第11話
小学6年生の春、天国は失意の底にあった。
原因は父親の借金だった。
元々は友人の借金だったのだが、返済が困難となった友人は失踪。連帯保証人となっていた父親が、友人に代わって返済義務を負うことになってしまったのだった。
そして、そのことを知った妻は離婚。娘を残して出ていってしまった。
その後、父親は働きながら借金を返していたが、借金苦からストレスと過労により入院。
1人残された天国に、友人たちは最初こそ同情的だったが、日が経つに連れて、その態度は余所余所しいものとなっていった。
突然発生した多額の借金に、両親の離婚。家の家事に、借金取りの対応。哀れみとも蔑みともつかない周囲の目。そして父親の入院。
孤立無援のなか、それでも天国は父親の前では明るく、気丈に振る舞っていた。しかし、その心は折れかけていた。
永遠長が天国の前に再び現れたのは、そんなときだった。
突然、自宅のアパートを訪ねてきた永遠長は、
「あのときの借りを返しに来た」
天国の前に大きなアタッシェケースを差し出した。そして開かれたアタッシェケースの中には、ビッシリと1万円札が入っていた。
戸惑う天国に、
「1億円ある。これで、おまえは借金がなくなり、俺も借り貸しなしとなる」
永遠長は1人満足げだった。
「借りって……」
天国には心当たりがなかった。
「言ったはずだ。この借りは、いつか必ず返すと」
「それって、転校して来た日の……」
天国は、ようやくと思い出した。
「でも、ダメ。受け取れない、こんなお金」
「なぜだ?」
「だって、そのお金って永遠長君の家のお金であって、永遠長君のものじゃない。ううん、それ以前に、私にはそんなお金を受け取る理由がないから」
「この金は俺が自分で稼いだものであって、親のものじゃない」
この天国の疑問は想定済みらしく、永遠長は淡々と答えた。
「え? でも、じゃあ、こんな大金どうやって……。ううん、たとえ本当に永遠長君本人のお金だったとしても、やっぱり受け取れない。だって私には、そんなお金、受け取る理由がないもの」
「言ったはずだ。借りを返しに来たと」
「借りって言っても、私あのとき結局、何もできなかったし」
「問題は、そこじゃない。が、まあいい。タダで受け取るのが嫌だと言うなら、この金は、いったんおまえに貸す形にする。むろん利息はなしだ。これなら問題ないだろう」
「え? でも……」
「そうすれば、少なくとも世間的には借金を返済した形になるから、これ以上借金が増えることはないし、借金取りからの催促もなくなる。ついでに周囲からの好奇の目も」
永遠長の提案は、天国にとって魅力的だった。しかし、借りると言っても1億もの大金、返済し終わるには何年かかるかわからない。それでは実質、永遠長に貰ったのと変わらないのだった。
天国は、その懸念を永遠長に告げた。すると、
「だったら、体で払ってもらおう」
それが永遠長の答えだった。
「え?」
永遠長の要求に、天国は一瞬戸惑ったが、
「わかった」
すぐに覚悟を決めた。
「だけど、覚えておいて。たとえ体は許しても、心まであなたのものにはならないから」
天国は毅然と言い放った。それに対する永遠長の反応は、
「何を勘違いしている」
冷ややかだった。
「え?」
「体で返すということは、働いて返すということだ」
「え?」
「だいたい、小6のガキの体に、1億の価値などあるわけないだろう」
「だ、だったら、最初から、そう言ってくれれば……」
天国は真っ赤になって反論した。
「おまえが勝手に勘違いしただけだろうが。人のせいにするな」
どこまでも自分本位な永遠長に、
「もう」
天国は頬を膨らませた。
「あ、それはともかく、働いて返せって、具体的には何をすればいいの?」
「クエストだ」
「クエスト?」
天国は小首を傾げた。
「そうだ。おまえには、これから異世界でクエストをこなしてもらう。これを使ってな」
そう言って、永遠長がポケットから取り出したのは、銀色のタブレットだった。
「それ、タブレット? て、その前に、今異世界って? え?」
混乱しきりの天国に構わず、永遠長は異世界ナビを操作した。そして「新規異世界ナビ利用権」の発行手続きを終えた直後、
「え!?」
異世界ナビの液晶画面から、新しい異世界ナビが浮き出てきたのだった。
「えええ!?」
目を丸くする天国に、永遠長は新しい異世界ナビを差し出した。
「受け取れ。これは、おまえの異世界ナビだ」
「異世界ナビ?」
天国は銀色のタブレットをマジマジと見た。
「そうだ。これがあれば異世界に行くことができる。そして異世界にある冒険者ギルドでクエストを達成すれば、それに応じた報酬とポイントを受け取ることができる」
「報酬とポイント? じゃあ、もしかしてこのお金って、永遠長君がそのクエストで?」
「そういうことだ」
「それじゃあ、私もコレを使えば本当に異世界に行けて、お金を稼げるってこと?」
天国は目を輝かせた。
「だから、そう言ってる」
永遠長は淡々と答えた。
「で、でも私たち、まだ小さいし、漫画やアニメだと、冒険者ギルドって年齢制限とかあるんじゃ?」
「モスやエルギアは、そうだがな。ディサースには、そういった制限はないから問題ない」
眼の前にある現金が、何よりの証拠だった。
「俺は小5から始めて、今までで1億以上稼いだからな。おまえもがんばり次第では、1年で1億稼ぐことも不可能じゃないはずだ。それに異世界ストアには、冒険者が死んでしまったときのための保険として、復活チケットを販売している。1枚1000円だが、これを購入しておけば、たとえ異世界で死んだとしても、無傷で地球に帰還することができる」
「だったら安心ね」
「だがモンスターに攻撃されれば痛いし、子供でも女ならゴブリン辺りにヤラれる可能性はある。その危険を冒しても、どうしても自分の手で借金を返したいなら、俺がその手段を用意してやる。どうするも、おまえ次第だ。好きにすればいい」
「そんなの」
天国は迷わず異世界ナビを手に取った。
たとえ、そこにどんな危険が待ち構えているとしても、それで借金が返済できるなら、チャレンジあるのみだった。
「後は、ナビ代1万円を振り込めば、手続き終了だ」
「でも、振り込むって言われても、振込先が」
「問題ない。電源を入れて、新規登録手続きを完成させたら、画面に1万円を突っ込めばいい。それで振込は完了となる」
「そ、そうなの? わかった。やってみる」
天国は永遠長に言われるがまま、新規登録手続きを行った。そして手続き完了後、1万円札を画面の上に置くと、本当に1万円札が画面に吸い込まれていった。
「これで手続きは完了だ。後は異世界に行くための異世界チケットと、保険の復活チケットの購入だが、それは今と同じ手順でやればいい」
「う、うん」
「それと明日までに、なんのジョブにするか考えておけ」
「ジョブ?」
「ゲームによくある、戦士や魔法使いのことだ。おまえがクエストを受ける異世界では、冒険者ギルドに登録する際、ジョブも一緒に登録しなければならない。だから明日までに、どんなジョブにするか決めておく必要がある」
「それって、どんなのがあるの?」
「その辺のことは、最初の「冒険の心得」に書いてあるから読め」
「冒険の心得ね。わかった」
「では、今日はここまでだ」
玄関のドアノブに手を伸ばす永遠長に、
「あ、あの!」
天国は、あわてて声をかけた。驚きの連続で、大事なことを言い忘れていることに気づいたのだった。
「ありがとう」
「気にする必要はない。俺は借りを返しに来た。ただ、それだけの話だ」
永遠長は、そう言い残すと天国の自宅を後にした。
そして曜日をまたぎ、学校から帰宅した天国は、さっそくディサースへと転移した。すると、周囲の景色が広野に変わった。
「こ、ここが異世界?」
天国は周囲を見回した。冒険の心得によると、ここはトラキルという王国の王都近くで、ディサースを冒険する場合のスタート地点らしかった。
「ホ、ホントに来れちゃった、私」
空想の産物でしかない。そう思っていた異世界を肌で感じ、天国が感動していると、
「それで、なんのジョブにするか決まったのか?」
数分遅れで転移してきた永遠長が尋ねてきた。
「んもう、せっかく感動に浸ってるのに」
無粋な永遠長に、天国は口を尖らせた。
「本当にデリカシーがないんだから、永遠長君は。そんなんじゃ、女の子にモテな」
「いらんし興味ない。そんなことより、決めてきたのか?」
「その前に確認したいんだけど、永遠長君はなんのジョブなの?」
永遠長は全身を黒の鎧で固め、一見すると、というか、どこから見ても戦士系だった。
「俺か。俺はブラックナイトだ」
「ブラックナイト?」
天国は一瞬眉をひそめ、その後で吹き出した。
「何がおかしい?」
「だって、捻りがないっていうか、あんまりにもイメージ通り過ぎるんだもん」
「こんなものに捻りはいらん。それに、イメージで選んだわけじゃない」
「じゃあ、どうして?」
「これの最上級職であるカオスロードになれば、絶対恭順が使えるからだ」
「絶対恭順?」
「クラスとレベルの低い相手に、1時間なんでも言うこと聞かせられるジョブスキルだ。カオスロードになれば、これが使えるようになるんだ」
「……そっか。誰にもかまってもらえないから、せめて異世界でぐらい、誰かに相手をしてほしかったのね。たとえ、それが力づくでも」
天国は口元を押さえると「可哀想に」と、つぶやいた。
「誰が、そんなことを言った」
永遠長は不本意そうに言い返した。
「違うの?」
「違うに決まっている!」
永遠長は語気を荒げた。他人にどう見られようが関係ないが、勝手な解釈で憐れみをかけられるのは不愉快極まりないのだった。
「絶対恭順があれば、必要な情報を得たい場合に、他人と駆け引きする必要がないからだ」
永遠長にとって、どうでもいい他人のために無駄な時間を取られることほど、アホらしいことはないのだった。
「そっか。ずっとボッチだったから、人とのコミュニケーションの取り方がわからないのね」
天国は目を潤ませた。
「だから違うと言っている!」
永遠長は再び語気を荒げてから、ため息をついた。
「それで、おまえは何にしたんだ?」
永遠長は天国に問い直した。その目からは「もし人をおちょくるためだけに聞いたんなら、このまま捨てて帰ってやる」という意思が、露骨に見て取れた。
「えーとね、そういうことなら、私はヒーラーにしようと思ってるんだけど」
天国は、永遠長の反応を推し量るように、少しずつ言葉を継ぎ足した。
「ヒーラーか」
「うん。調べたら、この世界じゃHPやMPを回復させる薬草とかポーションはなくて、回復はヒーラーと一部の魔法使いにしかできないみたいだし。永遠長君が攻撃職なら、私は回復職のほうが役に立てるんじゃないかなって」
天国は永遠長を上目遣いで見た。
「あ、後ね、普通のゲームだと、ヒーラーは回復特化で、体力がなくて非力だけど、この世界だとクラスアップしていくと回復だけじゃなくて防御力もアップして、最上級職の「セイクリッドガーディアン」になれば攻撃力も上がって、1種のパラディンみたいになれるから、お得かなって」
家事を1年間こなしてきた、天国ならではのチョイスだった。
「えーと、そんな理由からなんだけど、ダメ、だった?」
天国は永遠長を不安げに見つめた。
「ここは日本じゃない。だから、うっとうしい同調圧力もなければ、ズケズケと他人のやることに口出ししてくる教師や同級生もいない。おまえがしたいことを、したいようにすればいいんだ」
「う、うん。じゃあ、そうする。ありがとう、永遠長君」
「じゃあ行くぞ。今日は色々忙しいから、グズグズしてる暇はないんだ」
永遠長は王都トルキードへと歩き出し、
「忙しいって、この後も何かするの?」
天国が後を追う。
「ハーリオンとブルーノ、それとサクサルリスに行く」
「そこに、何かあるの?」
「この3世界は、現地に行くだけでパワーアップすることができる」
「パワーアップ?」
天国は異世界ナビで、改めて各世界の概要を確認してみた。すると、
ハーリオンは獣人の世界。
ブルーノはシャーマンの世界。
サクサルリスは鳥人の世界と記されていた。
天国も各世界の説明は昨日のうちに読んだのだが、これがどうパワーアップに繋がるのか、わからなかった。
「行けばわかる。それより今は冒険者登録が先だ」
永遠長の先導のもと、冒険者ギルドに着いた天国は受付で冒険者登録を行った。そして、その足でヒーラーの防具一式を買い揃えた後、2人は再び王都を後にした。
「じゃあ、次に行くぞ。まずはハーリオンだ」
「はいはい」
天国は異世界ナビを取り出すと「移動可能な世界」の項目に移動。そのリスト内にあるハーリオンをタップした。すると、周囲の景色が広野から湖の畔へと変わった。
「ここがハーリオン?」
天国は周囲を見回した。湖の他には周辺に緑と、少し離れた場所に森が見えるだけだった。
「そうだ」
永遠長らしき声に、天国は振り返った。すると、そこには真っ白いキツネの獣人が立っていた。
「もしかして、永遠長君?」
「もしかしなくても、そうだ」
キツネの獣人は、ぶっきらぼうに答えた。その口調と物腰は、間違いなく永遠長のものだった。
「ハーリオンじゃ、プレイヤーも獣人になるって書いてあったけど、本当だったんだ」
「ああ、ここは獣人の世界だからな。無用の騒ぎを起こさないように、この世界に来たプレイヤーは、例外なく獣人になるんだ」
「じゃあ、私も?」
天国は自分の顔を触ってみた。すると、顔中がフサフサしていた。見ると、顔だけでなく両手も白い毛で覆われているうえ、爪も獣のように鋭く強靭なものに変化していた。
「これって、私も永遠長君と同じキツネになったの?」
天国は、獣になった手で顔を触りまくった。すると、突き出た口には牙があり、耳も頭頂部に移動していた。
「虎だな。それも白い虎だから、いわゆる白虎というやつだ」
「白虎?」
「そこの湖で顔を見ればわかる」
「う、うん」
天国は湖面を覗き込んだ。すると、永遠長の言うとおり、そこには虎の顔が写っていた。
「よかったな。虎は、変身できる獣人のなかでは大当たりの部類だ。しかも白虎とくれば、これ以上ない超レア獣人だ」
「そ、そうなの?」
「そうだ。運の悪い奴だと、ブタやカバになる奴もいるからな。それ以外でも、スカンクになった女子もいたらしいが、周りから屁こき女と呼ばれて、それ以来2度と異世界に来なくなったらしい」
虎でよかった。
天国は心の底から、そう思った。
「じゃあ、次はブルーノに行くぞ」
「え? もう?」
「言ったはずだ。今日は忙しいと」
永遠長は言うが早いか移動してしまい、仕方なく天国も永遠長を追いかけた。
そして次に移動した先で目にしたのは、広大な草原だった。
「じゃあ、やるぞ。手を出せ」
相変わらず情緒も感慨もなく、永遠長は淡々と言った。
そして天国が右手を差し出すと、銀色のメダルのようなものを手渡した。
「これは?」
天国はメダルをマジマジ見た。すると、メダルには太陽のような模様が刻み込まれていた。
「それは陽下闘印だ」
「ようかとういん?」
「その名の通り、太陽の下で力を発揮する極印のことだ」
「極印って、確か、この世界の魔法よね。極印術だっけ?」
「そうだ。この世界には様々な極印が存在して、それぞれが違う力を秘めているんだ。たとえば単純に腕力がアップする極印や、魔力がアップする極印といった感じでな」
「じゃあ、これはお日様の下でパワーアップする極印てこと?」
「そういうことだ。その極印を刻印すれば、太陽の下では通常の1.5倍の力を発揮することができるようになる」
「永遠長君も、この極印なの?」
「違う。俺が刻印しているのは、月下闘印だ」
「月下? てことは、お月様の下でパワーアップする極印ってこと?」
「そうだ。ただし陽印と違って、月の満ち欠けでパワーアップの度合いが変化するようになっている。簡単に言えば、三日月だと1.3倍。半月だと1.5倍。満月だと2倍という感じだな」
「ええ? それってズルくない? 永遠長君は2倍で、私は1.5倍って」
天国はふてくされた。
「ふざけるな」
永遠長は眉をしかめた。
「2倍は、満月のときだけだと言っただろうが。1ヵ月のうちに、何日満月があると思ってるんだ。それに、おまえが活動するのは、基本的に放課後から夕食までだろ。なら、月より太陽の下で力を発揮する陽印のほうがいいに決まってるだろうが」
「永遠長君は違うの?」
「俺は親が共働きで、ほぼ家にいないからな。睡眠時間以外は、ほぼ異世界にいるから月下のほうが効率的なんだ。月下は夜目も利くようになるしな」
「やっぱりズルい!」
「だからズルくないと言ってるだろうが!」
永遠長は思わず語気を強めてしまってから、
「もういい」
あきらめのため息をついた。どうにも天国と話していると、調子が狂う永遠長だった。
「どっちにしても、月下闘印は前に壊れて、今は手元にない。だから、もしおまえがどうしても月下闘印がいいんなら、どこかで手に入れるしかない」
「そうなの?」
「そうだ。そもそも、この世界でのプレイヤーの目的は、自分にあった極印を見つけることだからな」
「自分にあった?」
「そうだ。極印は、その紋様によって効果が違う。たとえば水中でも呼吸ができる水印や、火に耐性を持つ炎印といった具合にな。そして同じ効果の極印でも、紋様によってその力には差がある」
「そうなんだ」
「そうだ。たとえば月下闘印も、俺が見つけたのは2倍だが、もしかしたらこの世界のどこかには5倍や10倍のがあるかもしれない。だから、もしおまえがそれ以上の極印が欲しいと思うなら、自分の力で探し出すことだ。もっとも、おまえにはそれ以前にやらなきゃならないことがあるがな。それとも趣旨変えして、黙ってあの金受け取るか?」
「嫌」
「なら、とりあえずそれで我慢しておけ」
「わかったけど、コレどうやって使うの? ただ持ってればいいの?」
天国は太陽印に目を落とした。
「それを額に当てて、押印と言え。そうすると、その極印の紋様が体に刻み込まれて、力を発揮できるようになる」
「それって、入れ墨ってこと?」
天国は眉をひそめた。
「安心しろ。極印の力は、自分の意思で自由に発動できて、発動させたときだけ体に浮き出るようになっている。実際、今俺の体には、なんの紋様も出てないだろ」
「そういうことなら……」
天国は太陽のメダルを額に当てると、
「押印」
メダルの力を解放した。するとメダルが光輝き、天国の額から全身へと、赤い紋様が刻み込まれていく。そして、その紋様が全身に刻み込まれたところで、メダルは輝きを停止した。
「これでいいの?」
天国は改めて手足を見た。すると、さっきまであった赤い模様が今は完全に消えていた。
「ああ、成功だ。後は必要なときに強く発動させようと思えば、体に浮き出てくるはずだ」
「強く念じればいいのね」
「そうだ。じゃあ、次に行くぞ」
永遠長は異世界ナビを取り出した。
「だから、余韻ってものを」
「そんなものは後でいい。最後はサクサルリスだ」
永遠長はそう言うと、さっさと移動してしまった。
「んもう。本当に、せっかちなんだから」
天国は頬を膨らませつつ、永遠長の後を追った。
そして最後となるサクサルリスに着いた天国は、
「うわあ」
感嘆の声を上げた。
地球よりも間近にある白い雲。眼下に広がる青い海。
サクサルリスの大地は、異世界ナビの解説通り、本当に海の上に浮かんでいたのだった。そしてもう1つ、天国を感動させたのは、
「凄ーい。見て見て、永遠長君。私の背中、翼が生えてる」
背中に生えた白い翼だった。
「この世界の住人は、基本的に翼の生えた有翼種だからな。ハーリオン同様、この世界の住人に異物扱いされないように、この世界に来たプレイヤーの背中には、自動的に翼が生えるようになってるんだ」
永遠長は簡潔に説明し、
「だから、この世界に来たのね」
天国も納得した。
「凄い、凄い。これで私、どの世界でも自由に空が飛べるのね」
天国は翼を羽ばたかせた。
「まあそうだが、そう簡単な話じゃない」
「どういうこと?」
「考えてもみろ。その翼は、おまえの背中から直接生えているんだぞ。それで、もし普通の服や鎧を身に着けたら、どうなると思う?」
「え?」
「その翼は、一応本人の意思で自由に出し入れできるようになってるが、服や鎧の上から生える仕組みにはなってないんだ」
「え? そうなの? でも漫画とかアニメだと、翼の生えた戦士って、普通に服や鎧の上から翼が出てると思うけど」
「そういうのは、ぶっちゃけアニメだから、だろ。それでも、あえてリアルで考えるなら、鎧や服に翼が通る穴が開いてるんだろう。もっともその場合、服や鎧の穴に、どうやって翼を通したんだ? 脱ぐときはどうするんだ? と言う疑問がわいてくるけどな。というか、そんな小さな穴しか空いていないところで、翼を何度も羽ばたかせてみろ。普通に考えたら、それこそ擦れて靴擦れみたいになって、そのうち痛くて飛べなくなるはずだ」
ディサースの場合、ウイングソルジャーといった飛行タイプのジョブを選べば、服や鎧の上から翼が生えてくる仕様になっている。しかし、このサクサルリスでは、そんなご都合主義は用意されていないのだった。
「これが肉体から出ているわけじゃなく、一種のマジックアイテムみたいなものなら、服や鎧の上からでも生えてくるんだろうが、その場合、この世界限定の魔法ということになって、他の魔法と同様に別の世界では使えなくなるだろうからな」
基本、異世界ストアで移動できる異世界の魔法は、その世界でしか使うことができないと明記されている。だが獣人化や極印術のように、直接人体に刻み込まれた力は、どこの世界に行っても使えるのだった。
「だから、その翼は保険のようなものだ。もしディサースで魔力もアイテムもない状態で、どうしても空を飛ぶ必要性ができたときに飛べるようにな。それと、この世界に来たことには、もう1つ意味がある」
「なに?」
「この世界の魔法は、基本精霊魔法しかないが、それだけに精霊の力が強くなっている。だからか、この世界に1度でも来ると精霊との感応能力が高まる。要するに、この世界に来ると地水火風といった精霊魔法の威力がアップするんだ」
「よくわからないけど、知らないところでパワーアップしたってことね」
「そういうことだ」
永遠長はそう言ってから、まだ重要なことを確かめていないことに気づいた。
「そういえば聞き忘れてたが、おまえの属性はなんなんだ? それとクオリティもだ。言ってなかったが、心得を読んだんならリアライズしたんだろ?」
クオリティとは、ゲームでいうところの固有スキルであり、異世界ナビに備わっているリアライズ機能を使うと、そのクオリティが目覚めるのだった。
「うん。もの凄く痛かったけど」
「それは、どうでもいい。なんだったんだ?」
「どうでもいいってことはないと思うんだけど」
天国は永遠長に非難の眼差しを向けた。が、案の定、永遠長にはまったく効果がなく、
「属性は光で、クオリティは「共感」だったんだけど」
天国はあきらめ顔で教えた。
「共感か」
考え込む永遠長に、
「ちなみに永遠長君はなんだったの?」
天国は逆に尋ねた。
「俺か? 俺は属性が闇で、クオリティは「連結」だ」
「連結? どんな能力なの?」
「物と物をくっつける力だ。たとえば、俺の手とおまえの手をくっつけるとか、足に使って壁を登るとか、そんな感じだ」
「なんだか面白そう。なのに、私のスキルは……」
まったく使い道が思いつかないダメダメなスキルに、天国は肩を落とした。しかし、
「何言ってる。おまえのほうが面白そうだろうが」
永遠長の考えは正反対だった。
「共感ということは、普通に考えたら、他人の喜びや悲しみを自分のことのように感じる。つまり、相手の気持ちがわかるってことだ」
「それって意味ある?」
「当たり前だ。感情がわかるということは、相手が自分に敵意を持ってるかどうかや、相手の次の動きがわかるってことだ」
「読心術ってこと?」
「そうだ。それに相手と感覚を共有すれば、自分の受けた痛みを相手にも与えられるかもしれない。そうなったら相手は迂闊に攻撃できなくなるから、有利に戦える」
「それってズルくない? 卑怯っていうか」
「自分に与えられた力を最大限に活用して何が悪い」
永遠長は言い切った。
「ともかく、これで準備は済んだ。後はディサースで実戦あるのみだ」
「いよいよクエストね」
初仕事を前に、天国は胸を高鳴らせたが、
「違う」
永遠長に秒で否定されてしまった。
「違うの?」
「実戦と言ったろ。実戦と言えば、モンスターとの実戦だろ。これから、おまえはディサースに戻って、ダンジョンでレベリングするんだ」
「レベリングって、モンスターを倒して経験値稼ぎするってこと?」
「そうだ。レベル1でできることなんか、タカが知れてるからな。高収入のクエストをこなすには、それに見合ったランクが必要になる。そしてランクを上げる1番の近道は強くなることだ」
ディサースの冒険者ギルドには、FランクからSSSランクまであり、クエストの成功率により上にランクアップしていく仕組みになっているのだった。
「確かに、Fランクのまままじゃ、ろくな稼ぎにならないものね。よし!」
天国は両頬を叩いて気合いを入れ直すと、永遠長と一緒にディサースへと戻った。
そして中級者用ダンジョンの入口まで来たところで、
「ちょっと待て」
永遠長は足を止めた。
「どうしたの?」
「ダンジョンに入る前に、召喚武装しておく」
永遠長は異世界ナビを懐から取り出した。
「召喚武装って、確かエルギアの」
「そうだ。従えた召喚獣を鎧化する魔法だ」
「でも、それってエルギアでしか使えないんじゃなかった?」
だからこそ永遠長も、天国を色々な場所に引っ張り回したが、エルギアには行かなかったのだった。
「心得にはそう書いてあったが、試したら使えた。多分、連結の力が影響してるんだろう」
気づいたきっかけは、エルギアでしか活動していなかった間も、ブラックナイトのレベルが上がっていたことだった。それを見て永遠長は、もしかしたら自分だけは連結の力で、すべての世界と連動しているのではないか? と推測したのだった。
「何それ、ズルい!」
「だからズルくないと言ってるだろうが。おまえに「共感」の力があるように、俺には「連結」の力があるってだけの話だ」
「それでもズルい! チートよチート! 永遠長君はチート!」
「誰がチートだ。俺は、俺が努力して手に入れた力を使っているだけだ。召喚武装にしても、向こうでモンスターをしっかり育てなければ、大した戦力にはならないんだからな」
「それは、そうかもしれないけど……」
「もういい。おまえがどう思おうと、俺にはなんの関係もない話だ」
永遠長は不毛な会話を打ち切ると、暗黒竜を召喚した。といっても、まだ卵から孵化したばかりなので、大きさは1メートルにも満たなかったが。
「カワイー!」
天国は目を輝かせると、ベビードラゴンを撫でた。
「決めた! 私もエルギアに行って、ドラゴンゲットする!」
「勝手にしろ。だが、その前にやることがあるのを忘れるな」
永遠長はそう言うと、
「来い、バルムング」
暗黒竜を体内に取り込んだ。すると、永遠長の体から黒い肩当てと胸当て、そして肘当てと膝当てが出現した。
「へえ、召喚武装って、そうやるんだ」
召喚武装を完了した永遠長に、天国は羨望の眼差しを向けた。
「後は経験値アップチケットと強化チケットだ」
「経験値アップチケット?」
「経験値アップチケットは、プレイヤーが異世界ストアを1年利用するごとにもらえる周年記念アイテムだ。これを使うと使用したプレイヤーと、そのプレイヤーの所属するパーティーメンバーは、その後1週間の間、貰える経験値が2倍になる」
「本当にゲームみたいね」
「そしてヒーラーであるおまえは、回復を行うだけで経験値が入るようになっているから、とりあえず最初は回復役に徹していろ。効率よくやれば、1週間でレベル30ぐらいはいけるはずだ」
「う、うん」
「後はパーティー名だが「ああああ」でいいだろう。どうせ1週間限定」
「ダメー!」
天国は、あわてて止めた。
「何がダメなんだ?」
永遠長は眉をしかめた。本気でわかっていない様子だった。
「ダメダメのダメよ、そんなパーティー名! せっかくつけるんなら、もっと、こうオシャレでカッコいいのじゃなくちゃ!」
「面倒くさい奴だ。じゃあ、おまえが考えろ」
「え? じゃ、じゃあ「ウィズ」はどうかな?」
天国は、とっさに思いついたネーミングを口にした。
「これから私たち、一緒にこの世界で冒険するわけだし、ほら、変身する動物も「白虎」と「白狐」で似てるじゃない。だから、2人一緒ってことで、ウィズ。どう?」
天国の説明に、
「ウィズだな」
永遠長は、なんら感銘を受けた様子もなく、淡々と「ウィズ」をパーティー名として登録した。
そして天国も自分の異世界ナビで「ウィズ」に加入したところで、
「それじゃ、行くぞ」
まず永遠長がダンジョンに踏み込み、
「う、うん」
天国が周りの様子を伺いながら、それに続く。
ダンジョン内はランプをつけても薄暗く、不気味で薄気味悪かったが、1億円を返済するという大目標のためにも、こんなところで怖気づいてはいられなかった。
すると間もなく、前方からスケルトンが現れた。
怯む心に活を入れて、天国はいつでも回復呪文を唱えられるように身構える。
天国の冒険者生活は、こうしてスタートしたのだった。




