6 勇者リリアは急行する
「起きてください勇者さま。もう朝ですよ」
――むにゅ、眠いのに……。
「起きないとまた水をかけますよー」
「うにゃあ!?」
耳元に冷気を感じて、リリアは飛び起きた。
すぐ横にマクシミリアンがいる。手には、本当に水の入ったカップがあった。
「ま、マックス、二度ネタはダメだぞ!」
「勇者さまが普通に起きてくれるなら、私もこんなことをしませんよ」
カップの水をあおりながら、マクシミリアンは平気な顔でリリアを見る。
――起こすなら、もっと優しく起こせ……!
目でそう伝えてみるが、マクシミリアンはいつも通りに平然としている。
こちらの思いが通じているのかどうか分からない。いつも通りに、意地の悪い奴だ。
このまま二度寝したら、間違いなく冷たい水をぶっかけられる。春先とはいえ、朝から濡れネズミにはなりたくない。
リリアは仕方なく寝床から出て、伸びをした。パキポキと体が鳴るのを感じつつ、深呼吸。
陽は出ているが、まだ少し寒い。かなり朝が早そうだ。
――もっとゆっくり寝たい。
勇者になってからは、毎日のようにこう思っている。
好きなだけ眠れるのは、年に一週間もないだろう。一年の大半は遠征やら執務やらに忙殺される。
ただ、勇者になりたての頃よりは安心して眠れていると思う。それは、
「……ふぅ」
なんともしゃくだが、水を飲んで一服している黒い龍族のおかげだ。
勇者になったばかりの頃、リリアは何度も暗殺者に狙われた。魔族ではなく、同じ人間の、だ。
幸い、近くにいた兵士に守られていたが、酷い時は恐怖で一睡もできなかった。
それが、変わったのは、真っ黒な自称魔法使いが守ってくれるようになってから。
感謝は、している。いつも一緒に居てくれるから、リリアは安心して勇者をやっていられる。
ただ、最近の冷たい態度は酷いと思う。昔は一緒のベッドで眠ってくれたのに。
「さて、勇者さま、着替えてくださいね。食事が終わったら、すぐに出発ですよ」
「わかってるっての……」
テントから出ていく黒い背中を見送ってから、リリアは寝間着を脱いだ。
細く、ちっこい体を見て、ため息を一つ。
――もう十二なんだから、もっと成長しろよ、わたしの体。
同年代よりも貧相な体つきを見て、嘆かずにはいられない。
それだけではない。同じパーティの精霊使いラミや聖職者ルシアナと比べると、コンプレックスを一層刺激される。
ラミは細身ながら鍛えられた精霊使いらしく健康的な肉体美がある。ルシアナは、もう言葉で説明したくないくらいに女性的特徴に恵まれている。
――もっと大きくなったら、あいつもわたしのこと見直してくれるかな……。
一万年以上生きているという漆黒龍にふさわしいだけの人間になりたい。子供扱いされたくない。
それがいつになるかは分からない。再度のため息で、ゆううつさを吐き出した。
着替えが終わると、タイミングよくマクシミリアンが戻って来た。両手に皿を持っている。
「はい、朝ご飯ですよ」
「うん」
出されたパンにかじりつき、村からもらったというチーズをかみしめる。
勇者とはいえ、食事は普通の兵士と変わらない。擁護派貴族からは特別な料理を食べて欲しいという要望があったらしいのだが、リリアは無視した。
勇者が嫌いなリリアは、勇者として特別扱いされるのも嫌いだ。式典など、最低限度の行事でのみ勇者らしく振舞う。
営業用という奴だ。貴族の何某かに教え込まれた礼儀作法を使っている。
「今日はもう二つ先の村まで行く予定だそうです。まあ、特に問題も起きないでしょうから、予定通りになるでしょうね」
「ういうい」
また馬車の上でヒマな一日が始まるらしい。聖剣を磨くのはもう飽きた。そもそも、汚れるものでもない。
「適当な本でも読みますか? 何冊か持ってきていますけど」
「マックスが読んでくれるなら聞く」
「……いえ、自分で読んでくださいよ」
「じゃあいらない。眠くなるから」
寂れた村の出身とはいえ、リリアは文字の読み書きができる。マクシミリアンが教えてくれた。
かといって、読むのが好きかどうかと言われれば、別の話だ。政治の本も、経済の本も、法律の本も、リリアにとっては等しく枕である。
肩をすくめているマクシミリアンに空になった皿を渡し、リリアは聖剣を帯びた。
テントをくぐり、外の冷たい空気に身をさらす。陽はまだ顔を出したばかり。
――寒い。眠い。めんどくさい。
思っても、外で言うわけにはいかない。リリアは兵士たちの敬礼を受けながら、馬車へ乗った。向かい合わせた場所にマクシミリアンが座り、
――……なんだろ、マックス、今日は変な顔してる。
いつもよりも表情が暗く見えた。兵士たちからは何も聞かされていない。問題が起きたわけではないと思うのだが。
マクシミリアンだけが、何かを感じているのかもしれない。漆黒龍ならではの、勘か何かだろうか。
「マックス」
「はい、なんです?」
問おうと思ったが、マクシミリアンはいつもの調子で返事をするだけだった。
――何か隠してる。なんだろ?
長年の付き合いがあるから分かる、表情の変化。そしてこういう時にマクシミリアンが何も教えてくれないのも知っている。
言ってこないということは、心配しなくていいという合図だとも分かっていた。なので、リリアは気にしつつも深く聞くのを止めた。
聖剣を抜き、いつもの布で磨く。
磨くまでもなく、聖剣は光を放っている。その光は、兵士の一部をどよめかせた。
王家に伝わる秘宝の一つ、らしい。真の勇者にしか持てず、凡人では持ち上げることすらできないという。
もっとも、リリアは聖剣をもって敵を倒すよりも、スプーンをもってイチゴパフェを攻略する方が何倍も楽しい。
――この前のお店、また行こ。
マクシミリアンと行った店は、イチゴ系のスウィーツが充実していた。チョコレート系もたくさんあったので、連れて行っても嫌がるまい。
マクシミリアンがチョコレートを好きになったのは、リリアが勧めたからである。
食事はいらないと言うので、菓子を食べさせたら、一気にハマった。決して、見た目が黒いからではないと思う。
ちらりと、対面を見る。
相方は手元の本を見ていた。読んでいるわけではない。あちらもただのポーズだ。
互いにヒマを持て余している。
「マックスー、この前の店、どうだったー?」
「良い店でした。チョコババロアが絶品でしたね」
「じゃあ、また行こうぜー。この仕事が終われば、また給料出るんだろ?」
「出ますねー。でも、お小遣いしか上げませんからね?」
「わーってるよー。……ちっ、細かい奴」
「どこがですか、おおらかでしょうが。店の代金払ったのは誰だと思ってるんですか」
「わたしだろ!」
「財布は私たちの共有財産でしょうが」
勇者も勇者で給料は貰っている。その管理は、全てマクシミリアンに託しているが。
どこで身に着けた知恵かは知らないが、マクシミリアンは勇者の給料から一部、子供が扱える範囲でしかお金をくれない。
曰く、
「経済というものを知ってもらう必要がありますから」
だ、そうな。
確かに、勇者の給料の額面を聞いた時は、開いた口がふさがらなかった。辺境の村なら十年は楽に暮らせるだけの金額だった。
小遣いを出したその残りは、マクシミリアンがリリアの将来のために厳重に保管している。
「いつかお嫁に行くときに渡します」
とか言っていた。
腹立たしい。父親役のつもりだろうか。
「なー、マックスー。ブドウくれ、ブドウ」
「だーめーでーすー。『都市エステカ』までの分しかないんですから。もっと大事に食べてください」
「えー、そんなちょっとしか持ってこなかったのかよー!」
「我慢ですよ。『都市エステカ』に着いたら少し補充してあげますから」
「たくさん、もっとたくさん!」
ぐぬぬと唸っても、マクシミリアンは涼しい顔。母親役までやろうというのか。
「……はあ」
「おや、珍しい。もうあきらめましたか」
「あきらめて欲しいのかあおりたいのか、どっちだよ……」
「大人しくしてもらえるなら、なんでも」
「最近、わたしに対して雑じゃないか?」
「はて、何も変わっていませんが」
「……はあ」
これ以上の追及はあきらめる。さすがにヒマとはいえ、疲れることはしたくない。
――どうせ、何も教えてくれないだろうし。
投げやりになって聖剣を鞘に戻そうとした時だった。御者台の向こうで昇っている煙に気づいたのは。
一つ二つではない。御者台に上り、目をこらすと、平原の奥に小さな屋根の群れが見えた。
「マックス!」
「飛びますよ、勇者さま」
呼ぶと、マクシミリアンはすぐさまリリアを抱えて、文字通りに飛んだ。
先行する部隊を追い抜いて、さらにその先へ。マクシミリアンの飛翔は、一呼吸もしないうちに、部隊を置き去りにして村へと向かった。
「勇者さま、離れないでくださいね」
「わかってるっての」
「聖鎧も忘れずに」
念じると、聖鎧が一瞬でリリアを包む。その便利さを今は忘れて、
「何が来てると思う?」
「さて、魔族じゃないでしょうがね」
「助けられるか?」
マクシミリアンは目を細め、
「まだなんとか」
短く答えた。
「急げ、マックス! 助けられるだけ助けるぞ!」
「了解ですよ、勇者さま」
村の上空で急制動。マクシミリアンに抱えられたまま下を見ると、村を襲っているのは魔族ではなく、
「野盗? こんな時間にか!?」
舌打ちして、リリアは抱きかかえてくれる腕から飛び降りた。聖鎧のおかげで、着地の衝撃はない。
「おらぁ、てめら! 勇者様のお通りだぞ!」
聖剣を抜き放って、リリアは吠えた。