第101話
翌日の晩、十六夜は再び常盤の部屋を訪れた。
「すまないね、十六夜君。何度も足を運ばせてしまって。まあ、かけて楽にしてくれたまえ」
常盤に勧められるまま、十六夜はソファーに腰を下ろした。
「では夜も遅いことだし、さっそく本題に入ろう。まずは、これを見てくれたまえ」
常盤は十六夜の前に、チェス盤が映っているノートパソコンを置いた。
「君の行なうゲームは、基本そこに映っているのと同じ画面から開始される。そして」
常盤は机に置かれた、もう1台のパソコンのマウスを操作した。すると敵のポーンが自陣のポーンを奪いに動き、続けて画面に「相手プレイヤーによりポーンが攻められました。応戦しますか? YES NO」という文字が表示された。
「見ての通り、ここで君は判断を迫られることになる。このまま黙って駒を取られるか、それとも駒を守るために相手のセットゲームで戦うかのね。そして受けて立ち、もし返り討ちにできれば、君は逆に相手の駒を奪うことができるというわけだ」
常盤はマウスから手を離した。
「このセットゲームは1試合ごとに変更可能だが、木曜日以後の変更は認められていないので注意したまえ。これは試合の遅延を防ぐためのものだ。たとえばカードゲームの場合に、試合が始まってから対戦相手にデッキを構築させていたのでは、それこそ時間がいくらあっても足りないのでね」
次に、常盤は画面の右上に目を止めた。
「あと、画面の右上を見てみたまえ。時間が表示されているだろう」
「はい」
「それは、プレイヤーの持ち時間ではなく制限時間だ。本来、チェスの持ち時間は、世界大会ならば1人40手150分、日本の場合でも40手120分設けられている。しかしこのゲームの場合、食事やトイレタイムとして5分の休憩時間が5回許されている他に持ち時間はなく、1手にかけられる時間も20秒と、かなり短くなっている。これは基本ゲ-ムであるチェスに限らず、すべてのゲームで同じ縛りになっていて、これを1秒でも過ぎれば即座に君の負けとなる。つまり、このゲームで勝ち上がるためには戦略プラス、それを即断実行する決断力が必要になるということだ」
この早打ちルールは、大会を効率よく行なうために必要なものだったが、熟考型の十六夜にとっては明らかなマイナス要素だった。
「そして、この早指しは、別の意味でも勝敗に大きく関与してくることになる。通常、チェスにおける先攻後攻は対戦者による駒の色当てや、大会の運営が決めるスイス式で行なわれるが、それでもやはり完全な公平とは言いがたい。そこで、この大会ではそれを排除するために、別の判断基準を設けることにした」
「別の判断基準?」
「そうだ。1回戦こそジャンケンで先攻後攻を決めるものの、2回戦からは1手にかけた時間の短いほうが先攻となるようにしたのだ」
「1手にかけた時間?」
「そうだ。この大会は、1人1手20秒の制限があるが、人によっては5秒で指す者もいれば20秒ギリギリかかる者もいるだろう。そのどちらが正しいというわけでもないが、やはり早く指せる人間は、それだけ優れた能力の持ち主であると言えるし、判断基準としても明確だ。そこで、各選手が1手にかけた時間を記録しておき、その平均タイムの短いほうが、次の試合で先攻を得られる方式にしたのだ。こうすることでスムーズな試合進行を促すとともに、試合中の駆け引き要素を増やしたというわけだ」
常盤はパソコンを閉じた。
「前にも言った通り、チェスは先攻が有利なゲームだ。つまり、本当にこの大会で優勝しようと思うならば、ただ相手に勝つだけでなく、即決即断も重要な要素になってくるということだ。もっとも、複合ゲームである地球棋においては、必ずしも先攻が有利になるとは限らないから、無理にあせる必要もないのだが、とりあえず心に止めておきたまえ」
「はい」
「それと君の初戦だが、来月初めの日曜日に決まった。対戦相手は七星終夜という、君と同年齢の少年だ。何かのプロや有段者というわけではないが、チェスの腕はなかなか優れている。決して油断はしないことだ」
「七星?」
十六夜の声が思わず高まった。
「ん? この少年が、どうかしたかね?」
「い、いえ、なんでもありません」
「そうかね。ならば説明は以上となるが、最後に1つ。言うまでもないが、チェスは駒によって動きが違う」
地球棋の基本ゲームであるチェスは、縦横8マスずつに分かれた盤の上で、互いに16の駒を使って、相手のキングを奪えば勝ちとなる。
その駒の配置は最初から決まっていて、1番下の段が、左からルーク、ナイト、ビショップ、クイーン、キング、ビショップ、ナイト、ルークと並び、その1つ上の段に8つのポーンが1列に置かれたところからゲームが開始される。
そして地球棋では、キングを除く15の駒に、プレイヤーが選んだゲームをセットした状態で開始される。
この場合、キングにだけゲームがセットされないのは、キングは他の駒と異なり、取る場合も取られる場合も無条件で行なわれるからであり、将棋やチェスがそうであるように、この地球棋でも大将駒は別格扱いなのだった。
「だからこそ、なんの駒に、なんのゲームをセットするかが重要となってくる。これは個々人の考えと戦略によるが、これまでのテストプレイの傾向からすると、大半のプレイヤーがクイーンやルークといった大駒に、もっとも得意なゲームをセットする傾向が見られる。誰だって、動かしやすく破壊力のある駒で勝ち星を稼ぎたいと思うものだからね」
これは駒の移動法の違いからくるもので、キングは全方向に1コマ、クイーンは全方向に障害物がない限り無制限、ルークは上下左右に無制限、ビショップは斜めに無制限、ナイトは上下左右斜め以外に1マス超えて移動することができるようになっている。
ただ最弱のポーンだけは、前に1コマ進めるという他に制約(初手は2マス進める。前方に駒がある場合進めない。奪えるのは斜めにある駒のみ等)があるが、その分敵陣の最終段まで達すれば、好きな駒に成り変われる利点を持っているのだった。
「そう、ですね」
「つまり、対戦相手の大駒にセットされているゲームを見れば、ある程度相手の戦略が読み取れるし、逆もまたしかり、というわけだ。もっとも、それを逆手に取ってくる相手もいないとは限らないが、一応頭に入れておきたまえ」
「はい。ありがとうございます」
「それと、君さえよければ、手が空いている時間、私が手解きしてあげよう。こう見えて、私も様々なゲームに精通しているからね。きっと君のレベルアップの役に立つはずだよ」
「そんな、お忙しい旦那様に、そんなお手数をおかけするわけには」
「かまわんよ。私としても、君にはがんばってほしいからね」
「あ、ありがとうございます」
十六夜は深々と頭を下げた。彼女としても、ゲームにくわしい常盤が力を貸してくれるのは心強かった。
そして常盤との1月の特訓の後、十六夜は強者居並ぶ盤上へと、その身を投じることになったのだった。




