第132話
翌朝、登校する秋代の機嫌は、すこぶる悪かった。
原因は、昨晩土門から送られてきたメールだった。
その内容はギルド戦に関する新情報であり、情報元であるロセによると、尾瀬が今度のギルド戦に自分の陣営から参加するよう、他のギルドに働きかけているらしかった。
本来、ギルド戦において、他のギルドに応援を要請することはできない。
だが、そのギルドが解散し、尾瀬の「ノブレス・オブリージュ」に加入するという形を取れば、ルールには抵触しない。
そこで尾瀬は、いったん他のギルドを解散させた上で、そのギルドメンバーたちを「ノブレス・オブリージュ」に加入させているらしかった。
そしてロセの話だと、すでに大小50以上のギルドが、尾瀬の呼びかけに応じて参戦を決めたのだという。
土門のメールによれば、ロセたちの「スリーピングビューティー」が自分たちに協力を申し出てくれているらしく、秋代はありがたくその申し出を受けることにした。
とはいえ、相手が本当に50以上のギルドの協力を取り付けているのだとすれば、ロセたちの協力を得ても焼け石に水状態だった。
あの糞チビが! あの糞チビが! あの糞チビが! あの糞チビが!
土門のメールを見て以降、秋代の頭は尾瀬明理への怒りで煮えたぎっているのだった。
「まだ怒っとるんか、春夏?」
木葉には幼馴染が怒っている理由が、さっぱりわからなかった。
「決まってんでしょうが!」
秋代は吊り上がった目を木葉に叩きつけた。
「ちゅうてもな。ギルド戦なんじゃから、仲間を集めるのは当たり前の話じゃろうが」
土門からのメールは木葉にも届いていたが、木葉に怒りはなかった。むしろ、強い奴と山ほど戦えると喜んでいたぐらいなのだった。
「やり方がムカつくのよ。昨日、ロセさんから話を聞いた時点で、すでに50以上のギルドが参加を決めてるってことは、あの糞チビは、もっと前から動いてたってことになるのよ」
おそらくは、永遠長が寺林から異世界ストアの運営権を奪い取った直後から。
虎視眈々と。
「確かに、そうじゃの」
「気取られないようにコソコソと裏工作を重ねたあげく、もっともらしい綺麗事並べて、自分たちに有利な舞台に引っ張り出しやがったのよ!」
すべては尾瀬明理の筋書き通り。
そう思うと、悔しさ倍増。怒りが収まらないのだった。
そして般若の形相で秋代が歩いていると、
「おはよう」
横から声がかかった。見ると、それは昨日助けた沢渡満だった。
「おはよう。もういいの?」
秋代は不快さを噛み殺し、努めて平静を装った。
「まあね。捕まってたって言っても3日だし、牢屋に入れられてただけだからね」
沢渡は軽い調子で答えた。
「でさ、その件で、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なによ? 昨日も言った通り、あんたを捕まえた奴らのことなら、あたしたちも知らないわよ」
「どうでもいいわよ、そんなこと」
「じゃ、何よ?」
「あんたたちさ、どうやって、あたしたちが閉じ込められてる場所を突き止めたわけ?」
「そんなもん、永遠の力に決まっとる」
木葉が即答すると、
「永遠って、永遠長のこと?」
沢渡は興味津々の様子で食いついてきた。
「そうじゃ、永遠には「連結」の力があるからのう」
「連結?」
「繋がっとるもんがわかる力じゃ」
「あんた、ペラペラしゃべりすぎよ」
秋代は木葉をたしなめた。相手の思惑通りに動く愚は、現在進行系で思い知らされている最中なのだった。
「やっぱり、そうだったのね」
自分の睨んだ通りの結果に、沢渡はほくそ笑んだ。
「……あんた、何考えてるわけ?」
挙動不審な沢渡の様子に、秋代の眉間に警戒心が集約する。
「いいことよ。じゃあね。情報提供、ありがとう」
沢渡は言うが早いか、走り去ってしまった。
「なんだったんじゃ、あいつ?」
木葉は小首を傾げた。
「さあ? いいんじゃない、ほっとけば」
沢渡は同じクラスだったときから、あんな感じだった。
人当たりがよく、ノリが軽いので、クラスカーストでは上位に位置していた。が、それは裏を返せば、何事も適当で責任感がないということで、実際何かマズいことがあると、すぐ他人のせいにしていた。
自分には実害がなかったから放っておいたが、進んで関わりたい人間でもないのだった。
しかし、そんな秋代の思いをよそに、午前の授業が終わったところで、沢渡は再び彼女の前に現れることになった。もっとも、今回の目的は秋代ではなく、
「久しぶりね、永遠長。て言っても、昨日も会ってるんだけど、あたしのこと覚えてる?」
1年2組の教室に入ってきた沢渡は、笑顔で永遠長に声をかけた。
「それでさ、ちょっと話があるから来てくんない」
「断る」
永遠長は沢渡の誘いを一蹴した。
「断る? 今、断るって言ったの?」
てっきり二つ返事でついてくると思っていた沢渡は、露骨に眉をしかめた。
「だから、そう言っている。おまえのために割く時間など、俺には1秒たりとてない」
永遠長は言い捨てた。
「このあたしが、わざわざ出向いたうえに頼んでんのよ」
沢渡は怒りをあらわにしたが、
「おまえがおまえの都合でしたことを、なぜ俺が考慮に入れねばならんのだ」
やはり永遠長は取り付く島がなかった。
「あんた、いつからあたしに、そんな偉そうな口きける立場になったのよ」
沢渡は語気を強めてから、周りの目があることを思い出した。
「いいから、来て。あんたにとっても、悪い話じゃないんだから」
「だから断ると言っている。俺には、おまえと話すことなどない」
「ここで言われてもいいわけ? あんたに変な力があること?」
「好きにするがいい。言ったところで、おまえが精神病院に連れて行かれて終わりだ」
永遠長に素気なくあしらわれ、沢渡は鼻白んだ。
「あー、もうラチがあかない」
元々、さして堪え性のない沢渡はキレた。
「秋代に聞いたんだけど、あんた、人の居場所がわかる力があるそうじゃない」
沢渡にそう言われ、永遠長の目が秋代へとスライドした。
「あ、あたしじゃないわよ。言ったのは、こいつよ」
秋代は木葉を指さした。
「でさ、ちょっとあんたに探して欲しい子がいんのよ」
沢渡は構わず話を続けたが、
「断る」
秒で永遠長に蹴られてしまった。それでも、
「3年前に失踪したそうなんだけど」
沢渡はめげずに話を続けるも、
「俺には関係ない話だ」
付き合いきれないとばかりに、永遠長は立ち上がった。
「その子の親、この2年ずっと必死に、その子のこと探してんのよ? かわいそうじゃない。なんとかしてやろうと思わないの!?」
最後の手段とばかりに、情に訴えかける沢渡だったが、
「まったく思わん」
無駄な抵抗だった。
「あ、あんた、それでも人間なの!? 人の心ってものがないの!?」
激昂する沢渡を、
「ほう」
永遠長は興味深げに見つめた。
「人の心があると、拾ってもらったハンカチをゴミ箱に捨て、わざと落とした消しゴムを奴隷呼ばわりして拾わせたり、嘘のラブレターを書いておびき出して笑い者にしたり、窓ガラスを割った犯人に仕立て上げるわけか?」
永遠長は冷ややかに言い捨てた。
「だとすれば、確かに俺には人の心はないことになる」
「あ、あれは……」
沢渡はバツが悪そうに口ごもったが、それも一瞬だった。
「しょうがなかったのよ。ああしなかったら、あたしがハブられてたんだから」
沢渡はそう言い訳した後、
「だ、だいたい、あんなの子供の頃の、ちょっとした悪ふざけじゃない」
逆ギレ気味に言った。
「そう、冗談よ、冗談。みんなだって笑ってたじゃない」
沢渡はぎこちなく笑ってから、
「てか、それが断る理由なわけ?」
不快そうに眉をひそめた。
「昔のことをウジウジネチネチ根に持って、いつまでも引きずっちゃってさ。それで助けられる人を助けようとしないなんて、バッカじゃないの。そんなイジけた性格だから、イジメられるのよ」
沢渡は吐き捨てた。
「ホント、あの頃から全然変わってないわね。あ、さては今もイジメられてんでしょ? ホント、やんなるわ。あんたみたいな奴が、無差別殺人とかすることになんのよ。マジ、今のうちに死んどけって感じ」
沢渡は、
「はあ~あ」
と、わざとらしいため息をついた。
「……春夏」
木葉は秋代を見た。
「何よ?」
「もう少し友達は選んだほうがええぞ」
「うっさいわね」
実のところ秋代も、沢渡がここまでトンデモな性格だとは思ってなかったのだった。
「それに友達じゃないし。あくまでも、元クラスメイトだから、クラスメイト」
秋代は、ことさらにクラスメイトを強調した。
永遠長は、バカ話をしている秋代たちから沢渡に視線を戻すと、
「1つ聞くが」
おもむろに口を開いた。
「何よ?」
「おまえは、さっきからグダグダと御託を並べているが」
「ご、御託?」
沢渡は気色ばんだ。本人としては永遠長が改心するように、ありがたい説教をしてやっているつもりでいたのだった。
「それで、本当に俺が考えを改めて、おまえに協力すると思っているのか?」
永遠長に真顔で問われた沢渡は、
「な、何よ、偉そうに! 永遠長の分際で!」
鼻白みながら語気を荒げた。
「せっかく、あんたに存在価値を与えてあげようと思って、こうしてわざわざ来てやったってのに! あんたなんて、生きてたってどうせロクなもんじゃないんだから、黙ってあたしの言うこと聞いてればいいのよ!」
沢渡の目は本気だった。
「……春夏」
木葉は再び秋代を見た。が、秋代は無言のまま、反対方向に顔を背けてしまった。
「いいだろう」
永遠長は、おもむろに言った。
「確かに、このままでは埒が明かん。だからチャンスをやろう」
「チャンス?」
「そうだ。おまえがあのときのことを、あくまで遊びと言い張るなら、1人でいい。あのときクラスにいた奴で、あれが遊びだったと証言する奴を連れてこい。それができたら、おまえに力を貸してやろう」
永遠長の急な心変わりに、
「え?」
沢渡は一瞬戸惑ったが、すぐに勝ち誇った笑みを浮かべた。
どうせ小学生のクラスメイトとは、すでに音信不通になっているに決まっている。
永遠長はそう高を括って、こんな条件を出してきたと思ったのだった。
沢渡が、今も当時のクラスメイトたちの住所を覚えているとも知らずに。
「約束は、絶対守ってもらうわよ」
沢渡はそう言い残すと、教室を出て行った。
「朝霞」
嵐が過ぎ去った後、秋代は朝霞にささやいた。
「何よ?」
「あんた、永遠長のストーカーだったんでしょ」
「誰がストーカーよ」
「だったら、あの2人の間に何があったか知ってんじゃない?」
「あいつは、小3のときの永遠長のクラスメイトよ」
朝霞はフンと鼻を鳴らした。
「小3のときの? て、永遠長って、小3のときもイジメられてたわけ?」
「2年で永遠長に返り討ちにあった奴の友達が、3年になったときに永遠長と一緒のクラスになったのよ。で、ダチの敵討ちだって、正義の味方気取りで永遠長に仕掛けたのよ」
「反撃しなかったわけ?」
たとえ相手が複数人だったとしても、永遠長なら1人ずつ狩り殺すなり、いくらでも方法がありそうなものだった。
「2年のときのイジメが、中途半端で終わっちゃったでしょ。だから、もしアレがそのまま続いてたら、どんなイジメに発展したのか確かめようとしたのよ」
「また無駄な好奇心、発揮したわけね」
「そのイジメは、飽きた永遠長がそいつらにヤキ入れて終わったんだけど、あいつはその前に転校したから、あの女の頭の中にある永遠長は、あの頃のイジメられても反撃できないヘタレのまま、止まっちゃってんのよ」
「なるほどね。あいつだけ、永遠長のヤバさを知らないわけね」
ある意味、類稀なる幸運の持ち主と言えた。
「じゃあ、永遠長が証人連れて来いって言ったのは」
「あいつをあきらめさせるためでしょ。でなきゃ、本当にそんな奴が出てくるか、試してみたかったんじゃない? ま、いないでしょうけどね。なにしろ、ヤキ入れられたイジメグループのリーダー格は、右肘破壊されてプロ野球の夢を断たれて自殺未遂。そのガールフレンドは、住所と名前入りのアダルト映像ネットに配信するって脅されたショックで、引きこもりになったって話だから」
朝霞の説明に、教室は静まり返った。
「しかも、頼みの担任は永遠長に椅子で殴り倒されたのに、永遠長を責めるどころか警察沙汰にならないように、全力で擁護する始末。それを知ってる奴らが、今さら永遠長と関わりたいと思う?」
もし、そんな証言をしようものなら、今度は「遊び」でどんな目に遭わされることか。
そんなリスクを冒してまで、沢渡に協力するような酔狂な人間がいるとは思えなかった。
「ホント、バカな奴。せっかく命拾いしたってのに、わざわざ自分から地雷踏みに戻って来るなんて」
「てか、ソレそのままあんたにもブーメランでしょうが。てか、そんなヤバい奴だってわかってて、よく手え出したわね、あんた」
ある意味、永遠長よりもとんでもない女だった。
「うっさいわね。わたしはやられた分をやり返しただけよ。言わば正当防衛なんだから、あんなのと一緒にすんじゃないわよ」
どっちもどっちって気がするけど……。
小鳥遊は、そう思ったが口には出さなかった。
「まあ、誰も手を貸す人がいなければ、あの娘もあきらめるしかないわけだし」
それが1番平和的な解決法であり、そう思えばこそ、永遠長も沢渡に提案したのだろう。たぶん。
秋代は状況を整理し、そう自分を納得させた。
「どうだかね。あの手のバカは、そうなってもあきらめないと思うんだけど」
「経験者は語るってやつ?」
「うっさい。だから、一緒にすんなって言ってんでしょうが。わたしは、あくまでもやられた分をやり返そうとしただけよ」
「あっそ」
とにかく、これであきらめてくれるといいんだけど。
秋代は、そう思わずにいられなかった。
誰よりも、沢渡のために。
だが、この永遠長と沢渡の間で勃発した騒動は、秋代の思いとは裏腹に、最悪の結末を迎えることになった。
この日の夜、沢渡が自殺したのである。




