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第106話

 2回戦当日、常盤邸では、ある論争が巻き起こっていた。

 その発端となったのは、朝食の席での常盤の一言だった。


「十六夜君、ひとつお願いがあるのだがね」

「なんでしょうか?」

「その、なんだ、今日の試合なんだが、その、君には、ぜひメイド服を着て出場してもらいたいのだが」

「却下です」


 即答したのは静火だった。


「ど、どうしてダメなんだね? て言うか、どうして君が答えるんだね? 私は十六夜君に聞いているのだよ?」

「雇主から従業員へのお願いなど、実質命令と同じです。そんなものを、十六夜さんに断れるわけがありません。ですので、わたくしが代わりにお答えしたまでです」


 静火は淡々と答えた。


「そ、そんなことはないよ。わ、私は十六夜君が嫌だと言ったら、それ以上無理強いするつもりなど」

「それに、どうせ理由も、十六夜さんがメイド服を着て試合をするところが見たいという、旦那様の極々個人的な願望でしょうし。そんなくだらないことのために、大事な試合を控えた十六夜さんを煩わせるわけにはまいりません」

「な、何を言うんだね。わ、私がそんな個人的欲求を満たすために、十六夜君に無理を言うようなハレンチな男に見えるのかね?」

「見える」


 今度は七星が即答した。


 静火も肯定こそしなかったものの、その目は限りなく冷ややかだった。


「百万光年譲って、願望ではないという戯言が本当だとして、ではなぜ旦那様は十六夜さんにメイド服を着させたいのですか?」

「そ、それは十六夜君が、今のままではあまりに影が薄過ぎて、キャラ立ちしてないからだよ。だから、せめてメイド服でも着れば、少しはキャラが立つんじゃないかと」

「お言葉ですが、旦那様」


 静火は、おもむろに口を開いた。


「確かに十六夜さんは旦那様の言う通り、存在感が希薄で華もありません」

「何どさくさ紛れに、言いたい放題ぬかしてんだ、ドS女」


 七星は静火に非難の眼差しを向けたが、本人はそ知らぬ顔で話を続けた。


「しかし、それは裏を返せば、十六夜さんはその外見で相手を油断させることができるということです。そこへ、なまじメイド服など着ていっては、相手に奇異に思われるのみならず、無駄な警戒感を与え、ひいては十六夜さんのアドバンテージを損なうことになりかねません。そんなことは優勝を目指す十六夜さんにとって、デメリットにこそなれ、なんのメリットもありません」

「そ、それは、そうかもしれないけど……」


 静火の理路整然とした反論に、もはや常盤に残された道は撤退しかなかった。そこへ、


「ま、いーんじゃねーの」


 七星が助け船を出した。


「おお、わかってくれるか、七星君。やっぱり若い娘のメイド服姿は、男のロマンだよね」

「一緒にするな。このクソ変態キモオタが」


 七星は吐き捨てた。


「では、なぜ勧めるのですか?」


 静火は、いぶかしんだ。


「実力は、勝ち進めば嫌でもバレるってのもあるが、それ以上に今日の相手はセレブのお嬢様なんだろ? なら、十六夜がメイド服を着て出場して、使用人対雇主みたいな構図にしたうえで勝ったら、そのお嬢様のメンツは丸潰れ。自尊心も粉々になるだろーからだよ」


 七星は意地の悪い笑みを浮かべた。


「そう、その通りだよ、七星君。あえて使用人スタイルでセレブに挑むことで、庶民の心意気をアピールし、そのうえで下剋上を達成させれば、場が大いに盛り上がる」

「だから、一緒にするなっつってんだろーが。盛り上げるとか、テメーの都合なんか知ったことか。オレが賛成してるのは、あくまでも、それが十六夜の望みだからだ」

「わたしの?」


 十六夜は小首を傾げた。


「ムカついてんだろ、そのお嬢様のこと」


 七星に指摘され、十六夜は口を引き結んだ。


「そのお嬢様に、庶民だの格の違いだの言われて頭にきてんだろ。自分だけでなく、病気の弟までバカにされたよーな気がしてよ。おまえの今日までのがんばりを見てれば、それぐらい察しがつく」

「……わたしは、ただあの人に知ってもらいたいだけだよ。あの人にとっては、どんなに取るに足りない存在だって、誇りを持って生きてるし、意地があるんだってことを。決して、あなたの引き立て役になるために、生きてるわけじゃないんだって」


 十六夜の目に憎悪の影はなく、あるのはあくまでも人としての矜持だった。


「上等だ」


 七星は口元を曲げた。


「だったら、メイド服着ていって、そのことをあのお嬢様に思い知らせてやれよ」

「うん」


 十六夜は力強くうなずいた。


「まあ、それはそれでいーとして」


 七星は常盤を見た。


「おい、キモオタ親父、実際のところ、十六夜のオセロの腕はどんなもんなんだ? あのお嬢様に勝てるぐらいには上達したのか?」

「も、もちろんだとも。私が、それこそマンツーマンでみっちり教えたからね。たとえ相手が、あの美姫君でも負けやしないさ」

「ほー、自信満々だな。じゃー、もし十六夜がオセロでお嬢様に負けたら、テメーにはそれ相応の責任を取ってもらおーか」

「せ、責任?」

「当たり前だろ。負けたら、テメーの教え方が悪かったってことなんだから、それ相応のペナルティーを負うのは当然だろーが」

「ちょっと待」

「確かに七星君の言う通りですね」


 静火が常盤の言葉を遮った。


「いいでしょう。もし十六夜さんがオセロで龍華様に負けた場合、旦那様が利用しているパソコンのゲームアカウントを、すべて削除することにいたしましょう」

「ノオオオオ!」


 常盤は頭を抱えた。


「な、な、な、な、何言ってるの、静火君!? 僕が今までソシャゲに、どれだけのお金と時間と労力を注ぎ込んだと思ってるの!? アカ削除なんてしちゃったら、それが全部パ-になっちゃうんだよ!? ダメダメダメダメ! 絶対ダメー!」


 常盤は猛抗議した。


「絶対勝てると太鼓判を押されたのは、旦那様のはずです」

「そ、それはそうだけどお。勝負に絶対なんてないしい」

「それに十六夜さんは、この勝負に弟さんの人生を懸けているのです。ならば、その師である旦那様が、パソコンのアカウント程度、賭けて当然ではありませんか」

「で、でもお……」

「それとも特訓とは名ばかりで、やはり七星君の言う通り、十六夜さん相手に、ただ遊んでいただけだったのでしょうか?」

「ち、違」

「では、なんの問題もないはずです」

「う、うう……」

「話は決まりました。では、もし十六夜さんがオセロで負けた場合、わたくしが責任を持って旦那様のネトゲ人生を終わらせます」

「待って! 待って! 待ってえ! お願いだから、罰ゲームはもう少し緩くしてえ!」

「お断りします。旦那様が職務中も仕事をしているフリをして、こっそりパソコンでゲームをしていたことは前々から気づいておりました。これはゲームから卒業する、いい機会です。負けたらこれも天命と、きれいさっぱりゲームのことは忘れてください」

「いらないからあ! そんな天命いらないからあ! 余計なお世話だからあ!」


 常盤は静火に泣きついたが、彼女の決定が覆ることはなかった。そして、この一連の展開は七星の計算通りでもあった。


 そもそも、十六夜にオセロの腕を上げさせるだけなら、ネット対戦で経験を積ませれば済んだ話。だが、それを承知の上で、七星はあえて常盤に師事させたのだった。

 常盤に十六夜の師匠という形で、連帯責任を負わせるために。


 これまで常盤に散々な目に合わされた七星の、ささやかな仕返しだった。


「うう、十六夜君。勝ってね。お願いだから勝ってね」


 常盤はひざまずき、十六夜の手を握り締めた。


「そして、ボクのハルナちゃんを守ってね」

「は、はい。がんばります」

「うん、うん、ボクも応援するから」

「て、ついて来る気か、キモオタ?」


 七星は嫌そうに眉をひそめた。


「今日は完全オフですので」


 静火が答えた。


「もしかして、テメーもついてくる気か?」

「いえ、わたくしは……」


 静火は常盤を一瞥した。


「いえ、やはり一緒に参ります。今の旦那様を野放しにしておくと、十六夜さんが負けそうになったら、何をするかわかりませんので」


 その一言が決め手となり、常盤家はそろって会場入りすることになったのだった。


 そして十六夜たちが会場に着くと、すでに龍華の姿があった。


「こんにちわ、十六夜さん。本日は、よくお越しくださいましたの」


 龍華は、十六夜を満面の笑みで出迎えた。

 それは、まるで自分がこの大会のホストと言わんばかりの態度で、十六夜のメイド服姿にも違和感を感じている様子はなかった。さも、庶民は使用人服を着るのが当たり前だと言わんばかりに。


 そして始まった2回戦、先攻の十六夜は作戦通りクイーンとルークを前線へと送り出していった。この守りを無視した駒運びを見て、龍華も十六夜の意図に気づいた。


 このわたくしに、チェスで勝負を挑もうというんですの?


 この十六夜の挑戦に応じた龍華は、クイーンをキングの前衛に据えると、後は動かず十六夜の布陣が完成するのを待っていた。

 そして突撃陣形が完成したところで、十六夜が一点突破作戦を実行に移した。

 龍華も、当然この勝負を受けて立ち、画面がチェス盤からオセロへと切り替わった。


 そして始まったオセロ戦において、十六夜は持てる戦術を総動員し、龍華と互角の攻防を繰り広げることになった。

 そんな十六夜の健闘を、七星たちもロビー席に設置されたモニターから見守っていた。

 特に常盤は、


「がんばってくれ、十六夜君。勝ってくれ、十六夜君。お願いだから、がんばってくれ。がんばれ。がんばれ。がんばれ」


 試合開始当初から、十六夜の勝利を一心不乱に祈り続けていた。そして祈りの甲斐あり、十六夜は見事オセロ戦に勝利したのだった。


「うおおおお!」


 十六夜の勝利が確定した瞬間、常盤の目から歓喜の涙があふれ出した。


「やった! やった! やった! やった!」


 常盤は、我を忘れて小踊りした。そんな常盤を見る周囲の目は冷ややかだったが、今の常盤には取るに足りない小事だった。


 その一方で、この敗北によって龍華が目標としていた全勝優勝は、2回戦で潰えることになってしまった。

 しかし、彼女に敗戦のショックはなかった。


 1度は十六夜に淡い希望を持たせた上で、その芽生えた希望を圧倒的な力で完膚なきまでに叩き潰す。そうしてこそ、愚民どもに己の分を理解させられる。


 龍華はそう考え、オセロはわざと負けたのだった。


 だが、龍華は気づいていなかった。その一連の思考さえも、七星に誘導されたものだということを。


 そもそも七星が「オセロ」をセットゲームに加えたことも、龍華にこの選択を促すための仕込みだった。


 これが他のゲームであれば、龍華も故意とはいえ、十六夜に負けることを由としなかったかもしれない。だがオセロであれば、前の試合でオセロ大会優勝者を敗っているだけに、わざと負けたという言い訳にも説得力を持つ。

 それを見越したうえでの選択であり、龍華は本人のつもりはどうであれ、結果的にまんまと七星の思惑に乗せられてしまったのだった。


 そして次の手番、龍華は攻め込んできたクイーンをルークで奪いにいった。しかし、これは本来なら考えられない1手だった。なにしろ、これでもし龍華がチェスで敗れた場合、そのまま龍華の負けが確定することになる。だから、それを回避するためにも龍華はキングを逃がし、次に十六夜から攻め込ませるのが最善策なのだった。


 そして龍華も、それは承知していた。承知した上で、あえてルークを動かしたのは、ルークのセットゲームが「チェス」だからに他ならなかった。


 チェスで戦う以上、負けることなどあり得ない。あり得ないことのために備える必要などないし、ましてや逃げる必要もない。


 すべてはチェスチャンピオンとしての、そして龍華家の次期当主としての自負と矜持の成せる業だった。


「で、どうなのかね、七星君?」


 常盤が七星に尋ねた。


「私はチェスには、まったく関与してなかったが、十六夜君は本当に美姫君に勝てるのかね?」

「さーな」

「さあな? さあな、では困るのだよ。なにしろ、ここでもし十六夜君が負けてしまったら、この私が、この私が施した特訓による1勝が、無駄になってしまうのだからね。わかっているのかね、七星君」


 常盤は、ここぞとばかりにドヤ顔で七星に迫った。しかし七星は、それ以上相手にしなかった。キモオタ親父の相手などする気にもなれなかったし、している場合でもなかったからだった。


 ここが正念場だ。がんばれよ、十六夜。


 七星にできることは、十六夜の勝利を信じて見守ることだけだった。


 そして始まったチェス戦、序盤はセオリー通り双方守備に力を入れ、互角の立ち上がりとなった。とはいえ、それはあくまでも盤上の話。1手に5秒とかけずに指す龍華に対し、制限時間ギリギリの駒運びを続ける十六夜の劣勢は、その時間差だけ見ても明らかだった。


 せいぜい必死に、お考えなさいの。そうやって、あなたが必死になればなるほど、あなたの惨めさが強調され、わたくしの勝利がいっそう艶やかに引き立ちますの。


 龍華のなかで、自分の勝利はすでに確定事項だった。後は、いかに自分の勝利を愚民たちにアピールするか。

 彼女の興味は、ただそれだけだった。


 華麗に? それとも圧倒的に? それとも窮地からの逆転劇? ああ、迷ってしまいますの。


 龍華は栄光の瞬間を夢想しながら、悠然と駒を動かしていった。


 しかし時が経つにつれて、そんな龍華の余裕は少しずつ薄れていった。楽勝のはずだった試合が、徐々に、だが確実に劣勢に回り始めたからだった。


 なんですの、この展開は? こんなはずありませんの。あり得ませんの。どうしてこのわたくしが、こんな庶民の小娘に、ここまで追いつめらていますの?


 確かに、龍華は十六夜を下に見ていた。しかし、それはあくまでも龍華の心のなかだけの話で、彼女の指し方自体は、いつもと変わりなかったのだっだ。


 それになんですの、この娘? 最初はあれだけモタモタしていたというのに、今は自信満々で指してきますの。

 まさか最初の長考は、わたくしを油断させるためのお芝居だったとでもいうんですの?


 あり得ませんの。こんなことはあり得ませんの。いえ、断じてあってはならないんですの。


 だが、龍華がどんなに否定しようとも、彼女の劣勢が覆ることはなく、敗北の時は確実に近づいていた。そして、


「YOU WIN」


 十六夜のクイーンがキングの逃げ路を奪った瞬間、CPが彼女の勝利を宣言した。


「……やったよ、七星君」


 十六夜の全身から力が抜けた。まさに、全身全霊をかけて掴み取った勝利だった。

 その一方で、負けた龍華は現実を受け入れられずにいた。


「あ、あり得ませんの、こんなこと。これは、何かの間違いですの」


 確かに油断はあった。十六夜を、ただの庶民と侮っていた。だが1回戦のチェス戦を見る限り、それを差し引いても実力差は明らかだった。それこそ、自分が負ける要素など皆無のはずだった。それなのに……。


「一体、どんな小細工をしたんですの? いえ、そんなことはどうでもよろしいですの。そんなことより、このままではわたくしの気が済みませんの。わたくしは、今ここであなたに再戦を申し込みますの」


 龍華は十六夜に詰め寄った。


「再戦?」

「そうですの。わたくしに油断があったとはいえ、勝ちは勝ち。あなたの勝利にケチをつけるつもりはありませんの。ですが、わたくしもチェスチャンピオンとして、そして龍華家の次期当主として、このまま引き下がるわけにはまいりませんの」


 龍華の目は雪辱に燃えていた。


「今度は、わたくしも最初から全力でまいりますの! それで、どちらのチェスの腕が上か、はっきり決着をつけますの!」


 龍華は十六夜に迫った。そして自分に再戦を申し込まれた十六夜は、当然2つ返事でOKすると思っていた。しかし、


「嫌です」


 十六夜はきっぱり言い切った。


「な!?」


 龍華は鼻白んだ。


「勝負は、わたしが勝ちました。そして勝った以上、わたしにはもうあなたと勝負する理由がありませんから」

「だから、理由なら」

「それは、あなたの理由です。わたしには、あなたのつまらないプライドに付き合って、時間を無駄にしなければならない理由なんてありませんから」

「つ……」


 龍華は絶句した。


「メ、メイド風情が、一度勝ったくらいで、何を調子に乗ってるんですの。わたくしにそんな口を聞いて、どうなるかわかっているんです!? あなたの首を飛ばすぐらい、わたくしには訳ないんですの。それが嫌なら、今すぐわたくしと勝負するんですの」


 龍華は気色ばみながら、権威を傘に脅しをかけた。そこへ、


「それは聞き捨てなりませんね」


 対戦室に踏み込んできた静火が割って入った。


「ここにいる十六夜は、事情はどうあれ今は常盤家の人間です。その者に、他家の人間が己の意を強要したあげく、その解雇にまで関与できるかのごとき発言は、常盤家を預かる者として看過できません」


 静火の冷ややかな眼光が、龍華に突き刺さった。


「使用人の分際で、何を偉そうに」

「い、いけません、お嬢様」


 龍華の執事が割って入った。


「お父上からも、釘を刺されたはずでございます。常盤家のメイド長には手を出すな、と」


 常盤家の当主は常盤だが、実質全権を握っているのが静火であることは、財界では周知の事実なのだった。


「こんなメイドの1人や2人が、どうしたというんですの? 常盤おじ様はどこですの? おじ様に言って、この2人を即刻クビにしてもらいますの」


 龍華は鼻息を荒げた。


 その光景を、常盤家の男2人はドアの隙間から覗き見ていた。


「おい、呼んでるぞ、おじ様。早く出てってやれよ、ほらほら」


 七星は意地悪く常盤の背を押した。


「や、やめたまえ、七星君。あんなところに出ていって、私にどうしろと言うのかね」

「そうだな。使用人の分際で口が過ぎるぞ! とか言って、ドS女に平手打ちの1発もかませば、場が納まる」

「無理無理無理無理無理無理無理無理!」


 常盤は全力で首を左右に振った。


「何言ってるんだね、七星君。そんなことしたら、私が静火君に殺されてしまうじゃないか」

「情けねー旦那様だな」


 などと、男2人が陰でバカ話をしている間も、常盤家メイド長と龍華家次期当主の戦いは続いていた。


「どうやらあなたは、現在のご自分の立場が理解できていないようですね」


 静火は伝家の宝刀を抜いた。


「どういう意味ですの?」

「これを、ご覧ください」


 静火は龍華に大会規約書を突きつけた。


「な、なんですの、これは!?」


 龍華は書かれた内容の醜悪さに気色ばんだ。


「こんなこと、認められるわけありませんの!」

「はい。わたくしも、初めはそのつもりはありませんでした。なにしろ、あなたは曲がり形にも天下の龍華家のご息女。その方を、いかに契約とはいえ、下僕として扱うのは差し障りがあると。しかし、あなたの話を聞いて、その考えを改めたのです」

「わたくしの話?」

「そうです。あなたは、こうおっしゃいました。自分がこの大会に出場するのは、特権階級にある者として、庶民に自分との格の違いを思い知らせるためだと。富める者は、それだけの能力を有しているからこそ、現在の地位にいるのだということを証明するのだと」

「そ、それがどうしたというんですの?」

「あなたの言うことは、確かに正論です。しかし、それは一面の事実でしかありません。この世が弱肉強食の競争社会である以上、人は誰もが他者との競争を強いられており、それはあなたも例外ではありません。いえ、先人の勝利による恩恵で今の地位を得たあなたは、他の誰よりも敗者に与えられる運命を受け入れる義務があるのです」


 静火に冷ややかに言い募られ、龍華は絶句した。


「ですが、わたくしも世間知らずのお嬢様の、考えなしの発言をあげつらって、無理強いをするほど非情ではありません」


 いや、指摘してる時点で、テメーは十分鬼だから。


 七星は心のなかでツッコンだ。


「ですから、あなたがご自分の発言を訂正なされるというのであれば、この件は不問に付して差し上げます。自分は特権階級の権威をひけらかすために、遊び半分で大会に出場しただけで、名家の誇りなど持ち合わせない、ただの先祖の脛かじりに過ぎない、と」


 静火の屈辱的な要求に、


「ふ、ふざけるんじゃありませんの!」


 龍華は気色ばんだ。


「ならば負けた代償は、しっかりとその身でお支払ください」

「わ、わかりましたの。どうとでも好きになさいの」


 龍華はそっぽを向いた。


「けっこうです。では本日ただ今より、あなたは常盤家のメイドです。そのことを肝に命じて、しっかり働いてください」


 静火がそう締め括り、騒ぎは一応の終結を見た。


 そして常盤家には、また1人、新たなメイドが加わることになったのだった。




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