第133話
沢渡が、学校の屋上から飛び降り自殺した。
この事実は、室伏高校の学生たち、特に1年2組の生徒たちに衝撃を与えた。
きっと永遠長の仕業に違いない。
沢渡が自殺したと聞いたとき、1年2組の生徒たちは皆そう思った。
自殺の真相はわからない。だが、永遠長にはソレを実行できる力と動機があり、なおかつ永遠長がソレを迷わず断行できるサイコパスであることを、彼らはよーく知っていたから。アイツなら、やりかねない、と。
だが、心の中で思っていても、口に出す者は1人もいなかった。なにしろ、下手に口外しようものなら、自分が第2の沢渡になりかねないから。
クラスメイトが、永遠長の一挙手一投足に怯えるなか、秋代たちだけは普段と変わらず永遠長と接していた。理由は単純明快で、
永遠長が殺るなら、もっとうまく殺る。
その確信があったからだった。
口論した日の夜に、自殺に見せかけて殺す。
そんな真似をすれば、自分が犯人です。と言っているようなものだった。しかも、学校の屋上から飛び降り自殺などさせたら、屋上が使用禁止になるのは目に見えている。
そんな真似を永遠長がするとは思えなかったのだった。
そして、当の永遠長本人はというと、周囲の目など意に介さず、これまでと変わらぬ生活を送っていた。
そんなある日、
「永遠長流輝君だね」
永遠長の自宅に刑事が現れた。
要件は、やはり沢渡の自殺に関することだった。
刑事の話では、沢渡が自殺する前日、彼女が永遠長と口論していたとのタレコミがあり、沢渡が自殺する直前、学校近くの防犯カメラに、沢渡と一緒にいる永遠長らしき姿が写っていたのだという。
いずれも、あくまでも状況証拠に過ぎなかった。しかし、それを覆すだけのアリバイもなかった永遠長は、重要参考人として警察への同行を求められた。そして、これに永遠長も応じ、警察署内に身柄を移されたあと事情聴取が行われた。
「おまえが殺ったんだろ!」
永遠長が未成年だからなのか、元々そういう性格なのか。永遠長の取り調べを行う刑事は、最初から居丈高だった。
しかし永遠長は、
「俺を逮捕したければ証拠を持って来い。状況証拠ではなく、俺が沢渡を殺したという事実を示す、反論しようのない物証を」
違法と言える苛烈な取り調べにも動じることはなかった。
だが警察も負けず劣らず、新たな状況証拠を突きつけてきた。
「朝霞力という子を知ってるな? その子の父親は、ある組の幹部だったんだが、少し前に死亡している。そして、その日おまえはその父親に会っている。そうだな?」
「ああ、会った」
「何しに来たんだ?」
「娘を連れ戻しにだ」
「そして、地下駐車場で殺されたんだよな。地下駐車場の防犯カメラに、奴が撃たれるときの銃声が、しっかり残ってた」
「それが、俺になんの関係がある?」
「不思議だよなあ。おまえにとって目障りな奴が、なぜかおまえと会った後に、なぜかそろって死ぬなんて」
「で? なぜか分からないが、俺と会った後に死んでるから、俺を殺人犯として起訴するわけか? それで公判が維持できると、本気で思っているなら、やってみるがいい」
「このガキ!」
刑事は永遠長の胸ぐらを掴んだ。
「大人をナメてんじゃねえぞ、コラア! てめえみてえなガキ1匹、ブチ込むぐらい、こっちゃあワケねえんだぞ!」
「やってみろ。だが、それ相応の覚悟はしておくことだ」
永遠長の目が黒光る。
「おまえたちが俺を尋問できるのは、それが日本国憲法によって認められているからに過ぎない」
「あ?」
「そして、その法に則っている限りにおいては、俺もそれに従ってやろう。だが、おまえが、つまり日本の警察、ひいては日本国が、無実の罪で俺を不当に害そうと言うのであれば、それはもはや法ではなく、ただの暴力に過ぎない。であれば、そのときは、こちらも相応の対処をすることになる」
「何を」
「国家権力とは、絶対的なものではない。法の下、それを行使できる武力を有するがゆえに強行できる、ただの力でしかない。だからこそ、それを行使できるのは、その力が及ぶ範囲に限られることになる。極論すれば、いくらおまえが法や正義を声高に叫ぼうが、独裁国家のトップを逮捕することはできないし、ましてや死刑台に送ることもできない。それが現実だ」
「御高説痛み入るが」
刑事は鼻で笑った。
「じゃあ、何か? おまえは北朝鮮やロシアなみの武力でも持ってるってのか? あるなら見せてみろよ。ホレホレ」
「……逮捕されたとき」
「あ?」
「あるいは国家レベルで、俺を社会的に抹殺しにかかっているのかとも思ったが」
永遠長は、改めて刑事を観察した。
「どうやら俺の思い過ごしだったらしい。もしそうなら、さすがにこんなチンピラを寄越しはしないだろうからな」
「チ、チンピラ?」
「それとも、このチンピラをあてがうことで、俺が軽挙に出ることでも期待しているのか? だとしたら舐められたものだ」
「こ、この野郎!」
刑事は拳を振り上げたが、
「止めろ、多賀」
さすがに見かねた同僚に止められてしまった。
「まあ、どうでもいい。ただ1つだけ言えることは、今取り調べを受けているのは俺だが、本当の意味で審判を受けているのは、おまえたちのほうだということだ。そのことを上に伝えておくがいい。俺を不当に逮捕するということは、俺が不当に日本国を害することを認めることだということを。もっとも、おまえごときが伝えられる上など、タカが知れているだろうがな」
「こ、このガキ、言わせときゃあ!」
多賀刑事が激昂しかけたとき、上司が取調室に入ってきた。
「釈放だ。出ろ」
上司の指示に、
「え!? 釈放!?」
多賀から不満の声が上がる。
「当然だ。彼には、あくまでも参考人として来てもらっただけなんだからな」
「しかし」
「うるせえ! 参考人の、それも未成年に手え出しやがって! 本当なら減給もんだぞ!」
上司にドヤサれた多賀は絶句した。
「まあ、今回は始末書で勘弁してやる。わかったら、グダグダ言ってねえで、その子を送って来い」
上司に命令された多賀は、
「わかりました」
いかにも渋々といった様子で、永遠長を警察署の外へと連れ出した。そして渋々パトカーでの帰宅も申し出てきたのだが、永遠長は拒否されてしまった。
「ぜってえ、尻尾掴んでやるからな。覚えてやがれ」
安い捨て台詞を吐く多賀に構わず、永遠長は警察署を後にした。が、内心では失望していた。永遠長としては、いい機会だから警察署内がどんなものか、自分の目で確かめるようと思っていたのだった。
見ると、すでに日は沈み、辺りはスッカリ暗くなっていた。
家路についた永遠長は、その途中で人気のない公園に入った。直後、背後から殺気がした。隠そうともしない、突き刺すような殺気。
永遠長は、その場から飛び退いた。直後、寸前まで永遠長がいた場所を真空の刃が切り裂いた。
永遠長は襲撃者を確認した。見ると、襲撃者は20前後の女だった。が、その容姿は明らかに普通を逸脱していた。茶色のショートヘアの上から飛び出している獣耳。両頬の長いヒゲ。両手足に生えている鋭い爪。
そのどれもが、普通の地球人女性にはありえない特徴だった。
「獣人、いや憑依か」
さらに観察すると、襲撃者の頭には猫耳の他に普通の耳もついていた。
服装が、胸元までの赤いTシャツにデニムの短パンなのは、動きやすさ重視。靴がサンダルなのは、おそらく爪で靴を駄目にしないための配慮と思われた。
「様子見、様子見って、まどろっこしいんだよ」
襲撃者は、さらに風刃を放った。それを永遠長は、右腕の一振りで叩き壊した。
「やるじゃねえか! なら!」
襲撃者は右腕を真横に伸ばすと、
「解霊!」
鋭く言い放った。すると、襲撃者の体からイタチらしき霊獣が飛び出し、右手にはめた指輪へと吸い込まれた。と、同時に襲撃者の容姿が人間に戻る。
「妖狐招来!」
襲撃者は左手を振り上げた。すると、今度は左手の指輪から狐の霊が出現。襲撃者に憑依すると、今度は襲撃者の体から狐の耳と尻尾が飛び出した。
「動物霊を自分に憑依させることで、その力を使えるのか。基本的な原理は、召喚武装と同じだな」
永遠長は興味深げに襲撃者の変化を観察した。
そして妖狐と化した襲撃者は、両手に青白い炎を生み出すと、
「これならどうだ!」
永遠長に撃ち放った。
風刃なら打ち消せても、炎はそうはいかない。
そう考えたのだった。
そして案の定、永遠長は炎を打ち消すことなく、その場を飛び離れた。それを見て、
「オラオラ!」
襲撃者はさらに狐火を乱れ撃つ。
「なるほど。イタチだけかと思ったら、狐もいるのか。ということは、他にもあるということだな」
永遠長は好奇心を抑えきれず、そのまま襲撃者へと突撃をかける。
「バカが!」
襲撃者は、向かい来る永遠長へと特大の狐火を撃ち放つ。だが永遠長は怯むことなく炎に飛び込むと、無傷で炎を突き抜けた。そして、
「な!?」
驚く襲撃者の左手首を掴むと、
「ほう」
襲撃者の左手をまじまじと観察した。
「は、離せ!」
襲撃者は、右手から狐火を放とうとした。が、そちらも永遠長に掴み止められてしまった。
「は、離しやがれ!」
襲撃者は永遠長を振りほどこうとしたが、妖狐の力を持ってしても永遠長の手は微動だにしなかった。
そして襲撃者の両腕の自由を奪ったところで、
「ふむ」
永遠長は襲撃者の顔を覗き込んだ。
「憑依しても、眼球にはさして変化は起きていないようだな。夜行性の動物ではないからか」
永遠長は、次に掴んでいる右手に着目した。
「やはり、こっちは確実に変化しているな。憑依させたとはいえ、あの妖狐は霊体のはず。エルギアの召喚獣と違い、実体を持たない霊獣を憑依させて変化したということは、この爪も基本的な構造は霊体ということか? だが、確かに実体がある」
永遠長は、襲撃者の左手を丹念に撫で触った。
「こ、この!」
襲撃者は永遠長に右膝蹴りを食らわせようとしたが、逆に軸足を払われ、組み敷かれてしまった。
「ど、どきやがれ!」
なんとか逃れようと暴れる襲撃者を見て、
「うるさい奴だ」
永遠長は襲撃者の脇の下に手を伸ばした。そして、
「ひゃ! ひゃにを!?」
動揺する襲撃者に構わず、
「キャハハハハ!」
脇の下を思い切りくすぐった。
「ヒャメ、ヒャハハハハ!」
襲撃者は両腕を振り回し抵抗したが、永遠長は休むことなく、くすぐり続けた。そして襲撃者が息も絶え絶えになったところで、今度は耳を触る。
「ひゃん!」
くすぐられ続け、感覚が敏感になっていた襲撃者は思わず体をくねらせた。
「なるほど。霊体でできた耳にも感覚があるようだな。ここは召喚武装とは違うな。あれは召喚獣を完全に鎧化しているが、こっちはあくまで媒体は体内に留まっている憑依だからか」
永遠長は襲撃者の獣耳を、
「あひ! ひゃう! そこ、だめえ!」
さらに熱心に撫で触った。
「霊体として、直接魂と直結している分だけ、ダイレクトに感覚が伝わっているのか?」
永遠長は獣耳を十分に検証したところで、今度は尻尾に手を伸ばした。
「ひいいい!」
永遠長に茶色く伸びた尻尾を握られた襲撃者は、再び身をよじった。
「耳よりも尻尾のほうが敏感なのか?」
身を震わせる襲撃者に構わず、永遠長はさらに尻尾を撫で擦る。そして、その目が尻尾の付け根で止まる。
「この尻尾、ズボンを突き抜けているが、どういう仕組みだ? ズボンを突き破っている、ようには見えんからズボンをすり抜けているんだろうが、こうして触れるということは物質化しているのだろうし……」
永遠長は襲撃者のズボンに手を伸ばすと、脱がしにかかった。
「にゃ!?」
永遠長の意図に気づいた襲撃者は、あわててズボンを掴み止める。
「や、やへろお」
「離せ。また、くすぐられたいか」
「ら、られがはなふは」
「なら、仕方ない」
永遠長は襲撃者の足を抱えると、今度が足の裏をくすぐった。
「キャハハハ!」
くすぐられた襲撃者は腹ばいで地面を叩いていたが、間もなく動かなくなった。
「やっと、おとなしくなったか」
永遠長は、再び襲撃者のズボンに手を伸ばした。が、そうはさせじと、襲撃者の手がズボンを掴み止める。
「しつこい奴だ」
以前、モスでステファランに同じことをしたことがあるが、ここまでしつこくは粘られなかった。この持久力が、霊獣と憑依したことによるものか、心ゆくまで調べたいところだったが、今は尻尾の検証が先だった。
「別に、おまえの裸になど興味はない。尻尾の付け根がどうなっているか、直に見たい。ただ、それだけの話だ」
「ふじゃけるにゃ。はには、ほれだけら」
「騒ぐな。これでは、まるで俺がおまえを強姦しようとしているみたいだろうが。気分の悪い」
「みらいもあにも、ほのほうひらろうが」
「違う。俺はおまえの尻が見たい。ただ、それだけの話だ」
永遠長のズボンを掴む手に、いっそう力がこめたが、
「んー!」
襲撃者も負けずに踏ん張り続ける。
「往生際の悪い奴だ。ちょっと尻を見られるぐらい、どうということもないだろうが。減るもんじゃあるまいし」
「ふじゃけるな、ほの変態」
「誰が変態だ。言ったはずだ。おまえの裸になど、なんの興味もないと。それこそ、胸と尻がデカければ欲情するなら、相撲取りを見ても欲情しなければならないだろうが」
永遠長の目は大真面目だった。
そして永遠長と襲撃者の、尻を巡る攻防は、その後もしばらく続いた。が、それも終わるときがきた。
精魂尽き果てた襲撃者の手が、ズボンから離れたのだった。そして、その機を逃さず、永遠長が一気にズボンを脱がそうとしたとき、
「そこまでにしてもらおうか」
横から声が飛んできた。見ると、三十代半ばの女が立っていた。
「そんなバカでも、私の部下なんでね」
「おまえに指図される筋合いはない」
永遠長は言い捨てた。
「では、どうする? そのまま脱がすか? だが戦闘中ならばともかく、決着が着いた後に、なお危害を加えるとすれば、それは明らかに過剰防衛となるわけだが、それでもいいのかな?」
女は、スマホの画面を永遠長に突きつけた。そこには、永遠長が襲撃者のズボンを脱がそうとしている場面が、ハッキリと映っていた。
「なんなら、婦女暴行の現行犯として、ここで君を逮捕してもよいのだよ?」
女の警告に、永遠長は渋々襲撃者のズボンから手を放した。
「……そんなに、その女が大事ならば、しっかり手綱を握っていろ。それともわざと野放しにして、俺の当て馬にしたのか? こいつに襲われて、俺がなんらかのアクションを起こすことを期待して」
自衛のために力を使わせることで、超能力を持っていることを立証する。そして、それを証拠をして沢渡殺しの犯人として逮捕する。
その可能性を考慮したからこそ、永遠長は襲撃者相手には力を使わなかったのだった。炎への突撃時に「反射」を防火服代わりにした以外は。
「いや、我々に出された命令は、あくまでも待機だ。そのバカが君に仕掛けたのは、あくまでもそのバカの独断に過ぎない。その点では、確かに私の監督不行き届きだ。謝罪する」
年配の女は、永遠長に頭を下げた。
「名乗るのが遅れたが、私は紫乃原巴。対魔物戦用に組織された捜査5課の課長、と言いたいところだが、今のところは配備部の災害対策課に居候している身だ。ちなみに、そこに倒れているバカは霊刹那という。見ての通り霊獣を操れるが、それを除けばタダの脳筋だ」
紫乃原は霊に歩み寄ると、
「このバカが」
霊の頭をハイヒールで踏みつけた。
「君としては、まだまだ不足だろうが、これでケジメとさせてくれ」
紫乃原はそう言うと、
「立て、このバカ者」
さらに霊の腹をハイヒールで踏みつけた。しかし、
「止めろ、ひのはら」
霊は反論するのがやっとで、起き上がる気力も残っていないようだった。
「さん、だ」
紫乃原は嘆息すると、霊の後ろ首を掴み上げた。
「最後に1つ聞くが、君は今回の沢渡満の死に、本当に関与していないのだな?」
「していない。俺に悪意を持っているという理由で人を殺していたら、それこそ全人類を殺さなければならなくなる」
「……わかった。では、我々はこれで引き上げるが、あまり派手な真似はしないことだ。今回は証拠不十分と言うことで経過観察となったが、警察がいつもこうだと思わないことだ。今回は、このバカの暴走だが、我々としても殺人犯を野放しにしておくほど甘くはないのでな。たとえ相手が反社の人間で、それが法で裁けない方法で行われたとしてもだ。せいぜい肝に銘じておくことだ。では、さらばだ。もう会うことがないことを祈る。我々にとっても、君にとってもな」
紫乃原はそう言うと、霊の首根っこを掴んだまま永遠長の前から歩き去った。
しかし紫乃原の思いとは裏腹に、事件はこれで終わらなかった。
今度は、永遠長を取り調べた多賀刑事が、自ら命を絶ったのである。




