第135話
「ダメなのお! お姉ちゃん泣いてるのお! いじめるの、め! なのー!」
永遠長の口から次々と飛び出す幼児言葉に、
「流輝、君?」
天国も戸惑い、目を瞬かせる。
「やっと、まともに話したと思えば」
永遠長は疲れた息を吐くと、
「まあいい。それだけ元気なら、もう大丈夫だろう」
「分離」で楽楽を体から分離しようとしたが、
「や! なの!」
楽楽にキャンセルされてしまった。
「楽楽、パパといるの!」
「誰がパパだ」
「パパ、ママに楽楽のこともらうって言ったの! だからパパがパパなの!」
その言動から、どうやら楽楽は母親のことを吹っ切ったようだった。しかし、それは依存先が母親から永遠長に変わっただけことで、根本的な問題は何も解決していなかった。
とはいえ「ママに会いたい」状態から前進したことは事実であり、永遠長はとりあえず、それで良しとしておいた。
「これで文句なかろう」
永遠長が剣を鞘に収めると、楽楽の抵抗が止まった。
「流輝君……」
天国は口元を手で押さえると、
「まさか流輝君に、そんな幼女趣味があったなんて……」
痛ましそうに目を伏せた。
「そんなものはない」
憮然とした顔で全否定する永遠長に、
「でも安心して」
天国は優しく笑いかけた。
「たとえ流輝君がロリコンでも、私の流輝君への愛は変わらないから」
「だから違うと言っている」
ムキになって言い返してくる永遠長を見て、天国の口元から微笑がこぼれる。
しかし、それも一瞬のことで、
「流輝君、聞いて」
すぐ真顔に戻った。
「あまり時間がないの。今は「私」が抑えているけど、それも長くは持たないと思うから」
天国の言葉に、永遠長の眉が揺れる。
「さっきまでの私は私じゃないの。ううん。私ではあるんだけど、さっきまでの「わたし」は、私の負の感情が増幅されたものだったの」
本来、人間が併せ持つ理性と感情のうち、感情だけが突出した存在。
「私が事故にあって、ずっと意識不明だったのは本当。そして、そんな私に悪魔が取引を持ちかけてきたの。魂と引き換えに目覚めさせてやるって」
天国の説明を聞きながら、永遠長の目が徐々に鋭さを増していく。
「でも、それを私が拒否すると、悪魔は負の感情を肥大化させた「わたし」を生み出して「わたし」に「私」を心の奥底へと封じ込めさせてしまったの」
そして目覚めた「わたし」は「マジックアカデミー」の学園長だという女性の誘いに乗って、魔光少女になったのだった。さらなる力を得て、永遠長を確実に自分の物とするために。
だが、うまい話には裏がある。
それは「マジックアカデミー」も例外ではなかった。
「魔法少女になれば、望む力が手に入る。でも、その力と引き換えに、ある条件が課されるの」
「条件?」
「1日に1つ、学園長から出された課題をクリアすること。そして、もしその課題をクリアできなかったときは、力を失うだけでなく、この世から消滅してしまうことになる」
魔法少女モノにおいては、もはやお約束と言えるデメリットだった。
「そして、学園長から「わたし」に出された課題は「共感の力を使って、流輝君から仲間を引き離すこと」だった」
ギルド戦を間近に控えた永遠長から、戦力となる仲間を遠ざける。
その上でギルド戦を行わせれば、孤立無援となった永遠長は確実に敗北を喫することになる。
そうなれば異世界ギルドの運営権は、尾瀬に移譲されることになるが、永遠長がそのまま黙っているわけがない。
地球人による異世界の侵略が始まれば、永遠長は地球人と敵対してでも、必ず異世界を守ろうとするだろう。
結果、永遠長は地球人たちにとって、これ以上ない「敵」となる。そして、もしそうなれば永遠長は地球人たちを殺すことも厭わないはずで、闇堕ちしたのと同じことになる。
それが「マジックアカデミー」の学園長が描いたシナリオだった。
「そして「わたし」は、その課題を着実に実行していった」
永遠長を取り戻すために。
そして、このまま行けば、すべて学園長の計画通りに進むはずだった。今日、ここに天国が現れさえしなければ。
「そして流輝君と仲間を引き離した後、本当なら「わたし」は学園長の命令どおりギルド戦が終わるまで、おとなしく身を潜めているはずだったんだけど、感情のみの存在である「わたし」は、流輝君に会いたいっていう衝動が抑えきれなかった。でも流輝君に拒絶され、戦闘になったことで「わたし」は消耗し「私」を抑えきれなくなってしまった」
天国は、そこで苦しそうに胸を押さえた。
「もう、時間がない。私のなかで、また「わたし」が主導権を取り戻そうとしてる」
天国は永遠長の手を取った。
「だから……」
天国は意を決すると、
「私を殺して」
永遠長に哀願した。
「もう、それしかないの」
「わたし」に体を乗っ取られ、悪魔と契約した上に、マジックアカデミーの命令にも逆らえない。
ここで生き延びたところで、もはや天国に未来はないのだった。
「流輝君の中にいる子も、気にしないでいいから。悪魔と契約しなければ、意識が戻らないまま、病院のベッドの上で死んでたかもしれないんだから」
それに比べれば、たとえわずかな時間でも、こうしてまた永遠長と会えただけで、天国は満足だった。
「だから、お願い。私が私でなくなってしまう前に、流輝君の手で私を殺して」
「いいだろう」
永遠長は右手を広げると、天国の胸に狙いを定める。そして、
「ありがとう、流輝君」
笑顔で目を閉じた天国の胸に、永遠長の右手が打ち込まれる。しかし、
「え?」
天国に痛みはなく、それどころか、それまで感じていた苦しみが嘘のように消えていた。
「な、何をしたの、流輝君?」
「まずシェイド化した右手で、おまえの魂を掴み取り、分離した負の感情に回帰をかけて、元の状態に戻してから再び同化させた。ただ、それだけの話だ」
事もなげに言う永遠長に、
「それだけって……」
天国は呆れ顔で目を瞬かせた。
「これで、おまえが負の感情に精神を支配されることは2度とない」
永遠長の手で、天国の魂は正常に戻った。
この処置は、元々は意識不明だった天国を回復させるために、永遠長が考え出したものだった。
脱水や新陳代謝の問題から、天国の体に2年分の回帰をかけることはできない。
そこで永遠長は、いったん天国の肉体から魂だけを分離し、その魂にだけ回帰をかけた後で肉体に戻すことで、天国の意識を取り戻させようと考えたのだった。
きっかけは、常盤学園で羽続が「契約者」を倒す方法の1つとして、魂を分離すると言っていたことであり、それを知った永遠長は、天国の治療にも応用できるのではないか? と考えたのだった。
そしてモスをリセットした際、この方法でモナの記憶を取り戻すことで、この方法の有用性も実証することができた。
後は、この方法で天国の意識を取り戻すだけ。
モスのリセットを終えた永遠長は、その足で天国が入院している病院へと向かった。だが、そのときには、すでに天国は病院から消えてしまっていたのだった。
ともあれ、これですべてが解決した。そう思った矢先、
「ぐ……」
天国の体を再び激痛が襲った。
課題を無視する天国への、マジックアカデミーからの警告だった。
痛みにうずくまる天国に、
「ならば「回帰」で魔法少女になる前まで戻す」
永遠長は再び回帰を施そうとしたが、
「いいの、流輝君」
その手を天国が掴み止めた。
回帰を使えば、確かにこの状況は打開できるかもしれない。だが、それは同時に、天国が再び意識不明の状態に戻るということだった。
「そんなの嫌だもの」
「そんなこと言ってる場合か」
「それに、たとえ私の意思じゃなかったとはいえ、私が人を殺したことは、紛れもない事実。きっと、これは、その、罰、なんだと、思うから」
絶え絶えの息の中、天国は苦笑った。
「そんな罰など、ありはしない。人を何人殺そうが、のさばり続けている人間はいくらでもいる」
「確かに、そうかも。だけど、私は、そんなの、嫌だから」
悪いことをしたら罰を受ける。当たり前のことだった。
「だから、お願い。このまま死なせて。私に罪を償わせて」
天国の必死の訴えに、永遠長の手から力が抜ける。
「ありがとう、流輝君」
天国は嬉しそうに微笑んだ。
「最後に1つ、お願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「キスして」
天国は、愛おしそうに永遠長の顔に触れた。
「最後に、無理矢理じゃなく、流輝君の意思で、私とキスしてほしいの」
「いいだろう」
永遠長は天国を抱きしめると、優しく天国と唇を重ねた。
そして永遠長と口づけたまま、天国の体は消失したのだった。




