゃー、私がこのクラスの担任だからだよ」
寺林は笑顔で答えた。予想通りの反応が得られて、実に満足そうだった。
「加えて、これからの君たちの授業も私が受け持つから、そのつもりで。ま、要は小学生形式だね。あ、心配しなくても教員免許は持ってるから、その点はご心配なく」
「それよ」
「どれ?」
「教員免許よ。永遠長の奴、そんなもん持ってないでしょ? それで、教師なんてやっていいわけ?」
今朝の朝礼まで秋代たちは、永遠長が常盤学園で教職につくなどという話は、一切聞いていなかったのだった。まあ、今に始まったことではないのだが。
「ああ、それね。それなら大丈夫。特例免許状ってやつがあってね。勤める学校の推薦があれば、教員免許がなくても教師になることが認められているんだよ。ま、私も永遠長君に聞いて初めて知ったんだけどね」
特例免許状とは、教員免許はないが、優れた知識経験等を有する社会人等を教員として迎え入れることにより、学校教育の多様化への対応や活性化を図ることを目的として、昭和63年に創設された免許状である。
ただし、この免許を得るためには担当する教科の専門的な知識、経験または技能が必要になる。ちなみに、その基準は担当する教科に関する授業経験が600時間以上、担当する専門分野での3年以上の勤務経験となっている。
「よく教育委員会が認めたわね」
高校中退者、それも未成年が教員になるなど、事なかれ主義の教育委員会は、それこそ問答無用で反対しそうなものだった。
「まあ、そこは理事長の力でね。それに政府としても、今は永遠長君を無駄に刺激したくないっていうのも大きかったんだと思うよ。じゃなければ、普通に考えて異世界での冒険者ギルドでの勤務経験なんてもので、教員免許を与えるわけないからね」
「超常力学だっけ? 朝の朝礼で、校長がそんなこと言ってた気がするけど、超常力学ってなんなわけ?」
秋代は元より、小鳥遊たちも聞いたことがない学問名だった。
「永遠長君が言うには「魔法科学」のようなものらしいよ。ただ魔法に限定すると、幽霊とかライカンスロープとか、魔法に関係しない、いわゆるオカルト物は含まれないことになっちゃうから、それらを含めた超常現象全般を検証する学問として「超常力学」にしたらしい」
「それを、この学校で教えるってこと?」
「ホント、面白いこと考えるよね、彼」
寺林は能天気に笑った。
「どうせ、あんたが裏で糸を引いてるんでしょ」
「まあ、きっかけは確かに私だけどね。私が依頼したのは、あくまでもこの学園に秩序を取り戻すことであって、永遠長君を教師として赴任させることじゃなかったからね」
「どういうこと?」
「この学園が、異能力者を集めてることは、もう君たちも知ってると思うけど」
「ええ、羽続って人に聞いたけど」
「一括りに異能力者と言っても、その種類には様々なものがある。たとえばテレパスやサイコキネシスが使える超能力者と呼ばれる者たちや、狼や熊に変身できるライカンスロープ。そして君たちのようなリアライズによってクオリティに目覚めた覚醒者や、真境君のような「世界救済委員会」から力を与えられた救済者と。そして人間の常として、人っていうのは価値観が近いものと群れをなす傾向がある。君たちの学校でも、そうだろう?」
「まあ、そうね」
「で、この学園もその例に漏れず、同じ境遇の者同士がくっついて、派閥みたいになっちゃってるんだよね。わかりやすく言うと、元々の超能力者が集まったエスパー組。君たちのような異世界ナビ利用者が集まった異世界組。ライカンスロープが集まった獣人組。そして救済者が集まった救済者組って具合にね」
寺林は肩をすくめた。
「ま、それだけなら、単に仲良しグループってことで済むんだけど、この子たちが変に反目しあっちゃってるのが問題なんだよね」
「反目?」
「そう。エスパー組は他の派閥を「後から力を与えられただけの凡人」と見下し、獣人は他の派閥を自分たちを迫害してきた人間として敵視。そして1番数の多い異世界組は異世界組で、まとまっているかと言うと、さにあらず。財閥ごとに徒党を組んで牽制し合ったり、財閥に属さない異世界組や他のグループは庶民の集まりとして見下している。後、数の力で学生の最高機関である生徒会も財閥組が独占しているから、当然のことながら他のグループからは、すこぶる嫌われてる」
寺林は苦笑した。
「しかも、本来それらを叱る立場にあるはずの教師陣も、大半が財閥組に丸め込まれてる。退職後、もしくは自分たちが卒業した後、より良い地位や金。要するに天下り先を用意されてね」
「……どーしよーもないわね」
「唯一の救いは、救済者組が所属している「学園裁判所」が正常に機能していることだけなんだけど、これは生徒や教師からの訴えがないと動けないのが実情だからね。少し前は、責任感や正義感を持った教師もいたんだけど、財閥組の圧力や学生のイビリにあったりで、ストレス過多や適応障害なんかで、みんな辞めちゃったんだよね」
今残っているまともな教師は、羽続の妻である羽続白羽ぐらいなのだが、それも今は産休で休んでいるのだった。
「産休で休んだ羽続君の代わりが見つかるまでってことで、副社長が来てた間は少しはビシッとしてたんだけどね。調子に乗って、権力者風吹かせてた子の親会社にM&A仕掛けて、親を退陣させたりしたから」
だが、それも羽続の代わりが見つかるまでの一時しのぎに過ぎなかった。
「……で、その調子に乗ってる連中にヤキを入れさせるために、永遠長をこの学園に呼んだってわけ?」
秋代は寺林にジト目を向けた。
「ま、早い話が、そういうことだね。元々は、この世界を守る一助となってもらうために集められたのに、狭い世界の中でマウント取り合ってるだけじゃ、なんの足しにもならないどころか害悪でしかない。そのせいで力の弱い子は孤立してると叩かれるから、どこかの派閥に属して上の顔色を伺うことに必死で、レベルアップどころじゃなくなっちゃってるしね」
監視役の教師陣がお飾りの状態となっているため、今や常盤学園は富と権力と力が支配する、一種の無法地帯と化しているのだった。
「話はわかったけど、それって要するに子供のケンカを止めるために、核弾頭ブチ込むようなもんでしょ。下手したら、学園ごと吹っ飛びかねないわよ」
しかも永遠長のことだから、それ以外にも何か企んでいる可能性があった。というか、絶対何か企んでいるに違いなかった。
「まあ、そうなったら、それはそれで面白いからOKってことで」
寺林は笑顔でウインクした。
「あ、てゆーか、このこと永遠長君から口止めされてたんだっけ。なんでも、少し前に余計なことを言ったせいで、不愉快な思いをしたとかで」
「不愉快な思いね」
秋代が木葉を横目に見ると、
「なんじゃろな?」
木葉は小首を傾げた。
「とゆーわけで、今のはここだけの話ってことで」
寺林は口元に人差し指を立てた。
「信用しちゃいけない奴の決まり文句ね、それ」
秋代の皮肉に、
「魔神には褒め言葉だよ、それ」
寺林は笑顔で受け流した。
「じゃ、無駄話はこれぐらいにして、授業に入ろう」
寺林は英語の教科書を手に取った。そして、その後7時限目まで、みっちりと寺林の授業を受けた秋代たちは寮へと引き上げた。
常盤学園は異能力者の隔離も目的の1つとしているため、基本的に生徒は全員寮生活が入学条件となっているのだった。
そして、その寮内では、さっそく永遠長のことが話題となっていた。
「なんなんだ? あの永遠長って奴?」
「くれてやる、とか、何様のつもりだっての」
「ホント、ムカつくよね」
「だいたい、アイツあたしらとタメぐらいだろ? それが教師ってハア? ナメんのも、いい加減にしろって感じ」
「こっちにゃ、おまえなんかに教わることなんかねえんだよ、バカが」
「そもそも「超常力学」ってなんだ? て話だよな」
「教科書もないって、おかしくない?」
「マジムカつく」
「荒瀬や矢島みたいに、また追い出してやろうぜ」
「いいね、それ。あいつらみたいに、また泣きベソかかせてさ」
「矢島サイコーだったな。最後、あたしがあんたたちに何したっていうの! て、発狂してさ」
「それサイコーウケる」
生徒たちの間では、こんな会話が直接または間接的に、そこかしこで交わされていた。
そして、それは翌日の学校でも続いていた。
「ねえねえ、今日来る永遠長って奴、みんなで追い出してやろーよ」
1時限目が「超常力学」に変わった1年C組で、最初に声を上げたのは及川小百合という、いわゆる「エスパー組」の女子だった。そして、その呼びかけに、
「いいね」
「やろうやろう」
クラスメイトからも賛成の声が上がる。しかし、その一方で、
「やりたきゃ、おまえらだけで勝手にやれよ」
クラスメイトの半数は冷めていた。そして、その大半は異世界組だった。
「なんだよ、ノリワリーな」
「そうだぜ。また、前みたいに一緒にやっちまおうぜ」
エスパー組や獣人組が誘うも、
「おまえらは、アレを……。いや、なんでもねえ。とにかく、オレはゴメンだ」
「オレも」
反対勢が考えを変えることはなかった。
「ヘタレが。そんなんだから異世界組はナメられんだよ」
しょせん遊び半分で異世界を徘徊してるだけのゲーマーども。それがエスパー組や獣人組の、異世界組の認識なのだった。そして、それは一面の事実を捉えていた。そう、永遠長が異世界ギルドのトップに君臨するまでは。
「ほっときなよ、そんなカスども」
及川はそう言い捨てると、
「じゃ、いつも通り、まずあたしがやるから、次、須美、高崎の順でね」
席に着いた。そして間もなく始業のチャイムが鳴り、永遠長が教室に入ってきた。その身なりは、いつものセーター、Tシャツ、皮ズボンではなく、白のワイシャツの上に黒のスーツ、ズボンもスーツに合わせた黒のパンツだった。
「講義を始める前に、言っておくことがある」
教壇に立った永遠長は、開口一番そう言った。
「俺の講義では出席は取らん。全員出席ということにしておいてやるから、受けたくない奴は受けなくていい。当然のことながら、そのことでおまえたちがマイナスを被ることもない。元々、俺の「超常力学」など、どこにも存在しないものだからな。採点基準が存在しない以上、テストもなければ評価もない。よって、受けなくても、おまえたちの進学にはなんの問題もない」
永遠長の説明に、生徒たちは顔を見合わせた。
「俺の授業は、あくまでもおまえたちの生存率を上げるためのものだ。だから、おまえたちが自分の力に自信があって、どんな状況に陥ろうとも生き残れると言うなら受ける必要はない。俺も、おまえたちが俺の講義を受けずに死のうが生きようが知ったことじゃないからな。勝手に死ね。だが俺の邪魔をするならば、そいつは俺の敵ということになる。そして敵である以上、相応の対処をすることになる。覚えておかなくてかまわない。必ずやる。ただ、それだけの話だ」
永遠長はそう前置くと、
「では講義を始める」
日本史において初となる「超常力学」の授業を開始した。しかし、それから1分もしないうちに、黒板消しがひとりでに動きだし、永遠長の背中にぶつかった。
下ろし立てのスーツに、ハッキリと白く刻印されたチョーク跡を見て、1部の生徒たちから含み笑いが漏れる。
永遠長は、それらの生徒たちを横目に、落ちた黒板消しを拾い上げようとした。そのとたん、右腕の袖口が燃え上がった。
「大変だ! 先生が焼け死んじゃう!」
男子生徒の1人は空々しく言うと、水の入ったバケツを永遠長の頭上に転移させた。そしてズブ濡れになった永遠長に、
「大丈夫ですかー、せんせー?」
わざとらしく声をかけた。
永遠長は、その声に答えることなく生徒たちに向き直った。
「言ったはずだ。授業を受けたくなければ受けなくていい。そして、もし俺が講師をやっていることが気に入らないのであれば、週末戦で俺に勝って追い出せと」
永遠長にとっては最大限の譲歩だった。しかし、
「えー、なんのことですかー、せんせー?」
「あたしたち、なんにもしてませんけどー」
「それとも、あたしたちがやったって証拠でもあるんですかー?」
「あるなら見せてくださいよー、ホラホラ」
生徒たちは聞く耳を持たなかった。
実際、証拠はない。超能力に痕跡が残ることはないし、証拠のないことを立証することも罰することもできない。
このクラスに限らず、この学園の生徒たちは今までも、こうして気に入らない教師を学園から追い出してきたのだった。そして永遠長も、これまでの教師同様、尻尾を巻いて逃げ出すはずだった。
「なるほど、よくわかった」
永遠長は、それだけ言うと授業に戻った。そんな永遠長を見て、生徒たちが再び含み笑う。そして、次は永遠長を宙に浮かび上がらせて、驚く顔を見てやろうと思った直後、
ゴン!
及川、杉田、高崎と、永遠長の邪魔をした3人の生徒が、机に頭を打ち付けた。もちろん本人の意思ではなく、
「え?」
及川たち自身にも何が起きたのかわかっていなかった。そして理由がわからないまま、自分で顔を机に打ち付けるという行為は、2度、3度と繰り返されていった。
3人が、自分で自分の頭を机に打ち付けるわけがない。だとすれば、考えられる理由は1つしかなかった。
全員の視線が永遠長に集中するなか、
「おまえたちは、すでに承知のことと思うが」
顔色1つ変えずに講義を始めた。それを見て、
「ま、待ちなさいよ!」
4番目に仕掛けるはずだった大平という女子が声を上げた。
「なんだ? 質問か?」
そう平然と言い返す永遠長に気圧されながらも、
「な、なんだじゃないわよ! こ、これ、あんたの仕業でしょ!」
大平は及川を指さした。すると堰きを切ったように、
「そうだ! やめろよ!」
「おまえ、仮にも教師だろ!」
「こんなことしていいと思ってんのかよ!」
他の生徒からも非難の声が上がった。しかし、
「知らんな」
永遠長から返ってきたのは全否定だった。
「そいつらは、自分で自分の頭を机に打ち付けているだけだろう。それについて俺を責めるのは、筋違いというものだ」
「と、とぼけんな!」
「そうよ! 現にこうして」
負けじと言い返す生徒を、
「俺を犯人と決めつけるからには、それ相応の証拠があって言っているんだろうな」
永遠長は射竦めた。
「あるんだろう? 俺が犯人であるという明確な証拠が。さっさと出すがいい」
「そ、それは……」
生徒たちは絶句した。今永遠長が使っている論法は、さっき自分たちが使っていた論法そのもの。そして、彼らは考えてもいなかったのだった。教師が自分たちと同じ手口で、自分たちに危害を加えてくるということを。
教師は説教こそすれ、手は出さない。仮に出したら、そいつの負け。校長や教育委員会に言ってクビにしてやる。
ずっと、そう思い、それを実行してきたのだった。
「ないのか? なら授業を続ける」
及川たちを放置したまま、本当に授業を再開しようとする永遠長を見て、
「な、なんだよ」
大平が強張った顔で作り笑いを浮かべた。
「こ、こんなの、ちょっとした冗談だろ」
「冗談?」
永遠長の眼光が、さらに鋭さを増した。
「俺とおまえたちが、いつ冗談を交わし合う仲になった?」
「ひっ」
「俺は学園からの依頼により、おまえたちに「超常力学」を教えるという作業を行っているだけであり、おまえたちは授業料を対価に、それに見合う情報を提供されているに過ぎん。よって、そこには金銭により取り交わされた取引関係が成立しているだけであって、それ以上でも以下でもない」
永遠長は教室中に視線を走らせた。
「その赤の他人に危害を加えて、冗談で済むと本気で思っていたのか? 学校でなら、教師相手なら、それが許されると? どこで習ったんだ? その厚かましく、虫の良い理屈を」
永遠長から発せられる殺気に、教室中の生徒が息を呑む。
「おまえたちがどう思っているか知らんが、誰かから何かを教わることを、当たり前のことだと思うな。おまえたちに無償で何かを教える義理も責任も、他の誰にもありはしないんだ。今、おまえたちがこうしていられるのは、そのために誰かが身銭を切って、その機会と時間を作ってくれているからに過ぎない。それを、おまえたちがドブに捨てるのは勝手だが、その勝手な理屈に俺が付き合う義理などないし、他人を巻き添えにする権利もおまえたちにはない。覚えておけとは言わない。他人の権利を侵害した者は、その瞬間から自分の権利を侵害されても文句を言う資格を失う。ただ、それだけの話だ」
永遠長は静まり返った教室で、
「回帰」
自分の服を元に戻すと教壇に戻った。
そして及川たち3人は、永遠長の講義が終わるまで、机に頭を打ちつけ続けることになったのだった。




