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第128話

 それは12月に入った、最初の日曜日のことだった。


 学生たちが勉強、遊び、就労に勤しむなか、永遠長は新宿区内にある尾瀬グループの本社を訪れていた。


 尾瀬グループの現社長である尾瀬貴文からの要望であり、彼が用意した送迎車で本社ビルに着いた永遠長は、秘書の案内で貴賓室へと通された。


「よく来てくれたね、永遠長君」


 入室した永遠長を、尾瀬貴文は笑顔で出迎えた。

 尾瀬は四十代後半、180センチを超える体躯を包むダブルの高級スーツが、いかにも優秀な実業家という雰囲気を醸し出していた。


「まあ、かけてくれたまえ」


 そう言って尾瀬社長が促したソファーには、すでに娘である尾瀬明理が座っていた。


「娘とは、すでに面識があるようだから、わざわざ紹介する必要はないだろう」


 尾瀬社長は娘の隣に腰を下ろした。


「君のことは、娘から色々と聞いているよ。異世界ストアの利用者の中でも、相当の手練だとね」

「娘から何を聞いたか知らんが」


 永遠長もソファーに座ると、


「俺の力は中の上か、せいぜい上の下といったところだ。まかり間違っても、チートと呼ばれるような代物ではない」


 尾瀬明理を射すくめた。が、尾瀬明理は表情1つ変えることなく、その眼光を受け流していた。


 場の空気が張り詰めるなか、尾瀬社長は1つ咳払いすると、


「単刀直入に言おう。永遠長君、君、我が社に来ないかね」


 要件を切り出した。


「むろん、重役待遇でだ。我が社には、それができる十分な力と体制が整っている」


 尾瀬社長からの唐突なリクルートだったが、


「なるほど」


 永遠長の表情に変化はなかった。


「尾瀬グループ内で、それ相応のポジションを用意してやる。だから「異世界ギルド」の運営権をよこせ。そういうことか」

「そんなことは言ってない。ただストアの全権を持つ君が、我が社に籍を置くということは、周囲から見れば、そう受け取られてもおかしくないということは否定しないがね」


 尾瀬社長は微笑した。


「話にならん。そんな餌で「異世界ギルド」の運営権が本気で釣れると思っているなら、おまえは今すぐ退陣したほうがいい。そこにいる娘のほうが、まだマシな経営ができるだろう」


 永遠長の皮肉めいた指摘に、尾瀬社長は鼻白んだ。が、それも一瞬のことで、すぐに柔和な笑顔に戻った。


「それは誤解だ。私たちは、何も君から「異世界ストア」の運営権を取り上げようと思っているわけじゃない。それどころか、我々は君が「異世界ストア」の運営として、その手腕を十二分に振るえるよう、全力でバックアップしたいと思ってるんだよ。むろん、我が社の1部門となる以上、有事の際にはそれなりの便宜を図ってもらうことになるかもしれないがね」

「どこが違う? 要するに、おまえの言っていることは、異世界を金蔓にしたいから「異世界ギルド」の実権をよこせ。そういうことだろう」

「そう言っては身も蓋もないがね。これは君のためでもあるんだよ」


 尾瀬社長は顔の前で手を組むと、


「君がどう考えてるかは知らないが、今君が手にしてる力は1学生が持つには余りに大き過ぎる力なんだ」


 永遠長を見据えた。


「それは、経験と洞察力に優れた有識者たちが知恵を出し合い、導き出した合理的なシステムの下でこそ、有効活用できるものなんだ」

「おまえの認識に興味はない」


 永遠長は切り捨てた。


「君は何もわかっていない。いや、私の言い方が悪かったようだね」


 尾瀬社長は軽く息をついた。


「君も、すでに承知していると思うが「異世界ストア」に関しては、企業のみならず国家間においても、その利権を獲得せんとの画策が始まっている。そして、そのなかには当然過激な人間もいる。それこそ君を亡き者にしてでも、異世界の利権を手に入れようと考える輩もね」


 尾瀬社長の顔が険しさを増した。


「幸い、これまではそういう過激な行動に出る組織はなかったようだが、これからもその幸運が続くとは限らない。そして、そういった連中の標的にならないためにも、ストアの実権は1個人ではなく、しっかりした地盤のある組織が有しているべきなのだよ。そうすれば過激派も、うかつな行動は取れなくなる。君だって、その若さで死にたくはないだろう? 毒殺や刺殺、果ては銃殺まで、その気になれば過激派はどんな手を使ってでも君を殺しにかかるだろう。このままだと、君はその手の連中を際限なく相手にし続けなければならないのだよ」


 尾瀬社長は、ここぞとばかりに畳み掛けた。


「毎日の食事を警戒し、眠ることすらままならず、絶えず刺客に襲われるリスクに怯えながら毎日を過ごす。君は、この先一生そんな生活を送りたいのかね?」


 永遠長を十分脅したところで、尾瀬社長は鞭から飴に切り替えた。


「それに、さっき君はストアの実権とグループ内のポストでは釣り合わないと言ったが、それはあくまでも入社時の話だ。私としては、ゆくゆくは君を我がグループの後継者に、と考えているんだよ」


 尾瀬社長の申し出に、永遠長の眉が初めて揺れ動いた。


「幸い、君と娘にはすでに面識があるようだし、君が娘と結婚して尾瀬家の者となれば、君は私の義理の息子となり、ゆくゆくは尾瀬グループのすべてが君の物となるんだ。そうなれば、君は身の安全を確保できる上に、将来は尾瀬グループのすべてを手に入れられることになる。どうだね? これは君にとっても、決して悪い取引ではないと思うのだがね?」

「……異世界の実権を手に入れるために、娘を売るというわけか」

「人聞きが悪いな。しかし、そう取ってもらってかまわんよ。それに、これも尾瀬家に生を受けた者。尾瀬家のために、その身を捧げる覚悟はできている。そうだな、明理?」


 尾瀬社長は娘を見た。


「もちろんですわ、お父様」


 即答する尾瀬明理の顔には、さざ波すら起きていなかった。


「そういうことだ。むろん、これは君の気持ち次第であり、なんなら結婚は形式的なものでもかまわない」


 尾瀬社長は平然と言った。


「とはいえ、急にこんなことを言われて君も戸惑っているだろうし、すぐに返事をくれとは言わない。だが、選択肢の1つとして頭に入れておいてもらいたくて、今日は時間を取ってもらったんだ。そして冷静になったら、もう1度よく考えてみてほしい。何が君にとって、そしてこの世界にとって最善かということを」

「それならば、考えるまでもない。答えは、すでに出ている」


 永遠長は憮然とした顔で言った。


「ほう?」

「そんな取引に応じるつもりはない」


 永遠長はキッパリ言い切った。


「尾瀬家の資産だけでは不足だと?」

「誰も、そんなことは言っていない」

「では、なぜかな?」

「簡単な話だ。たとえ、誰がどんな取引を持ちかけてこようが、俺は「異世界ギルド」の運営権を手放す気はないからだ」


 永遠長の目に迷いはなかった。


「……その結果、君が命を落とすことになってもかね?」

「人間は、いつか必ず死ぬものだ。ならば、大切なのはどれだけ生きたかではなく、どう生きたかだろう。いつか必ず失う命惜しさに、自分の意思を投げ捨てた先に、本当の幸福などありはしない」

「わからんね。なぜ、そこまで異世界を守ろうとするんだね? こう言ってはなんだが、異世界など、君たちにとってはゲームの舞台。しょせん、遊び場に過ぎないものだろうに」


 異世界ストアを利用している者の多くが、異世界ストアをバーチャルゲームの1種だと思っている。

 だが、それも無理からぬ話だった。

 なにしろ異世界に転移すれば、一瞬で服を着替えているうえ、復活チケットさえあれば、死んでも無傷で復活できるのだから。

 そして、それは永遠長も同じはずだった。


 少なくとも、異世界など自分の人生と引き換えにするほどの価値はない。


 尾瀬社長は、そう思っていたのだった。

 だからこそ、尾瀬家の財産で釣れば、簡単になびくと思っていたのだが。


「決まっている。俺が、そのうち異世界に旅立つつもりでいるからだ。だからこそ、俺が生きることになる世界を、おまえたちのような輩に食い物にさせるわけにはいかん。ただ、それだけの話だ」


 永遠長は淡々と言い捨てた。


「それは誤解だ」

 

 尾瀬社長は不本意そうに言った。


「我々は、異世界を侵略しようなどとは考えてない。異世界と国交を開き、交流を深めることで、互いにより良い関係を築き上げたいだけなんだ」

「確かに、地球の技術が異世界に流入すれば、異世界は大きく進展するだろう。インフラは整備され、農作物の収穫量は増え、病気で死ぬ人間も激減するに違いない」

「そうだろう。だからこそ」

「だが、代わりに失うものもある」


 永遠長は一刀両断した。


「最初の数十年はいいだろう。それこそ中世の産業革命のように、あらゆる店、街、国が活気付くに違いない。だが、その後に待っているのはゴミの山。この世界と同じ惨状だ」


 永遠長は、横目で窓の外にそびえ立つ高層ビル群を見た。


「大気は汚染され、大地は枯れ果て、動物は地球からやってきたハンターによって狩り尽くされ、土地は地球人に買い占められることになる。いや、それどころか地球ではできない基本禁止されている臓器や人身売買、果ては人体実験や核実験すら実行しかねない。異世界人が無知なのをいいことにな」


 それこそ大開拓時代のアメリカのように。


「それだけでなく、下手をすると地球のゴミや、果ては放射能廃棄物すら投棄する可能性すらある。そして、それに気づいた異世界人が抗議しても、それこそ地球人は「不法投棄した者が特定できない」「こちらでも取り締まってはいるが対処しきれない」など、もっともらしいテンプレを並べるだけで、なんの対処もしないことが目に見えている」


 永遠長は言い捨てた。


「そんな地球人の本性を知らない異世界人たちは、最初は地球人を歓迎するだろう。そして、その本性に気づいたときには、すでに手遅れとなっている。そして、その果てに待つのは地球と異世界の戦争だ。モスのようにな。それを承知で、おまえたちに「異世界ギルド」の運営権を明け渡すほど、俺はバカでも腐ってもいない。ただ、それだけの話だ」


 永遠長の主張を聞き終えた尾瀬社長は、


「……さすがに、それは偏見が過ぎるというものだろう」


 おもむろに口を開いた。


「確かに不法投棄を含めた環境問題は、地球でも解決すべき大きな課題となっている。しかし、だからこそ、その解決のために各国は日々研鑽を重ねているんだ。温暖化対策にしてもそうだ。誰も、今のままでいいなどと思っていない。だからこそ世界中が一丸となって、問題解決のために取り組んでるんじゃないか」

「だったら、その問題とやらを、まず解決しろ。自分の頭の上のハエも追えん奴が、他人の心配をするなど、おこがましいにも程がある」


 しかも技術提供など口実で、実のところは、自分たちが助かるための逃げ道を探しているに過ぎないときてはなおさらだった。


「地球人は、地球という母体に発生したガン細胞だ。母体の健康などお構いなしに、ただただ自分が肥え太ることしか頭にない。そして、それならそれで母体とともに死滅すればいいものを、食い散らかすだけ食い散らかして、母体が死にかけたら、今度は別の人間に乗り移ろうとするのだから、始末の悪いこと、この上ない」

「……それは、ガン細胞の話だろう。我々は人間だ。ガン細胞じゃない」

「そうだな。言い直そう。ガン細胞のほうが、まだマシだ。ガン細胞は、少なくとも自分が生き残るために、同種であるガン細胞の栄養を奪うような真似はしない」

「それはガン細胞に、それだけの知恵がないからだろう。そして人は知恵があるからこそ、君が言うように他人を騙しもするが、同時に救おうともする。君の見方はあまりにも一方的で、それこそ偏見に満ちていると言わざるを得んね」

「それで? 気が向いたときだけ助けてやるから、それ以外のマイナス要素は許容しろと? だが、これが自分たちの身に降りかかってきたら、地球人はどうする? もし今この地球上に、治療法のない感染症が発生したら? 地球人は感染が広がらないように、感染者たちを隔離するんじゃないのか?」

「当然、そうするだろうね」

「それが、自分たちがウイルスになった途端、ウイルスも生きている。生きる資格があるんだ。と、他の世界の人間には共存を求めようというわけか?」


 永遠長は吐き捨てた。


「もし地球人が異世界と本当に交流を持ちたいならば、まず自分たちの前に積み上げられた問題を解決しろ。それができないというのであれば、黙って死ね。自分たちのしでかしたことの尻拭いを、異世界の人間に押し付けるな」

「御高説痛み入るがね。それを言うなら、君もその身勝手な地球人の1人であり、異世界に移住する資格などない、ウイルスということになるんじゃないかな? それとも異世界に移住することは、君だけに与えられた特権とでも言うのかね?」


 尾瀬社長は皮肉った。


「俺は、地球人が異世界に移住すること、それ自体を否定しているわけじゃない。移住するならするで、よそ者としての文をわきまえろということだ。俺は異世界に行っても、その世界の文化に干渉しようとは思っていない。だが、おまえたちは違う。異世界に、自分たちの価値観を押し付けようとしている。かつての「天」が、そうであったように」


 永遠長の言う「天」とは、かつてディサースで権威を誇っていた中国系ギルドであり、彼らは数と力を傘にきて、ディサースに中華街を作ろうとしていたのだった。


「確かに、そう謗られたら返す言葉はないが、それは大人の話であって、子供たちは違うだろう? この世界の成り立ちに、なんら関与していない子どもたちまで巻き添えにするのは、間違っていると思わないかね?」

「だからこそ「異世界ギルド」が存在する。子供たちに、自分たちの未来を自分たちの手で切り開かせるために」

「君はそれで良くても、君の仲間の意見は違うのではないかね」


 形勢不利を悟った尾瀬社長は、別の面から揺さぶりをかけた。


「俺に仲間など存在しない」


 永遠長は即答した。


「その上で、あえて言うなら、それはあいつら自身が自分で判断することだ。そして、あいつらが権力に屈して「異世界ギルド」を去るというのであれば、去ればいい。1つだけ言えることは、あいつらが何を言おうがどうなろうが、俺が考えを変えることは絶対にない、ということだ」


 永遠長は立ち上がった。


「俺が今日ここに来たのは、おまえたちと話し合いをするためじゃない。俺の意志を、おまえたちを通して時の権力者たちに知らしめるためだ。その結果、俺が邪魔だと判断するなら好きにするがいい。ただし、失敗したときには、それ相応の代償を支払うことになるがな」


 永遠長はそう言い残すと、来客室を後にした。その背中を見送った後で、


「青いな」


 尾瀬社長は苦笑した。

 永遠長の言っていることは、まったくもって正論だった。しかし正論だけでまかり通るほど、この世界は優しくない。実際に自分の身に危険が迫れば、嫌でもそのことを思い知るはずだった。


「だが、その前にストアの運営権を奪われては元も子もない。護衛をつけておくとしよう。そうすれば、うまくいけば彼に恩を売ることもできる」


 皮算用を終えた後、尾瀬社長は娘を見た。


「しかし、おまえから聞いていたのとは随分違ったな」


 尾瀬社長が娘から聞いた永遠長の人物像は、自分勝手で傲岸不遜。他人のことなど意に介さない、人でなしのサイコパス、なのだった。


「それが、交流後の異世界人の生活にまで思いを巡らすとは、随分と利他的じゃないか」

「利他的?」


 尾瀬明里の眉が、今日初めて揺れ動いた。


「そんな大層なものではありませんわ。要するに、あの男が言っていたことは、地球人が異世界で好き放題したら、自分が異世界生活を堪能できないから排除する。それだけのことですわ」

「そうかもしれんが、それだけならゴミ問題など心配する必要はないだろう。もし実際にゴミ問題が発生するとしても、それこそ彼が死んだ後のことになるのだからな。私には、彼が純粋に異世界のことを心配していたように見えたがね」

「それは、あの男を好意的に解釈し過ぎですわ。要するに、あの男は地球人が嫌いなのです。だから異世界人の肩を持っているだけのことで、敵の敵は味方というに過ぎませんわ」

「そういうお前のほうこそ、随分と見方が偏っているようだが、彼と何かあったのかね? チートがどうの言っていたが」

「何もありませんわ」


 尾瀬明里は、微かに語気を荒らげた。


「まあいい。とにかく、少し様子を見るとしよう」


 尾瀬社長はそう言うと、娘にも退室するよう促した。そして退室した尾瀬明理に、部屋の前で待機していた轟が追従する。


「……交渉は、やはり決裂でございましたか」


 轟が控えめに声をかけた。


「当然ですわ。あの男が、金や権力で動くようなら苦労しませんわ」


 すべては尾瀬の想定通りだった。


「では、いよいよ例の計画を?」

「ええ、実行に移しますわよ、轟さん」


 尾瀬明里はそう言うと、不敵な笑みを浮かべたのだった。





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